第13話「戦わずして勝つ。全自動要塞の威力」
赤い目が、六対。森の縁に並んでいる。
通常の狼の倍はある巨体。肩の高さだけで俺の腰ほどもある。牙がうっすらと青白く光っているのは、マナを帯びている証だ。
大狼。ドスが警告した通りの魔獣が、ついに来やがった。
番屋の上で、テオが棍棒を握り締めて立ち上がった。
「出る! 俺が前に──」
「動くな」
俺は番屋の柱に背を預けたまま、低く言った。
「お前らは何もするな。一歩も出るな」
「六匹もいるのよ!? じっとしてていいの!?」
マーレンの声が裏返っている。
わかってる。六匹の大狼。前足の爪が地面を深く抉り、涎が糸を引いている。あの牙で噛まれたら、人間の胴体なんか一発で千切れる。
怖い。正直、めちゃくちゃ怖い。
だが──正面から戦う気なんて、最初から一ミリもない。
「お前らが出たら、台無しになる。黙って見てろ」
目を閉じ、【効率化】を起動した。
『大狼六匹──体重推定、一頭あたり百五十から二百。移動速度から侵入経路を予測──南東の斜面を直進する。先頭の二頭が最も速い。堀の幅と深さで突破は不可能。迂回した個体は西側の落とし穴の範囲に入る』
全部、昨日のうちに計算してある。
この要塞は、最初からこいつらを仕留めるために作った。俺が動く必要なんて、どこにもない。
大狼が動いた。
先頭の一匹が低い唸り声を上げ、地を蹴った。猛然と突っ込んでくる。もう一匹がその横に並び、二匹が横一列で全力疾走する。
地響き。番屋の床板を通じて、足の裏にまで振動が伝わってきた。
草が薙ぎ倒され、地面が震える。百五十キロの獣が全速力で突進する光景は、それだけで内臓が縮み上がるほどの迫力だった。遠吠えに込められた魔力が空気を震わせ、横にいたカルルが膝をついた。
先頭の大狼が堀に到達した。飛び越えようとする。
だが、堀の幅は三メートル。大狼の跳躍力でもギリギリ届かない幅に設計してある。
前足が対岸にかかり──ずるりと滑った。粘土を塗った斜面に爪が食い込まず、巨体がそのまま堀の底へ落ちる。
鈍い音。続いて、獣の絶叫。
堀の底に仕込んだ逆茂木が、落下の勢いを受けて深々と突き刺さったのだ。二匹目も同じ。先頭が落ちた場所を避けようとしたが、堀は拠点をぐるりと囲んでいる。逃げ場はない。
『二頭、撃破。残り四匹──三匹目と四匹目、堀を迂回して西側に移動中。予測通り』
西側には、昨日の午後に追加した落とし穴がある。枯れ葉と細い枝で蓋をした、深さ二メートルの穴。底には竹槍。
大狼は賢い。堀で仲間が死んだのを見て、正面を避けた。
だが、避けた先に何があるかまでは、わからない。
三匹目が枯れ葉を踏んだ瞬間、足元が崩れた。四匹目はその音に驚いて立ち止まり──一歩退いた足が、隣の落とし穴の縁を踏み抜いた。
悲鳴のような遠吠えが二つ重なり、すぐに途切れた。
『四頭撃破。残り二匹。五匹目、南東から土塁を駆け上がろうとしている。六匹目は森の縁で停止、警戒している』
五匹目が土塁に前足をかけた。だが、表面に塗った粘土は水路から引いた水でたっぷり湿らせてある。爪が滑り、何度よじ登ろうとしても体が傾き、最後には堀の中へ転がり落ちた。
逆茂木が、容赦なくその巨体を貫いた。
「テオ。番屋の横の石。一番でかいやつを、堀の中に落とせ」
「お、おう!」
テオが二十キロはある丸石を持ち上げ、堀の中へ転がした。まだもがいていた五匹目の動きが、止まった。
最後の一匹。
六匹目は森の縁に立ったまま、じっとこちらを見ていた。黄色い瞳が番屋の上の俺を真っ直ぐに捉えている。仲間が五匹、目の前で次々と死んでいく。
低い唸り声。あれは怒りか、それとも恐怖か。
大狼はじりじりと後退し──ふいに背を向けて、森の闇に消えた。
静寂が戻った。
堀の底から立ちのぼる血の匂いが、夜風に乗ってゆっくり薄まっていく。握りしめていた番屋の柱から手を離すと、掌が白くなっていた。
虫の声。風が草を揺らす音。それだけだ。
「……終わったのか?」
テオが呆然と呟いた。
「終わった」
俺は番屋の柱にもたれたまま答えた。
一歩も動いていない。剣も振っていない。叫んですらいない。俺がやったことといえば、テオに石を落とせと言っただけだ。
「俺たち……何もしてないぞ……」
「だから最初に言っただろ」
マーレンが信じられないものを見る目で俺を見ている。
「あんた、本当に怖いわ」
「怖くない。面倒くさがりなだけだ」
自分で戦うより、罠で倒す方が楽に決まっている。
カルルが恐る恐る堀の中を覗き込み、すぐに顔を背けた。大狼の巨体が逆茂木に串刺しになっている光景は、さすがに堪えたらしい。
テオは腰が抜けたのか床に座り込んでいる。マーレンだけが、まだ俺の袖を掴んだままだった。
「……離してくれ」
「あ、ごめん」
掴まれていた袖が、汗でしっとり湿っていた。
俺は番屋の上から拠点を見渡した。
堀、土塁、逆茂木、番屋、落とし穴。そして焚き火の残り火が照らす小さな広場。
テオが作業の合間に組んだ丸太のベンチ。マーレンが干した洗濯物。カルルが削りかけの木の食器。ドスが寝ている毛布の山。
いつの間にか、ここは「俺の寝床」じゃなくなっている。
どれも俺のものじゃない。だけど、なくなったら寂しいと思ってしまうものばかりだ。
みんなの家だ。
一人で気楽にやってたのに。誰にも気を遣わなくてよかったのに。
……まあ、いいか。一人で全部やるより楽だし。
罠が敵を倒して、仲間が飯を作ってくれて、俺はここに立っているだけでいい。悪くない仕組みだ。
翌朝。
傷がだいぶ癒えたドスが、番屋まで這い上がってきた。堀の中の大狼の死骸を見て、顔を青くしている。
「……大狼は、先遣隊です」
震える声だった。
「本隊はもっとでかい。オークとゴブリンの混成の群れが──南から来ます」
俺は深い、本当に深い溜息をついた。
……終わってなかったのかよ。
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