第161話「噂は勝手に広がるし、人も勝手に来る」
朝飯を食い終わって、昼寝の場所を確保しようとした。
木陰のいい場所は早い者勝ちだ。日差しがちょうどいい角度で遮られる、あの大木の根元。あそこに横になれば、昼まで誰にも邪魔されずに——。
町の入り口に、人だかりができていた。
しかも一組じゃない。馬車が三台、徒歩の一団がふた組、さらに遠くの丘にもう一つ影が見える。砂利道を踏む車輪の音が、朝の静けさを壊していた。
「……増えてない?」
トビアスが三日前に言っていた。何組も動き出しているらしい、と。あの時は「まあ、そのうち来るだろ」くらいの認識だった。そのうちが、もう来ていた。
隣にいたカイが目を見開いた。
「ユウト、あれ全部うちに来るのか?」
「知らん。俺は何も呼んでない」
呼んでないのに来る。招待してないのに来る。迷惑なことだ。
***
カイが駆け出して、入り口の対応に向かった。俺は昼寝を諦めて、のろのろと後を追う。追いたくないが、追わないと後でもっと面倒なことになる。経験則だ。
広場に出ると、もう混沌だった。
来訪者たちがそれぞれに口を開いて、カイに何かを要求している。声が重なって、何を言っているのか判別できない。見知らぬ香辛料の匂いが鼻をついた。誰かの荷物から漏れているのだろう。革の鎧を着た男が腕を組み、その隣では薄い布を纏った女が書面を差し出していた。
「技術を分けてもらいたい。我々の集落は鍛冶に秀でている」
「うちは食料の供給ができる。その代わり、安全な土地を——」
「獣人と共に暮らすなど正気か。人族だけの区画を作るべきだ」
最後のが聞こえた瞬間、ルナの耳がぴたりと止まった。
俺の横で、ルナが鼻をひくひくさせていた。さっきまで半分眠そうだった目が、完全に開いている。耳の先端だけが前に傾き、足先がじりっと半歩前に出ていた。
「ユウトさん、知らない匂いがたくさんする」
「だろうな。知らない連中がたくさん来てるからな」
「あの人——」ルナが小さく顎をしゃくった。「嘘の匂いがする。心臓が速い」
ルナが示したのは、書面を差し出していた女だった。薄い布——エルフの正装に似ているが、細部が違う。模倣品だ。
「あと、あの人は怖がってる。匂いが震えてる」
今度は革鎧の男だ。腕を組んで偉そうにしているが、中身は怯えている。わかる気がする。自治権を持つ町に飛び込むのは、勇気がいるだろう。
「賢者さまはどちらにおられる!」
来訪者の一人が叫んだ。
住民が一斉に俺を指差した。やめろ。
「あの方が怠惰の賢者さまだ!」
「違う。俺はただの——」
「賢者さまがいれば大丈夫だ! 全部お任せすれば——」
「任せるな。俺に任せるな。カイに言え。行政担当はあいつだ」
カイが振り返って「おい、俺に丸投げするな」という顔をした。すまん。でもお前、行政担当だろ。
***
広場の喧騒を抜けて、作業場に逃げ込んだ。
ルナがついてきた。逃がしてくれないわけではなく、ルナも人混みが苦手なのだ。耳が情報を拾いすぎて疲れるらしい。
「……やるか」
面倒だが、やらないと明日も明後日もこれが続く。いや、もっと増える。トビアスの報告が正しければ、今日は第一波にすぎない。
目を閉じて、意識を集中させた。
頭の奥が、じわりと熱くなる。Lv4の名残はまだ少し残っている。だが、短い時間なら問題ない。
視界が変わった。
作業場の壁に広げた羊皮紙——カイが慌てて書き留めた来訪者の情報が、淡い光を帯びて浮かび上がる。文字と文字の間に、見えなかった繋がりが浮き上がってくる。
『来訪者の属性分類を開始する。種族、出身地、要求内容、信頼度──現時点で確認できる情報から十一件を整理』
スキルの声が頭の中に響いた。無機質な、いつもの声だ。
『信頼度が著しく低い者が二件。一件は書面を偽装した者──出身地の記載と服装の様式が一致しない。もう一件は要求内容に矛盾がある──「共存を望む」と述べながら、「獣人の排除」を同時に申し出ている』
「……あの女と、獣人追い出せって言ってた奴か」
ルナが頷いた。鼻は嘘をつかない。スキルの分析と嗅覚が一致した。
「ルナ、他に気になるのは」
「んー……あの馬車の人たち、緊張してるけど悪い匂いじゃないよ。期待の匂いがする。新しい場所に来た時の匂い」
ルナの鼻とスキルが、同じ答えを出した。それだけで十分だ。
分類結果が視界に浮かんだ。十一件の来訪者が、信頼度と要求内容でくっきりと色分けされている。
『信頼度:低が二件、中が七件、高が二件──高評価の二件はいずれも具体的な技能を持ち、共存の実績がある集落の代表。中の七件は判断保留──追加の情報が必要』
スキルを切った。じんわりとした疲労が頭の奥に残ったが、以前のように倒れるほどではない。名残だ。ただの名残。
「……これ、一人で捌ける量じゃないだろ」
十一件。しかもまだ増える。来訪者の中には反発勢力も混じっている。獣人を追い出せ、という要求は、この町の根幹を否定することだ。放っておけない。放っておきたいが、放っておけない。
羊皮紙を畳んで、溜息をついた。心底、面倒だ。
ルナの声のトーンが少し上がった。「ユウトさん、また溜息ついてる」
「ため息は俺の基本動作だ」
分類の結果をぼんやり眺めて、もう一度溜息をついた。
「……誰か、こいつらの相手してくれるやつ、いねえかな」
その「誰か」に心当たりはあった。三百年分の知恵を持つ、あの面倒くさいエルフだ。
面倒くさいが——面倒事を片付けるには、面倒くさい奴が一番向いている。
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