第四章 第一話
王都は騒然としていた。
何しろ、一晩の内に市街で調査をしていた騎士が二十名以上も殺害されたのだ。
──その上、犯人は不明。
──犠牲者は騎士ばかり。
──殺された騎士の武器には血の跡すらない。
……という三拍子も揃っている。
更には周囲の聞き取り調査をしても、目撃情報はろくなものがない。
そもそも、その捜査をしていた騎士たちが一晩で一気に数を減らしたのだから……それは仕方のないことだったのだろう。
ただ、それでも……一通り殺害現場近くを聞き込み調査した結果、関連のありそうな黒い馬車と、少女としか思えない影を見たという情報が何件か寄せられており。
それらは王宮内で一つの噂となって駆け巡った。
即ち……冥界からの黒い馬車に乗って現世に帰ってきた『鮮血』のキリアの亡霊によって、騎士が次々と殺されているという噂である。
最初に殺されたのがキリアの捕獲に携わっていたダールトン男爵であり、次々と殺されていくのが治安維持部隊や、夜中を調べ回っていた騎士で、『鮮血』のキリアが処刑されたその日に問題が起こり始めことも、そんな噂に尾ひれをつける原因になっていたのだろう。
そして、あれから五日経った今でもその噂は未だにこうして王宮中を駆け巡っている。
「ふん。馬鹿馬鹿しい」
そんな噂の中を、忌々しげに歩いているのはラルヴァ王子である。
「しかし、王子。我等が疑われるよりは……」
王子に付き従っていたヴォルクス大臣はそう取り成すが、ラルヴァの表情は優れない。
「噂なんぞ気にしても仕方ないさ。
だが、あの名が噂されていることが、どうも気に入らん」
「確かに。
……一体その名が何処から出てきたのやら」
ラルヴァの吐き捨てるような言葉に、ヴォルクスも頷く。
流石の王族でも人の口に戸は立てられない。
そして、それを承知していたからこそ……ラルヴァは苛立ちを隠し切れない。
「……それで、これからどうします?」
「暫くは様子を見るさ。
こんな噂が流れている以上、下手に目撃情報を増やす訳にもいくまい」
と、不意にラルヴァ王子は悪戯を思いついた表情になる。
「いや、少しだけ揺さぶってやるかな?」
「……王子?」
珍しく楽しそうな余興を思いついた様子のラルヴァを見たヴォルクス大臣は少しだけ怪訝な表情をした。
だが、彼は王子を諌める言葉を思いつかないまま、だけど王子の表情が気になって放っておくこともできず……
仕方なく彼はそのまま王子に付き従って歩くことにした。
尤も、王子の向かう先に気付いた瞬間、「来るんじゃなかった」と思うことになったのだが。
「よ、ラスカル。色々大変だな」
「……兄上っ!」
その室内は先日の活気は感じ取れなかった。
何しろ、その部屋……ラスカル王子の執務室は部屋に座るべき人数がたった一晩の内に三分の一ほど減った挙句、仲間を殺されたという怒りと哀しみによって、暗く重苦しい空気に包まれていたからだ。
そんなところに、ラルヴァは薄ら笑いを隠そうともせず堂々と顔を出したのだった。
「部屋に閉じこもっていると良い案も浮かばないぞ?」
「……余計な、お世話だっ!」
ラルヴァの言葉に一人の若い貴族が殺意をむき出しにして叫ぶ。
彼らは一連の暗殺を……ラルヴァの仕業と信じて疑っていない。
