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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第8章「法と秩序、めんどい」

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第155話「倒れたら、もふもふが来た」

 視界がぐらりと揺れた。


「ユウトさん!」


 気づいた時には、ルナの膝の上だった。耳が、ぴこぴこ動いている。……近い。


 銀色の髪がさらりと顔にかかった。甘い匂いがする。ルナの匂いだ。ただ温かい。


 頭の後ろに、柔らかい感触がある。膝枕だ。ルナの太腿の上に、俺の後頭部が乗っている。この状況を冷静に分析すると非常にまずい。


「……何が、あった」


「倒れたの。急にばたって。びっくりしたの。あたし、走ったの」


 ルナの声は心配そうだった。声が少し震えている。安心と心配が混じっているらしい。尻尾も視界の端でぱたぱた揺れているのが見えた。


 記憶を辿る。ガロンの建築記録を確認して、ベルトの法的書式を照合して、フィーネの法文書の最終チェックをして——その辺りから記憶が薄れていく。赤い光を追い続けた目が、じんじんと痛んでいた。


 Lv4を使い続けた反動だろう。赤い光を追い続けた目が、限界を超えたらしい。二日間、ほぼ休みなく矛盾を探し続けた。身体が止めろと言っていたのに、頭が止まらなかった。結果がこれだ。


「……離れろ。けしからん」


「ダメ。ユウトさん、くたびれすぎ。動いちゃダメ」


 ルナの声はいつもより低い。怒っているわけではないが、譲らない声だ。犬が——いや、狼が大事なものを守る時の声だ。


 ルナの尻尾が腰のあたりにするりと巻きついた。毛並みの柔らかさが布越しに伝わってくる。ふわふわだ。ブランケット代わりのつもりだろうか。もふもふが物理的に俺を拘束している。


「……もふもふで動けない。物理的にも、精神的にも」


「もふもふ?」


「忘れろ」


 天井を見上げた。作業場の木組みの天井だ。窓から差し込む朝の光が、ルナの銀色の髪を逆光に透かしている。


 ……悪くない光景だ。悪くないが、言わない。絶対に言わない。口にしたら負ける。何に負けるのかはわからないが、とにかく負ける。


***


「はいよ、特製スープ」


 マーレンが木の椀を持ってきた。湯気が立っている。薬草の匂いが混じっていた。緑色の薬草が細かく刻まれて、金色のスープの中に浮かんでいる。回復促進の薬草だろう。マーレンは料理に薬草を混ぜるのが上手い。体調に合わせて薬草の配合を変える。この町の医者は、実質この姉御だ。


「倒れるまで働くなんて、あんたらしくないね」


「らしくない。二度とやらない」


「嘘おっしゃい。あんたは『しゃーない』って言いながら結局やるタイプさ。あたしゃ見てきたからね、あんたの『めんどい』がどういう意味か」


 見透かされている。面倒な姉御だ。


「スープ、飲みな。身体が温まるよ。薬草を多めに入れたから、ちょっと苦いけど」


 起き上がろうとしたが、ルナの尻尾が締まった。動けない。仕方なく半身を起こして、椀を受け取った。スープを一口含む。温かい。鶏の出汁に薬草の苦みが混じっているが、奥にほんのりとした甘みがある。蜂蜜だろうか。マーレンの料理は、いつも最後に甘みを残す。


