第三章 第三話
「……新たな情報はなし、か」
夜の街を歩いていた騎士ネールズは、人知れず呟いた。
全身からは僅かに疲労の気配が見える。
昨日今日と二日間、休憩のみで王都中を歩き回っていたからだ。
これだけ歩き回っていると流石に着続けていた革製の胸鎧が肩に響く。
だが、これだけ歩き回ってもまだ動ける分……今着ている装備が重歩兵の鉄装甲でなくてよかったのだろう。
重歩兵隊に在任していた経験もあるネールズは、心の底から皮鎧の軽さに感謝していた。
「ですね、この界隈で不審な人影を見た形跡はありません」
ネールズの同僚である若手の騎士ミルガルドも彼の言葉に頷く。
二人は今の今までダールトン男爵の屋敷周辺の住民に聞き込みをしていたのだ。
本来ならば王都内での犯罪は治安維持部隊が投入されるのだが、この一件だけは別格であり、こうしてネールズやミルガルドのようなラスカル派の、本来ならば治安維持部隊とは全く関係のない貴族たちも聞き込みに参加していたのだった。
「それどころか、この周囲であの時間帯に不審な人影を見たという情報すらないのです」
が、二人が幾ら調べ回ったところで、有益な情報は欠片も見当たらない。
確かにここ数日は月明かりもそれほどなく、有益な情報が少ないのは分かる。
だが、あれだけの大惨事を引き起こしておいて、情報が欠片も見当たらないというのは幾らなんでも不自然過ぎた。
……いや、最有力情報ならある。
あるのだが……
「やはり、あの馬車が」
「……言うな」
ミルガルドの言葉をネールズは軽くたしなめる。
ソレは……ランシア王国騎士として言葉にしてはならない一言だった。
あの馬車は王族ご用達……ラルヴァ=ランシアの馬車である。
暗殺があった当日、ダールトン男爵屋敷周辺でその馬車を見たという情報もあり、また、近くの酒場にラルヴァ王子が現れたとの証言も得られた。
──だが、それだけなのだ。
ラルヴァ王子が暗殺に関与しているという確実な証拠がない。
証拠がない以上、どれだけ黒に近くてもそれは灰色であり……黒ではない。
その所為で二人は、いや、ラスカル王子派の騎士全てが証拠探し・暗殺者探しに血眼になっていたのである。
……そう。
血眼になって必死に周囲を探っていたのだ。
だからこそ彼らは、あと数歩の距離になるまで気付けなかった。
己の身に対し絶望的な運命を運んでくる、少女の姿をした死神の存在に……
「なんだ、この女。
ったく、こんな夜中に」
「まだ、若いな。おい、お前……」
騎士ネールズはその侍女服を着た少女の存在に何かを感じ、僅かに警戒を怠らなかった。
だが、騎士ミルガルドの方は……ただの少女と侮った。
事実、彼女の細腕は鎧を着た騎士にとっては脅威とすら感じられるものではなく、注意を怠った彼の判断力がなかったと責める訳にはいかないだろう。
「若い娘がこんな時間に街中を一人で歩いちゃ……」
ただ、彼は少女を侮ったばかりか、親切にも夜道を一人で歩いていた彼女の身を案じて無警戒で近寄り……
「がっ?」
騎士ミルガルドは結局、その少女に何をされたのかさえ気付けなかった。
ただ、銀色の光が目の端で光ったかと思うと、咽喉に焼け付く痛みを感じ……そのまま陸の上で己の血に溺れ呼吸困難になり、前のめりに倒れこんだのだから。
「お、おい。ミルガルド?」
騎士ネールズはいきなり倒れこんだ同僚の身を案じ、さっきまで自分が感じていた警戒感も忘れて駆け寄り……
ネールズが同僚の側まで近づいたところで、近くに立っていた少女がふっと視界から消え去る。
「え? おい、なんだこりゃ」
と、同時に胸に違和感を覚えた騎士ネールズは、視線を自らの胸に向ける。
そこには……革を張り合わせた鎧の僅かな隙間に、見たこともない短剣が突き刺さっている。
痛みも何もない。
……いや、感じる暇さえなかった。
ただ、胸元で短剣を握り締めている少女と目が合う。
そのネールズからしてみれば娘と同年代の少女は、手にしている短剣と全くそぐわない、欠片の殺意も感じられない静かな表情のままで。
「……お前は?」
ネールズは問いかけてみるが、答えはない。
ただ、少女が身を翻したかと思うと、ネールズの胸元に突き刺さっていた短剣が引き抜かれ、彼の胸から鮮血が飛び散る。
「……畜生。鋼鉄の鎧、着てりゃよかった」
それが、騎士ネールズの最期の言葉となり……
彼は、そのまま倒れ……動かなくなったのだった。




