前編
「いい取引ができた。また来るよ」
「こちらこそ、今後ともご贔屓に!」
軽く頭を下げてフォルテューナは男性を送り出した。彼は数少ない収納の魔法の使い手で、他国から仕入れにきたついでにフォルテューナの注文した商品も届けてくれる。今日も仕入れのついでにセントアイルからレティの作った薬を届けてくれた。テーブルには代金と引き換えに受け取った麻痺薬と麻酔薬が並ぶ。
ちょうど売り切れたばかりだから間に合ってよかったわー! 手間賃がかかるために少々割高だけど、よく効くので入荷する側からすぐに売れていく。フォルテューナは、中身を確かめるように陽に透かせた。
麻痺薬は無味無臭。だけどこうして見ると濁りがある。そして麻酔薬は無色透明だけれど、瓶を開ければ鼻腔を刺激する独特の香りがあった。毒特化のレティが調薬すると効果が高くなるせいか、これらの特徴が際立つように感じるのよね。特に麻酔薬は匂いだけでも効果があるから取り扱いには注意が必要。フォルテューナは慎重に薬瓶を棚にしまって鍵をかけた。並べられた薬瓶にはレティの几帳面な字で書いた商品ラベルが貼られている。
レティ、元気にしているかしら?
納品とともに届いた彼女からの手紙には、なんと子供を授かったと書いてあった。なんてこと、あのレティがお母さんになるなんて! 時間の流れは早いなー、感慨深いものがあってフォルテューナは微笑んだ。手紙には子供が生まれてから落ち着くまで、しばらくは調薬を控えること、そして謝罪の言葉が綴られていた。めでたいことなんだから、謝ることなんてないのに。叱られたあとの仔猫のように、うなだれたレティの顔が浮かぶ。これはたくさん贈り物をして祝ってあげないと! アンナさんに報告したらきっと張り切って相談に乗ってくれるだろう。フォルテューナは手紙を文机の引き出しにしまって窓の外を見た。
陽も傾いてきたし、今日はこのあと来客の予定もないから早いけれど店を閉めよう。開店の札をひっくり返して、閉店の表示に変えたそのときだった。バサリ、とガーゴイルが翼を羽ばたかせる音がする。続けて脳に直接語りかける雑音混じりの声がした。
……警戒セヨ。
フォルテューナは閉店の札を下げ、あわてて扉を閉めた。店の鍵をかけた瞬間、キンッと結界の張り詰める音が響く。セアモンテ魔法高位術式、二重結界。表裏と極限まで強度を高めた結界は、フォルテューナの許しがなければ何人たりとも影響範囲に侵入できない。
文机の椅子に腰掛け、周囲に意識を集中させる。風の動き、木々の擦れ合う音、そして結界の端に触れる人の気配。結界越しに意識を広げていく過程で、フォルテューナはあることに気がついた。
店を中心とした周辺地域が、徐々に包囲されつつある?
経験のない事態にフォルテューナは頭が一瞬真っ白になった。落ち着け、落ち着くのよ。深く息を吐き出して軽く唇を噛む。しっかりしなさい、どうしてこんなことになったのか考えるの。
気配を探ると包囲網が完成したわけではないが、この店が網に引っかかるのも時間の問題かもしれない。何かを引き付ける要素がこの辺りにあって、それを追ってきているとしか思えなかった。バサリ、バサリ。再びガーゴイルの羽ばたく音がした。
……フォルテューナ、獲物はリゲルダ!
ハッとしたフォルテューナは顔を上げた。そうか、この店を狙ったのではなくリゲルを追ってきたのか!
「リゲルは今どこにいるの⁉︎」
……噴水ヲ通り過ギタ。店ヲ目指してイル。血ダラケで、歩き方ガオカシイ。深手ヲ負ッテいるようダ。
「いつものように追っ手を足止めして」
……スデに奴ヲ追って、迷い込んダモノがいるゾ?
「そちらはこっちでなんとかするわ。残りの群れを引き剥がしておいてもらえる?」
――――承知シタ。
そしてプツリと音が切れた。ガーゴイルが空間をずらしたのだろう。あちらは任せておいて大丈夫。気の向くままに翻弄してくれる。そしてようやく店の周囲を覆う結界にリゲルの気配が触れた。許可を出し、包み込むようにして彼の気配を外界から切り離した。突如として血の匂いや痕跡が途切れたことで、とまどうような人の動きを感知する。許しもなく、フォルテューナの空間に踏み込んだネズミは三匹……。
これ以上好き勝手させるものですか!
