第143話「包囲されても飯は食う」
町の外は兵士だらけだが、食堂の中はいつもと変わらなかった。
マーレンの声が響く。「はいはい、席についた奴から配膳するよ!」
包囲されてるのに、この人は何も変わらない。
食堂には、いつもの顔ぶれが揃っていた。
ドワーフの鍛冶師たちが大皿を囲み、エルフの薬師が静かにスープを飲んでいる。人族の開拓者たちが焼きたてのパンを千切り、獣人の子供たちがテーブルの下で尻尾を振りながら果物をかじっていた。
四つの種族が、一つの食堂で飯を食っている。包囲されている町の中で。
「ユウト、あんたも早く座りな。冷めるよ」
マーレンが木の器を差し出した。中身は香草入りの煮込みだ。肉と根菜がごろごろ入っている。湯気と一緒に、鼻の奥を突く香草の匂いが立ち上った。
新大陸の野草を使ったマーレンの独自の味付け——エルフの薬師に教わった香草と、ドワーフの保存技術で仕込んだ燻製肉を合わせた融合料理だ。
「うっめぇ! マーレンさん、今日のパン最高っす!」
ハンスが口いっぱいにパンを頬張りながら叫んだ。焼きたてのパンから湯気が上がっている。表面はこんがりと焼けて、中はふわふわだ。新大陸の穀物と旧大陸の製法を組み合わせた、この町でしか焼けないパンだった。
「あんたは食い意地だけは一人前だね。少しは周りを見な」
「食うのも仕事っすよ! 腹が減っては戦はできないって言うじゃないですか」
「戦はしないよ。法で何とかするんだろ? まあ、どっちにしたって腹は減る」
マーレンがそう言って、獣人の子供にスープをよそった。耳の垂れた小さな獣人の女の子が、両手で器を受け取って「ありがとう」と笑う。
その隣には、エルフの老人の孫が座っていた。種族の違う子供たちが、同じテーブルでスープを飲んでいる。
マーレンは誰にでも同じように配る。人族にもエルフにもドワーフにも獣人にも。分け隔てなく、同じ鍋から、同じ量を。
包囲されてるのに呑気だな、と思わなくもない。だがマーレンの顔には、不安の欠片もなかった。
「腹が減っては何もできないだろ。細かいこと気にしなさんな」
細かいこと。百人の兵士に囲まれているのは「細かいこと」らしい。この人の肝の据わり方は、正直よくわからない。
***
ルナが食べ残しのパンとスープを木の器に包んでいた。
「ルナ、どうするんだそれ」
「外の人たち、おなかすいてるの。匂いでわかるよ」
外の人たち。兵士のことだ。
止める間もなく、ルナは食堂を飛び出していった。尻尾がぱたぱた揺れている。
仕方なく追いかけた。レオンも広場から駆け寄ってきた。
「ルナさん、何してるんですか!」
「おなかすいてるでしょ? はい、どうぞ」
ルナが、町の境界で立ち番をしていた兵士に、包みを差し出した。
兵士が固まった。二十歳前後の若い兵だ。旧大陸の制服を着ているが、顔はまだ幼さが残る。
「な、何だこれは」
「ごはんだよ。パンとスープ。まだ温かいの」
「俺たちは……こんなもの受け取れない」
「でもおなかすいてるの。匂いでわかるよ」
ルナの鼻がひくひく動いた。嗅覚が、相手の空腹を正確に読み取っている。
「ルナさん、相手は敵ですよ!」
レオンが慌てて割って入った。だがルナは首を傾げる。
「敵でも、おなかはすくでしょ?」
返す言葉がなかった。レオンも、兵士も。
兵士が包みを見つめている。中からパンの匂いが漂ってくる。マーレンの焼いた、あのパンの匂いだ。こんがりした小麦の香ばしさと、香草のほのかな甘み。
兵士が、こっそり包みを受け取った。
隣に立っていたもう一人の兵士が「おい、食うなよ……」と言いかけて——匂いに負けた。視線が包みに吸い寄せられている。
「……なんだ、この匂い。旧大陸のパンとは全然違う」
「新大陸の穀物で焼いてるの。おいしいよ」
ルナが笑った。天真爛漫な、何の計算もない笑顔だ。
兵士がパンを一口かじった。咀嚼する顔が、少しだけ緩んだ。
「……なぜ、こんな連中を追い出すんだ」
小さな呟き。誰かに聞かせるつもりのない、本音の一欠片。
***
食堂の裏にある倉庫に向かった。
マーレンが先に来ていて、棚の中身を確認していた。
「あいつ、兵士にまで飯を配ってるぞ」
「ルナだろ。知ってるよ。あたしが止めるわけないだろ」
「食料、もつのか」
そう訊いたのは心配だからじゃない。計算しないと気が済まないだけだ。めんどいが、足りなくなってからでは余計にめんどい。
頭の中で【効率化】を起動した。
『現在の食料備蓄量——穀物、乾燥肉、保存野菜、塩漬け果実を合算。住民の人数と一日の平均消費量から算出すると、三十日分の備蓄は確保されている。ただし、兵士への供出を継続した場合、備蓄の持続日数は約二十日に短縮される』
「三十日なら余裕。だが兵士にも配ると二十日だ」
マーレンが腰に手を当てた。
「じゃあ二十日で勝てばいいだろ」
「……豪快すぎる」
「何言ってんだい。飯を食わせりゃ、相手だって人間だよ。腹がふくれりゃ、少しは頭も柔らかくなるさ」
マーレンの論理は単純だった。食わせろ。腹を満たせ。そうすれば人は争えなくなる。
乱暴な理屈だが——あの兵士の顔を見た後では、否定しきれなかった。
「食料の管理までやらされるのかよ……」
「あんたが一番頭いいんだから、しょうがないだろ」
反論したかったが、マーレンの作った煮込みの残りが棚の上にあって、湯気が立っていて、腹が鳴った。
「ほら、あんたも食いな。管理者が倒れたら元も子もないよ」
管理者じゃない。絶対に。
だがスープは美味かった。温かくて、香草の風味が胃に沁みた。
包囲されている町で、この温かさだけは変わらない。それが少しだけ——ほんの少しだけ、心強かった。
翌朝、ヴェルナーの使者が書状を持ってきた。
「追放期限は三十日。交易路の使用も制限する」
マーレンの作った朝食が、急に冷めた気がした。
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