第14話「来るなら来い。最高の昼寝のために」
昨日まで、俺はこの拠点で完璧な昼寝ライフを送るはずだった。
大狼六匹を罠だけで始末した翌朝。あの爽快な全自動勝利の余韻に浸る間もなく、ドスが掠れた声で告げた一言が、全部ぶち壊してくれた。
「本隊が来る」──オークとゴブリンの混成部隊。南から。規模不明。
……聞かなかったことにしていいか。駄目か。駄目だろうな。
俺は保管庫の前にしゃがみ込んで、棚を睨んだ。燻製肉の束、干し魚、木の実の袋。マーレンが丁寧に仕分けた保存食が、几帳面に並んでいる。
見た目は悪くない。だが六人で分けるとなると──。
『現有備蓄──燻製肉十二本、干し魚八束、木の実四袋。六名分の一日消費量から算出すると、残日数は五日と四時間ほど。水は水路から確保可能のため制限なし──ただし薪の備蓄が三日分を割り込みつつある』
五日。
水は困らない。だが食い物が五日分、薪に至っては三日分。夜の冷え込みを考えると、食料が尽きる前に凍えて終わる。
「五日か。その間に片がつけばいいけど、つかなかったら飯の前に焚き火が消える」
「縁起でもないこと言わないの」
マーレンが背後から覗き込んできた。腕まくりをして、朝から燻製の追加分を仕込んでいたらしく、額にうっすら汗が光っている。
「あたしの方でも数えたけど、あんたの計算とほぼ同じ。五日がいいとこね」
「お前、棚卸しなんてできたのか」
「馬鹿にしないでよ。旧大陸で荷運びの管理くらいやってたわ」
マーレンが胸を張る。なるほど、この几帳面な仕分けは彼女の仕事だったか。
認めたくないが、こいつがいなかったら在庫の把握すらまともにできていなかった。
「最悪、罠にかかった獲物を食いつなぐ手もある。……最悪の場合な」
「それ籠城って言わないわよ。狩りって言うの」
正論だった。反論できない。
***
嘆いていても腹は膨れない。
俺は重い腰を上げて、拠点の外周に向かった。追加の罠を仕掛ける。昨日の大狼で通じた手口が、そのままオークに通じる保証はどこにもない。
「同じ罠には二度とかからないぞ、オークは」
寝床から起き上がったドスが、まだ顔色の悪いまま壁にもたれて言った。傷はマーレンの手当てで塞がったが、体力は戻りきっていない。それでも、こうして口を開いてくれるのはありがたい。
「見た目に反して頭が回る。一匹が罠にかかると、残りが学習して避けるようになるんだ」
学習する魔物。厄介だ。
だが、裏を返せば──。
「なるほど。じゃあ三種類作ればいい」
「……三種類?」
「同じ手口を繰り返さなきゃいいんだろ。一つ見破ったところで、残り二つは初見だ」
『対大型用の罠として推奨──第一に、体重二百キログラム超を想定した深底の落とし穴。深さ二メートル以上。第二に、丸太三本束ねの柵による誘導路。突破を試みる個体を別の罠へ導く。第三に、踏み板で竹槍が跳ね上がる踏み抜き式。三種を混在させることで、学習による回避を困難にできる』
落とし穴、誘導柵、踏み抜き。見た目も仕掛けも異なる三つの罠を混ぜて配置する。一つを見破ったやつは、安心して別の罠に突っ込む。
「テオ、穴を掘れ。深さは俺の背丈の倍だ。カルル、丸太を三本ずつ束ねて柵を組め」
「またですか……腕がちぎれそうなんですが……」
「ちぎれる前に終わらせろ。終わったら好きなだけ寝ていい。俺もそうする」
働きたくない。
だがここで手を抜けば、もっと面倒なことになる。最高の昼寝のためには、最高の備えがいる。
矛盾してるのは分かっている。分かった上で、俺はスコップを手に取った。
ドスが壁にもたれたまま、黙って指示を出す俺を見ていた。何か言いたげだったが、口を閉じたまま視線を外した。
***
昼過ぎ。三種類の罠が拠点の南側を中心に増設された。
既存の堀と土塁に加えて、落とし穴の配置を変え、誘導柵で進路を絞り、踏み抜きの罠を死角に仕込む。多層の防衛線が、ようやく形になった。
テオが穴の縁に座り込んで、泥だらけの手で額を拭った。カルルは柵の横で仰向けに倒れている。二人とも、もう一歩も動けないという顔をしていた。
ドスが完成した防衛線を見渡して、低く呟いた。
「……あんた、何者だ。旧大陸の軍師だって、一日でこうは組めないぞ」
「ただの怠け者だよ。二度手間が嫌いなだけだ」
嘘じゃない。二度手間が嫌いだから一度で済むように設計する。それだけのことだ。
それだけのことなんだが、ドスの目が妙に真剣で、居心地が悪かった。
***
日が傾き始めると、拠点の空気が変わった。
昼間のざわめきが嘘のように、静けさが降りてくる。テオとカルルは疲れ果てて泥のように眠り、ドスも横になった。
番屋の上で見張りをしていると、梯子を登る足音がした。
「はい、これ」
マーレンが、湯気の立つ木の器を差し出した。干し魚を細かくほぐして、木の実と一緒に煮込んだ汁物だ。
口に含むと、塩気と旨味がじんわり広がった。素朴だが、疲れた身体の芯まで染みる温かさだった。
「……うまいな」
「でしょ。得意料理なのよ、これ」
マーレンが隣に腰を下ろした。番屋の床板がぎしりと軋む。
二人並んで、暮れていく空を眺めた。茜色の空に薄い雲が帯のように流れ、草原を渡る夕風が汗ばんだ肌を冷ましてくれる。
こういう時間のために、罠を掘ったんだ。戦いも備蓄計算もない、ただ穏やかな夕暮れ。
「ねえ、ユウト」
「ん」
「あんた、怖くないの?」
いつもの威勢のいい声ではなかった。少しだけ柔らかい、低い声。
「怖いに決まってるだろ。怖いから準備してるんだ」
「……そっか」
「怖くなかったら罠なんか作らない。毛布にくるまって寝てる」
「あはは。あんたらしいわ」
マーレンが小さく笑って、それから少し黙った。
汁物の器を両手で包むようにして、視線を夕空に向けている。
「……旧大陸じゃ考えられなかったな。こうやって、夕焼け見ながら温かいもん食べるなんてさ」
声が少し掠れていた。
俺は何も返さなかった。
ただ汁物をもう一口すすった。魚の出汁が、やけに喉に沁みた。
──その時だった。
南の森の向こう。闇に沈み始めた木立の奥に、光の点がひとつ灯った。
続いて、もうひとつ。さらにひとつ。
最初は星かと思った。だが違う。高さが低すぎる。地面に近い。
そして色が──橙ではなく、薄い黄緑だった。
一つ、二つ、五つ、十。二十。
数えるのをやめた。数えきれない光の点が、暗がりの中でゆっくりと並んでいく。
全部、こちらを向いている。
『南方の樹林内に多数の敵性反応──少なくとも四十以上。大型の反応を複数含む』
隣でマーレンが息を呑んだ。器を持つ指が白くなるほど、きつく握り締めている。
俺は器を静かに置いて、立ち上がった。
膝の裏に、冷たい汗が一筋伝った。
「……来たな」
マーレンが俺の袖を掴んだ。振り返らなくても、その手が震えているのが分かった。
無数の光点が、ゆっくりと、しかし確実に──こちらへ近づいてきていた。




