第一話
お待たせしました!
『あなたとの婚約を破棄する!』
愛を囁いたのと同じ口で断罪する。愛を捨てると、人はここまで残酷になれるものなのか。
『冷酷非情、人の気持ちがわからないあなたに公爵令嬢の地位は相応しくない。よって貴族籍は剥奪。これは王の決定であるから覆ることはない。今日からおまえは自分が蔑んできた卑しい平民として暮らすわけだ。どうだ、己が罪の重さが理解できただろう!』
でも残酷なのは私も同じ。愛を忘れた今は怒りも憎しみも湧いてこない。憎々しげに睨みつけられても、別の女性に慈しむような眼差しを向けたとしても別にどうということはなかった。だからこうして断罪されているわけだけれど。
『婚約破棄及び貴族籍の剥奪、承りました』
『運命の乙女を騙るとは神を恐れぬ悪行。今までよくも守護天使である私を騙してきたものだ』
正真正銘、私があなたの運命の乙女だ。愛が欲しくて彼女の甘い嘘に騙されているのは、あなた。偽りを駆使して、かつての自分によく似た女性を演じる彼女が彼を侵食していくのを私は黙って見ていただけ。
『だがこの程度の罰で彼女の功績を横取りし、人々を誑かした罪が消えることはない!』
『横取りしたことはございませんし、誑かした覚えもありませんわ』
悪いことは何もしていない。誰も彼も、都合のいいように持ち上げて勝手に失望していっただけだ。
『この期に及んで言い訳するな! 顔を見るのも不愉快だ、直ちに国を出るがいい!』
『承知しました』
運命の乙女は神が与えた唯一の慈悲。それよりも愛のほうが大事だというのなら。
――――私だって、あなたはいらない。
「フォルテューナ、どうした?」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと昔を思い出していたのよ」
ハーブティーの温度を確かめようとポットに手を伸ばした。するとポットが目の前から消える。
「危なっかしいから私がやる」
「あら、ありがとう!」
リゲルは慣れた手つきでフォルテューナの手元にあるカップに注いだ。さわやかなハーブの香りが立ち昇って部屋を満たす。フォルテューナはカップを鼻先に近づけて香りを吸い込んだ。ああ、癒される。
リゲルは自分のカップにも同じように注いで、器からハチミツをすくって垂らした。一杯、二杯、三杯……。
「入れすぎじゃないの?」
「このくらい甘いほうが美味しい」
「明らかに蜂蜜のほうが多いわよ?」
リゲルは蜂蜜をスプーンでかき混ぜると一口飲んで口元をゆるめた。意外と甘いもの好きなのよね。お菓子も好きだし、料理も甘い味付けのほうが好きみたい。これで痩せているのだからうらやましい限りだわ。
「それで、さっきから何を悩んでいる?」
「いやだわ、それは私の台詞よ」
私のは予感めいたものに引きずられただけ。からかうような顔をしたフォルテューナは片肘をついた。
「野生のネズミさん、隠し事してるでしょう。取り返しがつかなくなる前に白状しなさい」
「……!」
途端にリゲルが咽せた。視線を逸らした先で、青白い瞳がとまどうように瞳を揺らす。
「何でそう思った?」
「おほほほほほ、経験値が違いますもの。誤魔化そうなんて百万年早いわ!」
事実、数世紀ばかり歳上だ。フォルテューナは上品に高笑ってカップを手に取った。
「黙っていると勝手に想像しちゃうかも。浮気、そう別に好きな人ができたとか!」
「絶対に違う!」
「ちなみに浮気だったら普通に応援しちゃうわよ、いい?」
「というかやめろ、そういう脅し方は。フォルテューナの場合はシャレにならない」
リゲルは深々と息を吐いて額を押さえた。彼には修羅場よりもダメージは大きいものね。
「だったら、とりあえず話してみなさいな」
「だが……」
「隠し事が得意なはずのあなたが顔に出すくらいだもの。私に関することなのでしょう、きっと」
思い込みでも願望でもなく、リゲルの心を激しく揺さぶるのは私が絡むときだけだ。出会って三年、一緒に暮らし始めたのは、さらに一年後のこと。以降それを折々に思い知らされてきたフォルテューナは、くっきりと口角を上げた。
「それで、悩み事は何かしら? 内容によっては交渉の余地があるかもしれないわよ」
「……こういうときは、ほんとかなわないな」
ほんの少しだけ思案して、覚悟を決めたようにリゲルは口を開いた。
「王太子殿下と妃殿下の間に御子が生まれた。しかも男の子だ」
「まあ、おめでとうございます!」
