第四章
国からの褒賞としてクラウスは屋敷を、ユーリアは土地兼爵位を下賜された翌日。
とりあえず掃除をと、ユーリアとアンネ。それからアンネについてきたティアナと一緒に馬車に揺られてやってきた屋敷。
その門の前に、想像外の見慣れた顔が並んでいて思わず足を止めた。
「……あれ、どうして…………」
「兄さんに聞いた。で、どうせならと思って声をかけて回ったんだよ」
そこにいたのはテオ、ニーナ、ヴォルフ、イーリス、エミ、マルクス、クルト、そしてミアまで。クラウスがこれまでに意外と深く関わりを持ってきた面々が肩を並べていた。
「そしたら声掛けたやつらが全員で押しかけてきやがったんだ……。半分集まればいい方だったんだけどな」
「……そっか。ありがとうございます」
「そういうのは全部終わってからでいいわよ。……にしても大きな屋敷ね。三人だと広すぎるんじゃない?」
言って、仰ぎ見るようにこれから大掃除に巻き込まれる建物へと振り返るニーナ。
確かに、三階建てで部屋数だけで言えば、両手の数では足りない豪邸だ。三人だけというのは持て余す。
「かと言って大規模な改築する技術も伝手も持ち合わせていませんし。暇なら遊びに来てくださいよ。歓迎しますから」
「いっその事転がり込もうかしら?」
半分ほど本気な気がする返答を聞きながら談笑を交えつつ屋敷の中へ。それから総勢十二名での大掛かりな屋敷清掃が始まる。
床はもちろん壁に窓。小さな修理が必要な箇所も、とりあえずは綺麗にしながら隅々まで汚れを取り払う。
持参した道具と共に時々聞こえてくる音は妖精術の証。特に風と水は色々な場所で重宝され、ユーリア、イーリス、マルクスの風が埃や砂を払い除け、ニーナとティアナの水が汚れを浮かし拭い去っていく。
庭の方はアンネにヴォルフとクルト、それからミアの地のお陰で、農具要らずの開拓が行われた様子。そんなに広い面積を耕されても特にする事もないのだが……時間があればアンネ辺りに頼んで花壇や菜園にでも手を伸ばしてみようかと。ツユクサの種を蒔くには少し遅いだろうか……。
そんな事を考えながらほぼ一日を費やして終えた掃除。その中で、特に賑やかだったのはテオ、ニーナ、ミアが顔を合わせたときと、ティアナとクルトの二人。それから時間を見つけてはクラウスの傍について回る、ユーリアとアンネの組み合わせだ。
テオたち三人は、特にミアが中心になって小さな言い争いをしていた様子。アンネに聞いたが、どうやらミアはあの時決意したようにテオの専属の使用人の地位を得たらしい。それを利用してテオにちょっかいを出してはニーナを振り回してと中々に騒がしい空間を作り出していた。
それからティアナとクルト。二人は周りが先輩たちという事もあって二人で行動する事が多く、その際に内気なクルトをティアナが引っ張って行くという光景を屋敷の中で幾度か目にした。ティアナにしてみれば、引っ込み思案なクルトに業を煮やして優しさで手を引いているだけなのだろうが、そんなティアナにクルトが苦手意識を持っているのか、されるがままに振り回されてはティアナの優しさに更に熱が入ってという循環に陥っていた様子だった。
そして語るべくもないユーリアとアンネ。その静かなる戦いは、時折クラウス挟んで交わされる口論。物騒な単語や心無い言葉が飛び交う中心で、無関係を許されないクラウスが仕方なく巻き込まれて……。
そんな修羅場にイーリスが瞳を輝かせ、苛烈な言い合いにテオたち三人やティアナとクルトが我に返ったりと賑やかな一時。
そんな騒がしい中で、けれど確かに作業は進めて。そうして見間違えるように綺麗になった立派な屋敷に、溜息すら零してわずかに見惚れた更に翌日。
住むとなれば家具に日用品にと様々なものが必要になる。流石にそれらをクラウス達だけで運んでくるのは面倒なので、仕方なく専用の運搬業者に任せ、着いた家具を順に運び入れていく。
屋敷が大きい所為か比例するように廊下や階段も大きくて、荷物の運搬にはそれほど気を遣わなくて済むのだが……問題は三階建てのその内装の上り下り。
窓から入る物はいいとして、それ以外の特に大きい物は人の手での運搬だ。必然人手が必要になって、けれど前日に引き続き手を貸してくれた友人達の力を借りてどうにか運び入れも終わる。
