第103話「三種族の宴は、胃袋から始まる」
夕方になる前から、食堂の匂いが集落じゅうに漂い始めた。
マーレンが腕まくりして鍋をかき回す横で、ガロンが酒樽を三つも転がしてくる。
「歓迎の宴に酒がなくてどうする! さあ飲め! 食え!」
……まだ日も暮れてないんだが。
俺がハンモックでうたた寝していたら、カイに首根っこを掴まれた。「手伝え」と。いや、宴の準備って一番めんどくさい部類の仕事じゃないか。飲んで食うだけなら得意なのに。
渋々と食堂に顔を出すと、マーレンが鍋の前に仁王立ちしていた。
「あんた、ちょうどいいところに。テーブル運びなさい。あと、ガロンのおっちゃんが酒樽をさらに追加しようとしてるから止めてきて」
「なんで俺が……」
「細かいこと気にしなさんな! 今日はめでたい日なんだから!」
めでたいのは分かるけど、めでたさと労働量は比例しなくていいと思う。
テーブルを広場に並べていると、ルナが両手に草の束を抱えてやってきた。
「ユウトさん、これ、あたしが持ってきたの」
「草?」
「えっとね、くんくんしたら、体があったまる匂いがしたの。これを鍋に入れたら、きっとおいしくなると思って」
見た目は細長い葉っぱの束で、先端が少し赤みを帯びている。嗅いでみると、確かに鼻の奥がじんわりと温かくなるような香りがした。
「……お前、これ自分で探してきたのか?」
「うん! 南の草原に生えてるやつ。獣人はみんな知ってるの。寒い日にお肉と一緒に煮ると、体の芯からぽかぽかになるんだよ」
ルナが自分から何かを持ち込むのは珍しい。いつもは俺の後ろで「わー!」とか「すごい!」とか言ってるだけだったのに。
マーレンが鍋の前からこちらを見た。
「あら、面白い草ね。ちょっと貸しなさい」
マーレンが葉っぱを千切って匂いを嗅ぎ、一枚をハンスに放り投げた。
「ハンス、味見」
「任せてください!」
ハンスが躊躇なく生のまま齧った。
「……辛っ!」
目を見開いて口を押さえる。だが三秒後、表情が変わった。
「辛いけど……あとから甘い。しかもこれ、腹の底から火が灯るみたいだ。いけますよ姐さん、こいつは化ける!」
マーレンがにやりと笑い、ルナの草をひと掴み、鍋に放り込んだ。
途端に、匂いが変わった。
肉と根菜の煮込みに、ぴりっとした温かみが加わって、広場にいた住民が何人も振り返る。
「……なにこの匂い」
「腹減った……」
ルナの声が一段跳ねた。体がぴんと伸びている。
「えへへ」
……まあ、悪くない。むしろ相当いい。ルナが自分で考えて動いた結果がこれなら、文句はない。
日が暮れる頃には、広場にテーブルが並び、マーレンの鍋が三つ、ガロンの酒樽が五つ──いつの間に増えたんだ──、フィーネが持ち込んだ果実の盛り合わせが場を彩っていた。
人族、獣人、エルフ、そしてドワーフ。四つの種族が同じ食卓を囲むのは、この集落で初めてのことだった。
……別に感慨深いとかじゃない。席に着いたら動かなくていいから楽なだけだ。
ガロンが酒樽の栓を豪快に叩き抜いた。麦とも果実ともつかない、重くて甘い香りが立ち上る。
「さあ飲め! ドワーフの宴に酒を残すやつは信用できん!」
「品がないわね」
フィーネが眉をひそめた。長い金髪を耳にかけながら、露骨に距離を取っている。
「エルフは果実酒を嗜むもの。あなたたちの酒は粗野すぎます」
「粗野だと? ガハハ! 耳長、お前は飲んだことがないから言えるんだ。まず一口やってみろ」
ガロンが木の杯にどぼどぼと注ぎ、フィーネの前に押し出した。
「わたくしがドワーフの酒など……」
フィーネの翠の瞳が杯を見下ろす。指先が、木の杯の縁をなぞった。ほんの一瞬だけ、呼吸が浅くなる。
──そして、一口飲んだ。
沈黙。
フィーネの返事が、半拍遅れた。
「……悪くない」
小声だった。でも、ガロンの耳には届いた。
「ガハハハハ! そうだろう、そうだろう!」
マーレンが大鍋から煮込みをよそい、テーブルの端から端まで木椀を並べていく。ルナの薬草が効いているのか、湯気の立ち方がいつもと違う。ひと匙すくって口に運ぶと、肉の旨味のあとから、じんわりと体の奥が温まるような余韻が広がった。
「うっめぇ!」
ハンスが二杯目に手を伸ばす。カイはすでに黙々と三杯目だ。
ガロンがマーレンの煮込みを一口食べ、目を丸くした。
「おい人間の女! この鍋、なかなかやるな!」
「あら、おっちゃんも分かるじゃない。あたしの鍋は集落一なの。お代わりは早い者勝ちよ」
「ぬかせ! ドワーフの宴では鍋が空になるまで帰らんのだ!」
マーレンとガロンが鍋を挟んで睨み合っている。大食い対決の予感しかしない。
……勝手にやってくれ。俺は端っこで静かに食う。
ふと気になって、ガロンの酒樽に手を当てた。この酒、妙に匂いが強い。碌なものじゃない気がする。
【効率化】を、軽く。
頭の中に、ぼんやりと声が響く。
『マナを含む醸造酒。度数は通常の三倍──体内のマナに干渉し、酔いが深部に回る。少量でも長時間持続する』
……通常の三倍。
俺はゆっくりと広場を見回した。カイが、もう赤い顔をしている。杯を三つ空けたらしい。普通の酒なら平気な量だが、度数三倍なら実質九杯だ。
「カイ、それドワーフの酒だからな。度数が──」
「だいじょうぶだいじょうぶ! 俺は強いんだ……ぞ……」
がくん、とテーブルに突っ伏した。
早い。早すぎる。
ガロンが豪快に笑う。
「ガハハ! 人間は酒が弱いな! まあ飲め、慣れる!」
慣れる前に潰れるだろ。
ルナが俺の隣に座って、こっちを見上げた。琥珀色の瞳に篝火の光が映っている。
「ユウトさん、みんな楽しそうだね」
「……まあな」
「あたしの草、役に立った?」
「役に立った。マーレンも気に入ってた」
ルナの顔がほころんだ。本人は気づいていない。
「えへへ。あたし、もっと探してくるね。南の草原には、まだいっぱい知ってる草があるの」
頼まれてもいないのに、自分から動こうとしている。
……成長してるな、こいつ。
面倒が増えるような気もするけど、ルナが自分で考えて動いた結果がうまくいくなら、俺は楽になる。たぶん。きっと。そういうことにしておく。
宴は夜更けまで続いた。
ガロンとマーレンの大食い対決はマーレンが僅差で勝ち、ガロンが「次は負けん!」と吠える。フィーネは二杯目を断ったが、最初の一杯を最後までちびちびと飲んでいた。カイは復活できなかった。
ガロンが最後の杯を干し、ふっと息をついた。
篝火に照らされたその横顔から、宴会の陽気が一瞬だけ消えた。
「……明日から本番だ」
職人の目だった。酒の席でも、こいつの芯は揺るがない。
宴の後片づけをマーレンに押しつけて、俺はハンモックに倒れ込んだ。
明日から石探し。ガロンの「近くにあればいいな」が気になっている。
……できれば歩かなくていい距離にあってくれ。




