表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第7章「交易路を拓く」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

130/183

第130話「獣人の挨拶に、総督が壊れかけた」

 昼食の時間に、ルナがヴェルナーに食事を持っていった。

 誰に頼まれたわけでもなく、自分からだ。


 ……あいつは本当に、人見知りという概念がない。


 俺は広場のベンチから、その光景を眺めていた。

 昼飯を食い終えて、そろそろ昼寝に入ろうかと思っていた矢先のことだ。


 ルナが木の盆に湯気の立つ皿を載せて、ヴェルナーの仮設宿舎に向かっていく。煮込み料理の匂いが広場まで漂ってきて、俺の腹がもう一回鳴った。

 食い終わったばかりなのに。マーレンの料理はずるい。


 ヴェルナーは宿舎の前で書類を読んでいた。

 椅子に座り、机の上に書類の束を広げている。昼飯を食べた形跡がない。


「はい、ごはん! あったかいうちに食べてね!」


 ルナがヴェルナーの前に立って、盆を差し出した。

 マーレン特製の煮込み料理。肉と根菜がたっぷり入った、湯気の匂いだけで腹が鳴るやつだ。


 ヴェルナーが顔を上げた。

 目の前に、銀色の耳と尻尾を持つ獣人の少女が立っている。満面の笑みで、食事を差し出している。


「……何のつもりだ、獣人」


 声が硬い。だが、拒絶というよりは困惑に近かった。


「何のつもりって、ごはんだよ? お昼まだでしょ。ずっと座ってるの見えたから」


「私は頼んでいない」


「頼まれてないよ。あたしが持ってきたの」


 ルナが盆を机の上に置こうとして、前かがみになった。

 その拍子に、銀色の髪がさらりと揺れた。首筋から鎖骨にかけての白い肌が、軍服の男の目の前に無防備にさらされる。薄い布の襟元がわずかに緩んで、日差しに透けた肌の輪郭が覗いた。ルナは全く気にしていない。こいつはいつもこうだ。

 ヴェルナーの視線が一瞬だけ揺れた。すぐに横を向いたが、耳の先が僅かに赤い。


 遠目で見ている俺は、額を押さえた。ルナ、お前そういうところだぞ。


 盆を机に置いたルナが、今度はヴェルナーの顔にすっと近づいた。

 鼻先が、ヴェルナーの肩口に届くくらいの距離。


「くんくん……」


 ルナが匂いを嗅いでいる。


 ヴェルナーが椅子ごと後退した。がたん、と脚が地面を擦る音がした。顔が強張っている。完全に不意を突かれた顔だ。


「くんくん。……うーん」


 ルナは気にしていない。鼻をひくつかせて、首を傾げている。


「やめろ。距離が近い。何をしている」


「匂い嗅ぎだよ? 獣人の挨拶。初めて会った人には必ずやるの。その人がどんな人か、匂いでわかるから」


「挨拶だと? 顔を近づけて匂いを嗅ぐのが挨拶なのか」


「うん。普通だよ?」


 普通ではない。少なくとも旧大陸の礼儀では、間違いなく普通ではない。

 ヴェルナーの口元が、初めて完全に崩れていた。あの男からいつもの表情が消えている。


 遠目で見ている俺も、さすがに手で顔を覆った。ルナ、お前の距離感はいろいろとまずい。


***


 だが、ルナの表情が変わった。

 笑顔が消えて、真剣な目になっている。耳がぴくりと動いた。


「この人……さみしい匂いがする」


 ルナの声が、静かに落ちた。


 ヴェルナーの口が動きかけて、止まった。


「ヴェルナーさん、ずっとひとりぼっちだったでしょ。この匂い、ユウトさんに似てる」


「……何を言っている」


「ユウトさんも最初、こんな匂いだったの。誰にも頼らないで、一人で全部やろうとしてる匂い。さみしいのに、さみしくないふりしてる匂い」


 ヴェルナーの指が、膝の上で握り締められていた。


「……私は、孤独ではない。部下が百人いる」


「でも、お友達はいないんでしょ?」


 沈黙。


 あの冷たい声が、止まっている。

 百人の兵を連れてきた男が──獣人の少女の一言で、黙った。


 ルナが、ふわりと笑った。


「ここの人たちと仲良くなったら、匂い変わると思うよ。ユウトさんも変わったもん。今はもう、さみしい匂いじゃないの」


 ヴェルナーは答えなかった。

 ただ、ルナの銀色の耳を見つめていた。


 ルナが「じゃあ、ごはん冷めないうちに食べてね!」と手を振って去っていった。

 足取りが軽い。何事もなかったかのように。


***


 ルナが俺のところに戻ってきた。


「ヴェルナーさん、固まっちゃった」


「お前、あの距離感はまずいぞ。あいつ完全に壊れてたろ」


「えー? 匂い嗅ぐのは普通だよ? ユウトさんにもいつもやってるじゃん」


「俺とあいつを同列にするな」


「ユウトさんは特別だよ? 一番いい匂いだもん」


 ルナの声が弾んでいる。こっちを見上げる目が、やけにきらきらしていた。


 ……やめろ。その顔でそういうことを言うな。


「ユウトさん、顔赤い」


「赤くない」


「赤いよー。……えへへ」


 深呼吸した。噴水の水音が聞こえる。風が涼しい。ルナの銀色の髪が風に揺れて、陽の光を受けてきらきら光っている。落ち着け。


「……で、お前の鼻はヴェルナーをどう見たんだ」


「うーん。悪い人じゃないと思う。さみしいだけだよ。あと、怖がってる匂いもした」


「怖がってる?」


「うん。何かをすごく怖がってる。失敗するのが怖いのか、誰かを失うのが怖いのか……わかんないけど、ずっとびくびくしてる匂い」


 ルナの鼻は、俺の仕掛けより正確だ。


「お前の鼻は、ほんとに使えるな」


「えへへ。ほめられた」


 ルナの尻尾がふりふり揺れている。


 どうしようもなく温かい。

 こいつのそばにいると、サボる気力すらなくなる。いや、サボりたいのはサボりたいが。


 その夜、ヴェルナーの部屋の灯りが遅くまで点いていた。


 窓から見えたのは、ルナが持ってきた食事の器を──洗っている姿だった。


 食べたのか、あの堅物。

お読みいただきありがとうございました!


本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