第166話「三百年の知恵は伊達じゃなかった」
フィーネが怖い。
いや、いつもの堅苦しい物言いは変わらない。変わったのは目だ。あの穏やかな翡翠色の瞳が、交渉相手の言葉をひと言も逃さないと言わんばかりに光っている。
外交窓口を設けて二日目。俺が設計した仕組みが、ようやく本格的に動き始めた。
窓口と言っても、広場の一角に長机を並べて、受付と整理と交渉の三段階に分けただけだ。来訪者はまず受付で名前と要件を伝え、分類された後に担当者と話す。それだけの、単純な流れ。
だが、その「交渉」を担うフィーネの手腕が尋常ではなかった。
***
「ではあなたがたの集落は、主に河川流域の漁労で生計を立てている、と」
「あ、ああ。そうだが——」
来訪者の代表は、四十がらみの男だった。日に焼けた肌と太い腕。漁師か、あるいは河川沿いの開拓者だろう。フィーネの前に座って、露骨に居心地が悪そうにしている。
無理もない。目の前にいるのが長い耳のエルフだ。
「エルフが人族の代弁をするのか」
「わたくしは代弁をしているのではなく、仲介をしているのです」
フィーネの声は凛としていた。書類を繰る指先の動きに迷いがない。
「それに、あなたの出身は河川域の南岸集落ですわね。三十年前の旧大陸入植時代に総督府が割り当てた区画の——第七番です」
「なっ——なんでそれを」
「旧大陸の入植記録は、エルフの公文書院に写しがございます。わたくしは三百年、それを読んできましたので」
男が口をつぐんだ。隣に座っていた連れの男女も、顔を見合わせている。微妙な空気だ。男の視線が一瞬だけ泳いで、すぐに戻った。
フィーネはそこを逃さなかった。
「南岸集落は旧来、秋口に干物を作る慣習がありますわね。塩漬けの魚を河風にさらす。あの味は——わたくしも好物です」
「……知ってるのか」
「ええ。あの干物は、三十年前から評判でした」
男の肩から力が抜けた。連れの女が小さく笑った。
——すげえな、こいつ。
俺は少し離れた位置から眺めていた。窓口の裏手、木の柱に背を預けて。サボっているわけではない。俺の仕事は「仕組みを作る」ことであって「仕組みを動かす」ことではない。設計者は現場に出ない。出たら負けだ。
横でカイが目を丸くしていた。
「え——なんだ今の。なんで出身地がわかったんだ?」
「三百年読んでるんだとさ」
「三百年……?」
カイが唇を噛んで、目を逸らした。こいつはさっき、同じ来訪者に対して正面から「何が必要だ! 言ってくれ!」と突撃して、逆に質問攻めに遭って混乱していた。
熱意は認めるが、外交は熱意じゃ回らない。
***
次の来訪者は、さらに厄介だった。
三組が同時に窓口に押しかけた。ドワーフ系の鍛冶集団。エルフ系の薬草師の一団。そして獣人の小集落の代表。
「酒を出せ。話はそれからだ」
ドワーフの代表が開口一番に言った。背が低いが横に広い。筋肉の塊のような腕を組んでいる。
「書面をいただけますか。口頭での交渉は記録に残りません」
エルフの薬草師がすかさず口を挟んだ。白い指で羊皮紙を取り出している。
「あたしたちは匂いで確かめたい。あんたの町の匂いを、もっと近くで嗅がせてくれないか」
獣人の代表が鼻をひくひくさせながら言った。耳がぴんと立っている。
三者三様。要求がまるで噛み合っていない。
カイが横で頭を抱えた。
「全部同時にやるのか……?」
「無理でしょ」
俺はスキルを起動した。頭の奥に微かな振動が走る。来訪者たちの要求が、赤い糸のように視界に浮かび上がった。
『交渉要求の分類──ドワーフ系は慣習上、酒の提供を信頼確認の手順とする。エルフ系は文書記録を前提とした段階的合意。獣人系は嗅覚による直接的な信頼判定。三者の手順に重複はないが、順序が競合している』
