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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
秘録を旅する輪舞曲(ロンド)
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第三章

 ……少しの間記憶が飛んでいる気がする。気のせいかな。とりあえず卒業式は終わった。

 面白味のない行事だ。椅子に座って言われるがままに無感情に事を成す。学院での最後がこれだと思うと少しだけ気乗りがしないが、一応これにて卒業だ。

 その後に生徒会が催す送別会のようなものが校庭で開かれるのが毎年の通例。ニーナやヴォルフが経験した卒業式でも開催され、その折には病院で聞かされた話にあったように、よく憧れの卒業生への告白があったりするらしい。……が、クラウスには縁のない話だ。

 なにせ二年も学院に居なくて、卒業式の数日前から顔を見せただけの眼鏡のクォーター。名前を知っている同級生が教室に数人居ただけでも十分なほどに気にされない存在。

 たった数日で恋心を抱くほど人の心は軽くはない。普通に学院に通っていてもクラウス相手にそんな奇特な人物が出てきたかも怪しいほどだ。

 そんなクラウスには、誰かが羨むかもしれない凶暴な恋人が居て。数日前に教室内で修羅場を繰り広げ、(あまつさ)え人前で口付けまで迫ったという噂が駆け巡ったのは必然。それがイーリスの所為かは置いといても、ある種注目は集めているのかもしれないと。

 その注目の隣に、学院でも名の通った実力者、ユーリア・クー・シーが当然のように寄り添っていて。遠巻きから突き刺さる視線がとても辛い。中にはクラウスとユーリアの関係を知る者もいるらしく、時折噂をしている影も見える。

 恋人同士なんて、探せばいくらか居るだろう。学院には千人もの生徒が居るのだ。珍しい話ではない。

 珍しいのは、ユーリアだからという理由と……それから逆側に我が物顔で陣取るアンネの所為だろうか。

 ユーリアが隣に居るのはクラウスも理解できる。恋人なのだから当然で、顔には出さないが一緒に居られるのは素直に嬉しい。ようやく手に入れた関係なのだ。その達成感もあって胸を張っていられる。

 問題は、アンネだろう。卒業式まで数日、学院で過ごして分かった事ではあるが、アンネも十分に有名人らしいと。

 ユーリアの友達というだけでも一つの肩書き。加えてヴァレッターに、愛想のいい広い顔、そして駄目押しの愛嬌のある女の子らしい容姿。

 少し小さい背丈に柔らかい雰囲気と、女性らしい丸みを帯びた体の線。一般論の男目線で言えば及第点を普通に越える愛らしい少女だ。

 傍らに佳人たるユーリア。もう片方には愛嬌の花のアンネに挟まれた、灰色のクラウス。……嫌でも目立つという話で、それ以上に恐ろしいのが二人の身形だ。

 ユーリアは軍属の制服。アンネはヴァレッターの仕着せ。

 どうやら二人ともこの後直ぐに仕事があるらしい。その為に、卒業式を学院規定の制服で出席した二人は、直ぐにこの服装へ着替えて校庭へと出てきたのだ。送別会も、途中で抜ける予定になっているらしい。

 そんな周りから浮いた見た目の二人を両側に侍らせているのだから、傍を通れば思わず足を止めてしまうというのも仕方のない話なのかもしれない。


「で、アンネ仕事は? 早く行かないと怒られるんじゃないの?」

「少し遅れてもいいように話つけてるから大丈夫だもん。ユーリこそ早くに行っていつもの自主訓練しなくていいの?」

「自主的にやってるだけだもの。しなくても誰にも迷惑はかからないでしょう?」


 加えて先ほどからクラウスを間に交わされる言葉の応酬だ。喧嘩未満の口撃は、互いに牽制し合いクラウスの隣を譲らない。お陰でクラウス達の周りには懐かしささえ覚える空気の輪っかが出来上がっていた。

 周りに距離を取られるのはクラウスも経験が多いから、別に苦ではないのだが。何よりも怖いのは傍で散る火花がいつ導火線に火を点けるかということだ。少しでも間違えればユーリアの手にはガバメントが。アンネの手には懐刀が出てくるのを身を(もっ)て経験している。

 そうなれば、この身を犠牲にしても止めなければと。この景色を作ってしまった責任としてそんな事を考えながら辺りに意識を向けて。

 見つけた新たな勇者に視線でやめておけと同情する。

 その人物は、首許の紐に緑色を揺らしたトーアの生徒。勇気ある行動の先は……ユーリア。

 これももう何人目だろうか。遠巻きに見つめてくる生徒の中から時折やってくる男子生徒。その行動の先に、彼らは募った想いをぶつけにくるのだ。


「クー・シー先輩っ」

「何……?」

「ずっと好きでしたっ。俺と────」

「いらない」


 一刀両断にしては鋭すぎる否定。聞くより先に気持ちを断ったユーリアは、それからクラウスの腕を抱え込んで告げる。


「私の恋人はクラウスだけだもの」


 クラウス個人として嬉しいのだけれども。そう何度も衆人環視の目の前で堂々と宣言されると流石に恥ずかしい。

 と、断られた少年が人の輪の中に帰っていくのを眺めていると今度は少し後ろから。


「ルキダさんっ、俺っ────」

「うん、ごめん。私好きな人居るから」


 声に振り返ればそこに立っていたのはクラウスも目にした事がある顔。確かドルフ級の在籍時に同じ教室で授業を受けた事がある男子生徒。

 だがこちらも分かりきった答えに肩を落として帰っていく。

 玉砕するのが分かっていて想いを告げているのだ。その勇気に、クラウスは賞賛さえ送りたい。

 こうして校庭で二人に挟まれて過ごしている間だけでも、今の彼で十一人目。告白される対象で言えばアンネの方が多いのだが、ユーリア相手の人たちは言葉に熱が篭っていて本気の度合いがより高い。アンネの方があわよくばという感じが多いが、ユーリアの方は誰もが真剣なのだ。

 恋人がいるユーリアに本気な者が多いというのは不思議な話だ。


「好きな人が居るならその人のところに向かえば?」

「残念だなぁ……この後クラウス君連れて来てって頼まれてるからここ離れられないんだよねぇ」

「……その話僕初耳なんだけど」

「ってことで一緒に来てね、クラウス君っ」


 考えていると響いた音に、クラウスは驚いてアンネへと視線を向ける。彼女はどこか嬉しそうに答えて、同時にクラウスの腕に刺激が奔った。ただ少し会話しただけで抓らないでよ、ユーリア……。


