第三章 第六話
「……ん。おうじさまの」
しばらくもがいていたその騎士が動かなくなったのを確認したキリアは、男に突き刺したままの剣には見向きもせず、男の足に刺さっていた短剣だけを引き抜くと大切そうに血糊を拭い、懐に仕舞って馬車に乗り込む。
「……お前、もう少し考えて動け」
一仕事を終えて馬車に戻ったキリアを待っていたのはそんなラルヴァの小言だった。
だが、ラルヴァ王子がそう言うのも無理はない。
王子の合図で現場から遠ざかろうと走り出した馬車の中は、一人目の犠牲者の首から噴き出した血で真っ赤に染まり……中にいたラルヴァ自身も返り血に染まっている。
勿論、さっきまで殺戮の現場に居たキリアも返り血で真っ赤に染まっており。
「おうじさま、あかい」
「……ああ、お前の所為でな」
多分、自分と同じく赤く染まった王子が嬉しかったのだろう。
返り血まみれのキリアが楽しそうにラルヴァに話しかける。
ラルヴァは……鼻につく錆の匂いと生ぬるい血が冷えて行く感触に眉を顰めながらも、その表情は笑みを隠しきれない。
何しろ、あの鬱陶しく周囲をかぎ回っていたゼムンを、その側近ごと消せたのだ。
……しかも、一瞬の間に。
欠片の証拠もなしに。
「おうじさま、がんばったよ?」
ラルヴァの機嫌が治ったのに気付いたのだろう。
キリアは笑みを浮かべながら彼に近づいてくる。
上目遣いの無邪気な笑みで頭を近づけてくるこの仕草は「褒めて欲しい、撫でて欲しい」という仕草に他ならず……
「ああ。そうだな。よくやったな、キリア」
ラルヴァはそんなキリアの頭に手を載せ、撫でる。
血まみれにされたことも、馬車を返り血で汚されたことも……キリアが全身に浴びた返り血が自らの手を真っ赤に汚すことも構わずに。
いや、ラルヴァはそれだけでは満足出来なかった。
この目の前の凶器を……最高の殺戮兵器に対する愛着を表現するには、ただ頭を撫でるだけでは足りないと思ったのだ。
そのまま、キリアの腕を掴むと、力任せにその身体を自らの胸元へ抱き寄せ……
「……え? おうじさま?」
その突然の行動に、戸惑いの声を上げるキリア。
だが、ラルヴァは彼女の声に構いもせず……
「お前は、最高だよ、キリア」
そのまま、キリアを固く抱きしめたまま、耳元で囁くラルヴァ。
ラルヴァのその行動はある意味……熱狂に近い状況だった。
──狩りを行ったことによる、血の匂いによる興奮。
──突然自分の身が危険に晒されたことによる死と破滅への恐怖。
──恐怖から解放された開放感。
──それと同時に宿敵が死んだ歓喜。
全てが混ざり合って、とんでもなくハイな気分になっているのだ。
……だからこそ、だろう。
ラルヴァは自分の中の衝動を抑える術がないままに、キリアの耳に口付ける。
そのまま、頬を少しずつ。
「ん? ん。んん」
社会で育った記憶を持たないキリアは、自分が何をされているか理解していない。
ただ、奇妙な感覚ではあったものの、不快や痛みを感じるようなものではなかったし、王子様がしていることだからという安心感もあった。
「ん? ん~~っ!」
だからこそ、ラルヴァの唇が何処へ向かっているのか気付かないまま、キリアはその小さく薄い唇をあっさりと奪われていた。
キリアは突然の感触に少しだけ暴れようともがくが……王子に固く抱きしめられたままの彼女には、逆らう術がない。
キリアは『鮮血』の二つ名を持つ殺人鬼とは言え、腕力的には少女のソレとあまり変わりないのだ。
尤も、命の危険を感じることや、本気で嫌なことをされていたのなら、キリアはどんな手段を使ってでも逃げ出していただろう。
「ん~~っ。んん~~~~~っ」
だけど、キリアにとって王子の口付けというのは……吃驚して変な感じを覚える行為であったにしろ、そこまでして逃げるほどのモノじゃなかったらしい。
