第六章 第二話
「……お前な、今日もか」
「ええ。本日もです」
伝令に呼び出され、嫌々ながらも王宮に向かったラルヴァを待っていたのは、またしてもアルス政務官の能面顔だった。
王子を強引に呼びつけるという暴挙を仕出かしても、ラルヴァ王子の殺意交じりの視線を受けても、アルス政務官は眉一つ動かそうとしない。
ただ己の職務をこなすだけという彼は、常に職務に対して忠実であり……もしそれが法に記されているならば、彼は表情一つ動かすことなく王族をも斬り捨てることだろう。
だからこそ、ラルヴァはこの堅物が大嫌いで……
だからこそ、彼の言葉には逆らえない。
「……ラスカルのヤツはどうしているんだ?」
「ラスカル王子はここのところ、執政に興味が持てない御様子。
陛下も病床の身にあられます。
ですから、ラルヴァ王子しか国政を担当される方がいらっしゃらないのです」
せめて犠牲は多い方が良いと声を出すラルヴァだったが、その言葉もアルス政務官によってあっさりと切り捨てられる。
「くそ。貴様、最近調子に乗っているな?」
「いえ、王族として当然の勤めを果たして貰っているまでで御座います」
ラルヴァの罵りにも、アルス政務官の表情は変わらない。
口調も変わらない。
態度も変わらない。
何一つ変わらないまま、自国の王子を引き摺って、地獄の椅子へと座らせようとする。
「……ちっ。今日ぐらい休ませろ」
「無理です、ラルヴァ様。国家は一日たりとも休まないのですから」
愛人を失ったばかりのラルヴァの愚痴は、やはり無表情のアルスによって一蹴され……結局彼は今日も鬱陶しい書類に埋もれることになったのである。
……幾ら気まぐれで不真面目なラルヴァとは言え、父親が倒れ弟も仕事に関われないこの状況で全てを放棄して逃げ出すほどには、不真面目になれないのだった。
「ね、キリアちゃん?」
「ん?」
昼下がり、ラルヴァの別邸では、パンとスープを一生懸命口に運んでいたキリアに、侍女であるベルが話しかけてきた。
「悪いけど、お使いに行ってくれないかな?」
「……おつかい?
はたらくこと?」
ベルの言葉に、キリアは首を傾げる。
キリアにとってベルは「少しくらい信用しても構わない、食べ物をくれる人間」にまで昇格していた。
だからこそ、こうやって会話が可能だったのだが……会話が可能と意思疎通が出来るとの間には、若干の齟齬があったのだ。
「ええ。そうよ、出来るかな?」
「うん。
おうじさまにほめてもらう」
ベルの言葉に素直な笑顔で応えるキリア。
「じゃあ、あっちの……ほら、あの塔の下まで行って貰える?」
「……うん。いく」
キリアは社会生活を営んだ経験がない。
今までの彼女はそもそも「世界中の人間は全て敵である」という概念しか持っていなかった。
そこへラルヴァが現れて彼女にとって「世界で唯一の味方」になり、そのお蔭で「怖いけど襲ってこない人たち」が増えてきたばかり。
未だにキリアにとって世界はそんな狭い、白と黒しか存在しない場所でしかなく。
──だからこそキリアという名の少女は、未だに疑うということを知らなかった。
そんなキリアは素直にベルの言葉に頷くと、何一つ疑わずに真っ昼間の街へと足を踏み出す。
当然ながら真っ昼間の王都は人間で満ち溢れていた。
基本的に『鮮血』のキリアとして民衆に追われながらも街中で暮らしていた彼女にとって、人ごみの中というのは安心できない場所でしかない。
だからこそ、こそこそと人目のつかない裏道や、屋根の上を音も立てずに走り、ラルヴァの別宅から見えていた塔……ベルガの塔の下まで歩く。
──ベルガの塔。