「呼び出しって、誰から?」

「ハインツさん」

「なんで……」


 クラウスが浮かべた疑問をユーリアが音にする。確かに、どうして彼がクラウスを呼び立てるのか。

 考えてみるが分からない……というか分かりたくない理由を一つ見つけて、それからユーリアから刺さる視線に少しだけ困って答える。


「……今回に関しては僕の予想外だよ。だから何かしようと思ってるわけじゃない。見当は……付かないわけじゃないけど」

「なら言いなさいよ」

「…………因みにユーリアは──」

「私よりクラウスが答えるのが先よ」

「だったらごめん。ユーリアが答えてくれないなら答えられない……」


 恐らくの想像で景色を補って可能性を見つめる。

 先ほどの反応からしてユーリアも知らなかった呼び出しだ。ハインツの娘であるユーリアに話が渡っていないという事は二つの線が浮かぶ。

 一つは、クラウス個人への話。アンネを介して国には随分と買い被りされている気がするクラウスだ。その話の延長線上で引き抜きなどの案内かもしれない。

 もう一つは、ユーリアが居ては困る話。これもクラウス個人の事ではあるが、例えばそれがユーリアとクラウスの間の関係についてだとしたら……じわりと滲む緊張感に胸の内がざわつく。

 彼がユーリアとの関係進展を知っているかどうかでは定かではない。だからこそ思いつく可能性で、彼にしてみれば大事な愛娘。

 過去にユーリアの恋人がクラウスならとからかわれた事もあったが、あれが冗談だったのかは判別に困る部類だ。だからこそ、本気で手を出したと知れた場合、彼からの呼び出しの意味合いは非情に心臓に悪い。

 ……可能性としては五分、だが。さて、どちらに転ぶだろうか…………。

 そんな風に最悪の想像をしてしまうから、例えば後者だった時に隣にユーリアが居るのは彼も望まないことだろう。

 だからどちらに転んだとしても、ユーリアを連れて行くわけにはいかない。


「なら直接私が聞きにいけばいい話よね? クラウスの事だもの。恋人としての正当な権利でしょう?」

「またそうやってクラウス君を物みたいに扱うし……。私よりユーリの方がよっぽどクラウス君に心酔してるよね」

「ユーリアは、軍での仕事があるんでしょ? 幾ら恋人といえど、僕が原因でユーリアに迷惑がかかると、今度は僕が心配になるよ」

「……私に聞かれたくない話でもするつもりなの?」


 相変わらずの鋭い勘。ひやりとする真っ直ぐな疑いに、クラウスも直ぐにいつもの仮面を被る。


「……そうだね、ユーリアに聞かれたくない話かもしれない」

「隠し事は────」

「違うよユーリア。嘘を吐くわけでも隠し事をする訳でもない。ただ僕は、ユーリアを守りたいんだ」

「っ…………!」


 恋人ならと、その気持ちを逆手にとって彼女の言葉を遮る。


「ユーリアの事は大切だよ。それこそ、あの日言ったようにユーリアを連れ去ってしまいたいほどに」


 ────私を連れ去ってくれる?


 あの屋上で交わした彼女との約束。

 その気になれば、本気で必要ならば誰かを裏切るだけの覚悟は持ち合わせているし、そこにクラウスが貫くべき正義があるのならば疑わない。


 ────いいよ。僕は君を連れて行ってあげる


 あの言葉は、今になって思えばクラウスの本心だと気付く。それほどまでに、クラウスの為にユーリアという正義が必要なのだ。


「けどだからこそ、出来ることならそんな風に逃げ回るんじゃなくて、堂々と一緒にいたい。その為にも、ハインツさんとの話し合いは必要だと思う。……例え今回の呼び出しが別の用件だったとしても、時間があるならそういう話をしてくるつもりだよ。……だからごめん、今日は、僕だけにしてくれる? ユーリアに信じていて欲しいから」

「……………………うん」


 足を止めたユーリアに振り返ってその紫苑の瞳を真っ直ぐに見つめ、告げる。語った言葉は、その場限りの言い訳かも知れない。けれど彼女の隣に居る為ならば……彼女をクラウスの正義に仕立て上げる為ならば、クラウスは今言葉にしたような覚悟を胸に秘めていられる。

 正しく居てほしいから。嘘は吐きたくないから。クラウスの正義として隣に居て欲しいから、通すべき道理はしっかりとしておくべきなのだ。

 そんな胸の内を少しだけ飾った言葉で伝えれば、それからユーリアは長い沈黙の後に僅かに頬を染めて微かな声で頷く。


「……クラウス君が嘘吐きなのはいつもの事だよ」

「…………そうね」

「それに私も居るし。いざとなったら一緒に逃げてあげるから」

「……それはクラウスとアンネが二人でって話でしょう?」

「あ、ばれた?」


 そんな会話を一歩引いたところから羨ましそうに眺めていたアンネが、茶化すように落として肩を揺らす。

 ともすればまた喧嘩が起きそうなアンネの言い分に、けれどユーリアは小さく息を吐いて笑う。


「……分かったわよ。待ってる」

「さっすがユーリっ」

「何でアンネが嬉しそうなのかしら?」

「だってクラウス君の事が好きだからっ」


 言って踵を返し駆け出したアンネの背中を、ユーリアがどこか楽しそうに追い駆け始める。全く、二人と居ると飽きなくて、楽しくて……己が人の皮を被った道化だという事を忘れそうになる。

 ある種の憧れと共に二人の背中を少しだけ見つめれば、唐突に背後に感じた気配。けれど振り返るより先に伸びて来た腕が肩に回され、軽く首を絞められる。


「ったく、散々人の事をからかっておいて……クラウスだって十分に女誑しだろうが」

「……殆ど何もしないままに美人なエルフを恋人に射止めた人に言われたくないよ」


 悪態を吐き出すように絡んできたのはテオ。彼の言葉に気付いて辺りに注意を向ければ、空気に吐き気を催すほどの嫉妬が渦巻いていて、失敗を悟る。

 そう言えばここは人の目が沢山ある校庭だったと。どうやら胸焼けするほどの気障な言葉を衆人環視の目の前で演じて見せたらしい。遅れて、さすがのクラウスも恥ずかしさを覚える。


