第163話「食えば大体なんとかなる、らしい」
焼いた獣肉の脂が炭に落ちて、じゅうっと音を立てた。
その隣では見たこともない紫色の果実が丸ごと鍋で煮込まれていて、甘酸っぱい蒸気が広場を包んでいる。白い湯気が立ち上って、午後の光に溶けていく。誰が言い出したわけでもない。来訪者が食材を出し合って、気づいたら宴会が始まっていた。
「あんたたち、食材持ってんなら全部出しな! 火はこっちで用意するからさ!」
マーレンの声が広場に響いた。
食堂のおかみが、来訪者たちを手招きしている。エプロン姿で腰に手を当てて、見知らぬ連中を相手に一歩も引いていない。むしろ押している。来訪者の方が圧倒されている。
「えっ、あの、我々は交渉に来たので——」
「交渉は腹が減ってちゃできないだろ。まず食え。話はそれからだ」
反論の余地がなかった。マーレンに食えと言われたら食うしかない。この町の不文律だ。
俺は広場の端で、この混沌を眺めていた。眺めているだけでよかった。マーレンが全部仕切ってくれるなら、俺の出番はない。最高だ。
***
だが、出番はすぐに来た。
食材が混ざり始めると、文化の衝突が起きた。
獣人の集落から来た男が、肉の塊を火にかざした。表面がほんのり色づいた程度で、もう皿に移そうとしている。半生だ。獣人は肉を焼きすぎない。
「おい、それ生じゃないか。腹壊すぞ」
人族の来訪者が顔をしかめた。
「何言ってんだ。これが一番うまいんだ。焼きすぎたら肉が泣く」
「肉は泣かねえよ」
その横で、エルフの代表が木の実を並べていた。丁寧に一粒ずつ、葉の上に置いている。
「我々の食事は、自然の恵みをそのままいただくのが基本です。火を通すのは——」
「火を通さねえのか。生ってことか」
「生ではありません。自然のままということです」
「それを生って言うんだよ」
ドワーフの来訪者は、食材ではなく酒の樽を転がしてきた。どん、と広場の真ん中に置いた。
「食うより先に飲め。飲んでから食え。飲みながら食え」
「飲みすぎだろ」
文化の衝突。種族ごとに食の常識が違う。当たり前のことだが、当たり前が通じないと面倒なことになる。
「細かいこと気にしなさんな!」
マーレンが笑い飛ばした。
「全部混ぜりゃいいんだよ。半生が好きな奴には半生を。火を通したい奴には焼いてやる。酒が飲みたい奴は勝手に飲め。食いたいもんを食え!」
力技だった。だが、力技が通用するのがマーレンだ。来訪者たちが押し切られて、おずおずと食材を出し始めた。
広場が、巨大な食卓に変わった。
***
「うっめぇ!」
ハンスが叫んだ。
見たこともない紫の果実を、生のまま齧っている。来訪者が持ち込んだ食材だ。誰も試していないのに、ハンスは真っ先に齧った。食い意地の人柱。この男の胃袋には恐怖という概念がないらしい。
「ん——ぐ……っ」
顔が歪んだ。口元を押さえている。
「ハンス、大丈夫か」
「——しっ、痺れ……口が痺れる……っ」
涙目だった。紫果実の汁が口の端から垂れている。だがハンスは、涙目のまま親指を立てた。
「でも、いける。甘い。すっげえ甘い。口痺れるけど、甘い」
……腹は壊さない、か。ハンスの味覚は正確だ。「いける」と言ったものは、実際にいける。
「ししょー! あたしも食べていい?」
リタが駆け寄ってきた。八歳の弟子が、紫果実に手を伸ばしている。
「駄目だ。口が痺れるって言ってただろ」
「でもハンスが美味しいって!」
「ハンスの基準で判断するな。あいつの胃袋は参考にならない」
リタの後ろから、ルッツがとてとてと走ってきた。銀色の耳がぴこぴこしている。ルナの弟分だ。六歳。
「ルナねえ、あれなにー?」
「あれはね、痺れる果物だよ。食べちゃだめ」
「わーい!」
聞いてなかった。ルッツが果実に手を伸ばして、ルナが慌てて捕まえた。リタも同時に別の鍋に突撃しようとして、マーレンに首根っこを掴まれた。
子供は効率化できない。これだけは断言できる。
「これ——旧大陸で売れますよ」
トビアスが帳面を開いていた。食材を片っ端から値踏みしている。商人の目が、料理ではなく商品を見ていた。
「この紫果実、王都の貴族に出したら一粒銀貨三枚はいける。痺れるのが珍味扱いされる。あと、この香草——マナ香草か。風味増幅の効果があるなら、調味料として相場の五倍は堅い」
「おい、まだ食事中だろ」
「食事と商売は両立しますよ。おまけで一つ、いい話がありましてね——」
「いらん。食え」
トビアスの「おまけ」は大体ろくなことにならない。経験則だ。
***
夕暮れが広場を赤く染めた。
残り火がぱちぱちと爆ぜている。食後の満足感が、広場全体を包んでいた。来訪者たちが幸せそうな顔で隣の者と話している。さっきまで「獣人を追い出せ」と言っていた男が、獣人の焼いた半生の肉を食って「……悪くない」と呟いていた。
まあ、腹が減れば誰でもそうなる。
「食わせりゃ仲良くなるんだよ」
マーレンが隣で腕を組んでいた。満足そうだ。
「あんたが小難しい仕組みを考えてる間に、あたしは飯を出す。それでいいだろ?」
「……一番効率がいいのは、お前の方法かもしれない」
「当然さね」
マーレンが笑った。豪快に。
食卓が片付いていく中で、俺はスキルを起動した。短く。疲れない程度に。
『食材の産地と文化圏の重なりを分類──北方の山岳地帯から三件、東の森林地帯から二件、旧大陸沿岸部から四件。産地が近い集落同士は食材の互換性が高く、交渉の親和性も高い傾向にある』
食卓がそのまま、外交の地図になった。
「食材の産地と文化圏の重なり……使えるな」
明日、フィーネに外交窓口の話を持ちかける。食卓の情報を土台にすれば、交渉の出発点が見えるはずだ。
今度こそ、逃げない。
……寝坊しなければ。
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