第126話「兵隊百人は、さすがにめんどい」
東の道の向こうから、鉄の匂いが近づいてくる。
ルナの耳がぴんと立った。
「ユウトさん……百人、いる。全員、武器を持ってる」
百人。
武器持ち。
朝から最悪の報告だった。
俺はまだ朝飯を食い終わっていなかったのに。せめて食後の一服くらい、させてほしい。
最初に異変を知らせたのは、実はルナではない。
レオンだった。
「大変です! 東の道から兵隊が来てます! 百人はいる!」
レオンが息を切らせて東門に飛び込んできたのは、ルナの報告より少し前のことだ。
カイが腕を組んで、困ったような顔をした。
「レオン、また大げさに言ってないか? この前も『東から怪しい集団が!』って騒いで、ただの旅商人だったろ」
「今度は本当です! 俺が嘘ついたことが……あります、けど! でも今回は違う! 本当に兵隊です!」
レオンが必死に訴えるが、カイの表情は半信半疑だった。
正直、俺も同じ気持ちだった。レオンの先走りは、もはや町の風物詩になりつつある。
レオンの目には涙すら浮かんでいる。本気だ。でも前科がありすぎる。三日前に「南から巨大な魔獣が!」と駆け込んできたのが、ただの大きな野良犬だったのは記憶に新しい。
だが、ルナが鼻をひくつかせた。
「……カイさん。レオンさんの言ってること、本当だよ。鉄と革の匂い。あと、油。剣に塗る油の匂いがする」
カイの腕が組み直される。眉が一本、上がった。
「全員、東門に集まれ」
カイの声が広場に響いた。
ガロンが作業場からハンマーを担いで出てきた。フィーネが西の森から駆けつけた。住民たちが不安げにざわめく。
俺はというと、できれば逃げたかった。東門の反対側、西の森の奥深くに。でも逃げたところで、あとで片づけるのは結局俺だ。面倒が倍になるだけだ。
***
東門の前に立って、俺は道の向こうを見つめた。
足音が靴底を通じて伝わってくる。規則正しく、揃った振動。石畳じゃない荒地なのに、地面の震えが均一だった。一人や二人の足音じゃない。
そして、砂煙の中から人影が現れた。
先頭に立つのは、長身の男だった。
整った軍服。胸元に旧大陸の紋章──金の鷲が翼を広げた意匠が刺繍されている。腰には剣。鋭い目。背筋がまっすぐに伸びて、一歩一歩が正確だった。
その背後に、兵士の列が続く。
五列縦隊。各列二十人。全員が槍を携え、同じ軍服を着ている。革鎧に鉄の胸当て。旧大陸の正規軍の装備だ。
兵士たちの顔に、疲労はあった。長旅だったのだろう。だが、隊列は崩れていない。一人一人の目に、規律に慣れた者だけが持つ静かな光がある。
長身の男が東門の前で足を止めた。
兵士たちが一斉に立ち止まる。砂煙が風に流されていく。
静寂。
さっきまで鳴いていた鳥が黙っている。百人の人間が立っているのに、誰一人として身じろぎしない。
男が口を開いた。
「私はヴェルナー。旧大陸新大陸開拓総督府より、新大陸開拓総督として派遣された」
声は低く、抑揚がなかった。感情が削ぎ落とされたような声だ。
「この地は旧大陸の領有権の下にある。本日をもって、正式な統治を開始する」
広場がざわめいた。
カイが一歩前に出た。拳を握り、肩に力が入っている。
「待ってくれ。俺たちは自分たちでこの町を──」
「交渉は追って行う。まずは現状の確認が先だ」
ヴェルナーはカイの言葉を遮った。視線すら合わせない。
ガロンが唸った。
「おい役人。勝手に来て勝手に仕切るとは、どういう了見だ」
フィーネが冷たい目でヴェルナーを見つめた。
「総督殿。この町には人族以外も暮らしています。旧大陸の法が、そのまま適用されるとお思いですか」
ヴェルナーはフィーネの長い耳を見た。一瞬、何かの感情が目に浮かんだ──が、すぐに消えた。
「旧大陸の法は、領有権の下にある全ての土地に適用されます。種族は問いません」
……めんどい。
とんでもなくめんどいのが来た。
税とか規則とか報告書とか、そういう面倒の匂いがぷんぷんする。前世で散々やらされたやつだ。
***
俺は広場の隅に立ったまま、【効率化】を静かに発動した。
頭の中に情報が流れ込んでくる。
『兵団の分析──練度は高い。統率された動き、装備の手入れ状態から判断して正規軍の精鋭。装備は旧大陸正規軍と同等。町の自衛力との比較──二十倍以上の開きがある。武力での対抗は現実的ではない』
二十倍。
戦って追い返すなんて論外だ。そもそも戦いたくもないが、仮に戦ったところで勝ち目がない。
できれば今すぐ布団に潜り込んで、全部なかったことにしたい。朝の柔らかい日差しの中で、のんびり昼寝していたかった。どうしてこうなった。
だが、兵団を観察しているうちに、妙なことに気がついた。
ヴェルナーが兵士たちに声をかけていた。
「長旅だった。先に水を飲め。荷物は後でいい」
兵士が水筒を差し出そうとしたのを、ヴェルナーが手で制した。
「私はいい。お前たちが先だ」
兵士たちの顔が、ほんの少しだけ和らいだ。
……完全な嫌なやつかと思ったが、なんだこれは。部下には気を遣うのか。
もう一つ。
ヴェルナーが懐に手を入れて、何かを握った。小さな金属の板のようなもの。一瞬だけ握りしめて、すぐに手を離す。
何だ、あれ。御守りか何かか。
まあいい。あいつの事情より、俺は今日の昼寝の場所を確保する方が大事だ。
ヴェルナーがルナの方を見た。
銀色の耳と尻尾。一瞬だけ目を細めたが、すぐに表情を戻して、広場を見回した。
「明日、この町の全住民に集まっていただく。私の方針を伝える」
百人の兵が、一斉に槍の柄で地面を打った。
その音は、町の隅々まで響いた。
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