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コルコニアの旅人たち  作者: 南河鯨
1章 / 旅立ち

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16 / 冒険者

 冒険者ギルドという場所を、クリルはもっと荒っぽいところだと思っていた。


 ロビが昔に話してくれた冒険者たちは、巨大な魔物を倒して帰ってきたり、報酬を受け取ったその日に酒へ変えてしまったり、ときには酔った勢いで仲間同士の喧嘩を始めたりする人々だったので、そういう者たちが集まる場所なら、朝から怒鳴り声や剣の音が響いているのではないかと勝手に想像していた。


 実際にイトゥアン支部の前まで来てみると、少なくとも建物の外には喧嘩をしている者も、酒瓶を抱えて寝ている者もいなかった。


 二階建ての石造りの建物は、周囲に並ぶ商会や倉庫と比べてもかなり大きい。入口の上には剣と杖、それに羽根ペンを組み合わせた紋章が掲げられ、朝だというのに人の出入りが絶えなかった。


 剣を背負った人族の男が仲間と地図を広げ、その脇を薬草の束を抱えた獣人の女性が通り過ぎていく。大盾を持った牛人が中から出てきたかと思えば、その後ろでは武器らしいものを一つも持っていないハーフリングが、受け取った紙を熱心に読みながら歩いていた。


 見ただけでは、誰が何をする冒険者なのか分からない。


 それだけでクリルには面白かった。


「入口で一日終わらせる気か?」


 ロビに声をかけられ、クリルは建物を見上げていた顔を戻した。


 今日はアンティルはいない。昨日、港で耳にした岩礁の話が気になったらしく、朝食を終えると港湾の古い記録を調べに行ってしまった。


 代わりにカレンが一緒だった。


 商人見習いとして商隊へ加わってまだ一日しか経っていないが、昨夜のうちにロビから今日の予定を聞いていたらしく、朝市へ向かう前にクリルの登録へ付き合ってくれることになった。


「私もギルドに少し用事がありますので」


 カレンはそれだけしか言わなかった。


 その用事が何なのか、クリルは尋ねていない。


 三人で中へ入ると、建物の外よりさらに多くの人がいた。


 正面には長い受付があり、何人もの職員が紙束や帳簿を扱っている。右側の壁には依頼書がびっしりと貼られた掲示板が幾つも並び、その前では冒険者たちが紙を指差しながら相談していた。


