第六章 第三話
「全員でかかれぇぇぇぇぇっっっ!」
忌々しげなヴォルクス大臣のその叫びを合図に、ベルガの塔は戦場と化した。
「金貨十五枚は俺のものだ。
とっとと死にやがれっ!」
金に目の眩んだ一人の男が真っ先に駆け寄り、槍をキリアに向けて突き出した。
だけどその槍は少女にあっさりと避けられ、その無防備な脇腹へとまっすぐに短剣が突き立てられる。
「どんな猛獣だって、近づかなければっ!」
臆病な一人の男はキリアに向かって矢を放つ。
だが、その矢はキリアにとってあまり脅威ではないらしい。
僅かな動作だけで彼女は矢の進行方向から身を逸らし……結局、矢はキリアの後ろにいた一人の傭兵の顔面に突き刺さる。
「くそっ、何なんだよ、コイツは!」
「目がぁっ! 目がぁぁぁぁぁあっ!」
「スコットもやられた!
回り込め、畜生!」
五人くらい斃れた辺りから、傭兵たちの動きが必死になってくる。
「血が、血が止まらねぇぇぇぇえええええっ!」
「誰か、誰か~~~~っ!」
「化け物かっ、コイツっっっ。
一斉に行くぞ、お前らっ!」
そして一〇人くらい斃れた頃には、もう傭兵一人一人が功を争うような真似はせず、全員で団結してこの恐ろしい殺人鬼を討とうと必死になっていた。
……だけど。
──それでも、彼らでは技量が足りない。
刃と矢が飛び交う戦場を、自分の庭のように軽々と飛び交う『鮮血』のキリアを討つには、彼らでは戦力不足だった。
何しろ、彼女にとって……傭兵たちが放つ一撃はどれもこれも動いていないように感じるほど『遅い』ものだったのだ。
だからこそ男たちの攻撃を無駄なく紙一重で避け、最低限の動きで襲ってきた男達の急所に短剣を突き立てる。
──それはもはや、単なる作業でしかなかった。
五〇人もいた男達は次々と数を減らして行く。
ある男が放った捨て身の一撃は彼女の髪一本にすら届かず。
ある男は体格に任せ少女を押し倒そうとするが、指一本触れられず。
ある男の大斧は、少女に触れるばかりか仲間の甲冑を砕く有様だった。
「くそ、ダメだ、無理だっ!
触ることすら出来やしねぇっ!」
「命あっての物種だっ、畜生!」
「化け物だっ!
少女の姿をした死に神なんだ、こいつはっ!」
……残り半分を切ったところで、彼らは『鮮血』のキリアの脅威に武器を捨てて逃げ出してしまう。
所詮は金で雇われた傭兵だからこそ、指一本触れられない亡霊相手の戦いに命を賭ける理由なんてなかったのだ。
加えて言えば、戦場で暮らす彼らが迷信深かった所為もあるだろう。
勿論、その頃にはキリアも肩で息をするほどには疲れていたし、返り血で汚さないようにと頑張っていた服も、真っ赤に染まっていたが。
「……貴様!」
結局……傭兵たちが逃げ出した後に最後まで残ったのはヴォルクス大臣たった一人だけだった。
それでも、そんな圧倒的に不利な状況ながらも……恐怖や躊躇の入り込む隙間すらないほどの憎悪に顔を歪ませ、手には高かったのだろう素晴らしい業物の剣を持ち……
その剣先をまっすぐキリアに向ける。
「貴様さえっ!
貴様さえ助けなければっっっ!」
ヴォルクス大臣は憎悪のままに叫ぶ。
叫びながら彼は、その業物の剣を全力でキリア目がけて突き出した。
だが……生憎とヴォルクス大臣は剣の才能には恵まれていなかったし、そもそも彼は戦場に出ることもない文官である。
その突きは所詮、素人が放ったにしてはマシという程度の早さで……幾ら剣が業物でも、当たらなければ意味がない。
あっさりとヴォルクス大臣の渾身の突きは避けられ、ほぼ同時にキリアの短剣が弧を描きヴォルクスの太い頸の……動脈を切断する。
「……貴様っ!」
だが、憎悪に我を忘れているヴォルクスは、その程度の怪我では怯まなかった。
咽喉から血を噴出していることを意にも介さず、剣を振るってキリアに襲い掛かる。
「ん?」
だが……どれだけ執念を見せても、どれだけ憎悪を叫んでも……所詮は素人の剣。
達人の一撃すら届かないキリアとっては、全く脅威にすらならない。
「ぐっ!
がっっ!
ぐがっっっ!