何かを言おうとはしていたが、それらはあまり意味を為さず、僅かに抵抗をしようとはしていたが、それもあっさりとラルヴァの腕力の前にねじ伏せられる程度のもので……
その内に、キリアの抵抗は静まり……ラルヴァの唇と舌に蹂躙されるがままになってしまっていた。
「……王子、またしても騎士連中が……」
ただ、場所が場所である。
それほど好き勝手出来るような時間がある訳でもない。
加えて……現在、この黒塗りの馬車は返り血で染まっており……月明かりも頼れないような今晩辺りに遠目で分かるような色合いではないが……近づかれると面倒なことに違いはない。
「……キリア、いけるか?」
「……ん」
無粋な御者の言葉を聞いて我に返ったラルヴァは、自らの凶器を眺める。
返り血で赤黒くそまった顔の残りの肌は、さっきの口付けによる興奮で真っ赤に染まり……
夢見心地で半開きになった瞳は、力がない。
……だけど。
「……うん。がんばる」
──僅か一呼吸。
ただそれだけの時間で彼女の瞳はいつもの光を取り戻す。
それと同時に、力なく震えていた指もいつも通りの動きを取り戻していた。
──自身の身体がどんな状態であっても、何かあればすぐに戦闘態勢に移れる。
野生に生きるというのは、そういうことだ。
……周囲全てが敵である中を生きるというのは、そういうことなのだ。
──そうでなければ生き残れない。
それが、キリアがずっと生きてきた世界であった。
だからこそ、一瞬前まで王子の口づけに呆けていた筈のキリアは、一瞬で普段と変わらぬ平然とした顔をして馬車から出て行き……
「な、なんだこいつ!」
「くっ! お、応援を!」
「うぎゃああああ!」
……ラルヴァの指示通り、馬車の外を惨劇の場と化す。
非力な王子の腕の中からも出られぬほどのか弱い細腕で、屈強な騎士たちを次から次へと血だまりの中に沈めていった。
「……これなら、行けるな」
馬車の外に響く悲鳴と絶叫を聞きながら、ラルヴァは呟く。
治安維持隊長であったゼムンを屠ったことで、ラスカル王子の持つ主な手駒は残り三つ……アスタール近衛兵団長とアルス政務官、カール治安維持部隊副長。
それ以外の連中は烏合の衆と考えても問題はない。
基本的にラスカルは決まりごとに従う人間であり、だからこそ規則正しく型通りに動く奴らに好かれる傾向がある。
……つまり、暗殺のようなイレギュラーな出来事には果てしなく脆い。
現に、今日も……まだ暗殺者が捕まっていないのにも関わらず、通常の犯罪捜査と同じく部下を散会させるから、こうしてラルヴァの狩りの的になるのだ。
「……こんなに簡単なら、もう少し早く手を打つんだったな」
馬車の外が静かになったのを感じ取りながら、ラルヴァは呟く。
事実ラルヴァは、規則と法によって自縄自縛に陥る癖があるラスカルは大胆な政策に打って出る能力に欠け王位を継ぐ能力はなく、自らこそが王に相応しいと思っていた。
「ま、アイツも同じことを考えているだろうがな」
ラルヴァがそう自嘲っぽく呟いたとき。
「……おうじさま、おわった」
先ほどよりも更に返り血で染まったキリアが馬車の外から入ってくる。
もう返り血を浴びてない場所を探す方が難しくなった彼女の顔は、それでも楽しそうに嬉しそうに輝いており……
「ああ、よく頑張ったな」
「……ん」
だが、帰ってきたキリアの頭を撫でながらも、それよりも重要なことがあるとばかりにラルヴァは彼女と目を合わすこともなく思考の海に沈む。
次の一手をどう打てば、もっともラスカル王子に打撃を与えられるかを。
次にどう動けば……最も王位へ近づけるかを。
「……ん~」
……だからこそ、気付かなかった。
そのおざなりなご褒美に、キリアが少しだけ不満げな顔をしていたことを。