 クリルはロビについて歩きながら、掲示板へ目を走らせた。


 文字を全部読むには遠かったが、依頼の題目くらいなら見える。


 港の荷運びや薬草の採取、家畜を襲う魔物の討伐に、近隣集落までの書状運搬まであり、冒険者という言葉から真っ先に想像していた仕事とは随分違うものが混ざっている。


 少し前までなら、冒険者とは剣を持って魔物と戦う者だと思っていた。


 ここでは、歩けること、探せること、荷物を運べることまで仕事になるらしい。


 面白そうな依頼を探そうと足が遅くなったところで、前を歩くロビが振り返った。


「見るのは登録してからだ」


 クリルは名残惜しそうに掲示板を一度振り返ったものの、素直に二人へ追いついた。


     ◇


「新規登録ですね」


 受付にいた人族の女性は慣れた手つきで用紙を一枚取り出し、まずクリルへ名前を尋ねた。


 目の前に登録用紙が置かれているので、わざわざ黒布を出す必要はない。クリルは借りた筆記具で名前を書いた。


 年齢を尋ねられれば、両手の指で十四を示す。


 受付の女性はそれを理解したところで表情を少し変えた。


「十四歳ですね。保護者の方はご一緒でしょうか?」


 クリルは首を横へ振った。


「許可証はお持ちですか?」


 もう一度首を振る。


 昨夜カレンから聞いていたので、ここまでは予想していた。それでも実際に確認されると、登録できない可能性が急に現実味を帯びてくる。


「十四歳でも登録はできます。ただ、保護者の許可が確認できない場合は、一定以上のランクを持つ冒険者の保証が必要です」


「商人の保証じゃ駄目か?」


 ロビが横から尋ねると、受付の女性は少し笑った。


「ロビさんの商業組合員証では駄目です」


「俺のこと知ってんのか」


「何度ここへ来ていると思ってるんです?」


 ロビは肩をすくめ、何か他に手はないかと考え始めた。


「アンティルは冒険者登録してたかな……」


 その横で、カレンは置物のように黙っていた。


 クリルは、ほんの少し前からそのことが気になっていた。


 昨夜、保護者の許可か高位冒険者の保証が必要だという話をしたのはカレンだった。制度を知っているのなら、それだけ冒険者ギルドと関わりがあるのかもしれない。


 けれど本人は何も言わない。


 カレンは一度クリルを見たあと、腰の鞄へ手を伸ばした。


 留め具へ指を掛け、そこで一瞬だけ止まる。


 昨日から見ていなければ気づかなかったかもしれないほど短い迷いだった。


「……私が保証できます」


 声はいつも通り丁寧だったが、わずかに硬かった。


 ロビが振り返る。


「お前、冒険者だったのか?」


「まあ、登録をしているだけです」


 カレンは短く答え、鞄の奥から一枚の冒険者カードを取り出した。


 クリルやロビへ見せることはせず、そのまま受付の女性へ差し出す。


 女性は表面の文字と印を確認したあと、ほんの少しだけ目を見開いた。


「Bランクですね。有効ですので、保証人として問題ありません」


 カレンの指先が、鞄の縁へわずかに食い込んだ。


「B?」


 ロビは完全に予想していなかったらしい。


 クリルも思わずカレンを見る。


 ランク制度について詳しくはないが、下からE、D、C、B、Aの順だということは昨日聞いている。


 かなり高い。


「お前、それで商人見習いやってんのか?」


 ロビの声音には単純な驚きしかなかった。


 けれど、カレンは驚かれたことを嬉しそうには見せなかった。


「……実績で上がったランクではありません」


 受付からカードを返されると、表面を隠すようにすぐ鞄へしまった。


「どういう意味だ?」


「能力査定による特例です」


 それ以上は話したくない。


 言葉にされなくても態度がそう物語っていた。


 ロビも続きを尋ねようとしたが、やめた。


 クリルはカレンの横顔を見る。


 昨日、商人見習いになった理由や故郷を尋ねられたときにも、同じような境界線を感じた。


 けれど今のそれは少し違う。


 単に秘密にしているというより、その札を自分のものとして見られること自体に居心地の悪さを感じているように見えた。


 Bランクという言葉だけなら、すごいと思う。


 それを伝えるために親指を立てれば、カレンは笑ってくれるのかもしれない。


 けれどクリルは何もしなかった。


 驚いた視線を向け続けることもせず、受付へ顔を戻す。


 知らなくても困らないことなら、今は知らなくていい。


 その沈黙に気づいたのか、カレンの肩から僅かに力が抜けた。


「保証人として登録しますね」


 受付の女性が手続きを進める。


 カレンは小さく頷いた。


 カレンの冒険者ランクについては、それ以上誰も触れなかった。


     ◇


 登録用紙には、思っていた以上に多くの欄があった。


 名前と年齢に続いて、種族、出身、使用できる武器、経験した仕事、それからファルナについて記載するところまである。