勿論、例の噂も耳に入っているのだろうが、それを信じる空想主義者では政治は行えないのだ。
……いや、彼らはそんな噂を信じない現実主義者だからこそ、堅物のラスカルに信奉しているのだろう。
「ふん。折角の人の厚意を」
だが、怒鳴られたラルヴァは怒りもせず、貴族の叫びを鼻で笑う。
その余裕の態度があまりにも悔しかったのか、部屋の中にいた若手の貴族が数名、立ち上がって拳を握る。
……一人などは剣の柄に手を当てる寸前で、一触即発といった空気が漂っている。
「くっくっく。威勢が良いな」
「お、お、王子」
だが、殺意を正面から叩きつけられてもラルヴァは欠片も動じない。
この場にいる連中は法を護ることのみに価値を見出す堅物ばかりで、こんな真昼間の王宮で斬りかかってくるほど馬鹿じゃない。
暗殺者を雇うにしても、必ず自分自身に火の粉が降りかからないように細心の注意を払ってからでしか動かない連中なのだ。
その確信があるからこそ、ラルヴァ王子は自信満々の表情で笑みを浮かべており……王子の後ろに控えているヴォルクスの方が慌てているくらいである。
「……そう言えば兄上。
新しい女性とやらは元気ですか?」
不意に。
張りつめた部屋の中の空気を叩き割るかのように、ラスカル王子のそんな声が響き渡る。
唐突に発せられた弟の声に、ラルヴァは少しだけ眉を顰める。
堅物で堅実、下世話な恋歌など全く縁も縁もないラスカル王子が、珍しく兄に向ってそんなことを聞いてきたのだ。
あまりにも意外なその一言は、流石のラルヴァをも一瞬だけ硬直せしめていた。
「……ああ。
少し元気過ぎるがな」
だが、すぐに気を取り戻したラルヴァは、昨夜目にしたばかりのキリアの殺戮シーンを思い出し、少しだけ苦笑しつつも……欠片の偽りも含めずにそう呟く。
「なるほど。仲睦まじい御様子」
「……ははっ。お陰でなかなか楽しい日々を送っているぞ?」
ラスカルの冷静な言葉に、わざと下卑た声で返すラルヴァ。
ラスカル王子の背後に控えている貴族たちはラルヴァを蔑む視線を隠そうともしなかったし、ラルヴァ王子の背後に控えているヴォルクス大臣は……おろおろと自らの主君の顔を見上げるばかりだった。
──だが、ラルヴァとラスカル。
──二人の兄弟がお互いを見据える視線には、欠片も蔑むような色合いはなかった。
ラルヴァには目の前の相手を探り、その真意を見出そうとする意思しかないし。
冷静な表情を崩さないラスカル王子に至っては、兄であるラルヴァ王子の目から見ても……何を考えているかすら分からなかった。
二人の王子の視線が絡み合い……僅かな間の沈黙が降りる。
その沈黙を破り次に口を開いたのは、ラスカル王子の方だった。
「今度、お会いしたいものですね、その女性と」
ラルヴァはその言葉を聞いた瞬間、その意味を理解しかねた。
ただ、目の前に凄まじいチャンスが転がってきたということだけは理解出来た。
何しろ、キリアの戦闘能力はラルヴァがその目で確認しているのだ。
後は……ラスカルの周囲に群がる護衛を如何に減らすかがラスカルを暗殺する唯一の手順だったのだが。
……まさか餌が目の前に飛び込んできてくれるとは。
そう考えた瞬間、ラルヴァの視線にあからさまな殺意と、罠にかかった獲物を見据える猟師の愉悦が一瞬だけ浮かび上がる。
(っ! ダメだ!)
