第149話「飯が美味い方につく」
種族が違えば、食事の流儀も違う。
エルフは素材の味を活かし、ドワーフは塩と酒で味をつけ、獣人は鼻を利かせて香草を選ぶ。
それが全部、一つの食卓に並んでいる。
マーレンの食堂は、包囲四日目の昼も賑わっていた。賑わっていた、というより、ここに来れば温かいものが食えるから自然と人が集まる。緊張の日々でも腹は減る。腹が減れば飯を食う。当たり前のことだが、その当たり前が今は贅沢に思える。
食堂の端のテーブルに座り、マーレンが出してきたスープを啜った。根菜と干し肉の煮込み。湯気と一緒に、香草の匂いが鼻腔を満たす。体の芯まで温まる味だ。
「ししょー、あっち見て! ルッツがまた転んだの!」
リタが駆け寄ってきた。小さな指で食堂の奥を指差す。
ルッツ——獣人の子供で、ルナの遠縁にあたる——が、椅子の脚に足を引っかけて盛大に転んでいた。小さな狼耳がぴこぴこと揺れ、尻尾を振りながら立ち上がる。泣かない。強い子だ。
「大丈夫かー?」
リタがルッツの元に走っていく。人間の子供とエルフの子供——いや、リタは人間だったか。ルッツは獣人。種族の違う子供たちが笑いながら走り回っている。
あの耳は反則だろ。小さな狼耳がぴこぴこするたびに、食堂の大人たちの目が緩む。ドワーフの鍛冶職人ですら口元が柔らかくなっている。もふもふは正義か。正義だな。
***
マーレンが新しい料理を運んできた。
大きな陶器の鉢に入った、見慣れない色合いのスープ。表面に赤い油が浮き、緑の葉が散らしてある。匂いは——甘くて、辛くて、どこか花のような香り。
「新作だよ。エルフの森の茸と、獣人が教えてくれた香辛草と、ドワーフの岩塩で味をつけた。全部混ぜたら美味くなった」
多種族融合料理。この町でしか食えない味だ。
ハンスが真っ先に手を伸ばした。この男は新しい食い物に対する嗅覚だけは一級品だ。
「いただきます」
一口。目を見開いた。
「うっめぇ! これ何の草です?」
「南の草原の匂い草だよ。体が温まるの」
ルナが答えた。声が弾んでいる。自分の知識が役に立って嬉しいらしい。
「匂い草、すげぇ。もう一杯いいですか、マーレンさん」
「好きなだけお食べ」
マーレンが笑った。豪快な笑みだ。食堂に来る者は全員食わせる。それがマーレンの流儀だ。
ハンスがスープを頬張りながら、ぽつりと言った。
「俺は難しいことわかんないんですけど。法とか政治とか。でも——飯が美味い方につきますよ」
周囲の住民たちが笑った。
「そりゃ賢者さまの食堂が最強ってことだな」
「怠惰の賢者が最強の料理人を囲い込んでるってわけだ」
勝手に崇拝するな。俺は何もしていない。飯を作っているのはマーレンだ。
だが——ハンスの言葉には、妙な説得力があった。飯が美味い方につく。単純だが、本質を突いている。美味い飯があるということは、食材があり、作る人がいて、食べる仲間がいるということだ。それが全て揃っている場所を、なぜ壊さなければならないのか。
マーレンが、ふっと静かになった。
食堂の喧噪は続いている。リタとルッツが笑い声を上げ、ハンスがお代わりを注いでいる。その中で、マーレンだけが一瞬、別の場所を見ていた。
「……旧大陸で食い詰めたとき、誰も飯をくれなかった」
声は小さかった。独り言のように。だが俺には聞こえた。
「だから、ここでは全員に食わせるんだよ」
一瞬の沈黙。
食堂の空気が、ほんの少しだけ重くなった。
だがマーレンは、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「さ、お代わりは? ユウト、あんた全然食べてないじゃないか」
「……食ってる」
「足りない足りない。もっと食え。痩せてたら効率も落ちるだろ」
マーレンの手が、俺の皿にスープを注ぎ足した。湯気が立ち上る。温かい。
旧大陸で誰にも飯をもらえなかった人間が、今は全員に飯を食わせている。そのことの重さを、マーレンは笑い飛ばした。
……この食堂がなくなるのか。それは、確かにめんどい。
めんどい、で済ませていい話じゃない気もするが——今は、めんどいとしか言えない。
***
食後、食堂の外で風に当たっていた。
腹が膨れると眠くなる。寝たい。だが寝る前に、一つ確認しておくことがある。
頭の中で【効率化】を走らせた。
『現在の食材備蓄——住民のみで三十日分。兵士への差し入れを継続した場合、二十日分に減少。種族別の調達経路を整理する。エルフは森から木の実・茸・薬草。獣人は草原から野草・香辛料。ドワーフは保存食の製法に長けている。人間は畑からの収穫。ただし、包囲下では森と草原への出入りに制約あり。調達効率は平時の六割程度に低下する見込み』
六割か。余裕はない。だが、すぐに飢えるわけでもない。
食材管理まで俺の仕事か。めんどい。だがマーレンに任せきりにすると、あいつは全部配ってしまう。「食わせる」がマーレンの信条だから、在庫管理には向いていない。
「ユウトさん」
ルナが隣に来た。耳が少し傾いている。何か気になることがあるらしい。
「兵士さんが一人、食堂を覗いてたの」
「覗いてた?」
「うん。窓の外から、中を見てた。匂いで気づいたよ。おなかすいてる匂いと、困ってる匂いがした」
おなかすいてる匂いと、困ってる匂い。
ルナの嗅覚は感情まで嗅ぎ分ける。兵士が食堂を覗いて、腹を空かせて、困っていた。
「……あいつらも飯食ってないのか?」
「兵糧はあると思うの。でも、こっちの匂いがしたら……おなかすくよね」
マーレンの料理の匂いは強烈だ。香草と塩と肉の匂いが混ざって、風に乗って町の外まで届く。包囲している兵士の鼻にも、当然届く。
兵士にも疑問を持つ奴がいる、か。
排除命令を実行するために来た兵士が、排除される側の食堂を覗いて、腹を空かせている。皮肉な話だ。
だが——それは使えるかもしれない。敵の腹を鳴らすことが、戦略になることもある。
マーレンの食堂が多種族共存の象徴だとしたら、その匂いは武器だ。
いや、武器とか言い出すと話が大きくなる。めんどい。今日はもう寝る。
その夜、町の境界を見回っていたら、兵士の二人組がこっそり食堂の方を振り返っていた。
「……美味そうだったな」
と、一人が呟いた。もう一人は何も言わなかったが、腹の虫だけは正直だった。
敵の腹が鳴る音が、夜の静寂の中に妙にはっきりと響いた。
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