第115話「寝落ちした耳は、もふっていいと思う」
夕方の作業場は、木と石と鉄の匂いが混ざっている。
三日間ぶっ通しで融合建築を進めた疲労が、全身にのしかかる。
ルナが、俺の作業台の横で丸くなっていた。……また寝てる。
銀色の耳が、すう、すう、と寝息に合わせてぴこぴこ動いている。
ふわふわの尻尾が自分の体にくるんと巻きついて、まるで毛布がわり。獣人ってのはこういう寝方をするのか。
作業台に散らばった設計の走り書きを片づける気力もない。体が重い。腕が上がらない。
三日間、フィーネとガロンの間に立って、接合点の角度やら素材の配置やらを指示し続けた代償だ。
……もう今日は何もしたくない。というか、明日も何もしたくない。
ルナの隣に腰を下ろす。壁に背をもたれると、じんわりと温かい。石壁が昼間の陽の熱を蓄えているのだ。
ガロンが組んだ石は保温が優秀で、冬場でもこの作業場は寒くならない。効率的でありがたい。
ありがたいが、温かいせいで余計に眠い。
「んー……」
ルナが寝返りを打った。
銀色の髪がさらりと広がる。
鼻先がかすかに動いた。くんくん、と匂いを嗅いでいるらしい。寝ながらでも嗅覚が働くのか。
……近い。
耳が、目の前にある。
ふわふわの、銀色の、三角の耳。寝息に合わせて微かに揺れている。
俺は手を伸ばしかけて、止めた。
寝てる相手の耳を勝手に触るのは、さすがにまずい。人としてまずい。
わかっている。わかっているんだが。
指先が、気づけば銀色の耳の縁に触れていた。
柔らかい。ふわふわで、でも芯がある。根元に近づくほど温かくて、産毛みたいな細い毛が指を撫でる。
頭の奥で、あの声が響いた。
『ルナの耳──最も触り心地がいいのは根元から三分の一の位置。円を描くように撫でると効率がいい──』
黙れ。
誰がそんなこと聞いた。そもそも効率って何だ。耳をもふるのに効率もへったくれもない。
「……ん、ユウトさん?」
ルナが薄目を開けた。
琥珀色の瞳が、ぼんやりと俺を見上げている。
「あ……触ってた? 耳」
「……いや」
「嘘。ユウトさんの手、あったかかった」
ルナがにへ、と笑う。寝起きの声はいつもよりちょっと低くて、甘い。
「もっと触っていいよ?」
「……遠慮しとく」
嘘だ。本当はもっと触りたい。でも今触ったら止まらなくなる自信がある。
疲れてると理性の壁が薄くなるってのは、本当らしい。
ルナは起き上がらず、そのまま壁にもたれた俺のすぐ横に寝転がっている。
距離が近い。肩に銀色の髪が触れている。匂いがする。草と花と、日向の匂い。
作業場の隅に目をやると、フィーネが壁際に座ったまま眠っていた。
長い金髪が肩からずり落ちて、床に広がっている。あの気位の高いエルフが口を半開きにして、こくりこくりと船を漕いでいる。
……見なかったことにしよう。起きたとき知ったら、たぶん俺が殺される。
ずる。
フィーネの体が傾いた。
ゆっくりと、まるで木が倒れるように。そのままルナの肩に寄りかかる。
「わ。フィーネさん、あったかい……」
ルナが寝ぼけた声で呟いた。嫌がるどころか、むしろ心地よさそうに目を細めている。
フィーネの長い金髪とルナの銀髪が混ざり合っている。金と銀の糸が絡まるみたいに。
エルフの白い肌と、獣人の日焼けした腕が、並んで静かに呼吸している。
翠の瞳が、ぐらりと動いた。
「……ルナ、あなた温かい」
フィーネが寝ぼけたまま呟いた。普段の上品な声じゃない。ぽわん、とした、ただの眠い声だ。
……いいのか、これ。いろいろと、いいのか。
エルフが獣人に寄りかかって寝ている。三日前まで、フィーネは他種族と距離を取っていたはずだ。
疲労ってのは本音を引きずり出すらしい。
俺は天井を見上げた。見ないようにしているのに視線が戻る。めんどくさいのは俺の目のほうだ。
数分後。
「──っ!?」
フィーネの目が見開かれた。
自分がルナの肩に寄りかかっていたことに気づいたらしい。早口に言葉が出ようとして、詰まった。
「な、なっ……! わ、わたくしは何を……!」
弾かれたように飛び起きる。声が裏返って、呼吸が浅い。
「えー、もうちょっと……」
ルナが寝ぼけたまま手を伸ばした。フィーネの袖を、ゆるく掴む。
「は、離しなさい! わたくしは断じて、その、寄りかかってなど──」
「フィーネさん、いい匂いした」
「匂っ……! そういう問題ではありません!」
フィーネが俺を睨んだ。
「ユウト。見ていなかったでしょうね」
「寝てた」
「嘘です。あなたの目が泳いでいます」
……バレてる。エルフの観察眼をなめていた。
「忘れなさい。今すぐ。記憶から消しなさい」
「記憶は効率化できないんだよ」
「使えないスキルですこと!」
フィーネは髪を整えながら、足早に作業場を出て行った。声も足音も、まだ少し上ずっていた。
ルナがぱちくりと目を開けた。
「フィーネさん、行っちゃった」
「ああ。当分この話はするな」
「でも、あったかかったなあ」
ルナが伸びをした。
「ユウトさん、疲れてる顔してる」
「三日間ぶっ通しで働いたからな。寝たい。死ぬほど寝たい」
「だって、ユウトさんの匂いがすると安心するの。だからここで待ってたの」
琥珀色の瞳が、まっすぐ俺を見ている。
……勘弁してくれ。疲れてるときにそういうこと言われると、心臓に悪い。
「明日もがんばってね」
ルナが笑った。夕日が銀色の髪を橙に染めている。
「……ああ」
それだけ返して、俺は目を閉じた。
がんばりたくない。がんばるって言葉自体が嫌いだ。でもまあ、この匂いの中で寝るのは、悪くない。
──翌朝。
カイが駆け込んできた。
「ユウト! 融合建築の試作……昨日の夜のうちに、ガロンが一人で屋根まで仕上げてたぞ」
……あのドワーフ、寝てないのか。
いや、待て。一人で、全部?
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