因みに手伝ってくれる人数こそ減ったが、今日はレベッカも手が空いていたのか来てくれた。……とはいえ彼女はコルヌのお嬢様で、無理難題を押し付ける事は出来なかったのだが。
それでも手伝ってくれた事に感謝をしつつ、陽が落ちる前に見送って。クラウスは自室で少し軋む椅子に深く腰掛ける。
流石にまだ体の調子は完璧ではない。負荷をかけすぎたか、所々鈍い痛みと重みさが体に広がっている。
けれどもどうにかここまでやって来た。偶然に助けられ、必然を追い駆け、落ち着ける場所も手に入れた。
だからこそ、ここからが再始動だ。まだ病院に居た頃に見つけた僅かな可能性。取り戻すべきクラウスの妖精との繋がり。
妖精の国──妖精の宮廷への到達。
そこになら、失ったものを取り戻すだけの方法論が一つや二つあってもおかしくはない。
それにクラウスが考えている想像が正しければ、リアナンが齎したかの『指環』も存在しているはずだ。
きっと何処から手を伸ばしても至るべき結末は同じなのだろう。だからこそ、クラウスが今一番欲しいものから手に入れる。
その為にするべき事を脳内に列挙し始める。
と、それとほぼ同時に扉が開かれる音。遅れて顔を覗かせたのはユーリア。
「やっとみつけた」
「……どうかしたの?」
「別に?」
……どうやらただ単純にクラウスを探していただけらしい。
嬉しそうに微笑んだユーリアは、それから後ろ手に扉を閉めると鍵を掛ける。その無機質な音に胸の奥が跳ねたのと同時、ゆっくりとした足取りで目の前までやって来た彼女はそのままクラウスの座った椅子を半回転。その背中から腕を回して肩に頭を乗せてしな垂れかかる。
「……鍵までする必要はなかったんじゃないかな?」
「邪魔されたくないもの……」
無粋な質問だったか。言いつつ首を抓るユーリア。
重い愛情表現だが、それを普通だと思えばまだどうにかついていける……。
「ねぇクラウス……」
「何?」
「いっその事このまま野望を諦めてみる気はない?」
甘く蠱惑的な響き。
ずっとここで、怠惰を貪るように溺れてみないかと。そんな誘いに少しだけ想像を馳せて、けれど優しく首を振る。
「それも面白そうだけど……。けどそれは今じゃなくてもできる事だよね?」
「今だから、聞いてるのよ」
それはユーリアの直感だろうか。
まるで胸の内を覗かれるような深い紫苑の瞳。その色に、敵わないと笑って答える。
「それでも、僕は約束を守りたいんだ。信じたものを、最後まで信じきれない嘘吐きには、なりたくないから……」
「私のことだって信じてないくせに」
少し強くなった腕の締め付けに手のひらを重ねれば、ユーリアもまた仕方ないという風に笑う。
「けど、いいわ。だったら着いて行くから。そうやって、最後にクラウスの夢を正しいものに変えてあげるわよ」
彼女はきっと、気付いている。クラウスがクラウス自身を犠牲にしている事を。その先にユーリアを裏切ろうとしている事を。
それをやめさせたくて、繋ぎとめておきたいから、変えてやると。クラウスの自己犠牲甚だしいその野望に、僅かに手を出して自分が望む結末に歪めてやると。
それこそがクラウスの欲した正義なのだと言えば、彼女はどんな風に怒ってくれるだろうか。
「だから、これはその最初の手助け」
呟いて、それからクラウスの目の前に翳したのはユーリアの手の甲。
そこには両端に杯を吊るした天秤の刻印が痣のように浮かんでいた。
不思議な話だ。今のクラウスは妖精に纏わるものに干渉することができない。けれどもその紋様はしっかりと目にすることができる。
ニーナ曰く、回路が閉じているだけで妖精力はあるらしい。ということは、魂の根源に直接作用している、特別な術式なのだろう。
しかもクラウスの意思ではない。一方的に刻み付ける強制的な命令式。
エルゼの認識阻害術式によく似た、今のクラウスでは到達できない領域だ。
「クラウスを連れ戻すときにメーヴと交わした禁忌の証。それからこれが手紙。さっきアンネから貰ったの」
次いで取り出したのは白い便箋。封をする部分には同じ文様が推されている。
と、次の瞬間、ユーリアの手の甲の刻印が虹色の光を発したかと思うと、呼応するように手紙の封が焼け消える。恐らく波長を利用した封印術式だろう。
考えているうちに中身を取り出したユーリアが目を通して、それからクラウスに渡してくる。