クラウディオ王太子殿下はニ年前に成婚された。お相手はメレンブルク王国の王女ディーナリンデ様。婚約期間が長く、準備の時間が十分に取れたということで、それはもう豪華な式典だった。フォルテューナも出店や屋台で盛大に飲み食いして、呆れた顔のリゲルに回収されたことを覚えている。そして半年くらい前に、ディーナリンデ様が懐妊したと正式に発表された。
そうか、生まれたか。リゲルにとっては甥っ子になるわけだ。両親共に美形だから、さぞかしかわいいだろうなー。リゲルもこう見えて意外と子供好きだし、喜んでかまい倒すことだろう。
「ということは出産のお祝いで悩んでいたわけ? いやね、それならそうと早く言ってくれたらい」
「……違うんだ」
「え?」
珍しくリゲルがフォルテューナの台詞をさえぎった。おだやかなはずの昼下がりが、一気に不穏な空気を帯びる。
「名が弾かれた」
「!」
「産まれた子は守護天使だ」
フォルテューナは息を呑んだ。一度言葉にしたからかリゲルの口は滑らかに言葉を紡ぐ。今回は異例ずくめなのだとか。記録に残る限り、二代続けて守護天使が生まれた前例がない。しかも嫡子というのもはじめて。そういえばフォルテューナが最初に出会った彼も第二子だったわね。
「あなたのときはどう処理されたの?」
「通常の場合、王家は懐妊したことを公にすることはない」
守護天使が生まれることもあるからだ。名が弾かれなければ王子としてお披露目し、守護天使であれば名のない王子としてそのまま秘密裏に育てる。
「しかし今回は王妃が他国の人間だ」
「たしかに理解を得るのは難しいでしょうね」
「他国の王妃との間に守護天使が生まれたという事例もまた、過去になかった。だから特に気にすることもなく手順に則って懐妊したことを発表したんだ。今回はそれが仇になった」
セアモンテの王太子は一代おきに自国と他国から王妃を迎える。今までの事例では守護天使が生まれるのは自国の貴族家から迎えた王妃のときだけだった。生まれる代もあれば生まれないときもあるから、事前に王妃教育にでも盛り込むのかな? 少なくとも、自国の貴族であれば理解を得やすいだろう。
だが他国の王妃であればそうはいかない。すでに自国へは生まれたことを連絡済みで、あちらの国では公式発表を心待ちにしている状況だ。名がつかないという非現実的な説明で納得できるだろうか?
「名が弾かれたことを王太子妃殿下はご存じなの?」
「いや、出産後の体調を配慮して未だ伝えていない。だがいつか伝えなければいけないと王太子殿下も覚悟されている」
今回の件をうまく対応できなければ、他国から姫が輿入れすることはなくなるだろう。自国の血を引く王子が生まれたのに、名無しで生きるなんて不名誉を許せるわけがない。
なるほど、それで私の出番というわけか。全てを理解したフォルテューナは唇を歪めた。
「王太子殿下は何とおっしゃっているの?」
「一目、王子に会ってほしいそうだ」
「会うだけでいいの?」
「もし君が運命の乙女ならば、名を……」
リゲルは強く唇を噛んで、手を固く握った。震えるほどきつく握った手は、血色を失い真っ白だ。言えるわけがないだろう。どの面下げてフォルテューナに助力を請えというのか!
「王家がしてきたことを思えば恥知らずにもほどがある!」
「あなたには過去に何があったか話したものね」
フォルテューナはリゲルの手を優しく握った。強く握ったせいで、リゲルの爪が肌を傷つける。そう、愛を忘れたフォルテューナの代わりに彼が怒り狂うのだ。だけど彼を悩ませているのはそれだけじゃない。
「本当は助けてあげたいのでしょう、甥っ子を」
フォルテューナを真綿のような優しい檻で守る彼もまた、神に選ばれた守護者だ。リゲルだけは、これから先に待ち受ける道の険しさを知っている。理解できるからこそ思い悩むのだ。フォルテューナは、うつむいたリゲルの前髪をかき上げる。差し込む陽射しにリゲルの苦悩に満ちた表情が露わになった。
「そんな泣きそうな顔しないでよ」
フォルテューナを巻き込みたくない、でもフォルテューナなら救えるかもしれない。見た目は冷徹に見えるけれど、本当は感情豊かで、情に脆い人なのよね。嵐の最中、大怪我を負った経緯を聞いたときにも思ったけれど、見知らぬ子供を救うためだったなんてどこまでも冷徹にはなれない人だ。
「あなた、ほんと影に向かないわ。任務遂行よりも愛を優先するなんて本来ならあってはならないことなのでしょう?」
「……」
「勘違いしないで。責めているのではないわ、むしろ褒めているの」
この言い方では嫌味に聞こえるかもしれない。かつて人の気持ちがわからないと断罪されたのはそのためだ。でも断じて悪意あるものではなかった。
「その甘さが国を救うのよ」
