第144話「三十日と、俺の昼寝」
三十日。
それが、この町に残された時間だった。
ヴェルナーの書状には他にも山ほど制限が書いてあったが、この数字だけが頭に残る。
書状の全文をカイと一緒に読んだ。
追放期限は三十日。異種族——エルフ、ドワーフ、獣人の全住民が対象だ。
それだけではない。交易路の使用制限。町から外部への物資輸送は、統治府の許可制となる。
さらに、臨時税の徴収。「異種族共生に伴う統治負担」の名目で、通常の三倍の税が課せられた。
旧大陸の法制度を、新大陸にそのまま適用している。新大陸の開拓地には開拓地の事情があるのに、旧大陸の役人は自分たちの物差ししか持っていない。
広場に、再びヴェルナーが現れた。
***
「臨時税の詳細を通達する」
ヴェルナーの声は、相変わらず平坦だった。
「通常税に加え、異種族共生活動に対する管理費として、月ごとに追加の納税を求める。交易路の使用は、統治府発行の通行証を持つ者に限定する。違反者は拘束の対象となる」
交易路を止められた。
これがどういう意味か、すぐにわかった。トビアスの商売が止まる。旧大陸との交易で成り立っている町の経済が、根元から絞められる。道が止まれば商人も来ない。物資も入らない。
カイが立ち上がった。
「横暴だ! この町は自分たちの力で開拓した土地だ。税を三倍にする根拠がどこにある!」
ヴェルナーが目を向けた。表情は変わらない。
「横暴ではありません。旧大陸統治府令に基づいた、法的に正当な措置です」
兵士が一歩前に出た。手が剣の柄にかかっている。
カイが歯を食いしばった。拳が震えている。だが——座り直した。
広場の住民たちが息を詰めていた。カイが座ったことで、かろうじて場が保たれた。
ヴェルナーが書状を巻き戻す。
「三十日後、退去が完了していない場合は、強制的な措置を講じます」
強制的な措置。実力行使だ。百人の兵を使った。
ヴェルナーが踵を返す直前、フィーネが静かに口を開いた。
「聞かせていただきました。総督殿」
ヴェルナーが一瞬だけ足を止めた。フィーネの声には怒りも焦りもなかった。ただ、静かな確認。
ヴェルナーは何も言わず、去った。
***
集会所に戻った。
カイが机に拳を置いた。音は立てなかった。だが、指の関節が白くなっている。
「俺の言葉じゃ、あいつは動かない……」
「動かなくていいのです」
フィーネの声が、冷えた空気を切った。
「法で縛ればいいのです」
カイが顔を上げた。
「お前の武器は、そっちか」
「ええ。三百年、生きてきました。旧大陸の法典はかつて読んだことがあります。新大陸の開拓に関する規定がどこかにあるはず——記憶は曖昧ですが、手がかりがあれば辿れます」
「三十日で足りるのか」
「三十日あれば、三百年分の知恵を読み込めます」
大きく出たな。だがフィーネの目には、虚勢ではない確信があった。エルフの記憶力は人族のそれとは比較にならない。読んだものは忘れない——と以前ルナが感心していた。
「三十日あれば昼寝は六十回できるな」
全員に睨まれた。
「……冗談だ。たぶん」
カイが苦笑した。フィーネは眉を上げただけだったが、空気がほんの少し緩んだ。
「フィーネ、法典の調査を頼む。必要な資料があれば言ってくれ。ベルトにも協力を仰ぐ」
フィーネが頷いた。長い金髪が揺れる。
法で戦う。三十日の期限の中で、百人の兵を退ける武器を紙の中から探し出す。
途方もない話だが、他に道はない。
***
夜。
作業場で一人、書状の写しを広げていた。
交易路の制限——トビアスが動けなくなる。この町の商売が止まる。
臨時税——住民の負担が跳ね上がる。税を払えなければ、それも退去の口実にされる。
三十日——法を見つけなければ、全部崩れる。
めんどい。最高にめんどい。
だがこの面倒は、放っておけば勝手に解決する種類のものじゃない。放置したら町が消える。
窓から外を見た。兵士たちの松明が、町の外周に等間隔に並んでいる。
夜の闇に浮かぶ炎の列。町を囲む檻のように見えた。
ルナの耳が寝室の入口から見えた。ぴこり。
「ユウトさん、まだ起きてるの?」
「寝てる。ちゃんと寝てる」
「起きてるの。匂いでわかるよ。紙の匂いと、考えてる匂い」
考えてる匂いってなんだ。
ルナの嗅覚は便利すぎて、たまに怖い。
「……少し考え事をしてるだけだ。寝ろ」
「ユウトさんも寝ないとだめだよ」
「わかってる。あと少しだけ」
ルナの耳がぴこりともう一度動いて、引っ込んだ。
一人になった作業場で、書状をもう一度読み返した。
三十日。たったの三十日。
フィーネが法典を読む。カイが交渉の場を保つ。ガロンが防壁を固める。マーレンが飯を作る。
それぞれが、それぞれの持ち場で踏ん張る。
俺は——何をする?
効率化だ。全部を繋いで、最短で終わらせる。それが俺の仕事だ。
仕事って言うな。やりたくてやってるわけじゃない。
窓の外、ヴェルナーの兵士たちの松明が揺れている。
三十日。たった三十日で、三百年生きたエルフの知恵は答えを出せるのか。
「……出せなかったら、俺が何とかする」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
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