第104話「川沿いに石があるなら、歩かなくていい」
ガロンが地面に耳を当てている。
石を叩き、土を嗅ぎ、また別の場所に移動して同じことを繰り返す。朝露に濡れた草むらの中を、赤い髯の小柄な背中がのそのそと這い回っている光景は、なかなかに異様だった。
「……おい人間。近いぞ。いい石が、すぐそこにある」
ガロンが顔を上げた。泥だらけの頬に、職人の目が光っている。
昨日の宴の後、ハンモックで「歩かなくていい距離にあってくれ」と祈って眠った。その願いが通じたのか、ガロンは集落から歩いて半刻もしないうちに立ち止まった。
川沿いの岩場だ。
「ここか?」
「ああ。地面の下、石の声が聞こえる。硬くて、重くて、マナが通っとる。建てるには申し分ねえ」
ガロンが地面に掌を押しつけ、目を閉じる。ドワーフの鉱脈感知。地中の石脈の位置と質を、肌で感じ取る種族の力だ。
俺にはただの土にしか見えない。
「……正直、もっと遠いと思ってた」
「ガハハ! お前の集落、立地だけは一等だぞ。川が山の石を運んできとる。ここらの地下は石だらけだ」
歩かなくてよかった。本気でほっとした。北の山まで往復丸一日なんて言われたら、俺は間違いなく寝て過ごすことを選んでいた。
ガロンが岩場の端を巨大ハンマーで叩く。乾いた音が響いて、表面の土がぱらぱらと崩れた。その下から、青みがかった灰色の石肌が現れる。
「触ってみろ、人間」
言われるまま、露出した石に手を置いた。冷たい。だが、どこか芯に温もりがあるような──
【効率化】が勝手に動いた。
頭の奥に、声が響く。
『この石──マナを含んだ堆積岩。密度が高く、耐水性に優れる。建材としての適性は極めて高い。木造に比べ、耐久年数はおよそ十二倍。加工もしやすい部類に入る』
十二倍。
昨日の強度比較でも似た数字が出ていたが、実物に触って確信に変わった。これなら一度建てたら、俺が生きてる間は修繕しなくていい。
「どうだ?」
「……最適だってさ。耐久性は木の十二倍。加工もしやすい」
「やっぱりな! ワシの鼻は伊達じゃねえ!」
鼻じゃなくて耳だった気がするが、まあいい。
ガロンが興奮して岩場を走り回り始めた。あちこちの石を叩いては「こっちもいい!」「ここは筋が悪い、避けろ!」と叫んでいる。朝から元気なやつだ。俺は近くの岩に腰を下ろして、その様子を眺めた。
ぼんやり座っていたかったが、頭の中で別の声が騒ぎ出す。
石があるなら、次は配置だ。
どこに何を建てるか。道をどう通すか。広場はどこに置くか。今の集落は木造の建物が無計画に増えていった結果、動線がめちゃくちゃになっている。水汲みに行くのに食堂の裏を三回も曲がるのは、さすがにめんどい。
……どうせやるなら、まとめてやった方が後が楽か。
目を閉じて、【効率化】に意識を向けた。
集落全体の配置。住居、作業場、食堂、倉庫、広場、水場。それぞれの位置関係と、人が歩く動線。石造りに建て替えるなら、最初から整理しておいた方がいい。
頭の中に、淡い青色の線が走った。
道が伸び、建物の輪郭が浮かび、広場が開け、水路が描かれる。それぞれの距離と角度が最適化されていく。住居から食堂まで一直線。作業場は川沿い。倉庫は道の交差点に。広場を中心にすべてが放射状に──
『集落配置の最適案──中央広場を起点とした放射動線。住居群は南東、作業場は川沿い北西、食堂と倉庫は広場に隣接。現在の動線と比較して、移動距離はおよそ四割減。なお、全体の敷地を勘定すると石材の産出量は五十棟分を優に超える』
……五十棟。
いや、多い。多すぎる。今の集落は二十棟もないのに、五十棟分って。
しかも配置図が頭の中に収まりきらない。細部まで描こうとすると、道の幅から排水の傾斜まで浮かんでくる。これは町だ。村じゃない。