 クリルは一つずつ書いた。


 種族は狐人。氏族はレナルド。出身もレナルドで、使用武器には短剣と弓を。狩猟経験があり、森での追跡や採取もできることを書き加えた。


 そのあたりまでは迷わなかった。


 ファルナの欄で、筆が止まった。


 《旅人》


 自分の中には確かにそう現れた。


 けれど、レナルドの記録には存在しない。アンティルも知らず、今のところ《旅人》について分かっていることは、強く目的地を願ったときに光る道が見えることだけだった。


 それでも、別の名前を書く理由はない。


 クリルは《旅人》と記した。


 受付の女性が用紙を確認し、案の定そこで目を止めた。


「《旅人》……ですか」


 クリルは頷いた。


「聞いたことのない名称ですね。どのような能力がありますか?」


 これは身振りだけで答えられない。


 クリルは黒布を取り出し、白筆を走らせた。


〈行きたい場所への道が光って見えることがある。でも、一度しか確かめていない〉


 女性は文章を読み、眉を寄せながら考え込んだ。


「案内系……探索系でしょうか」


 クリルは困ったように片手を揺らした。


 自分にも分からない。


 光は迷子のいる方向を示した。


 けれど、あのとき願ったのは道を知ることではなく、あの子を見つけることだった。何を条件に反応するのかさえ、一度では決められない。


「少々お待ちください」


 受付の女性は用紙を持って奥へ入っていった。


 クリルが黒布を拭こうとすると、ロビが横から覗き込む。


「でも便利そうだよな。目的地が分かるんだろ?」


 それだけでは少し違う。


 クリルは布へ、


〈方向は分かる。でも歩き方は教えてくれない〉


 と書いた。


「沢とか崖も真っ直ぐだったんだっけ」


 クリルが頷くと、ロビは少し考えてから笑った。


「じゃあ結局、最後は自分で考えろってことか」


 その言い方は、旅日記へ書いた言葉とよく似ていた。


 道は教えてくれる。


 歩き方は教えてくれない。


 クリルが黒布をしまったところで、奥から受付職員が戻ってきた。


 隣には、クリルよりかなり背の高い犬人の男がいる。


 大柄で、腕は服の上からでも分かるほど太い。片耳の先に古い傷が走り、ただ歩いているだけなのに常人離れした身体能力を隠しきれていない。


 男は登録用紙を読みながらクリルの前まで来た。


「狐人、クリルだな」


 クリルは小さく頷く。


「俺はレオン。この支部で新規登録の実技を見ている」


 用紙から顔を上げ、今度はクリル本人を観察する。


「十四歳。狩猟経験あり。短剣と弓。それでファルナが《旅人》か」


 最後だけ少し声の調子が変わった。


「俺も聞いたことがない」


 クリルは軽く肩をすくめた。


 もう何度目か分からない反応なので、以前ほど不安にはならない。


「まあ、知らんファルナだから登録できないって決まりはない。問題は、仕事を任せられるだけの力があるかだ」


 レオンは用紙を受付へ返し、奥を顎で示した。


「実技を見る。来い」


     ◇


 ギルドの裏には、建物の外からは見えなかった訓練場があった。


 固く踏み締められた地面を木柵が囲み、壁際には練習用の剣や槍が並べられている。少し離れた場所には弓の的もあり、何人かの冒険者がすでに訓練していた。


 レオンは最初に弓の方を指した。


「狩りをしてたなら、まずこっちだ」


 ギルド備え付けの弓を受け取る。


 普段使うものより少し長く、弦も重い。


 クリルは弦を一度引き、戻した。


 力加減を確かめる。


 標的はそれほど遠くない。


 一射目。


 矢は中心から少し右へ外れた。


 クリルは的ではなく、自分の手元を見る。


 弓が違う。


 二射目では肩の力を僅かに抜き、引き切る位置を変えた。


 今度は中心に近づく。


 三射目はさらに内側へ入った。


 四本目、五本目も大きく外れない。


 レオンは矢の刺さった位置だけでなく、弓を構える手や、射った直後に周囲へ視線を戻す癖まで見ていた。


「十分だな」


 クリルが弓を下ろす。


「森で食うために使ってた射ち方だな。競技みたいに一点へ集めるタイプじゃないが、初めて持つ弓でこれなら人並み以上には使える」


 クリルは少し嬉しくなった。


 弓は好きだった。


 距離を取ったまま獲物を仕留められるし、狩りではとても便利だ。


 けれど、自分でも分かっている。


 弓を持っているときより、短剣を握ったときの方が身体の動きに迷いがない。


 レオンもそれを確かめるように、次は武器棚へ向かった。


「短剣も使うんだったな」


 刃を潰した練習用の短剣を一本取って投げる。


 クリルは反射的に片手を上げ、柄のところをそのまま掴んだ。


 レオンの眉が僅かに動いた。


 クリル自身は気づかなかった。


 短剣を一度手の中で返し、重さを確かめる。


