第141話「さすがに『めんどい』じゃ済まない」
朝、鳥の声がしなかった。
代わりに聞こえたのは、百人分の靴音だ。
レオンが駆け込んできた。「ユウトさん、兵士が……町を囲んでます」
寝起きの頭に、その言葉が染み込むまで数秒かかった。
「……囲んでる?」
「はい! 東西南北、全部です。今度は本当です!」
今度は本当、と強調するあたり、先走りの前科を本人も気にしているらしい。だが今回はレオンの声に余裕がない。
窓に寄った。
朝もやの向こうに、整列した兵の列が見えた。百人——いや、もう少しいるかもしれない。旧大陸式の制服を着た兵士たちが、町の外周をぐるりと取り囲んでいる。
等間隔。無駄のない配置。ただの威嚇ではなく、完全に町を封じ込める意図が読み取れた。
「ルナ」
声をかけると、隣の部屋からルナが顔を出した。耳がぺたんと伏せている。
「……わかってるの。朝から、鉄の匂いがすごいの」
鉄の匂い。武器と鎧の匂いだ。ルナの嗅覚は、俺が窓を開ける前からこの異変を察知していたらしい。
「行くぞ」
作業場を出て、広場に向かった。
***
広場には、すでに住民たちが集まっていた。
不安げな顔。囁き合う声。子供を抱えた獣人の母親が、エルフの老人と肩を寄せ合っている。
その中央に、ヴェルナーが立っていた。
背筋を伸ばし、手には巻物を持っている。旧大陸の公文書の形式だ。蝋印が押された、正式な通達書。
カイがすでに広場にいた。俺の姿を見つけて、顎で合図を寄越す。
フィーネも来ていた。長い金髪を風に揺らしながら、ヴェルナーを静かに見据えている。
ヴェルナーが口を開いた。
「旧大陸統治府令、第七十三号に基づき、通達する」
声は平坦だった。感情のない、公文書を読み上げるための声。
「新大陸東部開拓地における異種族の定住活動は、本国の方針に反するものと判断された。よって——」
一瞬、ヴェルナーの声が途切れた。
ほんの僅か。瞬きひとつほどの間。だがその揺れを、俺は聞き逃さなかった。
「——異種族は、三十日以内にこの地を退去すること」
広場が凍った。
退去。追放だ。この町に暮らすエルフも、ドワーフも、獣人も。三十日で出ていけと、そう言っている。
ガロンの怒号が響くより先に、カイが立ち上がった。
「待ってくれ、ヴェルナー殿! それは——」
ヴェルナーが目を上げた。鉄の仮面のような表情。
「異議があれば、文書で提出してください。受理するかどうかは、統治府の判断になります」
カイの拳が震えていた。殴りかかりたいのだろう。だが——歯を食いしばって、座り直した。
以前のカイなら突っ込んでいた。座り直せるようになったのは成長だが、今はそんなことを褒めている場合じゃない。
ヴェルナーが巻物を巻き戻し、踵を返した。兵士たちが彼を囲むように退いていく。
広場に、重い沈黙が残った。
***
作業場に戻った。
カイとベルトが続いてきた。ルナは俺の後ろに黙ってついてきている。耳はまだ伏せたままだ。
「武力で押し返せないのか」
カイが言った。声は低い。怒りを押し殺している。
俺は考えるまでもなかった。だが一応、確認しておく。
頭の中に意識を向ける。【効率化】が応えた。
『兵力百二名。装備は旧大陸正規軍の標準。統率された陣形で包囲済み——対して、この町の戦闘可能な住民は約四十名。うちまともに戦えるのは十五名前後。正面衝突での勝率、およそ三分の百』
百のうち三。ほぼ無理だ。
しかも、負けたら町ごと潰される。
「無理だ。勝率三分の百。効率が悪すぎる」
「三分の……」カイが唇を噛んだ。
「正面から殴りに行っても、住民が傷つくだけだ。百人の正規兵相手に突っ込むのは、勇気じゃなくて自殺だよ」
カイが黙った。わかってはいるのだろう。わかっていても、他に手段が思いつかない。
俺だって同じだ。
ベルトが、静かに口を開いた。
「ユウト殿。一つ、進言してもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「法で、戦うのです」
法。
ベルトの声は穏やかだったが、芯があった。
「あの通達は旧大陸の統治府令に基づいています。しかし、新大陸の開拓に関する法には、別の規定がある可能性があります。ヴェルナー様の父上——前任の総督殿は、法を重んじた方でした。法の手続きを踏まずに住民を排除することは、あの方なら絶対にしなかった」
「つまり、手続きに穴があるかもしれないと?」
「はい。法は剣よりも確実です。正しく使えば」
カイが顔を上げた。「法で戦う……? 俺は剣しか知らないぞ」
知ってる。
「だから俺がめんどいんだよ」
法律の知識なんて俺にもない。前世でだって、労働基準法すらまともに読んだことがない。ブラック企業に文句を言う暇もなく働かされてた人間に、法で戦えと。
だがベルトの言葉には、一理あった。剣で勝てないなら、別の武器を探すしかない。
作業場の隅で、ルナがそっと近づいてきた。
「ユウトさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
ルナの鼻がひくひくと動いた。耳がぴくりと立ち、また伏せる。
「……嘘。ユウトさん、すっごく怒ってるの」
「怒ってない」
「匂いでわかるよ。いつもと全然違う匂い。ピリピリして、熱くて……すっごく怒ってる」
怒ってる? 俺が?
めんどいだけだ。面倒なことが増えて、迷惑で、やりたくなくて——
……たぶん。
カイが立ち上がった。「法で戦う。よし、俺がヴェルナーと話をつける」
ガロンの声が窓の外から飛んできた。「ふざけるな! 法なんぞでワシらの居場所が守れるか!」
面倒なことになった。いや、最初から面倒だったか。
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