「ま、クラウスだからな」

「クラウスは種族の名前じゃないよ……」

「なら俺の幼馴染だ」


 今更にどうしてテオと幼馴染をしているのかを知らされ呆れて笑う。

 そんな性格も真反対でありながら似た部分を持つテオが、少し困ったように耳打ちをしてくる。


「……そんな幼馴染にニーナの事で相談があるんだが…………」

「テオの彼女でしょ?」

「困った時のクラウスだからな」

「何それ……」

「学院長が言ってた」


 また余計な事を。

 仕方ないとばかりに溜め息を吐けば、勝手に相談事を語り始める幼馴染。

 相変わらず、クラウスの周りは退屈しなくて結構なことだ。




 そんな一幕がありながら。クラウスは先ほど聞かされたばかりの呼び出しに答えるべく、アンネに案内されてブランデンブルク城へと来ていた。

 一度寮へ帰って荷物を置き、公式の呼び出しということでいつもの黒い服に着替えてやってきた城内で、きっと先に来ているだろうユーリアを歩きながら少しだけ探す。

 と、そんなクラウスに気付いたか、前を歩いていたアンネが歩調を緩めて隣に並び、悪戯に語りかけてきた。


「女の子と一緒に居るのに他の子の事考えてるとか思慮に欠けるんじゃないかな?」

「……この際だからはっきり言うけど、アンネさんよりユーリアを選んだんだよ? 恋人と友達を──」

「専属の傍付きっ」

「……恋人と、傍付きを比べるわけじゃないけれど、僕の中で確かに優先順位はあるんだから。これまでみたいに表向きの平等な振る舞いは出来ないよ」


 ユーリアの恋人となってから少しだけ曖昧だったアンネとの距離感。それを決定付けるように断言する。

 いざというときにクラウスが選ぶのはユーリアだ。けれどそんな事、アンネはきっと既に分かっていて。


「そうだよね、なにせ私はクラウス君の初恋で、未練があったから遊んでてくれたんでしょ? 今度はそれが主従関係になって、一方的に私がクラウス君を追い駆け続けるだけだもんね」

「……その結果に僕がユーリアに叱責を受ける事になるんだとしても?」

「それこそ私の思惑通りっ。疲れて消沈したクラウス君を優しく包み込んで慰めて…………想像した?」

「陛下に言って専属を変えてもらおうか?」

「あ、逃げた。ってことはクラウス君の負けでいいんだよね?」


 いつから勝負になっていたのやら。楽しそうに笑って少し前を跳ねるアンネの横顔は、やっぱりどこか悲しそうで。

 そんな彼女はそこでくるりとこちらへ振り返って痛い笑顔で告げる。


「……だから、負けたクラウス君は私の親友を泣かせないこと。それが、勝負に勝って、女の子として負けた私の、たった一つのお願い、だよ?」


 …………一体何処までクラウスを振り回し続ければ気が済むのだろうか。気が済まないから、クラウスを振り回し続けるのだろうが。

 二年の間に一段と磨きの掛かった彼女の依存心に託された思いを受け取る。


「だったらその願いが満たされた事を見届ける為に、しっかりと僕に着いて来て貰わないとね」

「うっさい、もう一回死んじゃえ浮気者っ」


 仕えるべき主人に死ねとは酷い傍付きがいたものだ。不敬罪でお仕置きでもしてあげようか……。お仕置きにならない気がしたので却下。

 と、そんなやり取りをしながらブランデンブルク城の中を歩いていると、廊下の向こうから見覚えのある顔がやってくる。

 思わず足を止めれば、向こうもこちらに気付いていたか、どこか諦めたように溜め息を落としながら歩みを止めた。


「……ようこそブランデンブルク城へ」

「そういうのは城門でしてもらうものではないですかね?」

「だったらなんて挨拶をすればいいわけ? ……あぁ、そっか。行ってらっしゃいませ」

「客人を帰そうとしないでよ、リリウムさん」


 ミア・リリウム。アンネ曰く、ヴァレッターでは彼女の後輩にあたる国仕えの使用人。ニーナの無二の親友にして、テオの天敵にして、クラウスにとっては────


「……何か?」

「いえ、よく似合ってますよ、そのお姿」

「あっそ」


 曖昧な距離感。クラウスの中での彼女の記憶で一番深いものと言えば……やはりニーナの降級騒ぎのことだろうか。話はあの病室で僅かに交わした程度。直接的な関わりなどそれだけで、中々に遠い関係性だ。

 口を突いたのはいつもの癖。異性を目の前に紳士たろうとするクラウス・アルフィルクの仮面が、アンネと同じ仕着せを褒めれば、ミアは興味なさそうに吐き捨てる。同時に、隣から即座に入った肘。それは一体何に対してだろうか。

 考えていると、行動とは裏腹に直ぐに仕事の顔へと戻ったアンネが尋ねる。


「ミアさん、ハインツ大将は?」

「先ほど案内を済ませました。指定の部屋にて性悪な眼鏡をお待ちです」

「……ふむ、クラウス君の本体は眼鏡だったか」

「こんな先輩で苦労しない?」

「苦労を苦労と感じないほどには苦労しております」

「私ほど優しい先輩は他に居ないと思うんだけどなぁ」


 それはもしかして反論待ちなのだろうか。

 彼女にしては下手な嘘に思わずミアと視線を交わして言葉なく同情し合う。

 そんな二人に何を感じたのか、アンネは笑みを浮かべて零す。


「……クラウス君、ここで少し待っててくれる?」

「仕事中じゃないの?」

「それはミアさんが引き継いでくれるからっ」

「は?」

「じゃ、ちょっと待っててねー」


 ミアの間の抜けた声に、有無を言わさないまま早足で去って行くアンネ。引き止める間も無く取り残されて、それからミアと二人立ち尽くす。

 降りた沈黙は(もっと)も。それから少しだけ考えて、とりあえず他の人たちの邪魔にならないようにと壁に寄りかかって息を吐く。

 と、そんなクラウスの隣に、何かを諦めたようなミアが同じように立つ。


「……面倒臭い事にね、ヴァレッターって意外と上下関係強いのよ。だから先輩の命はほぼ絶対。だから仕方なくよ。仕事を放棄したと知れたら後で何言われるか分からないから」


 そんなに言い訳をしないとクラウスの近くに居る事が耐えられないのだろうか。

 まぁ確かに。あの病室で彼女の弱みというか、本来ならば聞けなかったはずの話を聞いてしまったから、苦手意識をもたれているのは分かっていた事だけれども。


「……誤解を一つ解いておきたいんですけどいいですか?」

「……………………」

「あの病室での事は、僕の強制したことじゃありませんから。勝手にテオが僕を想像で語って、それをリリウムさんがそのまま受け止めた話です。だから別に、秘密を握ろうとか、それを弱味に付け込もうとか、そんな事は思ってないですよ」

