第110話「温泉を石造りにしたら、混浴が本格化した」
気がついたら、温泉の壁が石造りになっていた。
ガロンが勝手にやったらしい。朝起きて見に行ったら、もう八割がた仕上がっている。
……待て。それ、仕切りはどうなってるんだ。
「仕切り? なんのことだ」
ガロンが首を傾げた。真顔だ。本気で言ってる。
「男湯と女湯を分ける壁だよ。壁」
「はあ? ドワーフは男女で湯を分けんぞ。湯は湯だ。分けてどうする」
文化の壁は石より厚かった。
昨日までの空気がまだ重い。フィーネとガロンは口も利かないし、セレンの「冒涜」という言葉が耳にこびりついている。正直なところ、どうすればいいのか見当もつかない。
だが、とりあえず今は──この混浴問題のほうが緊急だ。
「ガロン。仕切りを作れ。今すぐ」
「ワシの設計に口を出すな。見ろ、湯の流れが完璧だろうが。壁を足したら全部狂う」
たしかに、石組みは見事だった。
湯が岩肌を伝い、滑らかに流れている。排水路も自然な傾斜で引かれていて、溢れた湯が溜まらない仕掛けになっている。
……職人の仕事としては文句なしだ。ただ、仕切りがないのは困る。
俺は【効率化】を温泉施設全体に向けた。
頭の中に、構造の全体像が浮かび上がる。
『湯温維持に難あり──現状、外気に触れる面積が大きい。石壁で囲えば放熱を四割削減。排水は現行で最適。通気口を湯面より上に二箇所設ければ、蒸気の籠もりすぎを防げる』
なるほど。ガロンの排水設計は完璧だが、保温と通気はまだ詰められる。
「ガロン、壁で囲うと湯温の維持が良くなる。排水はお前の設計のままでいい。あと、通気口を二箇所」
「……ほう」
ガロンの目が光った。職人の顔だ。
こいつ、「仕切り」には興味がないが「性能向上」には食いつく。
「ついでに仕切り壁も入れてくれ。高さは立った時に肩から上が見えるくらいで」
「……しゃあねえな。性能が上がるならやってやる」
仕切りの話を性能の話にすり替えた。俺の唯一の交渉術である。面倒なことは、相手がやりたくなるように言い換える。これも立派な効率化だ。
ガロンが石を積み始めると、あっという間だった。
午前中には仕切り付きの石造り温泉が完成していた。湯気が石壁の隙間からゆるく立ち昇り、温かい硫黄の匂いが辺りに漂っている。
以前の木枠の水浴び場とは比べものにならない。これはもう、温泉施設だ。
「わー! すごいすごい! お風呂が本物になってる!」
ルナが走ってきた。尻尾がブンブン振れている。
獣人にとって温泉は毛並みの手入れに欠かせないらしく、目の輝きが尋常ではない。
「フィーネさんも一緒に入ろうよ!」
「……わたくしは遠慮しますわ」
フィーネが腕を組んだまま、石造りの温泉を見ている。
昨日のことがまだ尾を引いているのか、視線がどこか硬い。
「えー、きもちいいのに。ね、フィーネさん」
ルナがフィーネの手を掴んだ。ぐいぐい引っ張る。
フィーネが「ちょ、ちょっと──」と抵抗しているが、ルナの腕力にはエルフの優雅さなど通用しない。
「あーっ、引っ張らないでいただけます!?」
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
二人が女性側の仕切りの向こうに消えていった。
……平和だ。昨日の険悪な空気が嘘みたいだ。
しばらくして、仕切りの向こうから声が聞こえてきた。
「ルナ、そんなにばしゃばしゃ跳ねないで──」
「あはは、お湯あったかーい!」
「……まあ、悪くはない温度ですわね」
フィーネの声が少しだけ柔らかくなっている。
さっきまで石造りを睨みつけていた声と、同じ喉から出ているとは思えない。エルフは人前で肌を見せるのを嫌がるはずなのに、入ってしまえば案外順応するらしい。
「フィーネさんの髪、すごくきれい。くんくん……いいにおい」
「っ、嗅がないでいただけます!?」
聞こえてくるやり取りがいちいち平和で、俺は湯の外でぼんやり座っていた。
……このまま昼寝できそうだ。いや、温泉があるなら俺も入りたい。だが今は女性陣が使っている。待つしかない。
やがて、仕切りの向こうから水音が止まった。
湯上がりのルナが、濡れた髪を拭きながら出てくる。
──目を逸らせなかった。
しっとりと湯気をまとった銀色の髪。その上に、濡れてぺたんと伏せた狼耳。普段はぴんと立っているそれが、湯の重みで柔らかく垂れている。
薄い布が湯気で肌に張りつき、背中から腰にかけての線がうっすらと透けていた。そして尻尾──いつもはふわふわだが、湯上がりで少し水を含んで、毛先がしっとりと束になっている。それがゆっくりと左右に揺れている。
──反則だ。
『ルナの体温──入浴後の上昇により、通常時より約二度高い。この状態で接触すると、体温の相互作用により幸福度が効率的に──』
黙れ。
誰が聞いた。誰もそんなこと聞いてない。
「ユウトさん?」
ルナが首を傾げた。濡れた耳がぴくっと動く。
「顔、赤いよ? 熱でもあるの?」
「……いや。湯気のせいだ」
「ユウトさんも一緒に入ればよかったのに」
「だから仕切りを作っただろ。混浴はしない」
「えー。獣人は気にしないのに」
気にするんだよ、人間は。いや、俺が気にしてるのはそういう問題じゃなくて──。
もう考えるのをやめよう。考えれば考えるほど負ける。
フィーネが髪を整えながら出てきた。長い金髪が湯気でしっとりと光っている。
「……認めたくはありませんけれど」
小さな声だった。
「湯加減は、悪くなかったですわ」
フィーネなりの最大限の譲歩だろう。石造りの温泉を「悪くない」と言った。昨日「美しくない」と切り捨てた石の建物と、同じ石でできた温泉を。
ルナが「また明日も入ろうね!」とフィーネの手を握って、フィーネが「毎日はさすがに──」と言いかけて、でも振り払わなかった。
夕方には住民たちが列を作っていた。石造り温泉の噂が広まったらしい。カイが「順番を決めないと喧嘩になるぞ」と仕切り始めている。
……また仕事が増えた。俺は何もしたくなかっただけなのに。
温泉から離れた場所にハンモックを吊るした。
湯気の匂いがまだほんのり漂っている。石造りの温泉は快適すぎた。ガロンの技術は、やはり本物だ。
ただ、フィーネの「美しくない」と、セレンの「冒涜」が頭にこびりついている。
石は丈夫だ。温泉だって快適だ。でも──丈夫なだけじゃ、快適なだけじゃ、ダメなのか。
効率を追求した結果が、誰かの大切なものを踏みにじっているとしたら。
……どうすんだこれ。
昼寝しながら考えよう。考えがまとまる前に寝落ちする自信はあるが。
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