01 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 18』
18 長寿
相棒の特命遺跡調査官は、九日にアラスに到着してから、聞き込みや警察署との情報交換で五日を費やし、さらにそれから五日間ホテルに籠って暗号解読をやった。捜査も大詰めのようだった。
アラスには軍の駐留キャンプがあり、基地内には放送局が設置されている。ホテルの部屋に備え付けられたラジオ・スイッチを入れる。すると朗読劇が流されていた。
物語は市電で起きた殺人事件だ。
被害者の上着ポケットに、多数の針を刺してウニのようにしたコルクを入れていた。針の先には濃縮ニコチンが塗ってあって、被害者は無意識のうちに針を触ってしまい死亡する。
捜査は警察に協力を求められた安楽椅子の老探偵が、解明することになる。
私・ドロシー博士がレディー・シナモン少佐に、
「ニコチンからくる致死量は〇・五ミリグラムだ。針に液を塗ったところに、指がちょっと触れただけで、死ぬほどのものか? また、喫煙者には免疫というものがある。同じ毒でも、免疫のある喫煙者は死なないし、免疫のない非喫煙者人は死に至るのでは?」
――これだ!――
〝姫様〟は閃いた様子で、謎になっていた毒薬の特定ができたらしい。
一つ閃くと芋づる式謎は解けてゆくものだ。
―― もう一つ ――
レディー・シナモンによると彼女は少女時代、旧大陸にある王都ヒスカラにある科学博物館によく行ったとのことだ。
重厚な古典様式風の五階ビルで、発明家が試作した世界初の電話機や、自動車も展示してあった。少女が、特に興味を持ったのは、初期の手動式計算機だ。発明家の縁者だという老学芸員は、常連の少女に丁寧に解説してくれた。
「――〈階差機関一号機〉。これはプログラムが可能な計算機だった。当時、最先端のものだったが、資金面の問題から、外付けプリンターは設計図段階で止まってしまった」
「一号機ということは二号機も?」
「設計段階で開発中止。たぶん、稼動するだろうけどね……」
暗号には、単一換字式と多表換字式とがある。
〈階差機関一号機〉は世界初の本格的なコンピューターだ。開発者は数学者で、当時、解読不可能とされていた、多表換字式暗号の規則性を解明したことで知られている。
単一換字式は初歩的な暗号文で、アルファベットを数字に置き換えたり、AをBにずらしてみたりと比較的単純なものだ。そこで解読者は暗号文で最も多用される単語を見つけ、そこを突破口にして、隠されたアルファベットを導き出し、変換表を作りあげ、アルゴリズムを解明することになる。――例えばEという語幹が多用され言語ならば、そこから語彙を増やしていく。
対して多表換字式暗号はもっと複雑で、縦×横二十七文字枠の方眼枠で、左上を基点とした表である。枠の外と内に、それぞれ、アルファベットを振っている。外側の縦列と横列には、AからZまでを振る。内側も、基点から枠線に沿ったところまでは、AからZまでだが、縦横二列目からはBから、三列目からはCから始まるようにする。一列目を除く各列のZは途中で終わることになる。そのときは、Zの次からAから順に振って行く。そして、縦列を使って鍵文を、横列を使って平文を作成し、対応させるのだ。
例えば、枠外横列で「BIJINNOMAA(美人のママ)」という平文を作成したとしよう。枠外縦列の鍵を、「KIREI(綺麗)」にしてみる。縦横の文字をクロスさせたところにある文字を順に並べると、「LQAILXWD」となる。「LQI**LXW**D」の三字おきに、「*」二字分の捨字を入れてみる。それで「LQIAALXWBBD」という暗号文が完成する。
夜、私が〝姫様〟の寝室を訪ねると彼女は、日中、急行列車〈ラ・リゾン〉の車窓から見えたモールス信号による暗号文と、エロイーズの部屋の福音書『マタイ伝』にボーダーラインが引かれた一文とを照合した。
レディー・シナモンは私・ドロシー博士を誘って、バティスト大尉宛の封書をホテル・フロントに出しに行った。明日には集配の郵便局職員が取りに来ることだろう。
*
―― 中間報告 ――
バティスト大尉
ご依頼のランテックス兄妹の殺害についてです。
私は、まず、アベラール様の事件で、珈琲嫌いであるはずの彼の部屋に、飲みかけの珈琲カップがあったという点が気になりました。
次に近所の人の証言から、アベラール様が死体で発見される直前に、男が部屋から出て来たのを目撃したという話を伺っておりましたので、容疑者だと判断しました。
アベラール様の葬儀はパリで行なわれ共同墓地に埋葬されています。――このとき、妹さんのエロイーズ様の他に、もう一人、気になる人物が葬儀に参列しています。故人の恋人だったテクラ・バダジェフスカというポーランド女性で、パリ警視庁にご連絡をさしあげ、行方を追って頂いているのですが、つかめていないご様子。そしてエロイーズ様が殺害されました。
エロイーズ様は自宅アパルトマンで珈琲を飲んだ。カップには、たぶん、アベラール様が飲んでいたものと同じ〈未知の毒薬〉が入っていたはず。しかしエロイーズ様は死ななかった。じれったくなった犯人は、隙をついて後ろへ回り込み、彼女を紐で絞殺しました。その際、エロイーズ様は、もがいて、犯人の手を引っ掻いたのです。――爪に付着した犯人の皮膚がありました。それを警察が鑑識して、A型だと判りました。
トージ画伯、留学生のオスカー様、雑誌社海外特派員のサルド様とナザル様、そして、駐在武官補のフルミ孝典大尉の五人に容疑者を絞ったのです。
アベラール様はギャンブル依存症で、この五人に無心し金銭的トラブルを抱えておられました。また、エロイーズ様は、勤務態度は真面目ですが、学生時代にトージ画伯の裸婦モデルを勤めているなど、奔放なところが見受けられます。
このあたりでフルミ様は、ランティエ兄妹に共通の殺害動機がもっとも強いように思えました。
やや気になることがあります。私のアラス行きに、サルド様とナザル様が記事にするから、同行したいとおっしゃり、同じ宿に泊まっていらっしゃいます。不自然な展開で気になります。――虎穴に入らねば虎児を得ず。ご一緒することで問題解決は早くなるかと……。
以上の旨をご報告申し上げます。
シナモン
続く
ノート20250630
【登場人物】
01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官
02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官
03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長
04 バティスト大尉:依頼者
05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。
06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。
07 エロイーズ:被害者。アラスの寄宿学校教師。アベラールの妹。
08 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。
09 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。
10 トージ画伯夫妻:急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。
11 サルドとナバル:雑誌社〈ラ・レヴュ〉報道特派員。記者とカメラマン。




