第112話「職人の夜は、やたらと長い」
夜中に目が覚めた。遠くから、金属を叩く音がする。
ガロンだ。あのドワーフ、昼間あれだけ働いて、まだ作業場にいるのか。
……一人で、何を作ってるんだ。
布団に潜り直そうとして、やめた。
一度気になると眠れないのは、前世のブラック企業時代から変わらない。あの頃は隣の席の電話の音で三時間おきに起こされたが、今は鍛冶の槌音だ。どっちもめんどくさいことに変わりはない。
外に出ると、夜風が思ったより冷たかった。
星が多い。月明かりだけで道が見えるほど澄んだ空だ。
作業場の窓から、赤い光が漏れている。炉の火だ。
扉を開けると、熱気が頬を撫でた。
ガロンが、小さな金属の塊を叩いている。普段の豪快さがない。一打、一打、慎重に。まるで壊れものに触るみたいに。
赤く焼けた金属の匂いと、炭の匂い。炉の中で薪が爆ぜる音だけが響いている。
「寝ないのか」
声をかけると、ガロンは槌を止めずに答えた。
「……夜の方が、鉄が素直だ」
短い一言だった。
昼間の「ガハハ!」が嘘みたいに、静かな声だ。
俺は壁際に座り込んだ。立ったまま話す気力はない。というか、そもそも話す気もなかった。目が覚めただけだ。用があるわけじゃない。
「付き合ってやる。どうせ目が覚めた」
「……勝手にしろ」
ガロンは相変わらず槌を振るっている。
俺は食堂から持ってきた酒瓶を開けて、ちびちびやることにした。マーレンに見つかったら怒られるが、見つからなければ問題ない。それが効率的な生き方ってもんだ。
しばらく、槌音だけが続いた。
ガロンの手元を見る。何を作っているのか、よくわからない。小さな金属片を何度も叩いては、炉に戻し、また叩く。完成を目指しているようには見えなかった。
「何作ってんだ」
「……わからん」
珍しい答えだった。
ガロンは職人だ。何を作るか決めてから火を入れる。そういう男だと思っていた。
「わからんのに叩いてるのか」
「夜中に手を動かすのは、癖みたいなもんだ」
癖、か。
俺にもある。眠れない夜に、なんとなく【効率化】の感覚を研ぎ澄ませて、周囲の構造を読み取ってしまう癖。別に何かを効率化したいわけじゃない。ただ、そうしないと落ち着かない。
酒を一口飲んで、瓶をガロンの方に差し出した。
ガロンは槌を置いて、無言で受け取った。ぐいっと一口。赤い髭に酒が滴る。
「……ワシの師匠は」
唐突だった。
ガロンが、自分から何かを語り始めるのは初めてだ。
「北の山で一番の鍛冶師だった。誰もが認める腕前で、王族の武具を任されたこともある」
俺は黙って聞いていた。酒を返してもらい、一口飲む。
「だが、師匠は最後まで一人で打ち続けた」
炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
「弟子は何人もいた。ワシもその一人だ。だが師匠は、本当に大事な仕事は誰にも任せなかった」
「……なんでだ」
「『最高の一品は、孤独の中から生まれる』」
ガロンの声が、低く響いた。
師匠の言葉を、そのまま繰り返しているのだと、すぐにわかった。何度も何度も、自分に言い聞かせてきた言葉の重さがあった。
「他人の手が入れば、妥協が生まれる。意見が割れれば、形が歪む。最高の作品は、一人の職人の魂からしか生まれない。……師匠はそう信じていた」
ガロンが酒瓶を取り返して、長く煽った。
「でもな」
赤い炉の光が、ガロンの横顔を照らしている。
「師匠の最後の作品は、誰にも見てもらえなかった。完成する前に死んだんだ」
酒瓶を持つ手が、わずかに震えた。
俺は、何も言えなかった。
「一人で打ち続けて、一人で倒れて、一人で死んだ。弟子のワシらが駆けつけたときには、炉の火が消えていた。槌を握ったまま、冷たくなっていた」
作業場が、静まり返った。
炉の薪が燃える音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……それで、お前は一人で作り続けてるのか」
俺の問いに、ガロンは首を振った。
「違う。ワシは師匠みたいに死にたくない」
一拍、間があった。
「……いや、わからん」
自分でも整理できていないのだ。
師匠の教えを守りたい。でも、師匠と同じ最期は嫌だ。孤独が最高の作品を生む。でも、孤独は師匠を殺した。
こういう夜に、【効率化】は何も教えてくれない。
矛盾を抱えた職人の心を、最適化する方法なんてない。人の心は効率化できない。わかっていたことだけど、改めて突きつけられると、なんというか、困る。
俺にできることは何もなかった。
説教する柄でもない。励ます言葉も持っていない。そもそも、他人の師匠の話に口を挟めるほど、俺は偉くない。
だから、ただ座っていた。酒を飲んで、黙って。
長い沈黙の後、俺は口を開いた。
「お前の石と、フィーネの木を組み合わせたら、師匠が見たことないものが作れるんじゃないか」
深い意味はなかった。
ただ、なんとなく、そう思っただけだ。あの耳長の木工技術とガロンの石工技術が噛み合えば、一人じゃ作れないものが作れる。それは事実だろう。
ガロンは無言で酒を飲んだ。
長い、長い沈黙だった。
炉の火が小さくなり始めた頃、ガロンが呟いた。
「……面白い話だ」
だが、その直後に。
「師匠なら、そうは言わない」
自分に言い聞かせるように。
興味はある。でも、認めるわけにはいかない。そういう声だった。
俺は立ち上がった。
「まあ、急がなくていい。俺も急ぐのは嫌いだ」
「……ふん」
ガロンが鼻を鳴らした。
笑ったのか、呆れたのか、よくわからない。
窓の外が、うっすらと白くなり始めていた。いつの間にか、夜が明けようとしている。眠い。猛烈に眠い。こんな夜更かし、前世のブラック企業以来だ。あの頃は残業で、今は職人の昔話で。どっちも俺の安眠を奪うことに変わりはない。
作業場を出るとき、ガロンが背中越しに呟いた。
「おい人間。お前の設計図……あれ、一人じゃ絶対に作れないものだったな」
朝日が、ガロンの赤髯を照らしていた。
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