「……だから?」


 これもまた言い訳染みているように聞こえるかも知れないが、本心だ。

 そもそも彼女はクラウスの予定には入っていなかった人物。最初から想定外で、今でも判断に迷っているからこんな距離感で話をしているのだ。

 言わばクラウスの知っている中で、最も遠い場所に居る存在だ。


「それを信じろって? ルキダさんを……もっと沢山の人を利用して子供の夢を追い駆けているその節操のないやり方を知った上で? 冗談も大概にしなさいよ」

「冗談ならこんな話をしませんよ。第一、リリウムさんは僕の野望とは関係のない場所に居る人ですから。そんな人の秘密を握ったところで何の得にもなりませんよ」


 言って、けれど嘘かもしれないと自問自答。

 ミアの情報は、ニーナやテオに繋がる。だから彼女を介せば少し遠回りな方法で二人に干渉が出来る。そういう意味では利用価値があって、秘密を握る事はクラウスの得に繋がるかもしれない。

 けれどそこまでして二人の事を探るくらいなら、ばれても構わないからアンネを使う。だったらやはりミアはクラウスには関係のない人物だ。


「それとも、何か僕の秘密を一つ開示すれば信用してもらえますか?」

「知ったところで私に何が────」

「つまりはそういうことです」


 ようやく見つけた着地地点に視線を向ければ、隣の彼女は沈黙の後に小さく零す。


「……そうね。関係ないなら、考えたって仕方がないか。それにニーナの周りを飛ぶ悪い虫が嘘吐きって事も分かったし」


 それはテオのことか。

 少しだけ考えて話を広げる。


「……テオのこと、どう思ってますか?」

「どうって、大体想像している通りよ。認めたくないのに、認めるしかないほどに正しくて、嫉妬と羨望で嫌になるくらい自分を戒めてる」


 ミアは、ニーナが好きだ。友として以上に、一人の女の子として、恋をしている。

 その感覚は、クラウスには共感できない。置き換えてみたところで、同性に恋をするという感情は、あまり許容できない。それは小さい頃から母親に異性について色々な事を聞かされてきたからだろうか。

 クラウスの母親……ハーフィーたる彼女は、女性である事を誇りに思っていて、クラウスの事を愛してくれていた。だから母親として、教えられるだけの事を叩き込んでくれた。

 クラウスが異性に対して軽薄で誠実なのは、何よりも彼女のお陰で、彼女の所為だ。結果にユーリアを捕まえられ、アンネに追い駆けられているのだから、それを恨んだりはしない。


「私ね、正しい事が好きなのよ。正しくて、当たり前で、その通りな事が……そんな規範に従っている事が、とても大好きなの。だからニーナの事が好きなの。エルフとして、生徒会長として、友達として誰よりも正しく振舞おうとする、私の正義。同じように、きっとどこかで彼の事も好きなのよ。もちろん、ニーナに感じるそれとは別物よ? 人間として」

「正しい事は、力を持ちますからね」

「そうね。だから私は、ニーナを想うこの間違った気持ちを今でも認められない。苦しくって、辛くって、痛くて、重くて……ずっとここにあるそんな気持ちが、大好きなの。間違ったことなのに、そんな事に身を焦がしてる自分が大好きなのよ」


 それはミアが抱える劣等感だろうか。

 彼女は、素朴だ。薄い印象の胡桃色の髪は癖なのか少し跳ねていて。遠くを見つめる双眸は灰茶色のくすんだ瞳。印象的なそばかすを散らしたその顔に、華やぐような派手さはない。

 あるのは落ち着いた、純朴な女性らしさ。清楚とも言うべき穏やかで……有り触れた雰囲気の衣。それがミアの見た目の印象だ。

 だからこそ、そんな平凡な雰囲気に、彼女は自信がないのかもしれない。

 クラウスだって自分に絶対な自信があるわけではないが、過小評価はしていない。ミアはそれが特別強いのだろう。

 その裏返しに、自分らしさとして正しい事を追い求め自分の存在を守ろうとして。そうして見つけたニーナのへ間違った気持ちに、それが自分の感情だという実感に胸を揺らしているのだろう。


「駄目な事を追い駆けて、満足に満たない達成感を得る……。ルキダさんに似ているかしら?」


 そんな落ち着いた彼女だからこそ、クラウスのように周りを見ることには長けていて、アンネの事にも気付いている。彼女が、ミアと近い場所に居る事を。叶わない感情を胸に抱いたまま、それを捨てられずに縋っている事を。


「彼女は、ただ楽しんでいるだけにも見えますけれどね」

「きっと妖精に影響されやすいのよ」


 時折ある話。契約妖精が妖精従き(フィニアン)との契約で恩恵を得て、感情を共有する際に妖精従きの性格がある程度妖精の側へ移ってしまうという曖昧な論がある。特に長年連れ添い波長の混じりあった者達に見られる傾向で、確証こそないがそれはほぼ共通見解だ。

 ミアの語ったのはその逆。人間の側が、契約妖精から影響を受けるという見方。

 クラウスは、それが必ずしもありえないことだとは思わない。現にユーリアなどは魂に干渉範囲を持つリーザの影響か、鋭いという言葉では言い表せないほどの直感を持つ。

 だとしたら、妖精従きが契約妖精に引っ張られても何も違和感はない。

 ……そういう意味では、フィーナと契約する前と後ではクラウスも少し変わったかもしれない。

 主観ではあるが、昔より楽観視というか、いい方向への展望を多く抱くようになっただろうか。昔はもっと悲観的に物事を考えていた気がする。これ以上となると十分に病的ではあるとも思うだが、生まれと過去故致し方なし。


「……正しいことを追い駆けるなら、その行き着く先は理想の結実でなくてはなりませんね」

「今更な話ね」


 確かに。しかしミアの理想は、きっと達せられない。不用意なことを言ったかと横目に見れば、けれど彼女はどこか楽しそうに笑っていた。


「だったら、そうね。自分に正直に生きてみるのも悪くないのかもしれないわね」

「…………?」

「話が上がってるのよ。彼の……テオ・グライドの傍付きにならないかって。ほら、ヘルフリートの事があるから」


 ヘルフリート。その名前が出て少しだけ考える。

 ヒルデベルトは彼の全てをテオに託した。戦争を忌避してこれ以上争いを起こさないように、武力の象徴たる彼を国という首輪から外した。

 そんな人物が今更ヘルフリートに監視? ……いや、違うか。ヒルデベルト以外のところからの要請。国だって一枚岩ではない。ヘルフリートを手放したくない者達も居るということだろう。

