第12話「効率的すぎる拠点防衛。壁と番屋を作ろう」
堀。土塁。逆茂木。番屋。落とし穴。
全部を一日で作る。──そう言ったら、テオが「正気か?」という顔をした。
正気じゃない。だが、魔物の群れは待ってくれない。
夜明け前から全員を叩き起こした。昨夜の遠吠えがまだ耳にこびりついている。近い。前の晩より、確実に近い。
ドスは意識が戻らず、寝床で寝かせたままだ。動ける人間は俺を含めて五人。この五人で、拠点を要塞に変える。
──日が暮れるまでに。
俺は目を閉じ、拠点の全景を頭に思い浮かべた。
『拠点の外周を立体解析──南東の斜面が最も脆弱。大型の魔獣が駆け上がれる傾斜角。重点防御を推奨。堀の推奨深さ、一メートル半──幅は三メートル。掘り出した土を内側に積み上げることで土塁を同時に構築可能。逆茂木の最適角度、地面に対して六十度。番屋の推奨位置、拠点北東の高台──全方位の視界を確保できる』
頭の中に、淡い光の線で防衛設計図が浮かぶ。
堀の曲線、土塁の高さ、逆茂木を打ち込む間隔、番屋の位置。前世で見た城の縄張り図みたいだ。いや、それよりずっと具体的で、実用的だった。
問題は、この図面通りに仕上げるだけの時間があるかどうか。
「よし。分業する」
俺は地面に棒で図を描きながら、全員の顔を見回した。
『テオ──堀の掘削に最適。推定作業時間、四時間。カルル──逆茂木の加工、三時間。マーレン──食事と水の供給、全員の体力維持に不可欠。残り二名──土塁の盛り上げと番屋の骨組み』
「テオ、お前は堀を掘れ。南東から時計回りに、この線に沿って。深さは膝の上、幅は三メートル。跳び越えられたら意味がない」
「おう! 任せとけ!」
テオが太い腕をぶんと振った。力は有り余っている。方向さえ示せば勝手に走り出す男だ。
「カルル、逆茂木の加工を頼む。森から若木を切り出して、先端を尖らせろ。太さは腕くらい、長さは俺の背丈。三十本」
「……三十本。やれるかな」
カルルの声は小さい。だが手斧を握る指は迷いなく動いていて、もう刃の角度を確かめている。口と手が別の生きものみたいなやつだ。
「マーレン。飯を作って、水を運べ。こいつらが倒れたら全部終わる」
「了解。──で、あんたは?」
「俺は全体の進み具合を見て、指示を出す」
マーレンが腰に手を当て、じろりと睨む。
「……それ、サボりって言わない?」
「監督だ」
嘘だ。体力仕事をしたくないだけだ。
だが俺が掘っても遅いし、俺が削っても雑になる。適材適所。怠惰は正義である。
***
朝靄が晴れる頃、建設が始まった。
テオの鍬が大地に突き刺さる。ザクッ、ザクッ、ザクッ。規則正しく、力強い。
土を掘り返すたびに湿った黒土の匂いが立ちのぼる。ミミズが驚いて逃げ出し、小石がころころ転がった。テオは無言で掘り続ける。汗が顎から滴り、掘ったばかりの溝に染み込んでいく。
森の方からは、カシッ、カシッと木を削る小気味いい音。
カルルが若木の樹皮を剥ぎ、手斧で先端を鋭く尖らせている。削りたての木肌から、青くて清々しい樹液の匂いが風に乗って漂ってきた。一本あたりの所要時間が目に見えて縮まっていく。さすがだ。
マーレンは握り飯を拵え、作業する二人のもとを行き来する。
「ほら、テオ。水。飲みなさい」
「おう……すまねえ」
「カルル、手に血が滲んでるわよ。布を巻きなさい」
「あ、本当だ。……大丈夫、まだ握れる」
士気管理。地味だが、これがなければ昼までに全員が潰れる。
マーレンの存在は、俺のスキルでは代替できない。人の心は効率化できないのだ。
──と、まあ。順調に進めばそれでよかったのだが。
昼前、堀の南東区画で壁が崩れた。
テオが力任せに掘りすぎたのだ。内側の土塁ごと滑り落ち、午前中の作業が半分近く土に埋まる。
「す、すまねえ……! つい調子に乗って……」
大きな体で小さくなるテオを見下ろしながら、俺の額に冷たい汗が浮いた。
『南東区画の進捗、三割に後退。現在の作業速度を維持した場合、日没までの完成は困難──余剰時間、残り一時間未満』