だけど、ラルヴァは一瞬でその浮かれた自分を押し込める。
……まだ気付かれてはならないのだ。
あれだけ殺したとしても、まだ依然としてラルヴァ王子よりもラスカル王子の方が勢力は大きい。
現状でラスカル王子を暗殺したところで、彼の部下が叛乱を起こしては意味がないのだ。
何よりも自分の元へと招いた瞬間に彼が暗殺されれば、ラルヴァも兄弟殺しの汚名は免れないだろう。
流石に王族が殺されれば、捜査の手は下っ端貴族が死んだのとは比にならない。
──彼らの父である国王が出てくるとなれば、ラルヴァの王子としての特権すらも通用しないのだから。
そこまで一瞬で考えたラルヴァは、笑いながら弟を諭す。
「はっ。他人の女に手を出すのは止めた方が良いぞ。
……火傷じゃ済まないからな」
「ご自分の経験譚からですか、兄上」
「くっくっく。そんなところだ」
笑いながら探り合う兄弟二人の会話に、周囲の貴族たちはまるで入り込めない。
話していることは非常に平凡で、何処にでもあるような下衆でありがちな兄弟の会話なのに、その空気はまるで剣を向け合って決闘しているときのように張りつめいて……
その雰囲気は、他人が横合いから口を出せない。
「ははっ。そこまで見てみたいってんなら、今度暇を見て場を設けてやるがな」
結局、張りつめた空気の中、先に視線を逸らしたのはラルヴァの方だった。
くだらない言葉の上だけの駆け引きに飽きたという様子で、そう一言だけ呟くとラスカル王子の詰め所を出ようとする。
「ええ。兄上。是非一度」
背後にかけられた弟の声に、ラルヴァは手を一つだけ上げて返事の代わりとする。
「お、王子。待って下さい!」
その背後へ置いていかれそうになったヴォルクス大臣が駆け寄り……
「お、王子。あの会話は……」
先ほどまで居た部屋に聞こえないように小声で話しかける。
「ふん。アイツ……キリアの存在に気付いたようだな」
「な?」
平然とした声色で吐き出された王子の一言に、思わず脚を止めるヴォルクス大臣。
「お、王子。そ、それは……」
「臆するな。
別に確証を持たれた訳ではない」
ヴォルクス大臣が脅えた声を上げるのにも関わらず、ラルヴァは脚を止めすらしない。
普段と何も変わることとない足取りのまま、言葉を続ける。
「ただ、アイツも、俺が暗殺者を手元に置いているだろうと推測しているのだろう。
俺が少し口を滑らした所為で、それが女性というところまでは予想しているようだが。
……ま、あの『鮮血』のキリアだってことは流石に掴んでないだろうがな」
所詮はラスカルの推測だけだ……と、ラルヴァは結論付け、問題ないと肩を竦める。
「なら、問題ないのですが……おや、アルス政務官?」
王子の一言で恐怖から解き放たれたヴォルクス大臣が大きなため息を吐いたところで、一人の痩身の男が二人の前に立ちふさがる。
彼は一目で貴族と分かる、高級な黒の服装を着た初老の男だった。
その男の視線は堅物だけが見せる鋭い光を放っており、融通の利かない人生を送ってきた所為か、その顔には笑顔の欠片も浮かんでいない。
「これはラルヴァ王子。
王族の決裁が必要な業務が溜まっているので、ご協力お願いしたいのですが……」
痩身の男……アルス政務官は表情一つ変えず、ラルヴァ王子に対して恭しくそう語りかける。
態度や口調は礼儀正しく王族に対する敬意に満ち溢れていたが……その眼からは敬意の欠片も感じられなかった。
「……あの馬鹿にやらせろよ。ったく、面倒な」
「いえ、ラスカル王子は犯罪者捜査が忙しいご様子で」
いつものようにラルヴァは仕事を弟に押し付けようとするが、この日は珍しくアルス政務官が退かなかった。
「けっ。あのバカの尻拭いかよ」
ラルヴァは舌打ちしながらそう吐き捨てるが、アルス政務官は目の前で吐かれた悪態にすら眉一つ動かさない。
「それでも、これが王族の勤めです」
「ったく。ラスカルのヤツめ。
……王族の勤めは自分の命や感情よりもまず国益だろうが」
自分のことを完全に棚に上げ如何にも面倒といった口調で弟を愚痴りながら、ラルヴァはアルス政務官の歩く後ろを歩く。
ヴォルクス大臣も続こうとしたが……
「お前は帰ってろ、ヴォルクス。
どうせ書類に目を通してサインをする程度だ」
一国を動かす行政の仕事を「その程度」とぼやきながら、アルス政務官に引き連れられたラルヴァは廊下の奥へと脚を運んで行ったのだった。




