第145話「夜の見張りは、近すぎる」
月が明るすぎて、かえって不安になる夜だった。
兵士の松明が町の外周を等間隔に照らしている。
俺は夜の見張りを買って出た。……いや、買って出たわけじゃない。誰もやらないから仕方なく。
昼間はカイとガロンが交代で見張っているが、夜は人手が足りない。町の住民は四十人ほど。そのうち夜通し起きていられる体力のある者は限られる。
だったら効率よくやるしかない。
町の外周を歩きながら、頭の中で【効率化】を走らせた。
『ヴェルナーの兵は百二名。夜間の巡回は二十名が二組、交代制で町の外周を周回。巡回間隔はおよそ半刻。東側は地形が高く死角が生まれにくいが、南西の林際に盲点がある。北側の川沿いも巡回の折り返し地点で空白が生じる』
兵士の動きの癖が見えた。統率はされているが、地形に慣れていない。旧大陸の平地用の巡回パターンをそのまま使っているから、新大陸の起伏に対応しきれていない。
頭の中に、町の地図が浮かんだ。淡い光の線が走り、最適な見張り位置を示していく。
『住民側の見張りは三名で足りる。高台、南門、北の川沿い。この三点を押さえれば、兵士の巡回の死角を全て補える。少人数で穴がなくなる』
三人。楽でいい。効率のいい配置は、すなわち楽な配置だ。
明日カイに伝えて、見張り当番を組ませよう。俺は高台を取る。一番見晴らしがいい——つまり、座って済むからだ。
高台への坂を登り切ったところで、声がした。
「あたしも見張りやるの」
振り返ると、ルナがいた。月光の下で、銀色の髪が静かに光っている。
「お前、寝てたんじゃないのか」
「ユウトさんが出ていく匂いがしたから、起きたの」
匂いで追跡されている。もう隠し事は一切できないな。
***
高台に並んで座った。
眼下に町が広がっている。マーレンの食堂の煙突から、細い煙が上がっている。ガロンの鍛冶場は静かだ。兵士の松明が、町を囲む光の輪を作っている。
夜風が吹いた。
新大陸の夜は冷える。特にこの季節、山から降りてくる風には氷の粒が混じっているかのような鋭さがある。
「さむい……」
ルナが肩をすくめた。薄い上着一枚で出てきたらしい。見張りをする気満々だったわりに、準備が足りない。
「上着くらい持ってこい」
「忘れたの。ユウトさんの匂いを追いかけるのに夢中で……」
言い訳になっていない。
が、寒そうに震えているのを放っておくわけにもいかない。めんどいが。
「寄るな。自分で温まれ」
「でもユウトさんのほうが温かいの」
気づいたら隣に密着されていた。肩と肩がくっつき、ルナの体温が腕に伝わってくる。柔らかい毛並みの感触。獣人特有の、少し甘い匂い。
そして——尻尾が、俺の腰にするりと巻きついた。
「おい、尻尾」
「あ、ごめんなさい……寒くて、つい」
耳がぺたんと伏せた。しょんぼりした顔。
だが尻尾は離れない。ふわふわの毛が腰を温めている。もふもふだ。けしからんほどに、もふもふだ。
……けしからん。だが温かい。
けしからんのだが、腰に巻きついた毛並みがふわふわすぎて、振りほどく気力が湧かない。
マナを含んだ夜風が頬を撫でた。月光の中、空気にほんのりとマナの粒が光って見える。新大陸特有の現象だ。旧大陸ではマナが枯渇しつつあるから、こんな光景は見られないとフィーネが言っていた。
「ユウトさん」
「なんだ」
「怖くないですか?」
ルナの声は、小さかった。耳が半分だけ立って、半分だけ伏せている。
「めんどいだけだ」
「……」
ルナの鼻がひくひく動いた。嘘を嗅がれている。わかっていたが、もう慣れた。
だがルナは、今度は指摘しなかった。
「嘘。でも、嘘でいいの」
小さく笑った。天真爛漫とは違う、静かな笑み。
こいつにも、こういう顔があるのか。
二人で黙って、町を見下ろした。月光が屋根を銀色に染めている。兵士の松明が規則正しく動いていく。
静かな夜だ。不安で、冷たくて——だが、隣にいる温もりだけは確かだった。
***
どれくらいそうしていただろう。
ルナの耳が、ぴくっと立った。
尻尾の力が少し強くなる。警戒の反応だ。
「……南の方から、知らない匂いがする」
「兵士か?」
「ううん。兵士とも違う。鉄の匂いはするけど、制服の染料が違うの。あと、革の匂い。旅の匂い。でも……武器の匂いがする」
武器を持った、兵士ではない人間。旅人。
偵察か? それとも別の勢力か。
頭の中で【効率化】が反応した。
『南西の林際——先ほど特定した巡回の死角に合致。兵士の巡回パターンを避けて接近している可能性がある。見張り配置の修正を推奨。南門の見張りを増員し、川沿いとの連携を強化すること』
ルナの嗅覚と【効率化】の分析。組み合わせると、ただの見張りよりずっと多くの情報が得られる。
不審者がいるなら、明日確認が必要だ。今夜は位置だけ把握しておけばいい。
「ルナ、そいつの匂い、覚えておいてくれ」
「うん。覚えた。革と、鉄と……あと、少し潮の匂い。海を渡ってきた人の匂い」
海を渡ってきた。旧大陸から来た人間ということか。ヴェルナーの兵ではない、旧大陸の人間。
腹の奥で何かが冷えた。
だが今夜はもう動けない。ルナの嗅覚情報を警備計画に組み込んで、明日に備えるしかない。
「帰るぞ。ルナも寝ろ」
「うん。……ユウトさん」
「なんだ」
「あたし、鼻が利いてよかったの。少しは役に立てたかな」
「ああ。助かった」
ルナの耳がぴこっと立った。嬉しそうに尻尾が一回大きく揺れた。
あ、まだ腰に巻きついたままだった。
「……尻尾、離せ」
「あ。ごめんなさい」
名残惜しそうに尻尾がするりと離れた。その感触が消えた瞬間、腰が少し冷えた。
何も言わなかった。言ったら負けだ。
翌朝、レオンが息を切らして報告してきた。
「ヴェルナーの兵じゃないです。あの人たち、旧大陸の商人ギルドの紋章をつけてました」
面倒事が、もう一つ増えた。
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