フォルテューナは戸棚から色のついた瓶を取り出した。古語を唱えると、瓶の蓋を引き上げる。すると瓶からゾロリと透明な液体が這い出した。空気に触れると、液体は背に羽を持った人の姿を形造り、優雅に膝をついた。
「フォルテューナが命ずる。我が領域に押し入ったネズミを始末せよ」
『承知しました』
「手を出したらどうなるか思い知らせるために、ちょうどいいものがあるの。ここに閉じ込めてやりましょう」
フォルテューナの視線の先にイーゼルに立てかけた油彩画が映った。それはオリヴィア様に追加の注文を受けて、ジュリエッタが一作目とは別の視点から描いた王都の街並みだ。伝説に出てくる妖精のような姿形をとった液体は、人の仕草を真似るように首をかしげる。
『ということは彼らを生かして捕らえることをお望みですか?』
「彼らの命をどうこうする権利は私にないわ。裁くにしても、それはもっと身分の偉い方々の仕事なのよ」
話す傍らでフォルテューナは店と絵画に描かれた王都の街並みを繋いだ。フォルテューナにとって空間と空間を繋ぐのはパズルのピースをはめ込んでいくのと同じこと。要は、はめ込むピースの凹凸さえ合えばいい。
「ジュリエッタはこの絵に店を描いてくれたの。だから店を鍵にしてあちらの空間と繋いだわ。さあ、あとは任せるから存分に遊んで。飽きたらこの絵の街並みに解放してちょうだい!」
『ふふ、面白そうですね! だからフォルテューナが大好きなのです』
フォルテューナと契約しているのは、いたずら好きの精霊だ。ノリのいい彼女は、人知れず意趣返しをしたいときにはピッタリなのだ。精霊はフォルテューナの展開する結界をものともせず颯爽と飛び出していった。さあて、哀れな三匹のネズミはどんなふうに弄ばれるのだろう?
ほっと息を吐いて、フォルテューナはようやく鍵を開けた。音もなく静かに結界がいつもの強度へと変化する。店を出ると白いベンチに横たわるかわいくない生き物に視線が引き寄せられた。フォルテューナは呆れた顔で深く息を吐く。
「手酷くやられたわね」
「……ただいま、フォルテューナ」
ただ一言、呻くように答えてリゲルは意識を失った。
「ただいまじゃないわよ、もう!」
命はかろうじて繋がっているけれど、ガーゴイルの言うとおりに血まみれで、大きく切り裂かれた服の隙間に醜い傷が見える。大量の血を失い、意識は途切れがちで荒い呼吸を繰り返していた。腕の立つはずの彼がどうしてこんなに傷ついているのだろう?
彼をここまで追い詰めた相手は誰なのか。フォルテューナはそっと彼の頬に指先を伸ばした。血を失ったせいか驚くほどに冷え切っている。
「おまじない程度だけれど多少は効果があったみたいね」
呟きながら、血のついた服を剥ぎ取る。聞きたいことは山ほどある。でも手当が先だ。
「……っ!」
実際に見ると、かなりひどい傷だ。特に脇腹と腕の傷が深い。しかも刃物には特殊な毒が塗られていたようで、肌の色が変色している。おそらく動けば動くほどにじわじわと身体全体に広がって肉体を蝕む種類のものだ。この毒からは獲物を痛めつけて精神的に追い詰めようとする悪意を感じる。そんな容赦ない相手だったということが怪我の様子からよくわかった。
まずは解毒、それから止血。傷の修復と同時に回復させなければ。店に戻ると、ちょうど届いたばかりのレティの麻酔薬と傷口の修復に特化した治癒薬、そして解毒薬をまとめて持ってきた。まずは解毒薬を飲ませなくてはならないのだけれど。
「飲ませたい相手に意識がないのよね」
この薬は効果が高いが、それなりに量がある。意識がないのなら余計に飲ませる量を加減しないと、喉に詰まらせたり口からこぼれてしまうだろう。一瞬迷って、深々と息を吐いた。
「……しょうがないわね、貸しひとつよ」
覚悟を決めて、フォルテューナは少量を口に含んだ。それからリゲルの青ざめた唇に触れて直接口移しで解毒薬を飲ませる。彼の唇は大量の血を失ったせいで冷え切って震えていたけれど、少しずつ量を加減しながら時間をかけて全て飲ませた。
ようやく傷の治療に取りかかる。瓶の蓋を開けて麻酔薬を嗅がせると意識を失わせて痛みの感覚を麻痺させた。傷口を洗って残った毒を洗い流し、これ以上血を失うことがないようにと布で止血する。そしてある程度血が止まったところで脇腹の傷口に治癒薬を振りかけた。治癒薬の一本目、目立つ効果なし。続けて二本目、少し傷が小さくなったかな。三本目、四本目で血が止まり、五本目でようやく傷口が塞がった。
息をつく暇もなく右腕の傷を修復する。こちらは三本必要だった。この治癒薬は効きがいいけれど、そのぶんお値段も高い。元気になったら、まるっと請求してやるんだから。覚悟しておきなさいよ!