 面倒な(まつりごと)の気配を感じながら、けれどその先を想像して話に乗る。


「……なるほど、そうすれば必然ニーナ先輩の近くに居られますからね」

「悩んでたんだけど……少しだけ都合よく考えてみようかって。ルキダさんがそれでどうにかやってるみたいだし」


 言ってこちらに視線を向けてきたミアに小さく笑う。だとすればミアの行く末を左右するのは、間に挟まれるだろうニーナの言動によるところが大きいか。

 いい機会だ、あれだけクォーターだ異端だと批難してくれたその御礼、少し遅めの卒業祝いとして押し付けるとしよう。


「いいと思いますよ。テオの色恋での理不尽さは僕もよく知ってますから、なにか仕返しをしたいというなら手もお貸しますけど」

「それこそ面倒臭くなるからやめて頂戴」


 薄く笑って零したミアの言葉に肩を揺らす。

 その傍らで少しだけ考える都合のいい未来。

 もしミアに話を持ちかけたのがヘルフリートの力を悪用しようという輩なら、ヒルデベルトはきっとその存在を見過ごせない。だったらあえてミアが話に乗り、その裏に居る人物を炙り出した方が彼も動きやすくなるというもの。

 直接クラウスが何かをするつもりはないが、陛下には黙認という意味で世話になった過去がある。少しばかりお礼をさせてもらうとしよう。


「まったく、本当にままならない……」

「誰だって失敗や後悔くらいしますよ」


 少しだけ同情するように零せば、一瞥を向けてきたミアは、それから壁から背を離して廊下の先を見つめる。彼女のその行動にクラウスも同じ方へと振り向けば、そこには楽しそうに笑うアンネの姿があった。


「……随分仲良くなったみたいだね、さすがはクラウス君だよ」

「やめてよ。男に好感もたれても何の得にもならない」


 茶化したアンネに疲れたように返したミアは、それから最後だけ使用人らしく腰を折って去って行く。

 確かに、思い返せば先ほどまでの彼女は客人を持て成すにしては不遜な態度だっただろうかと。思っても、飾られるよりは素のままで接してもらえる方が楽なクラウスからしてみればどうでも良い事。……言えば、自分は飾って気障な事を言うくせにと反論が飛んでくるのだろうが、それもまた一興だ。

 考えていると、ミアの背中を見つめていたアンネが振り返って問うて来る。


「何の話をしてたの?」

「話というか、ただの愚痴だよ」

「……そっか」


 誰が誰に対しての、なんて言うべきではない。それを分かっているからか、それともただ彼女が聞きたくないだけか。そのまま話を流したアンネが先に立って歩き出したので、その後ろを追い駆ける。


「あ、そうそうっ。さっき偶然ベンノ最高顧問に会ったよ。クラウス君によろしくだって。また何かしたの?」

「……アンネさんは何かあるたびに同じ事ばっかり聞くよね。そんなに僕が得体の知れない何かに見える?」

「見えるような行いをして来た報いじゃないかな? 何より私を選んでくれなかったし」


 拗ねるような響きに、先ほどのからかいの意味を知る。どうやら少しの間でミアと仲良くなっていた事に嫉妬をしているらしい。男としては嬉しい限りだが、事アンネからというと素直に喜べないのは何故だろうか。


「ん…………」


 と、そんな事を考えていると辿り着いたらしい目的地を前に、アンネは使用人らしからぬ行動としてその扉を顎先で示した。職務怠慢を見咎められてしまえばいいのに。

 思いつつ扉を開けて中へと入れば、そこにあった顔に思わず足を止める。


「……なんで、ユーリアが…………」

「私だって知りたいわよ。ただ城へ来た途端呼び出されたのよ。……約束、守れなくて悪かったわね」


 それは学院で交わした待っているというあれだろう。本当に、彼女は首を突っ込む気はなったらしいが、それ以外が許してくれなかったのだろう。仕方ないと割り切ってアンネに視線を回せば、彼女はやはりどこか諦めるように溜め息を吐く。

 なるほど、アンネはこれを知っていたのか。だからあからさまに拗ねていたのだ。先ほどクラウスの前から離れたときだろうか?

 色々合点がいく景色の中で、元々クラウスを呼び出していたハインツが座るように促してくる。

 ……とりあえず、クラウスの想像していたような話ではないらしい。

 それこそ、先ほどのミアから聞いたヘルフリートの事かとすら思っていたのに、冗談で考えていたユーリアの事だとは……。


「さて、では早速本題だが、クラウス君」

「はい」

「国から君に特別褒賞の話が上がっているんだ」

「……特別褒賞、ですか?」


 思わぬ切り口に聞き返す。


「話は君の意識回復……その為に行われたミドラース探査任務に起因するものなのだがね」


 続けられた言葉に、話の焦点が一気に絞られて関連すべき事柄が脳裏に列挙されていく。


「あれは形式上、公式の任務……勅令扱いだ。特にミドラース……妖精に深く関わる場所への干渉ということで、その重要度は極めて高い。これまでも何度か行われた探索任務だったが、妖精の宮廷(フェアリーコート)……あの場所まで辿り着いたのは実は君たちが初めてだったのだ。今までの調査ではあの周辺で妖精に纏わる遺物などしか見つからなかったからね」

「……話には聞いていますが、けれどどうしてその功績が僕に? 僕は直接出向いたわけではありませんよ?」

「まず最初の問題はそこだ。これまで誰もが到達し得なかった場所に踏み入れ、(あまつさ)えその存在を証明してしまった。それだけでも十分に偉業だ。その上で成したのがまだ学生だった者達を抱える集団で、その者たちは在学時代に同じ組織で活動をしていた…………」

「……校内保安委員会…………」


 呟きにハインツが頷く。


「表向きの代表はアルケス君だ。だからもちろん彼女にも同じ話が持ち上がったのだがね。そもそもそんな事を目的にミドラースへ向かったのではないし、既に十分なほどの報酬は得ていると断られてしまってね。その上でアルケス君は褒賞の受け取りを辞退し、次の候補者として君の名前を出したんだ。委員会を作ったのは君だと聞いている」

「……それは、そうですけれど」


 中々に納得し辛い提案だ。結果を残したのはニーナ達なのに、巡って委員会を作ったのがクラウスだからという理由だけで面倒事を押し付けられた気分。もちろん、褒賞自体はとても嬉しい話だが、受け取る資格がないように思えるのだ。


「国としても結果には見合った見返りを出さなければその責任を問われるのでな」

「……因みに、褒賞ってどの程度のものなんですか?」

「土地だ」

「え…………?」

「ここから少し離れるがね、大きな屋敷だ。位は低く、土地も狭いが一応領主という事になるからな、爵位もついてくる」


 予想以上に大きく広がっていく話に眩暈を覚える。と同時に、クラウスの冷静な部分がハインツの語った言葉の裏を幾つも想像する。

 まずニーナ。彼女がこの褒賞を受け取らなかったのは面倒以上に建前からのことだろう。

 今でこそブランデンブルクに馴染んではいるが、元々はスハイル出身のエルフ。その上に、ミドラースへの件の途中で、スハイルにて特別待遇を受けたという話も聞いた。となればアルケスという家を所有しているのはスハイル帝国という事になる。

