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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第8章「法と秩序、めんどい」

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第156話「全員の武器が揃った」

 作業場が狭かった。


 フィーネが羊皮紙を広げ、ガロンが石板に何かを刻み、カイが書類を並べ、ベルトが補足を書き加えている。


 全員が一つの部屋で、別々のことをやっている。なのに、一つの武器を作っている。


 石の粉とインクの匂いが混じった部屋で、蝋燭が汗ばんだ空気をじわりと温めている。窓を開けているのに、人の体温で部屋が重い。


「めんどい」


 正直な感想だ。目の前に並んだ書類の山を見て、率直にそう思った。全部の矛盾を俺が確認しなきゃいけないのか。いや、確認するだけだ。見るだけ。指差すだけ。それなら、まあ——しゃーない。


***


「ユウト殿、こちらをご確認いただけますか」


 フィーネが羊皮紙の束を差し出した。法文書の最終稿だ。ベルトが隣に立って、二人で最後の調整をしていたらしい。二人の手元には赤と黒のインク壷が並んでいた。修正箇所の印だ。


「新大陸開拓令第四十七条第三項に基づく自治権確立の申請書です。条件充足の証明、法的根拠の引用、全て揃えました」


 フィーネの長い耳がわずかに揺れている。集中していた証拠だ。三百年分の法知識を、この羊皮紙の上に注ぎ込んだのだろう。目元にうっすらと疲労の色がある。エルフでも徹夜をすれば疲れるらしい。当たり前だが。


「書式につきましては、旧大陸の公文書形式に完全に準拠させました」


 ベルトが穏やかに補足した。この男の声は、いつも落ち着いている。元書記官の矜持だろうか。


「ヴェルナー様が形式の不備を理由に却下される口実を与えてはなりません。些細な書式の誤りが、法的主張そのものを無効にすることもございますので」


「さすがですわ、ベルト殿」


 フィーネが頷いた。この二人の連携は、見ていて安心する。法の中身はフィーネ、器の形はベルト。役割が綺麗に分かれている。互いの専門に口を出さない。分業の手本だ。


 ……さて、俺の仕事だ。


 Lv4を起動する。まだ昨日の過負荷の名残がある。頭の奥がじんわりと痛む。だが、書類を見るだけならいける。無理はしない。倒れるのは二度と御免だ。


 羊皮紙に目を落とした瞬間、赤い光が一箇所、浮かび上がった。薄い光だ。致命的な矛盾ではない。


『第七条の引用——本文の記述と条文番号が一行ずれている』


「……ここ。第七条の引用、一行ずれてる」


 フィーネが身を乗り出して確認した。長い耳がぴくりと動く。


「——本当ですわ。転記の際にずれたようです。失礼しました」


「ずれがあったということは、他にもあるかもしれませんな」


 ベルトが確認の姿勢を取った。だが俺の目には、他に赤い光は見えなかった。


「……それだけだ。他は問題ない」


「助かります」


 フィーネが小さく息をついた。肩の力がわずかに抜けて、長い耳の揺れが穏やかになる。ベルトがすぐに修正を始めた。筆の先が正確に一文字だけを直す。さすが元書記官だ。


***


 鍛冶場に移ると、ガロンが石板と向き合っていた。


 太い指に握られた鑿が、石の表面を正確に削っている。建築記録——この町の構造物の設計図と施工記録を、石板に直接刻んでいるのだ。石の粉が空気中に舞っていて、鍛冶場全体が白っぽく霞んでいる。鉄と石の匂いが鼻の奥を刺す。


 精緻な文字彫り。一画一画が、鋳型から抜いたように正確だった。ドワーフの石刻み——師匠から受け継いだ技法。文字の太さ、深さ、間隔。全てが均一で、これを刻んだのが生身の手だとは思えない。