「おい人間、どうした。固まって」
「……やりすぎた」
「あ?」
「いや、ちょっと配置を考えてたら、町一つ分の設計図ができた」
ガロンが一歩、前に出た。声が低くなっている。
「見せろ」
作業場に戻って、頭の中の図を紙に落とし始めた。描いても描いても終わらない。ガロンが横から覗き込んで、うなっている。
「この動線……ドワーフの都でもここまで整った配置は見たことがねえ!」
天才じゃない。めんどくさがりなだけだ。歩く距離を減らしたかっただけなのに、なんで町の設計図を描いてるんだ、俺は。
二人で図面に没頭していると、集落の入口の方から怒声が聞こえた。
「師匠ーーーっ!!」
甲高い声。怒りに満ちた、しかしよく通る叫びだった。
ガロンのハンマーを担いだ手が、ゆっくりと下がった。
「……やべえ」
「知り合いか?」
「い、いや、気のせいだ。聞こえなかったことにしろ」
無理だろ。集落じゅうに響いてる。
足音が近づいてくる。小柄な影が作業場に飛び込んできた。
ドワーフの女性だ。ガロンと同じくらいの背丈で、栗色の髪をきっちり編み込んでいる。腰には小振りなハンマーと、革袋に詰まった工具がずらり。目つきは鋭く、頬は怒りで真っ赤だった。
「師匠! 仕上げも済んでないのに勝手に出てったでしょ! あの鋳型、0.3ミリずれてたの知ってます!?」
「う、うるさい! ワシの旅にお前は関係ない!」
「弟子を置いて逃げるなんて最低です! 北の山から丸一日かけて追いかけてきたんですからね!」
ガロンが俺の後ろに隠れようとした。無駄だ。身長差があっても体幅で隠れきれていない。
「……ガロン。紹介してくれ」
「あー……ニーナだ。ワシの弟子の」
「弟子じゃなくて一番弟子です! あたしはニーナ。この不精な師匠の仕上げを十年間やってきました」
十年。この見た目で十年。ドワーフの寿命は長いと聞いていたが、ニーナは見た目だけなら人族の二十代前半にしか見えない。
ニーナはガロンを睨みつけたまま、ふと机の上の設計図に目を落とした。
怒声が途切れる。
指が、机の上の設計図に伸びた。怒りで赤かった頬からすっと熱が引いて、口元が引き締まる。
「……これ、誰が描いたの?」
「俺だけど」
ニーナが設計図に顔を近づけた。指で線をなぞり、配置を確かめ、縮尺を目で測っている。職人の目だ。ガロンと同じ、素材や設計を前にしたときだけ見せる真剣な光。
「この接合部の設計……強度と加工のしやすさが両立してる。動線も無駄がない。でも、ここの排水勾配が0.5度足りない。あと、この角の石組みは三段目で荷重が偏る」
細かい。ガロンが「大枠は合ってるだろ!」と横から口を出すが、ニーナは聞いていない。
「師匠、この設計図の主と仕事がしたい」
「おいニーナ、ワシの許可なく──」
「師匠の許可なんて聞いてません」
ニーナが俺に向き直った。鋭い目つきの奥に、職人の熱が灯っている。
「ユウトさん、でしたっけ。あたしは精密仕上げが専門です。師匠が叩いた鉄の最後の一打ちを整える仕事を十年やってきました」
また師弟喧嘩が始まりそうだったが、ニーナの技術への真剣さは本物だった。設計図の欠点を一目で見抜く目。ガロンの豪快さとは真逆の、精密さへの執念。
……正直、この二人のやり取りを毎日聞かされるのはめんどくさい。だが、精度にこだわる職人がいるなら、俺が後から手直しする手間が減る。
楽になるなら、まあ、いいか。
「好きにしてくれ」
ニーナは設計図を睨みつけたまま、小さく呟いた。
「師匠。この仕事、あたしも混ぜなさい」
「……勝手にしろ!」
ドワーフが一人増えた。しかも師匠よりうるさいやつが。
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