 人質としてブランデンブルクにやって来たエルゼと、その娘であるニーナ。彼女達はどうあってもこの国では異邦者だ。そんな者がこの国で爵位を叙されるとあれば話がややこしくなる。それを嫌ってニーナは話を断ったのだろう。

 それから、話をクラウスに移せば。例えばこの話を受けたとして、そうすればクラウスは小さいながらも領主……貴族の仲間入りだ。となれば否応なく国に巻き込まれる事になり、今以上に振り回される事が目に見えている。

 更に、例え自由を勝ち取ったとしても、国に所属する事になればその手柄は国へと勝手に献上される。

 妖精の宮廷でこの騒ぎだ。もし妖精の国(アルフヘイム)になんて手を伸ばせば、どうなることか……。想像するだけで吐き気を催す。

 自分でも驚くほどの絶句の後に、それから零れたのは当然の返答。


「受け取れませんよ、そんな褒賞っ」

「しかしそれでは国としての面子が立たないのだ。その上に、例えば君が断ったとなれば君の沽券にも関わるだろう? 国だって大事にはしたくないのだ。飲み込んではくれまいか?」


 既に十分に大事だ。というかクラウスの想像の範疇を有に超えているっ。

 困ったように零すハインツも振り回された側だというのは十分に理解している。……それでもやはり、彼の語った褒賞がクラウスの成した事とつり合わない気がするのだ。何より今回に至っては本当に何もしていないし。


「……譲歩して、例えば屋敷だけというなら考えます。けれど爵位までは受け取れません」


 少しだけ困って、それから折り合いを付けにかかる。流石に全てを受け取るわけにはいかないが、その一端ならまだ許容範囲内だ。それでも十分に大きすぎる気はするが……。


「しかしそうなると土地を治める領主が居なくなるのだ」

「……誰か別の方が候補にはいらっしゃらないんですか?」

「居ればこんな破格な話が君のところに来ると思うか?」


 段々と追い詰められていくハインツの言葉に口を閉ざす。彼だって押し付けるようで心苦しいに違いない。……せめて次が見つかるまでの暫定であるならば…………いや、妖精の国を目指す事を知っていて、その恩恵から手を引くなんて事をヒルデベルトがする訳はない。

 あの人は過去にも国の長を務めた人物で、国の発展の為ならば沢山の物を利用する強かな老獪だ。一度でも引き受ければ、そこから色々な理由を建前に押し付けられ続けるのが目に見えている。

 やはりどうにかして最悪の事態だけは回避しなくては。何よりもクラウスの言動が、巻き込むユーリア達に影響を及ぼすかもしれないのだ。ここは出来る限り慎重に……。


「…………そうだな。ならば屋敷だけでも構わない」

「それでお願いします」

「その代わり、爵位はユーリアに叙そう」

「え…………?」


 いきなり巻き込まれたユーリアが惚けたような声を零す。

 いや、確かにユーリアも委員会の一員で、褒賞を受け取る資格は十分にはあるが……。


「そんなっ、それじゃあクー・シーはっ?」

「継ぐ気があったのか?」

「……っ」


 実直な物言いにそれだけで彼女の胸の奥を推し量れる。けれどクラウスはそこで止まらない。その先に、ハインツの喉の奥から吐き出される言葉まで想像して、軽く戦慄する。


「クラウス君だろう? クー・シーは武にしか興味のない家柄だ。相手の家系を言えた事ではないさ。それに、彼なら悪くはないと思うがね」

「っお父さん!」


 繋がっているはずの話はどこかで道を違える。


「クラウス君さえよければ、わたし達の方は君に娘を預けてもいいと思うのだが」


 そこまで巻き込まれて、退路はこの話に関係ないはずのアンネの視線で断たれた事を知る。

 ……確かに、そういう話をするだけの覚悟はあったが、それはユーリアがいないところでの話で、何よりもっと硬い雰囲気の中行われるものだと思っていた。

 例え許されなくても、それでも認めてもらうのだというくらいの気概は持っていたというのに。その前提から覆されたような気がして返す言葉を見失う。

 気付けば完全に外れた話題。


「屋敷をクラウス君に。土地の領主としての爵位をユーリアに。もちろんクー・シーの家との縁を切れというつもりではないさ。おかしな話ではないだろう?」

「…………もしかして、最初からそのつもりでしたか?」

「はて、何の事かな?」


 どう答えたって白々しいが、その中でも群を抜いて間の抜けた返答に、ハインツの前でありながら盛大に溜め息を吐く。それに笑ったのはアンネ、どうやら彼女も共犯らしい。

 ……話を、整理しよう。

 初めからそのつもりだったのだ。クラウスにこの話がきた時点で、ハインツは色々押し付ける気だった。きっとユーリアとの関係もどこかの使用人が面白半分に告げ口したのだろう。

 そこから、だったら土地と爵位を押し付けて、クー・シーとは余り関係のない安息の地を持てばいいと。

 その上でユーリアに爵位を叙せば、後にクラウスと家族になったとき必然クラウスにも貴族としての役割が着いて来る。結果クラウスは二つとも手に入れる形になり、国の影響下に入る。ヒルデベルト達の思う壺というわけだ。

 加えて爵位を持てば体面としてもクー・シーの一人娘との婚姻は保たれる。これはその茶番。

 前に、学院祭の時に彼からは高評価を貰っていた。

 もちろん真に受けていたわけではない。社交辞令として、その場の冗談としての意味合いも確かにあったのだろう。

 けれど少し考えれば分かること……ハインツは、これ以上なく素直な人物だ。

 だからクラウスに対する好感も幾つかは本音だっただろうし、そもそもユーリアとの関係を許さないという選択肢はなかったのかもしれない。彼からしてみれば大事な愛娘だというのに……ユーリアの視点に立って考えれば頭の痛いことだ。

 いいように振り回された事を知って張っていた緊張がほどけていく反面、隣のユーリアは尚もハインツに食って掛かろうとする。


「そんな一方的な話が────」

「仕事だと言い訳をして、これまで父親らしい事をあまりしてやれなかったせめてもの償いだ」


 そんなユーリアの言葉の先を遮って、ハインツが優しく笑いながら告げる。


「クー・シーだから。その言葉に私も……そしてユーリアも振り回された。ただ国から認められただけのそれだけの肩書きで、苦労だってしただろう?」


 妖精犬士(クー・シー)。ユーリアが、その国から与えられた称号に余りいい感情を抱いていなかったのはクラウスも知っている。だから彼女はあの春に親交を深めた際に、その名で呼ばれる事を嫌ったのだ。