「……読める?」
「…………禁忌を以て誓いし者に誓約の代償を求む、かな」
目にした文字列は一瞬意味の分からない文章だったが、少し頭の中を旅すれば読み解く為の符丁が見つかって安堵する。
その経験は……知識は、フィーナやアル。それからオーベロンとピスカのお陰で得たクラウスの理解し得るもう一つの言語。
「妖精古語、よね?」
「そうだね」
古い時代の妖精が使っていたとされる言語。今では廃れた暗号染みた言葉だが、これまでの経験でどうにかその一端に手を伸ばしていたから、理解する事が出来た。
同時思い出すのは、フィーナやアルの事。彼女達は、現代に生きる妖精でありながら妖精古語を読む事ができる。
────きくかをけさいなあぎのお
巡る思考は彼からの伝言を思い出して、更に鼓動を早くさせる。
その為にも、まずは妖精との繋がりを取り戻さなければ。
「……それで?」
「この刻印はね、メーヴ……マブとの取引の証。蜂蜜酒を得る代わりに彼女の約束を聞くっていう、禁忌の証明なのよ」
「そういえばそんな話も聞いたね。……つまりその契約に従って禁忌を履行しろって事か」
一人事のように呟いて、それからユーリアと視線を合わせ確認のように問う。
「何処にいくの?」
「妖精の宮廷よ」
その響きに、クラウスは歯車が噛み合う音を聞きながら頷く。
妖精の宮廷。ミドラースにある今の妖精の故郷。妖精の国に最も近い場所。
そこならばクラウスの目的も果たされると。
「もちろん。だって僕はユーリアのものだからね」
「そうね」
意味のない気がする口付けは、ただクラウスがしたかったからか。
曖昧に霞んで消えた胸の奥の気持ちを肯定しながら窓の外を眺める。
「はい、そこまで。ほら、まだここじゃ住めないんだから帰るよ?」
と、そんな余韻を楽しむ空気に割って入った嫉妬の声。ユーリアと二人振り返れば、鍵を掛けたはずの扉が当然のように開かれて、そこには一人の少女が仁王立ち。
「……鍵は?」
「当家を預かる使用人頭として全ての部屋に出入りできる鍵をお預かりしておりますっ」
「マスターキーなら軍にもあるわよ?」
それは確かそういう俗称の銃ではなかっただろうかと。そんなもので人を撃てばどうなることやら。想像するだけで恐ろしい。
丁度持っていた知識と照らし合わせる傍らで、ユーリアとアンネがいつの間にか向かい合う。……もう慣れたよ。
「野蛮だねぇ。ご主人様に仇成す邪魔者としてお引取り願いましょうか?」
「その主人の断りなく部屋に入ってくる無法者こそ何よりの異物でしょう?」
「あはっ」
「ふふっ」
慣れたけれど……それと止められるかどうかは別問題な気がするクラウスだった。
翌日、ブランデンブルク城に向かってミドラースへの探索の提案をすれば、特に問題なく許可が下りた。
というのも、どうやら先のユーリア達の行いが世界的に影響を齎したらしい。四大国が一度存在が明らかになった妖精の宮廷に対して、今更手を拱くのもおかしな話だと腹を括ったようだ。
これからは今までより緩い規則で、ミドラース周辺への往来が可能になることだろう。
そしてそれに付随して、ミドラース周辺の領地が活発になるはずだ。
新たな技術や道具の発見。それに伴う人や物の移動──お金の移動。
素人でも、経済活性から様々な変化が予想できる。
それぞれの国が組織立ってミドラースの……妖精の国の解明に乗り出す。
これまで未知だったものを既知へと変える行いは、これから世界規模の大きなうねりになるだろう。
しかし不公平があっては、これまでの四大国統治の意味がないという声があるのも事実。落としどころとして、研究の為なら簡易的な許可を取って探索が可能になる、といった辺りだろうか。
それが観光目的になるのはどれだけ先かは分からないが、出来ることならそれが遠い未来であって欲しいとクラウスは願う。
世界に知れ渡った妖精の宮廷。その解明だけでも随分な人数が集まっているはず。他人の目があるからこそ下手な事は出来なくて、慎重にならざるを得ない。それで足を引っ張られてはたまらない。
そんなクラウス個人の思惑と共に、アンネが事前に掛け合ってくれていたのか、用意された馬に乗ってクラウス達はミドラースへと向かう。
一応ニーナ達に声を掛けては見たが、それぞれに用事があるとのことで今回はクラウス、ユーリア、アンネの三人だけだ。
