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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第8章「法と秩序、めんどい」

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第150話「見てない。断じて見てない」

 ガロンが作った入浴設備の調子を確認してくれ、と頼まれた。

 なぜ俺なのか。ガロンに聞いたら「ワシは今忙しい」と言われた。忙しいのはわかるが、作ったのはお前だろう。


 まあいい。排水の詰まりを見るくらいなら、そこまでめんどくはない。


 入浴設備は町の東側にある。ガロンがドワーフの技術で組み上げた石造りの浴場で、地下水脈から水を引き、マナ石で加熱する仕組みだ。旧大陸にはない新大陸ならではの設備で、マナ石の熱効率がいいから薪を使わずに済む。燃料の節約になる。効率的だ。


 浴場の入り口には布の仕切りが掛かっている。男女で時間帯を分けて使っているらしい。今は——確認する。

 入り口の札は「空」になっている。よし、誰もいない。


 中に入った。石造りの床に水の跡がある。排水口は浴槽の底と、洗い場の隅の二箇所。ガロンの仕事は丁寧で、石の接合部に隙間はない。排水口の蓋を外して中を覗く。……少し髪の毛が詰まっている。長い髪だ。掃除すれば直る。


 排水を確認しながら、浴場の奥に進んだ。

 仕切りの向こう側にも洗い場がある。ガロンが増設した部分で、まだ使い始めたばかりだ。こっちの排水も確認しておくか。


 仕切りの裏に回ったとき、水音がした。


 水音?


「あれ? ユウトさん?」


 湯気の向こうに、銀色の影があった。

 濡れた銀髪。水滴が肩を伝っている。狼の耳が湯気の中からぴょこんと覗いている。


 脳が状況を理解するまで、約二秒。


 ルナだ。入浴中の。ルナ。


「見てない! 断じて見てない!」


 反射的に後ろを向いた。目を瞑った。手で顔を覆った。三重の防御だ。


 頭の中で、スキルが反応した。


『視線の効率的な——』


「黙れ」


 スキルを全力で却下した。何を提案しようとしたのか知らないが、絶対に聞きたくない。余計なお世話にもほどがある。


「ユウトさん、なんでいるの?」


 ルナの声は——驚いてはいるが、怒ってはいなかった。


「排水の確認を……札が空になってたから……」


「あ、札、裏返すの忘れてたの。ごめんなさい」


 札のせいだ。俺は悪くない。まったく悪くない。


「ユウトさん、顔が赤いの」


「見えてないだろ、後ろ向いてるんだから」


「匂いでわかるよ。今のユウトさん、すっごく赤い匂いがするの」


「匂いに色はないだろ!」


「あるよ? 今のユウトさんは、すっごく赤い匂い。熱くて、甘くて、ぱちぱちしてる匂い」


 ぱちぱちしてる匂いってなんだ。意味がわからない。だが顔が熱いのは事実だ。耳まで熱い。


「出る。俺が出る。お前はそのまま——いや、早く着ろ」


「うん。でも、ユウトさん?」


「なんだ」


「ちょっとだけ見てたでしょ?」


「見てない。見てないからな」


 逃げるように浴場を出た。

 石壁に背をつけて、深呼吸した。空気が冷たい。顔が冷えるまで、しばらくかかった。


***


 浴場の外の壁にもたれて、夜空を見上げていた。

 月が出ている。星が多い。新大陸の夜空は、マナの影響で星が一つ一つ大きく見える。


 中で水音がしている。ルナが体を拭いているのだろう。待っているわけではない。排水の報告をしなければならないから、ここにいるだけだ。そういうことにしておく。


 しばらくして、ルナが出てきた。


 髪を布で拭きながら、月明かりの中に立っている。濡れた銀色の髪が月光を反射して、淡く光っていた。風に毛先が揺れるたびに、ほんのりと湯上がりの温かい匂いが——


 ……けしからん。


 けしからんが、目が離せない。いや、離す。離した。離したことにする。


「ユウトさん、最近寝てないでしょ?」


 唐突に言われた。


「寝てる」


「嘘。くたびれた匂いがする。体の奥の方から、ぎゅうって搾り出すみたいな匂い」


 搾り出す匂い。ルナの嗅覚表現は独特すぎて、時々何を言っているのかわからない。だが意味はわかる。疲れているのを見抜かれている。


「……まあ、ちょっとな」


「見張りも、カイさんのことも、フィーネさんのことも、食材のことも……全部考えてるもんね」


 全部と言われると大げさだが、否定もできない。包囲されてから、やることが増えすぎた。怠惰に生きたいのに、怠惰でいられない。人生最大の矛盾だ。


「無理しないでね」


 ルナの耳がぺたんと伏せた。心配の耳だ。


 月明かりの中で、ルナの顔がこちらを見上げている。濡れた髪が頬に張りつき、大きな瞳に月が映っている。心配そうな表情。伏せた耳。


「お前こそ。……ありがとう」


 小さな声で言った。聞こえたかどうかわからないくらいの声で。


 だが聞こえていた。ルナの耳はごまかせない。


 耳がぴこっと立った。尻尾がふわりと揺れた。口元がほころんだ。


「えへへ」


 その笑顔は反則だ。月明かりの中の濡れ髪で、その笑顔は反則だ。


「……帰るぞ」


「うん」


***


 寝際、ルナが呟いた。


 毛布に包まって、耳だけ出して、小さな声で。


「ユウトさんが大変なの、あたしのせいかな」


「違う。絶対に違う」


 即答した。考える余地もなかった。


「ヴェルナーが来たのは、お前のせいじゃない。排除命令は旧大陸の決定だ。お前は何も悪くない」


「でも……獣人がいなければ、排除なんて——」


「違う」


 もう一度言った。


 ルナは黙った。

 耳がぺたんと伏せたまま、毛布の中に顔を半分埋めている。尻尾も丸まっている。


「……うん」


 その声は、納得しているようには聞こえなかった。


 ルナの耳は、朝までずっとぺたんとしたままだった。


 俺は——何も、気の利いたことが言えなかった。「違う」としか言えなかった。

 それが正しいのかどうかも、わからなかった。ただ、この耳を元に戻す方法を、早く見つけなければいけないと思った。


 めんどいとか、効率がいいとか、そういう話じゃない。


 ただ——あの耳を、立たせたかった。

お読みいただきありがとうございました!


本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります!

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