 その理由の半分ほどがハインツにある事は少し考えれば分かること。

 彼の得た称号を、ユーリアが振り翳すことへの忌避感。それと反するように、周りから無意識に押し付けられる色眼鏡に、一人思い悩んでいた。

 その葛藤の中で、苦手ながらも誇りを持っているからこそ、彼女はそれに恥じまいと……父親の背中を追い駆けるように幼い頃から研鑽を重ねて、学院では神童と呼ばれるほどに実力を持つに至ったのだろう。


「そんな娘が、自分らしく選んで歩き出そうとしているんだ。親として、それを祝福すること以上に嬉しいことはない。……だから、これはそんなユーリアへの小さな卒業祝いと、父親らしからぬわたしのこれまでのせめてもの────」

「謝らないでよ……。謝る、くらいなら。例え間違っててもいいから、私が憧れた、ハインツ・クー・シーのままでいて」

「……そうか、そうだな…………」


 クラウスにはユーリアのその曖昧な感情の本当の答えは分からない。

 けれど少なくとも嫌悪ばかりではないはずだ。だから次に彼女が音にする言葉だけは、クラウスにも分かった。


「私は、クー・シーを捨てるつもりはない。けれど目標ではあるから。いつか本当にその名前に見合うだけの自分になれたら、その時はお父さんに楽をさせてあげられたらって……。だからそれまで、私をユーリア・コル・レオニスとしてこれまでみたいに愛してくれる?」

「あぁ、もちろんだとも。幾つになろうと、何があろうと、ユーリアはわたしの大事な愛娘だ」

「……ありがとう、お父さんっ」


 獅子の心臓(コル・レオニス)。その名に恥じない気高く勇猛な言葉に、クラウスは机の下で優しくユーリアの手を取る。


「それと……クラウスと、って言うのは、まだ少し早い気もするから、それはまた今度。けど、クラウスは、私が選んだ人だからっ」

「そうだな。だからクラウス君、娘の事をよろしく頼む」

「……小さな王(レグルス)の名を称えて」

「…………なんだ、知ってたのか」

「失礼でしたか?」

「いや、久しぶりに嬉しかったさ」


 隣で瞳に驚いたような色を灯すユーリアに少しだけ笑う。少し調べれば分かることなのに、そんなに知っていた事が意外だっただろうか?

 レグルスはコル・レオニスの別名で、二つとも同じ起源を持つ言葉だ。

 戦時中はヘンリックと並んで猛威を振るったハインツの事も恐れられ、他国から畏敬の名としてそう呼ばれた事もあったそうだ……というのを何かの文献で目にしたいたのを思い出しただけのこと。あれは……ヘルフリートの件でヘンリックの文献に目を通していたときだったか。

 脳裏を過ぎった記憶にそれから蓋をして、響いたユーリアの声に答える。


「……どうして…………?」

「ほら、もしかすると僕がそっちに引っ張られる可能性もあったから、事前に色々調べてただけだよ」

「…………っ!? …………ぁぅ……」


 そうして頬を染め身を小さくするユーリア。

 彼女がもしクー・シーを手放したくないというのであれば、クラウスは彼女に着いて行くだけの覚悟はあった。……いや、ユーリアのここ最近のクラウスに対する執着を見せられて覚悟を決めさせられたというべきか。

 何にせよ、アルフィルクではなくなるかもしれないと。それに気付いたユーリアがどこか嬉しそうに微笑む。


「……だい、じょうぶよ…………。そこまでクラウスを縛らないから」


 既に現状十分なほどに束縛されている事は、今更語るべきはないだろうて。

 彼女の声に手を握る力を少しだけ強くして答える。

 と、そんなむず痒い空気に割って入る当然の声が一つ。


「……という事はお二人は卒業後、屋敷に住まう事もあるということですよね? どんなお屋敷なんですか?」

「うむ? あぁ、これが見取り図だ」


 それまで静かに見守りながら、時折視線以上の何かを宿してこちらを見つめてきていた少女、アンネ。

 彼女はわざと邪魔をするようにクラウスとユーリアの間に体を挟んで話に割り込んでくる。嫉妬は男冥利に尽きるけれどそんな事してると……。


「へぇ、三階建て……ぃっ!?」


 ほら抓られた。

 小さな悲鳴を上げたその隙に、アンネの手から書類を取り上げたユーリアが異物を押し退けるようにクラウスの方へと距離を詰めて、何事もなかったかのよう話し始める。


「一階は応接室とか基本客人用の部屋ね。で、二階が私たちが生活する空間。三階は……半分しか部屋がないのね」

「確かもう半分は屋上庭園になっていた気がするな」

「私この部屋がいいっ」


 不屈の意思で戻ってきたアンネが指差すは三階の角部屋。


「……あれ、アンネさんも一緒に住むの?」

「こんな大きなお屋敷に使用人なしでなんて大変だよ? それに私クラウス君の専属だしっ」

「私は許可してないわよ?」

「家主はクラウス君だよ。だからクラウス君が決めて?」


 と、知らぬ前に二人に挟まれて無言の圧力に押し潰されそうになる。……が、言葉では突き放したユーリアが本当に嫌そうには見えなくて。

 とりあえずと、確認も含めて逃げるようにハインツに疑問を投げかける。


「……因みにすぐに住めますか?」

「少し掃除は必要だろうな。なにせ前の領主が居なくなってから半年ほど人が住んでいないからな。時折管理の為に掃除はしているようだが、最後の掃除は一月前。少しだけ覚悟はしておいて貰えると助かる」

「そうですか……」


 きっと必要最低限の管理なのだろう。そうでなければ既に別の領主が出来上がっている。けれど逆に考えれば国からしてみればそこまで重要な土地でもないということだ。

 恐らく元は男爵領か何かで、どこかの伯爵領などの一部なのだろう。下級爵位が上級爵位の統治領域の一部というのはよくある話だ。

 ……そんな名ばかりとはいえ、領主としての爵位を賜るのはやはり遠慮したいところだが。


「それにほら、クラウス君有名人だし。変なのが入り込まないように予防線は必要でしょ?」

「一番の危険材料が何言ってるのよ」

「で、どうする?」


 ユーリアの言葉に耳も傾けないまま我を通すアンネに最後の確認。


「一緒に住むとなると仕事とかで城へ来るのが今より大変になるけどいいの?」

「いざとなったら屋敷仕えにしてもらうからいいよっ」


 覚悟は硬い……というか何が何でもクラウスについてくるつもりらしい。その豪胆さはよく知っていたつもりだが、改めて降参する。

 それにクラウス個人としては、アンネが近くに居てくれるのは野望の為にもありがたい。ようやく見つけた次の目標にも、彼女の協力はきっと不可欠だ。

 そんな事を考えながら、何よりもこれから同居人になるクラウスの大切な人へと視線を向ける。

 その確認に、ユーリアは最初から分かりきっていたように視線を逸らして溜め息を吐いた。


「……クラウスのものならクラウスが決めなさいよ」

「それじゃあお願いしようかな」

「やったっ」

「ただ、ないとは思うけど面倒事は起こさないでね?」

「それはご主人様次第じゃないかな?」


 言って可愛らしく首を傾げるアンネ。いや、それこそ彼女が手を出してくるからユーリアが怒るのであって……。

 かといってアンネの欲求を満たす為にクラウスが協力的になればそれもまたユーリアの神経を逆撫でするだろうし、相手にしなければどうなるかは復学した日のあの教室でよく知っている。

 後退どころか前へ進むことすら出来ない気がするのは気のせいだろうか……?


