第105話「雨宿りで密着するのは、効率とは関係ない」
ルナが作業場から革のバンドを持ってきた。
いつの間に作ったのか聞いても、「えへへ」と笑うだけで答えない。
……あいつ、最近なんか独自に動いてないか?
宴会の薬草といい、今度の革細工といい。俺に相談もなく、気づいたらものが増えている。
「ユウトさん、これ使って。石を運ぶとき、肩が楽になると思うの」
ルナが差し出した革バンドは、幅広で柔らかい。石の角が食い込まないよう、内側に厚めの当て革が縫い付けてある。
「……お前、革のなめし方なんて知ってたのか」
「うん。草原のみんなは、獲物の皮を使って荷運びしてたから。あたしも小さい頃にやったことあるの」
褒めてほしいのが丸わかりだ。
「あたしだって、役に立ちたいの」
……めんどいから別にいいのに。
いや。正直に言えば、助かる。石を素手で運ぶのは馬鹿げてるし、ガロンの「背負子なんぞ甘えだ!」という主張には付き合いたくない。
「ありがとな」
短く言うと、ルナが嬉しそうに目を細めた。
川沿いの岩場に着くと、ガロンはもう石を割り始めていた。
昨日見つけた石材の露頭に、ハンマーが小気味よい音を立てている。ニーナが横で石の断面をじっと睨んでいた。
「師匠、そこの打ち込み角度、三度ずれてます」
「うるせえ! 石はワシの方が長いんだ!」
「長いだけで雑なんです」
朝からこの調子だ。元気なことで羨ましい。俺は一生この時間帯に起きたくない。
さて。石を運ぶにしても、闇雲にやるのは面倒すぎる。どこをどう掘れば最小の手間で必要な量が取れるか、それくらいは先に調べておきたい。
……楽をするための手間なら、まあ許容範囲だ。
岩場に手を当てて【効率化】を発動する。
頭の中に、淡い光の筋が走った。
『この岩盤──表層から二尺の深さに良質な層が走っている。ここを起点に川上へ三十歩。この線に沿って割れば、運搬の手間が最も少ない。想定産出量、建物十五棟分』
十五棟。とりあえず最初の石造りには十分すぎる。
「ガロン、ここからこっちの方向に掘れ。深さは二尺でいい」
「おっ、もう分かったのか。相変わらず便利な目だな、お前」
ガロンがにやりと笑い、ハンマーを振り上げる。ニーナも無言で工具を取り出した。あの二人、喧嘩しながらも息はぴったりだ。
ルナが石の一つに鼻を近づけて、くんくんと嗅いでいる。
「ユウトさん、この石、山と川が混ざった匂いがする。生きてる石だよ」
「生きてる石って何だよ」
「んー……マナが通ってるっていうか、あったかいの。死んだ石は冷たくて匂いがしないんだけど、これはね、ちゃんと息してる感じ」
ルナの嗅覚は便利な道具じゃない。あいつにとっては、匂いがそのまま世界の見え方なのだ。
俺には分からない感覚だけど、「生きてる石」というのは、たぶんマナを含んだ良質な石材のことだろう。ガロンの鉱脈感知と同じものを、ルナは鼻で感じ取っている。
採掘が進む間、俺はルナの革バンドを使って石を運んだ。
これが存外に楽だ。肩に食い込まないし、幅広だから安定する。ガロンの「背負子は甘え」理論よりよっぽど合理的だった。
……石運びが楽なのはいいけど、それでもめんどいものはめんどい。
昼を過ぎた頃、ルナの体がぴくりと止まった。鼻先が、すっと空を向く。
「……あ。雨の匂い」
「雨? 空は晴れてるぞ」
「ううん、来る。すぐ来る。強いやつ」
言った瞬間、北の空に黒い雲が見えた。山沿いの天気は変わりやすい。ルナの鼻は天気予報より早い。
「ガロン! 一旦引き上げ……」
言い切る前に、ばらばらと大粒の雨が降り始めた。
「ぬおっ!? ワシは水が苦手なんだ!」
ガロンとニーナは岩場の反対側にある大きな張り出しの下に駆け込んでいった。
俺とルナは、近くの岩陰に滑り込む。
狭い。