 自分のものより少し軽い。


 柄は太い。


 ただ、弓ほど慣らす時間はいらなかった。


 握った瞬間から、どこまで手を伸ばせば刃先が届くのか、大体分かる。


 レオンも同じ短剣を取った。


「一本入れてみろ」


 ロビが柵の外へ移動する。


 カレンもその隣に立った。


 クリルは短剣を身体の前へ出さず、腰の近くへ下げた。


 相手は大きい。


 腕が長く、単純な踏み込みなら自分が届くより先に向こうの刃が届くだろう。


 筋力では比べるまでもない。


 だから、比べなければいい。


 レオンの足を見る。


 右足が僅かに前。


 肩は自然に落ちている。


 大柄なのに、身体のどこにも余計な力が入っていない。


「来い」


 クリルはすぐには動かなかった。


 半歩だけ左へ。


 レオンの上体が僅かに追う。


 今度は右。


 視線はついてくるが、足は動かない。


 届くところまで来れば迎え撃つつもりなのだろう。


 なら、踏み込む。


 クリルは地面を蹴った。


 低く、可能な限り低くと意識した。


 レオンが短剣を出す。


 予想していた。


 クリルはそのまま左へ抜けるつもりだった。


 だが、レオンの刃が途中で止まった。


 フェイントだ。


 次の一撃が逆方向から来る。


 その変化を見てから考えたわけではなかった。


 身体が先に選んだ。


 前へ出していた左足を踏み切らず、その場で踵を滑らせる。低かった重心をさらに落とし、横へ逃げるはずだった身体を逆にレオンの懐へ沈めた。


 頭上を木の刃が通る。


 近い。


 髪が僅かに揺れた。


 普通なら後ろへ避ける距離だった。


 クリルは前へ入った。


 レオンの腕の内側。


 短剣が最も動かしにくくなる距離。


 脇腹へ刃を伸ばす。


 しかし、そこにもレオンの腕が入った。


 木の刃同士がぶつかる。


 力では押せない。


 触れた瞬間、クリルは諦めた。


 押し込もうとはしない。


 相手が力を掛けてくる前に手首を返し、短剣を引きながら身体の向きを変える。


 レオンの前腕を軸にするように外側へ抜けた。


 背後を取れる。


 そう判断したところで、レオンの肘が下がった。


 また進路を潰された。


 クリルは止まらない。


 止まって次を考えるのではなく、塞がれた瞬間にはもう別の足を出している。


 右へ抜けられないなら左。


 後ろが遠いなら前。


 立ったままでは避けられないなら沈む。


 一つ前の判断を、次の瞬間には捨てている。


 レオンの手が肩へ伸びる。


 クリルは掴まれるより早く身体を半分捻り、肩を引いた。指先が服を掠める。


 その隙に足を一歩だけ交差させ、相手の背中側へ回る。


 レオンも振り返った。


 速い。


 クリルはまた踏み込みを捨てた。


 今度は引く。


 レオンの間合いから僅かに外れたところで止まる。


 ほんの一瞬だけ、二人の距離が開いた。


 レオンの目つきが変わった。


「もう一回来い」


 最初より構えが低くなる。


 今度は待つだけではないらしい。


 クリルが一歩動いた瞬間、レオンの方から距離を詰めてきた。


 速い。


 大きな身体から想像するより、ずっと。


 短剣が上から来る。


 クリルは右へ避けた。


 そこへ左手が伸びる。


 逃げ道を読まれていた。


 地面へ足を置いた瞬間には、もう次の方向を変える。


 膝を曲げ、踏み込んだ右足を支点にほとんどその場で身体を反転させた。


 伸びてきた腕の下へ潜る。


 レオンの腰が回る。


 追撃が来る。


 クリルは見てから避けた。


 木の刃が頬のすぐ横を走る。


 一歩後ろへ跳べば安全だった。


 でも、それでは相手の得意な距離へ戻る。


 クリルは逆に半歩踏み込んだ。


 レオンの胸が目の前まで近づく。


 ここなら短剣を振る大きな動きはいらない。


 手首だけで届く。


 レオンも気づいた。


 身体を引こうとする。


 クリルはそれを追わず、先に相手が下がる側へ足を置いた。


 逃げ道を一つ潰す。


 レオンの重心が僅かに反対へ傾いた。


 その瞬間だった。


 クリルは低い姿勢から一気に方向を変え、相手の外側へ滑り込んだ。


 レオンの短剣が追ってくる。


 だが、もう遅い。


 クリルの刃先が先に、彼の脇腹へ触れた。


「そこまで」


 低い声が落ちた。


 クリルはすぐに短剣を引き、二歩離れた。


 息は少し上がっている。


 けれど、足はまだ動く。


 柵の外にいたロビは、途中から口を開けたまま黙っていた。


 カレンも先ほどまでの柔らかな表情を少し消し、クリルを見ている。


 レオンは自分の脇腹へ視線を落としたあと、しばらく何も言わなかった。


「……まだやるのか?」


 思わずロビが尋ねる。


「いや」