 マーレンがルナに振り向いた。


「ちゃんと見張っててね、ルナちゃん。こいつ、放っとくとまた起き上がって仕事始めるから」


「うん! あたし、ユウトさんの番をする!」


 声の調子が変わった。使命感に満ちた顔だ。こういう時のルナは、何を言っても退かない。


「番て。見張りの犬じゃないんだから」


「犬じゃないよ。狼だよ?」


「……それは知ってる」


「狼は群れを守るの。ユウトさんはあたしの群れだから、あたしが守る番」


「……群れに入った覚えはないんだが」


「もう入ってるよ。ずっと前から」


 ルナがにこっと笑った。反論する気力がない。いや、反論する理由もない気がしてきた。面倒だ。


 マーレンが笑いながら出て行った。「お似合いだよ、あんたたち」と小声で言っていた気がするが、聞こえなかったことにする。


 椀を両手で持ったまま、俺はそのまま動かなかった。膝は柔らかく、尻尾は温かく、スープの湯気が顔に当たるのが心地いい。


 ……三重の癒やしだ。働かなくていい理由まで揃っている。最高じゃないか。


「ユウトさん、寝ていいよ」


「寝ないと怒るのか」


「怒らないけど、ぎゅってする」


「それは脅迫だ」


「えへへ」


 面倒だ。面倒だが——今は、この面倒が心地いい。窓の外から小鳥の声が聞こえる。朝の風が木組みの隙間から入ってきて、ルナの髪を揺らした。


***


 うとうとしていると、足音が聞こえた。二人分。一つは軽く、一つは重い。軽いほうは革靴の足音、重いほうは鉄入りの靴底。


 フィーネとガロンだった。


「あ——起きていらしたんですね。失礼しました。ご報告があります」


 フィーネが手にした羊皮紙の束を見せた。昨日より明らかに整理されている。紐で束ねられ、項目ごとに色の違う布が挟んである。几帳面なエルフだ。


「あなたが倒れている間に、条文の整理を進めておきました。矛盾の指摘を元に、法文書の最終稿はほぼ完成しています」


「建築記録もワシが下書きした」


 ガロンが太い指で別の羊皮紙を掲げた。ドワーフらしい几帳面な文字が並んでいる。数字と図面が中心だ。建物の寸法、使用した資材の量、施工の日付。全てが正確に記されていた。


「文字は苦手だが——数字と図面なら任せろ。構造の記録は鍛冶師の基本だ」


「……お前ら、俺がいなくても進むのか」


「当然です」


 フィーネが微笑んだ。いつもの冷静な顔だが、ほんの少し誇らしげだった。


「あなたは矛盾を見つけるだけでしょう? 残りは私たちの仕事です」


「ワシが下書きした図面と数字は間違いないはずだが——念のため、起きたら確認してくれ、人間」


「……ああ」


 俺がいなくても回る仕組みが、動いている。


 誰か一人に仕事が集中しない。誰かが倒れても、残りが補う。それぞれの得意分野で、それぞれが動く。


 前世で散々やらされた「全部一人でやれ」の真逆だ。あの時は一人休んだら全部止まった。一人倒れたら引き継ぎもなく業務が積み上がった。そういう地獄を知っているから——今の光景が、本当にありがたい。


 ……最高だ。これが理想だ。俺がいなくても回る仕組み。


「ほら、ユウトさん。寝ていいの」


 ルナの声が頭の上から降ってきた。尻尾のブランケットが、少しだけきゅっと締まる。温かい。


「……ありがとう」


 小さく、ぼそっと言った。聞こえないくらい小さく。


 ルナの耳がぴょこんと跳ねた。聞こえたらしい。狼の聴覚を甘く見ていた。


「えへ」


「聞こえてないことにしろ」


「聞こえちゃった」


「……面倒だ」


 目を閉じた。ルナの膝は柔らかく、尻尾は温かく、作業場の外からはガロンが鍛冶場に戻る足音と、フィーネが筆を走らせる音が聞こえていた。遠くでマーレンが誰かに声をかけている。この町の音だ。日常の音だ。


 翌朝、目を覚ますと全員が作業場に集まっていた。


 フィーネの法文書、ガロンの建築記録、カイの交渉準備。テーブルの上に全てが揃っている。


「さあ」とカイが言った。「仕上げだ」


 俺がいなくても回る仕組み。


 でも——俺がいたほうが、少しだけ効率がいい。

お読みいただきありがとうございました!


本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります!

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