思った以上に狭い。
大人二人が入れる隙間ではあるが、肩が触れ合う距離だ。雨は本降りになり、岩の外は白い水煙で何も見えない。
「ユウトさん、ちょっと寒い……」
ルナが身を寄せてきた。濡れた銀髪から、雨と草と、ルナ自身の甘い匂いが混ざって漂ってくる。
……近い。近すぎる。
「くっつくな、暑い」
「でも寒いの。ユウトさんあったかい」
ぺたり、と。
ルナの耳が俺の首筋に当たった。
柔らかい。しっとりと雨に濡れた獣耳の感触が、首の横に張り付いている。ふわふわの毛先が鎖骨をくすぐる。
喉が引きつった。息を吐くタイミングを、一瞬見失う。
その瞬間、頭の中に余計な声が響いた。
『密着面積を広げることで体温保持の効率が──』
黙れ。却下だ。今すぐ黙れ。
【効率化】が勝手に分析を始めやがった。誰もそんなこと聞いてない。
ルナの尻尾が、いつの間にか俺の腰に巻きついていた。
本人に自覚はないらしい。寒いから無意識に温もりを求めているだけだ。分かっている。分かっているが。
濡れた尻尾のふわふわが、腰の辺りでもぞもぞと位置を変える。服の上からでも分かる、もふもふの感触。
……理性が。かなり、まずい。
手元の石を拾い上げて、意味もなく握り込んだ。冷たい石の感触で、どうにか意識をつなぎ止める。
「ユウトさん」
「な、なんだ」
「心臓、すごい音……大丈夫?」
獣人の聴覚を呪いたい。雨音の中でも、こいつには俺の心臓の音が丸聞こえらしい。
「……大丈夫だ」
顔を逸らした。ルナの方を見たら、たぶんもう大丈夫じゃなくなる。
「どっち?」
「大丈夫な方だ」
ルナが不思議そうに首を傾げた。その拍子に、耳の先が俺の顎をかすめる。
もう勘弁してくれ。
雨が小降りになるまでの時間が、果てしなく長く感じた。
ようやく雨が上がった頃、岩場の反対側からガロンとニーナが出てきた。
「おーい人間、生きてるかー!」
「……かろうじて」
色々な意味で消耗している。石運びの方がまだ楽だ。
帰り際、ニーナの仮設工房の前を通りかかると、中から甲高い声が聞こえた。
「ニーナおねえちゃん、きらきらの作って!」
「くーん! くーん!」
リタとルッツだ。いつの間にか工房に入り込んでいたらしい。
「あんたたち、勝手に入るなっていつも言ってるでしょ! ……しょうがないわね」
ニーナは舌打ちしつつも、手元の金属片を器用に曲げ始めた。小さな金属の玉ができあがり、振ると澄んだ音が鳴る。
「わー! おと出る!」
「リタ、あたしにも!」
「はいはい、一個ずつね。……まあ、悪くない出来だわ」
ニーナが照れ隠しに顎を上げた。ガロンが「お前、子供には甘いな」とにやにやしている。
金属の玉が鳴る音を聞きながら、俺はぼんやり思った。木の実のおもちゃに、エルフの木材に、今度はドワーフの金属か。子供の遊び道具が勝手に進化していく。
……まあ、子供が静かになるなら何でもいい。
集落に戻ると、ルナが立ち止まった。
雨上がりの夕日が、濡れた銀色の耳を橙色に染めている。耳の先から水滴が一つ、ぽたりと落ちた。
「ユウトさん、明日も一緒に来ていい?」
琥珀色の瞳が、まっすぐこっちを見ている。
……断れるわけがないだろ、その耳で聞くな。
「……好きにしろ」
ルナが振り返って、にっと笑った。
明日も石運びか。めんどいけど、まあ──悪くはない。
お読みいただきありがとうございました!
本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。
【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!
もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります!