 レオンは短剣を戻した。


「十分わかった」


 クリルも武器を差し出す。


 レオンは受け取る前に、少しだけ彼女の顔を見た。


「弓は上手い」


 クリルの耳が僅かに上がる。


「狩人としてなら十分以上だ。違う弓でもすぐ合わせるし、獲物を仕留めるには困らんだろう」


 そこで短剣を受け取った。


「でも、お前の本命はこっちだな」


 クリルの耳がさらに立った。


「速いだけじゃない」


 レオンは、自分がさっき短剣を振った軌道を手でなぞった。


「最初に決めた動きへ固執しない。俺が塞いだ瞬間には、もう別の場所へ行ってる。避けてから次を考えてるんじゃない。避ける動きの途中でもう次を決めてる」


 クリル自身には、それほど特別なことをしている感覚はなかった。


 森では、獲物が予想通りに動いてくれることの方が少ない。


 枝が折れる。


 足場が沈む。


 相手が突然向きを変える。


 そのたびに立ち止まって考えていれば、獲物は逃げるし、危険な相手なら自分が傷つく。


「それと、逃げ方が変だ」


 クリルの眉が寄った。


「褒めてるんだ」


 ややこしい言い方だった。


「普通は刃が来たら距離を取る。お前は安全な方じゃなく、相手の攻撃が使いにくくなる方へ入ってくる」


 レオンは自分の腕の内側を指した。


「身体が小さいのも上手く使ってる。低い重心のまま方向を変えられるから、大きい相手ほど追いづらい。筋力で勝つ戦い方じゃないが、近づかれる側からすると厄介だ」


 今度はちゃんと褒められているように聞こえた。


 クリルは満足そうに少し笑った。


「ただし」


 レオンの声が変わる。


 耳が止まった。


「速いからって何にでも入るな。判断が少しでも遅れれば、お前みたいな身体は一発で持っていかれる」


 今度は真面目に頷いた。


 魔穴で戦ったときにも、それは分かっている。


 懐に入るタイミングは選ぶべきだ。


「まあ、十四歳でこれなら登録を止める理由はない。Eランクから始めろ」


 クリルの表情が明るくなった。


「よかったな」


 ロビが柵越しに声を掛ける。


 カレンも笑った。


「本当に速いんですね」


 クリルは少し得意になり、尾がゆるく揺れた。


「特に、二度目にレオンさんが踏み込んだところ。避けたあとではなく、避けながら位置を取り直していました」


 その言い方に、クリルはカレンを見る。


 ただ速かったと言うのではなく、動きの中身を見ている。


 戦いを知らない人の見方ではない。


 Bランクの冒険者カードを思い出した。


 けれど、それを本人が誇っていないことも同時に思い出す。


 だから何も尋ねなかった。


     ◇


 登録料は銀貨二十枚だった。


 金額を聞いた瞬間、クリルは腰の小袋を両手で押さえた。


「嫌ならやめてもいいぞ」


 ロビが面白そうに言う。


 クリルはすぐ首を横へ振った。


 登録はしたい。


 でも二十枚は二十枚だった。


 手持ちの金で払えるものの、まだ旅へ出てから一枚も稼いでいない。使うばかりの状態でまとまった銀貨が消えるのは、思った以上に心細い。


 小袋から一枚ずつ取り出し、受付台の上へ並べていく。


 途中で数が分からなくなり、もう一度最初から数え直した。


「そんな顔するなら、ちゃんと稼がないとな」


 ロビの言葉に、クリルは恨めしそうな目だけ返した。


 ようやく二十枚を払い終えると、受付の女性が書類へ印を押し、しばらくして一枚の冒険者カードを差し出した。


「これで登録完了です」


 クリルは両手で受け取った。


 表面には自分の情報が記されている。


 名前はクリル。種族は狐人、レナルド氏族。十四歳で、ランクはE。


 そして役割の欄には《旅人》とあり、その横に小さく《分類不能》と記されていた。


 クリルはそこを指差した。


「《旅人》という名称自体は、申告どおり登録しています」


 受付の女性が説明する。


「ただ、既存の役割分類に該当する記録が見つからなかったため、依頼割り振り上は《分類不能》として扱います。能力が分かってくれば後から情報を追加できます」


 クリルはしばらくカードを見ていた。


 レナルドでも、分からない。


 イトゥアンでも、分からない。


 それ自体は何も変わっていない。


 けれど以前ほど、その文字が怖くはなかった。


 分からないことを、無理に分かったことにしなくてもいい。


 クリルはカードを裏返して眺め、再び表へ戻した。


「不満か?」


 レオンが少し離れたところから尋ねる。


 クリルは笑って首を横へ振った。


「ならいい。分類不能でも仕事はできる」


 レオンは受付台の方へ歩きながら続けた。


「役割だけで冒険者の仕事が決まるわけじゃない。《剣士》でも討伐を嫌う奴はいるし、《薬師》でも採取に出るより街で調合していたい奴はいる。向いてることと、やりたいことが同じとは限らん」


