第109話「エルフの美意識は、めんどくさい」
「美しくない、と言いましたの」
フィーネが腕を組んで、石造りの第一棟を睨みつけている。
「機能は認めます。でも、これは……ただの箱ですわ」
朝っぱらから勘弁してくれ。昨日あれだけ住民が歓喜していたのに、一晩寝てもまだ怒っているのか。俺はまだ寝ていたいんだが。
「頑丈だし、三十年は修繕いらないし、何が不満なんだよ」
「すべてですわ」
フィーネは建物の壁面を指でなぞり、眉をしかめた。
「石の継ぎ目が不揃い。色の統一感もない。窓の配置に調和がない。それに──森から見たとき、この灰色の塊が風景を潰しています」
注文が多い。俺は深くため息をついた。
「……景観の問題かよ」
「景観は生活そのものですわ。エルフにとって住処とは、自然の一部であるべきもの。このような無骨な石の壁を、木々の隣に並べるなんて」
フィーネの翠の瞳が揺れている。怒りというより、苛立ちと悲しみが混ざったような色だ。
正直、俺にとって家は雨風が凌げて寝られればそれでいい。美しいかどうかなんて、昼寝の質には関係ない。
だが、フィーネは本気だった。
「おい耳長、何をブツブツ言っておる!」
背後から地響きのような声。ガロンが巨大ハンマーを肩に担いで歩いてきた。朝の陽光にゴーグルがぎらりと光る。
「ワシの石組みに文句があるなら、職人として正面から言え!」
「言いましたわ。美しくない、と」
「美しい美しくないの問題じゃねえ! 家は頑丈であればいい! それが職人の誇りだ!」
「だからドワーフは野蛮だと言われるのです」
「なんだとォ!」
ガロンの赤髭が逆立つのが見えた。百三十センチの小さな身体から、炉の熱みたいな怒気が立ち上る。
「おい二人とも……うるさい」
俺は両手を挙げて割って入った。朝からこの熱量を浴びるのは勘弁してほしい。
「フィーネの言い分もわかる。ガロンの仕事が確かなのもわかる。だから少し落ち着──」
「落ち着いていますわ」
「落ち着いておるわ!」
全然落ち着いてない。
二人が再び睨み合ったとき、広場の向こう──西の森の方角から、ひとつの影が歩いてきた。
長い耳。切れ長の目。フィーネと同じエルフ特有の佇まい。だが、纏う空気が違う。張り詰めた弦のような緊張感。
フィーネが振り返り、息を呑んだ。
「セレン……! なぜ、ここに」
「お前がドワーフと人間と馴れ合っていると聞いた」
セレンと呼ばれたエルフは、感情を押し殺したような声で言った。
「見に来た」
フィーネの背筋が伸びた。セレンの立ち位置は、フィーネから三歩分離れている。手を伸ばせば届く距離なのに、どちらも詰めようとしない。
「馴れ合っているのではありません。共同管理協定に基づく正当な──」
「問おう、フィーネ」
セレンの声が、フィーネの弁明を遮った。冷たいが、どこかに切実さが混じっている。
「お前は伝統を軽んじるつもりか」
フィーネが唇を噛んだ。言葉が出てこないらしい。
セレンの視線が、石造りの第一棟に向けられる。翠の瞳が細まった。
「これが──お前の選んだ道の結果か」
朝の風が吹き抜けた。セレンの金色の髪が揺れ、その向こうに灰色の石壁が見える。
「自然への冒涜だ。大地から切り出した石を積み上げ、金属の骨で固めるなど。こんなものが森の近くに建つとは」
フィーネは「美しくない」と言った。セレンは「冒涜」と言った。
……めんどくさい。二種類の怒りを同時に相手にするなんて、聞いてない。
「ドワーフ」
セレンの視線がガロンに向いた。
「お前がこの石の塊を作ったのか」
「そうだ。文句あるか、耳長」
「ドワーフと議論する気はない」
ガロンの顔が一瞬で赤くなった。議論する気がないと言われるのは、否定されるより屈辱らしい。
「おい、ワシの仕事を見もせずに──」
「見た。見たうえで言っている。これは森を穢すものだ」
「穢すだと! この石はワシが一つ一つ選び抜いた──」
「セレン、勝手なことを言わないで!」
フィーネが声を上げた。セレンの方を向き、背筋を伸ばしている。
「わたくしはわたくしの判断で、この集落に協力しているの。あなたに口を出される筋合いは──」
「口を出す筋合いがないと? 数百年の付き合いだ、フィーネ。お前が道を誤ろうとしているなら、止めるのが──」
「道を誤っていません!」
「では、なぜお前自身がこの建物を『美しくない』と言っている。お前の中にも迷いがあるからだろう」
フィーネが言葉に詰まった。
三人が三角形に立っている。ガロンは拳を握り、フィーネは唇を震わせ、セレンは腕を組んで動かない。
広場の空気が、朝なのにやけに重い。
「……全員うるさい。解散」
俺は頭を掻いた。三方向からの怒りと苛立ちが、こめかみを圧迫している。
スキルは沈黙していた。当たり前だ。建材の配合比率や工程の無駄なら見えるが、こういうのは範囲外だ。人の心は効率化できない。
セレンが俺を見た。冷たい目だ。
「人間。お前がこの集落を率いていると聞いた」
「率いてない。巻き込まれただけだ」
「……ふん。いずれにせよ、覚えておけ。この地の自然を踏み荒らすなら、黙っていない」
それだけ言って、セレンは踵を返した。森の方角へ、振り返りもせずに歩いていく。
が、去り際にフィーネの方を一瞬だけ見た。その目には怒りではなく──。
よくわからない。
「また来る」
セレンの声が風に乗って届いた。
残されたのは、口も利かないガロンとフィーネ、そして頭を抱える俺だ。
ガロンは「ふん」とだけ言って、ハンマーを担ぎ直して作業場へ戻っていった。フィーネも無言で反対方向に去る。
建設は止まっていない。住民たちは何事もなかったように石を運んでいる。
でも空気は、確実に悪くなった。
……どうすんだこれ。効率化じゃ解決できない類の問題だ。
放っておいた方が楽だ。でも、放っておくと後でもっと面倒なことになる気がする。前の世界でも、揉め事を放置して余計にこじれた記憶がある。
俺は空を見上げた。雲ひとつない青空が、場違いなほど綺麗だった。
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