なるほど。やることは同じだが、順序が違うだけか。
フィーネはすでに動いていた。
「順にまいりましょう。まず獣人の方」
「おっ。あたしか」
「ええ。嗅覚での確認は短時間で済みますわ。どうぞ、近くへ」
獣人の代表がフィーネの近くに来て、首元に鼻を寄せた。すんすん、と短く嗅いでいる。フィーネの耳が少しだけ動いた。くすぐったいらしい。
「……うん。嘘の匂いはしない。いい匂いだ。花の匂い」
「ありがとうございます。では次に、ドワーフの方」
「酒は?」
「こちらに」
フィーネが机の下から小ぶりの酒瓶を取り出した。用意がいい。いつの間に準備したんだ。
「交渉の席には酒を用意するものと、ガロン殿に教わりました」
「ほう……わかっているじゃないか、嬢ちゃん」
ドワーフが満足そうに杯を受け取った。琥珀色の液体が、午後の日差しに輝いている。
「そしてエルフの方。書面はこちらに準備してございます。先ほどの二名の確認事項も含め、記録いたしますわ」
三者が、それぞれの流儀で納得した。一連の対応にかかった時間は、半刻もない。
カイが呆然としていた。
「……え、なんで? 俺が朝からずっとやってたのに、全然まとまらなかったのに——」
「適材適所だ」
俺はカイの肩を軽く叩いた。叩くつもりはなかったが、こいつの凹み方があまりに素直なので、つい。
「お前の仕事は他にある。フィーネの代わりに、力仕事を引き受けてやれ」
「力仕事……?」
「来訪者の宿舎の手配とか。荷物運びとか。お前、体力だけはあるだろ」
「だけは、って……」
カイの声が少し沈んだ。
「褒めてないぞ」
「わかってる……」
でも、カイの足取りは軽かった。自分の役割が見つかると、こいつは強い。真っ直ぐに次の仕事へ向かっていった。
***
午後になって、俺は作業場に戻った。正確には、作業場の裏手の縁側に倒れた。仰向けに寝転がって、空を見上げている。
俺の仕組みが動いている。フィーネが交渉をさばき、カイが現場を走り回り、窓口が回転している。設計者の仕事は終わった。あとは寝るだけだ。最高だ。
「ユウトさん」
ルナが隣に座った。楽しそうだ。
「フィーネお姉さん、楽しそうだね」
「そうだな」
「匂いが違うの。朝は緊張の匂いだったけど、今は——なんだろ、わくわくしてる匂い」
フィーネが楽しんでいる。三百年の知識が、ようやく現実の外交で使い道を得た。それはフィーネにとって、きっと大きなことだ。
スキルが頭の奥で微かに動いた。フィーネの交渉案件の進捗を整理しようとしている。勝手に仕事をする。
『窓口の処理効率——現状の対応速度を維持すれば、本日中に六件の案件が——』
はいはい。わかった。順調だってことだろ。報告しなくていい。俺は寝る。
ルナの尻尾が俺の膝にかかった。温かい。午後の日差しが柔らかくて、このまま寝てしまいそうだ。
「任せて正解だったな」
「うん。フィーネお姉さん、すっごく格好いいよ」
ルナの耳がぴこっと跳ねた。嬉しそうに。自分のことじゃないのに、誰かの頑張りを自分の喜びにできるのは、こいつのいいところだ。
俺はそのまま目を閉じた。仕組みが動いている間は、設計者は寝ていていい。それが効率化というものだ。
——うとうとしかけたときだった。
「ユウト、ルナに来客だ」
カイが駆けてきた。息が上がっている。さっきまで荷物を運んでいたんだろう、額に汗が光っていた。
「来客? ルナに?」
「ああ。南から来た獣人だ。……ルナの部族の者だと名乗っている」
ルナの耳が、ぴんと立った。
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