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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第7章「交易路を拓く」

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第132話「帰ってこいって、言われた」

 部族からの使者は、若い獣人の戦士だった。


 ルナの前に膝をつき、一枚の革の巻物を差し出す。

 ルナが読み始めた瞬間、耳がゆっくりと倒れていった。


 革の巻物には、部族の族長印が押されていた。

 使者が口を開いた。


「ルナ様。族長の命です。三日以内にお戻りください」


 若い獣人の声は、丁寧だが硬かった。命令を伝える立場の緊張が滲んでいる。

 使者の首元には、銀灰色の毛皮でできた紐飾りが巻かれていた。ルナと同じ銀狼族の印だ。


 ルナの尻尾が、ゆっくりと力を失って垂れていく。

 さっきまでゆらゆらと揺れていた銀色の毛並みが、嘘みたいに静かだ。


 革の巻物の内容は、ルナの表情を見ればわかった。


 帰還命令。帰らなければ、部族の一員としての資格を剥奪する。追放だ。


 獣人にとって「追放」は、人族のそれとは意味が違う。群れを失うということは、匂いのつながりを断たれるということだ。家族の体温を、二度と感じられなくなるということだ。


 ルナが巻物を握りしめた。指先が白い。

 革のなめし剤の匂いと、遠い草原の匂い。部族の匂いが、巻物の中に染みついている。


「……わかった。伝えてくれて、ありがとう」


 使者が一礼して去っていった。

 ルナはその場に立ち尽くしている。銀色の尻尾が、ぴくりとも動かない。

 風が吹いた。ルナの銀色の髪が揺れたが、体のどこにも力がなかった。まるで、内側の何かが止まってしまったみたいに。


 カイが俺を見た。

 俺は何も言えなかった。言葉を探したが、喉の奥に何もなかった。


***


 ルナが新居の前の階段に座っていた。

 膝を抱えて、小さくなっている。耳がぺたんと伏せたままだ。


 俺は隣に腰を下ろした。何を言えばいいのか、わからない。

 こういうとき、俺の仕掛けは何の役にも立たない。人の心を効率よく整理する方法なんて、どこにもない。


「あたし……帰らなきゃいけないのかな」


 ルナの声が小さかった。


「帰りたいのか?」


「帰りたくない。でも、部族も大事。お兄ちゃんも、みんなも……」


 ルナの声が震えた。


 尻尾が膝の横で丸まっている。小さく、きゅっと。寒い日に体温を守るときの形だ。でも今日は暖かい。


 ルナが膝に顔を埋めた。銀色の髪が揺れて、耳の先だけが見えている。

 耳の先が赤い。感情が昂ると、ルナの耳は先端から血の色が透ける。


「あたし、ここが好きなの。ユウトさんも、カイさんも、フィーネさんも、ガロンさんも、マーレンさんも。みんないるし、あたしの場所なの」


 ルナの呼吸が、一度だけ大きく揺れた。


「でも、お兄ちゃんは、あたしのこと心配してくれてるから。帰ってこいって、あたしのことが嫌いで言ってるんじゃないって……わかってる」


 ルナの声が、途中で詰まった。


 階段の石をかすかに叩く音が聞こえる。とん、とん、と不規則に。尻尾の先が、無意識に拍子を刻んでいた。


 俺は——何も言えなかった。


 「帰りたいなら帰れ」と言おうとした。喉まで出かかった。でも、その言葉は嘘だ。


 こいつがいなくなったら、隣の部屋が空になる。壁越しの「おやすみ」が消える。朝、「おはよう!」と飛び出してくるあの声がなくなる。


 ——そんなことを考えている自分が、一番厄介だった。


 言葉が喉に引っかかって、出てこない。


「……まだ三日ある。急がなくていい」


 それだけ絞り出した。情けない。もっと気の利いたことが言えればいいのに、俺にはそういう才能がない。


 ルナが顔を上げた。目が赤い。でも、泣いてはいなかった。


「ユウトさん」


「なんだ」


「あたし、どうしたらいい?」


 銀色の耳が、答えを求めるように小さく揺れている。


 ……めんどい。本当にめんどい。人の心は、俺が一番苦手なやつだ。

 【効率化】は答えを出してくれない。人の感情を最適化する方法なんて、頭の中のどこにもない。


 でも、ルナの目を見ると、逃げられない気がした。

 あの目が、こんなに頼りなく見えたのは初めてだった。


***


 広場に出ると、カイが待っていた。

 察したらしい。こいつは、こういうときだけ妙に鋭い。


「ルナ、どうだった?」


「帰還命令だ。三日以内に帰らなければ追放だと」


「追放か……きついな」


 カイが腕を組んだ。噴水の水音が、やけに大きく聞こえる。


「お前は、どうしてほしいんだ?」


「俺は関係ない。あいつの問題だろ」


「……関係なくはないだろ」


 カイの声が、静かに刺さった。

 俺は黙った。


「あいつに答えを押しつけるなよ。一緒に考えてやれ」


「押しつけてない」


「お前の『好きにしろ』は、押しつけと同じだ。それ、自分で選べないやつに言う言葉じゃないだろ」


 ……痛いところを突く。

 カイの言葉は、ときどき、俺の仕掛けより正確に急所を突いてくる。

 噴水の水が跳ねて、石畳に小さな水玉を作った。夕暮れの光で、それが橙色に光っている。


「お前がそばにいるだけでいい。答えは、あいつが出す。でも、一人で出させるなよ」


 カイが俺の肩を叩いて、去っていった。


 ……めんどいな。人の心は。

 効率よく解決する方法が、どこにもない。

 でも——そういうことなんだろう。人の心は、仕掛けで片づけるもんじゃない。

 楽に暮らしたいだけの俺が、一番面倒なことに巻き込まれている。自業自得だ。人を集めるからこうなる。


 その夜、壁越しにルナの声が聞こえた。


「ユウトさん」


「……なんだ」


「あたし、明日、考える。ちゃんと考えるから……待ってて」


 壁の向こうで、尻尾がぱたん、と一度だけ床を叩いた。

お読みいただきありがとうございました!


本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります!

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