第134話「法律が面倒なのは、どの世界でも同じだ」
ヴェルナーが書類の束を持って現れた。
「開拓者。旧大陸の法に基づき、この地の異種族共生について審査を行う」
……書類で殴ってくるタイプだったか、こいつ。
広場の仮設交渉場——と言っても、木の机と椅子を並べただけの場所だ。
ヴェルナーが書類を机の上に広げた。きっちり揃えられた紙の束。分厚い。見ただけで頭が痛くなる。
「新大陸における異種族との共生活動には、総督府の認可が必要です。新大陸定住法第十二条、異種族管理条項に基づく審査となります」
カイが横で眉をひそめた。
「そんな法律、聞いたこともないぞ」
「知らなかったことは免責にはなりません」
ヴェルナーの声は冷たい。事務的で、隙がない。前にも同じ台詞を聞いた。こいつの口癖か。
「認可申請書、住民の種族構成表、共生活動に関する報告書。これらを十日以内に提出していただきます」
書類の束を手渡された。
ずしりと重い。物理的にも、精神的にも。
カイが書類を覗き込んだ。読んでいるが、理解が追いついていない顔だ。
「ユウト、これ——」
「ああ。面倒だ」
面倒なんて言葉では足りない。書類の山は、前の世界でも俺の天敵だった。あの頃は毎日残業して書類と格闘していた。こっちの世界に来てまで、同じことをやらされるのか。
書類の中を、ざっと目で追った。
一枚、目が止まった。
「異種族共生活動の審査基準」と題された紙。その中に——
「排除を含む」
……なんだ、この一文。
審査基準の一項目の中に、さらりと混じっている。読み飛ばしそうなくらい自然に。
ヴェルナーの顔を見た。無表情だ。何も言わない。
「書類は確かに受け取った。十日以内だな」
「そうです。期限を過ぎた場合は——」
「わかってる。こっちで対応する」
ヴェルナーが去った。カイが俺を見た。
「やれるのか?」
「やれるかどうかの前に、あの書類の中身を読まないと話にならん」
***
作業場に戻って、書類の束を机に広げた。
前の世界で散々やった書類仕事が、こっちの世界でも役に立つのか。嫌だな。本当に嫌だ。
【効率化】を起動した。
旧大陸の法制度の条文が、頭の中で整理されていく。
『新大陸定住法──制定は百二十年前。異種族管理条項──追加は五十年前。認可制度──過去五十年で実際に運用された例は二件のみ。形式的な制度であり、実質的な拘束力は極めて低い』
二件。五十年で、たった二件。
つまり、この法律はほとんど使われていない。形だけの制度だ。
さらに読み進める。
『条項の矛盾を検知──第七条「新大陸住民の権利保護」と第十二条「異種族管理」が衝突。第七条は「新大陸における全住民の生存権と居住権を保障する」と定めている。第十二条は「異種族との共生活動には総督府の認可を要する」と定めている。全住民に居住権があるなら、共生活動に認可を要するのは矛盾する』
……前の世界でも、こういう矛盾だらけの規則はよくあった。
古い規則の上に新しい規則を継ぎ足して、全体の整合なんか誰も気にしない。どの世界でも、お役所仕事は変わらないらしい。
「カイ」
「おう。何かわかったか?」
「あの法律、五十年でまともに使われたのは二回だけだ。しかも条文同士が矛盾してる。第七条で住民の権利を守ると言いながら、第十二条で異種族の管理を要求してる」
「つまり、戦えるってことか?」
「戦えるかは知らんが、引き延ばすことはできる。矛盾を突いて、認可の前提が成立していないと主張すれば、少なくとも即座に結論は出せなくなる」
カイの顔が明るくなった。
「頼りにしてるぞ、ユウト」
「頼りにするな。面倒が増える」
書類仕事は嫌いだ。前の世界でうんざりするほどやった。だが、嫌いだからこそ、逃げ方は知っている。矛盾を見つけて、引き延ばして、相手が諦めるのを待つ。それが前の世界で学んだ唯一の処世術だ。
楽をしたいだけだ。面倒な書類仕事を早く終わらせて、昼寝に戻りたいだけだ。
***
夕方、フィーネが作業場を訪ねてきた。
珍しい。フィーネが自分から俺のところに来ることは、ほとんどない。
「ユウト。少し、話があります」
フィーネの声がいつもと違った。硬いのは同じだが、どこか——脆い。
「ヴェルナーの法律の話を聞いていました。あの書類の中に——異種族に関する審査基準があったでしょう」
「ああ。見た」
「エルフの森を、あの審査基準で測られたら。わたくし一人の力では、守りきれません」
フィーネが、自分の手を見つめていた。
白い指が、僅かに震えている。
「今更気づいたのか」
「……前から、薄々は。でも、認めたくなかった」
フィーネが顔を上げた。
丁寧だが、上からではない目だった。初めて見る目だ。
「助けてほしい、とは言いたくありません。でも——手を貸していただけますか」
その言葉の重さは、わかっていた。
フィーネが「助け」を求めるというのは、フィーネにとっては——たぶん、ルナが部族を離れる決断をしたのと同じくらい、大きなことだ。
「……めんどいけど、森がなくなったら日陰がなくなる。昼寝ができなくなるからな」
「……あなたの動機は、いつもそれですか」
「他に何がある」
フィーネの口元が、僅かに動いた。笑ったのかもしれない。
その夜、ベルトが静かに作業場を訪ねてきた。
「ユウト殿。あの書類について、少しお話しできますか」
懐から取り出したのは——ヴェルナーの書類の写しだった。
「……実は、いくつか、書き方を工夫する余地がありましてね」
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