……いや、クラウスには見えていないだけで妖精達もついてきているのか。
妖精が見えなくなってから、不意にその存在を探してしまうことに不安も感じる。なにせ生まれてからずっと見ていた世界の彩りが半減したのだ。
これが妖精の見えない者たちのいつもの世界なのは、理解しているつもりだが……。あったものが無くなるというのは中々に受け入れがたいのだと事実を突きつけられた。
二人の妖精に囲まれ、賑やかな日常を過ごしていた身からすればやはり少し寂しくて。何より日常で必要な時に妖精術が使えないのが不便だ。
それだけ頼っていたと言えば怠惰に聞こえるのだろうが。そもそもクラウスは面倒臭がりで、それ故に効率を求めることが多い。だから利用する側に回りたくて、他人を利用する術を身につけたのだ。
そんなクラウスが唯一譲れないのが妖精との道行き。世界の伴侶との視界は、子供染みた野望の実現に欠かせない。だからこそ、それを取り戻す為にミドラースへ……妖精の宮廷へと向かうのだ。
そんな風に三人旅。幾つもの領地を経由して、他愛ない雑談を交わしながら辿り着いたミドラースの玄関口。そこは想像以上に人で溢れかえる場所になっていた。
目に付く姿は動きやすい服装に身を包んだ大人たち。研究職と思われる人と、それを護衛する為に付けられただろう妖精騎士らしき姿を見つけて、その空気に圧倒される。
クラウスの知識ではここはそんな人の溢れ返る場所ではなかったはずだが……どうやらアンネたちは、クラウスがずっと準備し続けていた地盤を少しだけ壊してくれたらしいと。そのお陰で今ここに居られるのだから怒るに怒れないのだが。
考えつつ、順番待ち。
ミドラースへのある程度自由な出入りは、眠る以前より簡易的になっただけで、すべてが素通りという訳にはいかない。
確かな理由があって、国発行の証書がないと認められない。
当然といえばそうだが、研究者だってすべてが国に属しているわけではない。国お抱えの研究機関から、私営の組織もある。それらが許可が出たからと、挙って集まれば混乱は避けられない。
見れば、一つ隣の小屋からは納得がいかない様子の一団が出てきていた。どうやら彼らは国からの認可なくここへ来て門前払いされたらしい。
この混乱は、急遽制度の変わった今だけに見られる景色かと少しだけ珍しく思いつつ。
それからまだ少し時間が掛かりそうに感じた為に、他の事へと視線を向ける。
今やミドラースは各国の研究職にとっては見て見ぬ振りの出来ない宝の山だ。
今まで存在もあやふやだった妖精の都がそこにあると。そこには妖精に関する色々な事があるのだと。これまでの研究と想像が混じりあって、次から次へと人が集まっている。
そんな噂を聞けば商売気の強い者達は直ぐに気付く。人が集まれば、お金が動くと。
ミドラースは四大国の中心に位置する。となればどの国からも近い場所に土地を取る事が出来れば商品の運搬に掛かる時間も賃金も安く済むのだ。
時は金なり。結果研究者達だけでなく、小さな露店をそこらで開く者達も出てくる始末。
特に多いのは飲食の出来る店。この辺りはこれまで殆ど立ち入り禁止区域だったのだ。それが大幅に緩和されたお陰で人が集まるのだが、欲を掻く者は長く留まって研究を続けたいと願うはずだ。けれど持ってこられる食料も有限で、それが尽きれば一度国へ帰らざるを得ない。
そこでその場で飲み食いが出来る店が並べばどうなるか……そんなのは火を見るより明らかだ。
人が増え物やお金が動き始めれば世界も回り出す。
それにクラウス達ミドラースへ入ろうとする者を管理する人たちもやはり人で、食事に睡眠にと必要不可欠な事は多い。結果この辺りの治安を管理する者達も必要最低限は黙認するに至っているのだ。
もちろん、明らかに非合法な店を開いている者達は即刻追い出されてはいるが。もう少し真っ当に商売したらどうだろうかと……。
そんな人の集まる場所。店が立ち物が動きお金が巡る。
それは宛ら活気のある街や都のようで……早くもミドラースの周囲には確かな流れが出来始めていた。
少しだけ視点を入れ替えれば、妖精の宮廷からしてみればいい迷惑かもしれないと。その口火を切ったアンネたちには、感謝と共に僅かなお仕置きが必要だろうか?