「さて……では話も纏まったか? だったら決まった通りに申請を通しておくが」

「お願いします」

「なら少し待っていてくれ。仮の手続きだけ済ませてくる。その後で三人で屋敷を見に行ってくるといい」

「馬車の用意してきますっ」


 そうしてハインツとアンネが席を立った部屋の中で、終わってみれば随分と疲弊した気のするやり取りに天井を見上げる。

 そんなクラウスの隣で、ユーリアが恥ずかしそうに問い掛けてくる。


「……その、私、クラウスを信じてもいいのよね?」

「というと?」

「一緒に住む……しかも新しく手に入れた屋敷でって。それってつまり……そういうことよね? 私、クラウスの隣に居てもいいのよね?」


 縋るような音は、現実味がないからか。それとも単に彼女の性格が確かな言葉を欲しているだけか。


「これから先の事はゆっくり考えていけばいいよ。ただ、そうだね……前にも言ったように、僕はユーリアをずっと好きで居続けるから」

「…………うん」


 だから信じるならば勝手に信じてくれればいい。そうして頼ることで、クラウスに意味があるのだと教えて欲しい。

 クラウスを肯定する、クラウスの欲した正義。

 そんな彼女が、椅子から立ち上がると逃げ道を塞ぐように上体をクラウスに被せて瞼を閉じる。


「クラウス、好きよ。愛してる」


 もう何度目か分からないその言葉と証に。ただクラウスは溺れるように応える。

 そんなユーリアを失いたくないから。だから高望みの尽きない理想は目の前の野望となって、行くべき道を照らし始める。




 しばらくして戻ってきたハインツから書面としての権利を受け取り、そのまま城の外まで向かえば馬車の傍でアンネが待っていた。


「ご主人様、お手を」

「……私は?」

「えー?」


 使用人らしく振舞うアンネの手を借りて乗り込めば、外から聞こえた問答にもならない会話。けれど直ぐに中へと入ってきたユーリアはどこか楽しそうで。その際に僅かに見えた彼女の手のひらには確かにアンネのそれが添えられていて。

 出来ることならばいつもそうして仲良く笑っていてくれればクラウスの心労的にどれほどよいだろうかと。

 考えていると動き出した馬車。揺れる窓の外の景色を眺めながら、向かいに座ったユーリアが零す。


「……分かってると思うけれど、アンネだから雇うのよ?」

「そうだね。それに雇うって事は……」

「別に少し仕事が増えたくらいで文句は言わせないわよ」


 あれだけ独占欲の強いユーリアが、親友だからとそう簡単に折れるとは思えない。きっと前からそういう想像をしていたのだろう。

 例え今回こんな話が転がり込んでこなくとも、クラウスだって学院を卒業すればどこかに部屋を借りる予定だった。それが一回り以上に大きくなっただけのことで、そこにはきっとユーリアもいたのだろう。

 となれば当然アンネも首を突っ込んでくるわけで……口では色々と難癖をつけているユーリアだが、親友にも発揮されるだろう彼女の独占欲を思えば想像に難くない。

 一筋縄ではいかない。けれどそれを楽しむのもまた一興。そんな二人に好意を持たれたのだから、やっぱりそれはクラウスの失敗だろうか。

 薄く笑ったユーリアの横顔にクラウスも小さく肩を揺らして。それから他愛のない話をしながらしばらく馬車に半時ほど揺られれば、一軒の屋敷の前に止まる。

 城から掛かった時間を考えて距離は約20キレントほどか。アンネの手を借りて外へと出れば、少し見上げるほどの立派な屋敷。庭の草花は自然豊かに繁っているが、外観はそれほど古びた様子もなく。しっかり手入れをすれば長く住めそうだ。

 比べるのは無粋かもしれないが、流石にコルヌ家や記憶の限りのブレンメ家には及ばない。けれど近くには森もあって自然豊か。事前に貰って読んだ地図が正しければ、少し離れたところに小川もある。

 土地の名前はアケルナル。確かブランデンブルクが建国された時に近くを流れていた河川……その枝分かれした一つの終着点につけられた名前で、河の果てという意味だったか。もしかすると近くを流れている小川がその枝分かれした川なのかもしれない。

 距離もあり、余り栄えていないとはいえブランデンブルクに縁のある地。なにより穏やかな風土の、自然に囲まれた心地のよい場所だ。

 水に緑に風。動植物も共生していて、安息の場所だ。

 中でも植生……というか農業を主とする地域。これから春になる時期で言えば、植物油を生産する花が栽培されている頃だろうか。もうしばらくすれば一面黄色い絨毯に覆われた景色を見る事も叶うかも知れないと。

 そんな土地に立つ立派な屋敷に、アンネについて玄関を潜れば足を止めた小さな背丈に続いてクラウスとユーリアも中を見渡す。

 深い色をした木製の内装と、設えられた窓から差し込む陽光に照らされた温かみのある造り。人の温もりは既に逃げてしまってはいるが、それはクラウス達でどうにかすればいい話。絨毯などの装飾も殆ど片付けられて色合いこそ寂しいが、踏み締めた床の感触は十分に張りがある。

 ……大丈夫、掃除をすれば住める。ただ────


「これほんとに一月前?」

「直ぐに次の領主が立たないくらいには軽視されてたなら、まぁ仕方ないんじゃないかな?」

「…………腕が鳴るねっ」


 予想以上に汚れて感じるのはこれまでが恵まれていた証拠かと。アンネの前向きな声にクラウスも覚悟を決めて足を出す。


「とりあえず一通り見て回ろうか」

「はーい」

「…………はぁ」


 小さな野生の同居者には、仕方がないが森へお帰りいただこう。

 自然豊かな土地に敬意と僅かな恐怖を感じながら、この屋敷に来て初めての仕事である屋内探検を始めるクラウス達だった。

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