一時間未満。
日が暮れれば手元が見えなくなる。暗闇の中で堀を掘る余裕はない。そして夜が来れば──あの遠吠えの主も来る。
「テオ、崩れた分を戻して踏み固めろ。掘り直しはあとだ。カルル、逆茂木はあと何本だ」
「……十二本。あと一時間半で仕上がると思う」
「南東区画の分を先にやれ。他は後回しだ」
のんびり監督していられる状況じゃなくなった。
俺は木陰から立ち上がり、自分でも土嚢を運び始めた。──重い。腰に来る。やっぱり体力仕事は向いていない。
マーレンが走ってきて、テオに水と一緒に「大丈夫よ」と声をかけていた。その声の温度が、テオの背中を少しだけ起こす。
『全体の進み具合、六割。堀の南東区画は修復完了──深さ・幅ともに設計通り。土塁の南西角が設計より低い。三十分の追加作業で修正可能』
「テオ、南西の角、もう少し土を盛れ。低い」
「おう! 今度は丁寧にやる!」
今度は、か。さっきの失敗が効いている。力の加減を覚えたなら、まあいい。
俺は握り飯を頬張りながら指示を飛ばした。うん、美味い。マーレンの飯は確実に腕を上げている。
……食っている場合かと自分でも思うが、腹が減っては指示は出せない。怠惰と合理は紙一重だ。
***
昼を過ぎた頃、堀の全周が繋がった。
掘り出した土を内側に積み上げ、足で踏み固める。これが土塁になる。堀の底には川から引いた水路の枝を通し、じわじわと水を流し込んだ。
冷たい水が堀の底に広がる瞬間、飛沫が跳ねて俺の足首にかかった。思わず声が出る。
──冷てぇ。
午後。カルルが仕上げた逆茂木を、堀の外縁に打ち込んでいく。
尖った先端が外側を向き、近づく者を串刺しにする配置だ。原始的だが、効果は折り紙付き。大狼の体重なら、突進すれば自分の勢いで刺さる。走れば走るほど深く。
カルルが最後の一本を地面に打ち込み、手斧の柄で角度を微調整した。他の二十九本と寸分違わぬ傾き。
「……ここ、もう少し詰められるかな」
誰にともなく呟きながら、根元の土を素手で押し固めている。弱気な口をきくくせに、仕事は妥協しない。
そして夕暮れ。最後の仕事は番屋だった。
丸太を四本立て、横木を渡し、板を張る。カルルの木組みと蔦で結合した構造は、簡素だが堅牢だ。
高さは四メートル。登れば拠点の全方位を見渡せる。
日没まで、あと少し。
テオが最後の丸太を持ち上げたとき、腕がぶるぶると震えていた。朝から掘り続けた体にもう余力はない。それでも歯を食いしばって押し上げ、カルルが素早く蔦で縛る。
「……入った」
「おう」
二人とも、それ以上は何も言わなかった。言う体力も残っていない。
***
俺は梯子を登り、番屋の上に立った。
そして、息を呑んだ。
堀が拠点を取り囲み、底に水を湛えている。その内側には土塁がそびえ、外側には逆茂木が牙を剥いていた。南東の斜面には落とし穴を三つ仕込んだ。番屋からは全方位が見渡せる。
夕陽に照らされた全景は、もはやキャンプではなかった。
「……やりすぎたか」
思わず呟いた。楽に寝たいだけだったのに、何だこれは。
「テオ。これ、お前の故郷の砦と比べてどうだ」
泥だらけのテオが、ぽかんとした顔で周囲を見回した。
「……旧大陸の砦より、しっかりしてねえか、これ? 一日で作ったとは思えねぇ」
マーレンが梯子を登ってきて、隣に立つ。
「あんた、何者なのよ本当に」
「ただの怠け者だ。安心して寝るためなら、何でもやる」
マーレンが呆れたように笑った。
全員で作った。俺は指示しただけだ。
──いや。途中で土嚢も運んだか。腰がまだ痛い。二度とやりたくない。
番屋の上から見渡す。堀、土塁、逆茂木、落とし穴。
完璧だ。完璧すぎて、むしろ怖い。
「よし……あとは、来るなら来いだ」
俺は番屋の床に毛布を敷いた。守りは万全。──今夜は安心して眠れる。
……眠れるといいな。
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