げふっっっっ!」
ヴォルクスが突きかかってくる度に、キリアの短剣は彼の急所を貫く。
脇腹を貫き、咽喉を貫き、顔面を切り裂いたというのに……
──それでもヴォルクスは止まらない。
憎悪に目をぎらつかせたまま、身体中から血を噴き出したまま、痛みすら感じていないかのようにキリアを狙い続ける。
「……なに、これ?」
キリアにとって、それは未知の存在だった。
痛みにも怯まず、普通の人間なら死ぬべき場所に刃を突き立てても襲ってくる。
──まさに化け物。
その化け物の放ってくる攻撃は、速度の全く違う少女にとっては、はっきり言って脅威にもならない程度である。
だが、それでも……殺しても殺しても死なない化け物という事実は、キリアを脅えさせるのに十分すぎる迫力を持っていた。
「う、う、うあああああああああああああああ!」
恐怖に我を忘れたキリアは、叫び声を上げると短剣を投げ捨て、近くに落ちていた長剣を手にして、ヴォルクスに斬りかかる。
短剣の短い刃では、ヴォルクスを殺しきれないと判断しての行動だった。
だが……当たり前のことながら、長剣は短剣より遥かに重い。
恐怖に冷静さを失ったキリアは、自分の最大の特長である速さを捨ててまで、ヴォルクスを殺すことしか見えていなかった。
そして、ヴォルクスの一撃と、キリアの一撃が交差する。
「っ!」
結果、宙を舞っていたのはヴォルクスの右腕とその剣だった。
「ギリィィァアアアアアアアアっ!」
攻撃手段が失われたというのに、ヴォルクスの視線は欠片も怯まなかった。
咽喉に刃を突き立てられ呼吸もままならないその身体で何かを叫んだかと思うと、武器がなければ歯を使ってでも彼女の細い咽喉を食い破ろうとばかりに、キリア目がけて突っ込んでくる。
「~~~っ!」
そんなヴォルクスの姿に、キリアは脅えた目を向け、必死にその長剣を振るう。
袈裟斬り、横一文字、頭蓋へ叩きこみ、両足を切り裂き、倒れたヴォルクス目がけてその刃を突きたて、引き抜き、また突き立て……
「わああああああああああああああああああああああああ!」
脅えながら、叫びながら、震えながら、何度も何度も何度も何度も。
返り血に全身を染めながら、貫き、引き抜き、貫き、引き抜き……
その内、疲労による握力低下と、血糊によってキリアの剣から手が離れた。
「ふ~~っ!
ふ~~っっ!
ふ~~っっっ!」
それでも野獣のような呼気を吐き出しながら、ヴォルクスへの警戒を怠らないキリア。
「……?」
だが、顔を上げたキリアの前にあったものは……数十の斬撃をその身に受けてついには息絶えた、ヴォルクス大臣と呼ばれていただけの、ただの肉塊に過ぎなかった。
正直な話、ヴォルクス大臣の身内が『ソレ』を見たとしても、その肉塊を彼だと認識出来る人間などいないのではないだろうか?
「……おうじ、さま」
そうして恐怖から逃れ得たキリアが考えたことは、自分が唯一安心できる場所へ帰ることだった。
先ほど投げ捨てていたラルヴァ王子から貰った短剣を愛しげに拾うと、血まみれの服のまま、来た時と同じように人目を避けるように裏道を歩く。
「な、何だ、おま……」
途中で身なりの汚い一人の男……恐らくは浮浪者か何かだろう……に見られたが、その男が何かを言う前に、キリアの短剣は彼の咽喉を貫いている。
それが、王都を騒がした殺人鬼『鮮血』のキリアの暮らし方であり、その行動には欠片も躊躇がない。
だが……やはり血まみれの服装というものは、幾ら路地裏とは言え真っ昼間には目立つのだろう。
もしかしたら、キリアが疲れ切っていたからこそ、その隠密行動の精度が下がっていたのかもしれないが。
結局、ラルヴァの別宅にたどり着くまでに、もう二人ほど哀れな犠牲者に見つかってしまう。
……勿論、彼らが何かを言うことなど出来はしなかったのだが。
「……おうち、かえってきた」
血まみれのキリアは、その姿を誰にも見られないようにラルヴァの別宅へ入ると、二階の王子の寝室へ入り、ベッドに飛び込もうとして……
「あ、しかられる」
不意に王子の言葉を思い出したキリアは、少しだけ泣きそうな顔になりながら血まみれの侍女服を何の躊躇もなく脱ぎ捨て、王子のベッドに入る。
「……おうじさまの、におい」
ベッドの匂いを嗅いで、安心した声を出すと、キリアは目を瞑って眠り始める。
流石の『鮮血』のキリアでも、三〇人近い人間を殺すというのは、とてつもなく疲れる作業だったのだ。
それに、最後の丸い男……ヴォルクス大臣の殺しても死なないという狂気混じりの怒気を正面から受けたことで、心の底から脅えさせられたのだ。
……脅え疲れ切った彼女が、心の底から安心できる匂いに包まれて眠りに就いたのは、動物的本能として当然の行動だった。