罪人を捕らえておくためのその塔は、当然ながら立地条件は良くない。
昼間というのに王城の裏手の、日のあまり当たらない場所に建っているし、罪人を投獄するための塔ということで色々と逸話も多く……近づく人すら滅多にいない。
「?」
そんな中、キリアは一人歩いてきて……ふと何かに気付いたかのように周囲を見渡す。
と、その瞬間、風切り音と共に無数の矢がキリアを襲っていた。
「?」
その奇襲を予測していた、と言うよりは周囲に漂っている殺気に気付いていたキリアは、特に慌てるでもなく首を傾げるだけでその矢を避ける。
そして、訳の分からないままに矢の飛んできた方向を見つめる。
「……ふん、来たか」
そこには……似合わない鎧を着た丸みを帯びた一人の男……ヴォルクス大臣が立っていた。
その周囲には五十人ばかりの武器を持った男達を連れている。
「……あの子の傷口を見れば一発で分かったよ。
あの子を殺したのは、暗殺者なんかじゃないってな。
ああ、お前が殺したんだよ、『鮮血』のキリアッッッ!」
ヴォルクス大臣は狂ったような笑みを浮かべ、そう叫ぶ。
その瞳に浮かんでいるのは……まさに狂気。
彼の中では殺意と憎悪が混じりあい、それ以外の全てを見失っていた。
「だからこそ、貴様もその腹を引き裂いて、娘と同じ末路を歩ませてやる。
せっかく、ラルヴァ王子の御子を授かり、王妃としての未来が待っていたというのに。
ああ、そうしないとあの子は浮かばれない。
先に手足をもいでやる。
それから目を潰し、咽喉を潰し……身体中の皮を引き剥がした後で、その胎を抉り出して殺してやる。
ひ~ひっひっひっひっひっひ……」
憎悪と殺意に支配されたヴォルクスは狂気という名の衝動に任せたままぶつぶつと呟き、そして急に狂ったような笑いを上げ……直後、不意に笑いを止める。
「どうだ、怖いか?
脅えながら虫けらのように惨めに死んでゆけ。
……さぁ、行け、サース」
そして、そう叫ぶや否や、周囲の人間に合図を送る。
周囲にいた連中は……粗雑ながらも酷く使い込まれた鎧兜を着込んでいて、傭兵らしき男たちだった。
彼らはそのボロボロの鎧兜を着なれた様子で、少なくとも兵士崩れの、それなりに腕が立つ連中らしい。
その中の一人……恐らくサースと呼ばれた傭兵は、狂っているとしか思えない雇い主に嫌そうな視線を向け、そして腰から抜いた剣を手にしてキリアを見、雇い主を見たかと思うと……
あまり気乗りしなさそうな態度でキリアに向かって斬りかかってきた。
「ん?」
だけど、そんな腑抜けた一撃がキリアを捉える筈もない。
キリアは最小の動きだけでその斬撃を避けると、その咽喉に短剣を叩きこむ。
「……よごれるの、だめ」
と、同時に身体を翻した後で、短剣を引き抜く。
咽喉を突かれたサースという名の傭兵は、自分の身に訪れた『死』という現実を理解できないかのように左右をきょろきょろと眺めながら、血を噴水のように周囲に撒き散らす。
だが、その正面にキリアはもうおらず……返り血は一滴たりとも彼女の侍女服にはかからない。
そのまま、サースという傭兵は己の血によって溺れ、じたばたと地上でもがき始め、すぐに動かなくなってしまう。
「……くっ。なんだあの娘」
「凄まじい身のこなしだ。
ただの狩りじゃなかったのかよ」
ただ、その一幕は……少なくとも傭兵たちを本気にさせるのには十分刺激的だったらしい。
傭兵たちの誰も彼もがこの少女は、狩られるだけの獲物ではなく、自分たちをも殺し得る猛獣だと気付いていた。
……だからだろう。
彼らの全員が目の色を変え、手に持った武器の感触を確かめ始めたのだった。