「師匠、仕上げが雑! 記録なんだから正確に刻んでください」


 ニーナが横から口を出した。弟子の容赦ない指摘だ。小さな身体で腕を組んで、石板を睨んでいる。


「うるさい。ワシの仕上げは正確だ」


「〇・三ミリずれてます」


「……どこだ」


「ここ。この横画。線の太さが均一じゃないです」


 ニーナが小さな指で石板の一角を指した。ガロンが目を細めて確認する。……本当にずれていた。〇・三ミリ。肉眼でよく見えるな。弟子の目はドワーフの中でも特別らしい。


「……直す」


「お願いします」


 ニーナは満足そうに頷いた。きびきびしている。師匠に遠慮がない。それがいいのだろう。遠慮しない弟子がいるから、仕上がりの質が上がる。


 その隣では、カルルが別の石板の細部を黙々と仕上げていた。文字の周囲に施された装飾——公文書としての格を示す縁取りだ。細い鑿で、髪の毛ほどの線を一本一本刻んでいる。精密職人の腕が光っている。


「……ここ、もう少し詰められます」


 カルルが小さな声で言って、装飾の間隔を微調整した。弱気な口調だが、手つきは迷いがない。手が震えているように見えて、刻まれた線は完璧に真っ直ぐだった。


 ガロンが石板を持ち上げて全体を眺めた。師匠の石刻み技法——あの、一人で黙々と石を刻んだという伝説の技。それを今、弟子と仲間に囲まれて使っている。


 ガロンの顔が、少し柔らかくなった。遠くを見る目だった。


「……悪くない出来だ」


 ガロンが呟いた。石板を見つめる目が、どこか遠い。鍛冶場の炉の残り火が、ガロンの横顔を赤く照らしていた。


 師匠は一人で石を刻んだ。ガロンは、違う。


「師匠? 手が止まってますけど」


「……黙れ。確認しとるんだ」


 ニーナが首を傾げた。ガロンは照れたように石板に目を戻した。


***


 夕方、作業場に全員が戻った。


 テーブルの上に、全ての書類が並んでいる。法文書。建築記録の石板。交易実績の帳簿。住民の合意書。西日がテーブルの上を照らして、羊皮紙の束が橙色に染まっていた。


 カイが一枚一枚を確認していた。目の下に隈があるが、目の奥だけは光っている。


「法文書、建築記録、交易実績、住民の合意書。揃ったな」


 静かだが、確かな声だった。全体を見渡して、何が足りないかを判断する。統括者の仕事だ。カイの指が書類の端を一枚一枚めくっていく。丁寧に、見落としがないように。


「最後にもう一回、確認してくれるか」


「……しゃーない」


 Lv4を起動する。頭の奥がまた少し痛んだが、我慢できる範囲だ。


 テーブルの書類全てに目を通した。法文書の引用、建築記録の数字、交易実績の計算、合意書の署名。赤い光は——一つも出なかった。


『矛盾なし。書式の不整合も検知されず』


「矛盾なし。書式も問題ない。……完璧すぎて怖いな」


「怖いか」


「やりすぎてるんじゃないかって意味だ」


 カイが少し笑った。疲れた顔のまま、息を長く吐いている。


「これで、ヴェルナーに提示できる」


「あとはお前の仕事だ」


「ああ。今度は、俺の番だ」


 カイの声に、震えはなかった。あの指が震えていた夜を知っている。だからこそ、今の静けさが重い。


 全ての書類が揃った。


 カイが一枚一枚確認し、フィーネが署名し、ガロンの石板が物証として添えられた。


「明日、ヴェルナーに正式に申し入れる。全員で」


 緊張と期待が、作業場の空気を揺らした。窓の外では日が沈みかけていて、空が赤く燃えていた。


 俺はと言えば——やっと仕事が終わったことに安堵していた。明日からはカイとフィーネの出番だ。俺は見てるだけでいい。


 見てるだけの仕事。最高だ。

お読みいただきありがとうございました!


本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります!

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