 クリルはカードから顔を上げた。


「お前は短剣が使える。弓も使える。追跡と採取の経験もある。それだけで受けられる仕事はある。《旅人》が何かは、使いながら確かめればいい」


 その言葉は、レナルドを出る前に自分が選んだこととよく似ていた。


 《旅人》だから旅をするのではない。


 自分が外を見たいから旅をしている。


 なら、冒険者として何をするのかも、役割だけに決めてもらう必要はないのだろう。


 クリルは冒険者カードを腰袋へ入れ、落とさないよう奥までしっかり押し込んだ。


「初日に失くしたら笑うからな」


 ロビの声が飛んできた。


 クリルは渋い顔で振り返る。


「しまった場所もちゃんと覚えとけよ」


 今しがたしまい込んだばかりのカードを、クリルはもう一度引っ張り出して確認した。


 カレンが口元を押さえて笑っている。


     ◇


 登録が終わると、クリルは待ちきれずに依頼掲示板へ向かった。


 今度は止められない。


 Eランクで受けられる依頼には印がついていた。


 街中の荷運び、倉庫に入り込んだ害獣の駆除、近郊での薬草採取、短距離の書状運搬。少し離れた場所では護衛補助の募集もあり、討伐依頼の中にもEランク参加可と書かれたものがいくつかある。


 クリルは紙から紙へ視線を移した。


 冒険者になったというだけで、急に世界の見え方が少し変わった。


 昨日までは町で働いている人を見る側だった。


 今は、自分にもできる仕事が貼られている。


「その場で面白そうなのを剥がすなよ」


 ロビが後ろから釘を刺した。


 クリルは振り返り、そんなことはしないと言うように眉を寄せた。


「お前ならやりそうなんだよ」


 信用されていない。


 隣ではカレンも掲示板を見ていたが、Bランクのカードを出したあとだからといって、急に先輩のような態度を取ることはなかった。


 クリルが採取依頼の紙を読み込んでいると、少し迷ってから口を開く。


「受けるなら、報酬だけではなく期限や場所も見た方がいいと思います。採取量が多ければ、簡単な薬草でも時間がかかるそうですから」


 自分の経験を誇るような言い方ではなく、知っていることを一つずつ差し出すだけの口調だった。


 クリルは紙へ目を戻し、今度は報酬だけでなく必要量の欄も確認する。


「そこは商売と一緒だな」


 ロビが言った。


「金額だけ見て飛びつくと損する」


「そういうものかもしれませんね」


 カレンは静かに答えた。


 ロビが彼女を一度見た。


 あの冒険者ランクについて聞きたいことはまだあるのだろう。


 けれど今は尋ねなかった。


 クリルも同じだった。


 掲示板を順に見ていくうち、一枚の依頼予告に目が止まった。


 《キルガス》。


 行き先の欄に、見慣れ始めた目的地の名前がある。


 クリルは紙へ一歩近づいた。


 イトゥアン支部から央都キルガス方面へ向かう冒険者を対象とした、公文書運搬の予告らしい。まだ正式受注は始まっておらず、出発時期も数日先になっている。


 それでも耳が自然に立った。


「ちょうど行き先が同じだな」


 ロビも気づいた。


「商隊の日程と合えば、こういうのは悪くない」


 カレンも紙を読む。


「最初の仕事としても、旅の目的を変えずに済みますね」


 クリルは何度も頷いた。


 大図書院へ行くために歩く。


 その旅自体が仕事になる。


 今まではミーリャやジグから持たせてもらったものを使って進んでいた。


 もし自分で仕事をして報酬を得られれば、旅が少しだけ自分自身のものになるような気がした。


 募集が始まったら、また見に来よう。


 そう思って掲示板から離れたところで、ギルドの入口が勢いよく開いた。


 潮の匂いを纏った男が駆け込んでくる。


 服の裾は濡れ、息が切れていた。


「誰か、海蝕洞へ行ける冒険者はいないか!」


 受付の職員だけでなく、掲示板の前にいた者たちも振り返る。


 男は一度息を吸い直したものの、焦りを抑えることができないまま続けた。


「子供が戻ってこない。潮が上がる前に見つけないと、洞窟の奥へ水が入る!」


 それまで依頼書を眺めていたクリルの表情から、浮ついた楽しさが消えた。


 海蝕洞がどんな場所なのかは知らない。


 けれど、迷子になった子供という言葉なら知っている。


 レナルドの森で、《旅人》の光が初めて明瞭に現れたときと同じだった。


 腰袋の中には、ついさっき受け取ったばかりの冒険者カードがある。


 クリルはそこへ一度触れたあと、助けを求めて駆け込んできた男をまっすぐ見た。

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