さて、ベットまで運ばないと。フォルテューナの体格では意識のない男性を運ぶのは大変だったけれど、魔法で補助しながらなんとか客間に運んだ。ベットに寝かせると他に傷はないか慎重に確認していく。どうやら命に関わる傷はこの二箇所だけみたいだ。あとは古傷と思われる小さな傷跡くらいしかない。傷の治りが早い体質なのかしら。それでも普段あまり傷を負わない人間がこれだけの大怪我をするなんて、本当、何かあったのかしらね?
「悪いことにならなければいいけれど」
そう呟いたフォルテューナは紺色のローブを脱いでリゲルの体にかけた。そしてローブにそっと手を添える。ほんの少しだけ、オリヴィア様の力を使わせてもらおう。
魔力を流すと同時にローブがかすかな鈍い光を発する。リゲルの白い肌に血の気が戻ってきて、ようやくほっと息を吐いた。薬の量が足りていたからこのくらいで済んだけれど、足りていなければローブの力を使い切る勢いでないと助けられなかったかも。そう思った瞬間、オリヴィア様の言葉が脳裏によみがえった。
――――与えたこの力でセアモンテの民を救いなさい。
民だから不特定多数だと思っていたけれど、まさかリゲルにこんな事態が起こりそうな予感がしてたから……なんて言いませんよねー? 桶に満たしたお湯で少しずつ体の汚れを拭いながらフォルテューナは遠い目をした。王族だけに、簡単には教えられない機密事項もたくさん抱えているだろうけれど、人の生死がかかっているときくらいは事前に多少の情報くらいは与えてもよくない?
きれいに体を拭ったところで、ローブを外して全身を確認した。うん、癒しどころか古い傷跡まできれいに消えたわ。さすが規格外の聖女の力。オリヴィア様のことだからうまく隠して使うだろうけれど、バレたらとんでもないことになるわね。冗談抜きで世界が変わってしまう。
「リゲル、起きてる?」
予想はしていたけれど返答はない。まあ、さすがにこんな短時間では意識を取り戻さないか。レティの麻酔薬も効いているし、あれだけ血を失ったあとだもの仕方ないわ。このまま寝かしておこう。
気がつけばもう夜だ。疲れたし、状況を確認したら私も早めに寝よう。明かりを消す前にリゲルの顔を覗き込んだ。無心に寝入っているからか、ずいぶんと幼い表情に見える。フォルテューナはクスッと笑って髪をなでた。手入れしないからパサついているけれど、思いのほか柔らかい髪だ。そのまま手をずらして前髪をかきあげる。この顔を見たときから胸が騒いで仕方なかった。本当、予感とは悪い方向にこそよく当たるものなのね。
彼の顔立ちはオリヴィア様とよく似ていた。そしてオリヴィア様に似ているとは、すなわち王家の血を継いでいるという証。親戚、いいえ……もしかしたら。
「生かしたのだから、ちゃんと話しなさいよ」
傷のない額をペシリと軽く叩いてから前髪を戻してランプの灯りを持って階下に降りた。テーブルの上にランプを置いて椅子に座ると、テーブルに肘をついて窓越しに夜空を見上げる。ここからでは角度が悪くて星は見えないか。
「報告を」
そう告げるやいなや、しわがれた声が脳に直接響いた。
……惑わセテ、追い払ってオイタ。
「ありがとう、お礼はいつものでいい?」
……フン、コレシキ契約の範疇ダ。だがクレルというのナラ遠慮はセヌヨ。
「ふふ、気持ちだから受け取ってちょうだい」
精霊のクツクツと笑う声がする。レティについて行った精霊よりもずっと歳上の彼は、フォルテューナと長い付き合いのある精霊だ。フォルテューナは肘をついたまま口元に笑みを浮かべ、そっと瞳を閉じる。ここにはない、もっと遠くにある記憶を懐かしむ顔だ。するとこちらを見透かすようなガーゴイルの声が聞こえた。
……マタ、同じ過ちを繰り返スカ?