幸運も愛も当たり前にあるものじゃない。後悔しても取り戻せるものではないから失わないように手を尽くす。リゲルは意識することなく最良の選択肢を選んだわけだ。フォルテューナは窓の外を見て、陽射しに目を細める。
「いいわ、王子殿下にお会いしましょう」
「……フォルテューナ」
「その代わり、条件を出すわね。ちょっと待っていてちょうだい」
フォルテューナは文机の引き出しから鍵を取り出した。リゲルは螺旋階段を降りていく彼女の背中を見送る。どのくらい時間が経っただろうか、心配になったリゲルが席を立ったときだ。息を弾ませてフォルテューナが階段を駆け上がってきた。
「ごめんなさいねー。思わぬところに隠れていて、なかなか見つからなかったのよ!」
困った顔で笑って、リゲルに抱えているものを差し出した。
「これを王太子殿下に届けて」
「本?」
「ええ、厳密にいうと本型の魔道具ね。使用者と魔法を媒介するために使うの」
リゲルは本を開いてページをめくった。視線を走らせたところで、急に顔色が青ざめる。フォルテューナは口角を上げた。修羅場をくぐり抜けてきたはずの彼でもさすがに動揺を隠せないらしい。
「運命の乙女と出会い、真名を得たたった一人の王子。彼が自ら記した運命の乙女を捨てるまでの記憶よ」
この手記には王子が運命の乙女をどう扱い、王家が何をしたかが克明に記されている。
「これを読み、それでもというのならお引き受けしましょう」
あえて傲慢に振る舞うのは、それだけの理由があるから。リゲルは本を睨んだまま動くことができずにいる。今なら剣で心臓を貫くこともできそうね。動揺する彼が珍しく、物騒な想像をしたフォルテューナは黒さの滲む顔で笑った。
「リゲル、あなたの顔を立ててあげる。でも交渉の機会は一度きり、次はないわ」
「……」
「それから、きちんと対価をいただきます。相手が王族だからと手加減はいたしませんわ」
たとえ愛を忘れたとしても心が傷つかないわけじゃない。リゲルは固い表情でつぶやいた。
「対価には何を望む?」
「私からは指定しません。その代わりこの本の存在と私の働き。それに見合う対価を王家が見繕ってくださいませ」
「もし、対価が釣り合わなければ?」
フォルテューナは無言のまま微笑んだ。王家が彼女を必要としていても、彼女はそうではない。フォルテューナは王家を試す気なのだ。その結果次第で、彼女は……。
「つまり私も試されるのか」
「だって、あなたも守護者なのよ。生まれたばかりの王子とは違い、自らの手と意思で未来を選ぶことができる。国の一大事にあなたが率先して働かずしてどうするのよ」
「……」
「異例ずくめなのでしょう? 今回はうまく誤魔化したとしても次の王子がまた守護者だったらどうするつもり?」
運命の乙女の口角がくっきりと上がる。
「私に守護者の価値を証明してみせなさい。できないとはいわせないわ。運命の乙女を切り捨てることなく探し出したあなたなら、それができると私は信じている」
射抜くような瞳を受け止めてリゲルは深く息を吐いた。彼女の言うことは正しい。ここで双方のわだかまりを解消しなければ、王家の未来は暗かった。今回のようなことが一度きりとは限らないのだから。
リゲルはフォルテューナの頬に手を伸ばした。見つめ合って、そっと彼女の唇に口づけを落とす。突き放すような厳しいことを言うけれど、フォルテューナはリゲルに寄り添うことをやめない。これが愛からくるものではないことが信じられないくらいに彼女はリゲルを甘やかす。
自分にだけ向けられる蜂蜜のように蕩ける甘さ。それがリゲルにとって心地よいのだから手放すわけがないだろう。彼女が自分の運命の乙女であることをリゲルは心から幸せだと思った。
「ときどき無意識に煽るところがあるよな、フォルテューナは」
「嫌になったかしら?」
「いや、ますます好きになった」
え、どこに好感度上がるポイントがあったの。フォルテューナは、小さく首を傾げた。ちょっとよくわからないけれど、リゲルがうれしそうだからまあいいか。リゲルは本を片手にフォルテューナのチョコレートのような焦茶色の髪に口づけを落とした。
さあ、手配を。フォルテューナの望みを叶えるために。そしてたとえ彼女が王子の運命の乙女だったとしても、変わらずリゲルのものだと知らしめるために。
「交渉してくる」
「気をつけて」
頬に口づけが落ちる。加護――――あいかわらず彼女の魔法は蜂蜜みたいに甘い。
いくつか伏線を残したまま、第五章で一旦完結させました。残りは番外編でもと思っていたところ、書いてみたらけっこういい長さのお話になったので結局終章として追加しました。計画性のなさが浮き彫りに。。それでも、お楽しみいただけるとうれしいです。