「いやだわ、過ちだなんて。残念ながら昔も今も間違ったことをしたなんてこれっぽっちも思っていないわ」
途端に深いため息が聞こえる。
……ダガ、イマだに治らナイのだろう?
たしかに失ったきりで取り戻せていないものもある。フォルテューナは目を開けた。焦茶色の瞳がランプの灯りを写して瞳の内側に炎を孕む。
「それでもね、同じ状況になったらやっぱり同じことをすると思うの」
それでも後悔なんてしていない。フォルテューナは瞳の奥に宿る炎を揺らめかせて、小さく笑った。精霊は深く息を吐く。
……救いようノナイ、愚かな娘ダ。ダガそんなところもまた、至極フォルテューナらしイ。
しわがれた声でそう呟くとガーゴイルの中にいる精霊は会話を切った。
『ただいま帰りました!』
続いて弾むような声が聞こえて、透明な体を揺らしながら精霊が店に飛び込んでくる。勢いのまま、くるりと宙に円を描いた。ずいぶんと浮かれているわね!
「どう、楽しかった?」
『楽しかったですー! 久しぶりに本気で追いかけっこをしたのですよ!』
なるほど、自分をリゲルだと誤認させて絵の街並みまで誘導したということか。確認すると迷い込んだ人の気配が三体確認できる。絵の中は時間の流れが止まっているから、お腹も空かないし体調を崩すこともない。このままにして、元気になったらリゲルに彼らをどうするか聞こう。愉快そうに体を揺らしていた精霊は、ふわりとあくびをした。
『本気で遊んだら眠たくなりました……』
「ありがとう、瓶に戻ってゆっくり休んでちょうだい」
精霊はフォルテューナの差し出す寝床に潜り込むと、たちまちのうちに眠りに落ちた。瓶を優しく揺らしてから、棚に戻す。
「さて、私も寝るかな」
寝る前にリゲルの様子を見ておこう。ゆらゆらとランプを手に階段を登っていく。部屋の扉を開けて、ベットの脇にある小さなテーブルの上にランプを置いた。椅子を引いて、ベットの脇に座る。そっと傷のあったあたりを確認して不自然な変色や引きつれたような跡がないことを確認して、ほっと息を吐いた。額に触れると少し熱い。
熱が上がってきたかな? 解毒薬を服用したときによくあることだ。けれど熱があるのは誰でもつらいだろう。階下から氷枕を持ってくるとそれを彼の頭の下に置いた。ほんの少しだけ嫌がるような反応があったのを、なだめるように頭をなでて落ち着かせる。フォルテューナはクスッと笑った。
こんな無防備に甘えて。本当、大きな子供みたいね。
だからだ。迷いながらも結局は彼らに手を差し伸べてしまう。それが巡礼者のような終わらない旅の始まりだったとしても後悔はしていなかった。
手当を終えたフォルテューナは再びランプを手に携えて静かに扉を閉める。客間の隣にある自分の部屋に戻りかけたけれど、またそそくさと一階に降りてきた。
なぜかって? レティならともかく、リゲルが隣の部屋にいるかと思うとなんとなく落ち着かないのよ!
二十四時間体制でガーゴイルが見張っているし、店の結界も作動しているから予期せぬ外界からの接触はない。でも一階には捕獲した三人を閉じ込めている絵があった。一応、不測の事態に備えて待機しておいたほうがいいかな、なんて適当な理由をつけて枕とシーツを部屋から持ってくるとソファーに横になった。
この場所で横になると時々流れ星が見えるのよね。流れ星は良いことが起きる吉兆。フォルテューナは流れ星を探して横になったまましばらく夜空を眺めていたけれど、やがて眠気が襲ってくる。
満天の星の群れに相変わらずリゲルは見えない。
その代わりにベットで眠る孤独な青白い星を思い描いて、フォルテューナはそっと瞳を閉じた。