……誰が手を出してそこに足を踏み入れたって、起こりうる景色は変わらないか。それが今か、それとも少しだけ先の事かというだけの違いに過ぎない。
それにここまで大々的に各国が手を出し始めれば、その分新たな発見が世界に波及する勢いも大きくなる。それはそれで、クラウスの野望の手助けとしてはありなのかもしれない。
そんな風に現状とこの先の可能性を想像して。やって来た順番に従って許可証を見せれば、特に問題もなく通してもらえた。
クラウスにしてみればこの時代では初めての……過去を旅した記憶を合わせれば、きっと二度目のミドラース。
とはいえ流石に過去に栄えた都で、今では秘境とも呼ぶべき森林地帯。冬の所為か寂しい色合いで佇む木々の景色には、マーヤやエメリヒと時を過ごしたあの町はない。
ただその名残なのか、入る前から見えていた岩のような塊は、近付けばそれが人工物で単に苔むしているだけだと気付く。
研究者達はそれを何かの痕跡だと喜ぶのかもしれないが、クラウスにしてみれば笑い話にもならない憐れさだ。
そもそも妖精が作り出したものなら、そこには妖精力が宿っているのだろうし、何よりずっと維持していないのであれば消えているはずだと。少し考えれば分かることだが……ようやく踏み入れた高揚感からかその興奮に振り回されている様子。いい大人が子供のように賑やかなのは研究者としての性だろうか。
「……それで、妖精の宮廷にはどうやっていくの? 前に来た時はアルの手を借りたんでしょ?」
少し前を歩くユーリアに問えば、彼女は肩越しに振り返りながらクラウスの肩の上辺りに視線を向ける。どうやらそこに彼女が居るらしい。が、そこに居るという事は案内はしていないのだろう。
何よりクラウスが一緒に居るのだから、二年前と変わっていなければクラウスの傍を離れたりはしないはずだ。それほどには、彼女はきっとクラウスに期待している。
「前回はね。今回はこれがあるから」
「禁忌……?」
「今のクラウスには分からないかもしれないけれど、妖精力が宿ってるのよ、これ」
どうやらそれは単なる刻印ではなかったらしい。……いや、手紙の封印を開けたことからも類推は出来たか。二年眠っている間に少しだけ鈍ったらしい。
それとも目の前の日常が楽しくて腑抜けているだけか。だとするならば、やはりクラウスは昔を取り戻す為に妖精との繋がりを再び手に入れなければ。
「前に来たときもそうだけど、ここには結界が張ってある。だからあの人たちが幾ら奥に分け行ったところで、妖精の手引きがなければメーヴのところには辿り着けない」
「けどそれがあれば話は別って事だね。結界を抜ける鍵ってわけだ」
納得と共に紡げば、それから差し出されたユーリアの手のひら。
「かと言ってこれで彼女のところに行けるのは私だけ。だから手を繋いでおかないと逸れるわよ?」
どこか楽しそうに、嬉しそうに音にするユーリアに。それから手を取りつつ少しだけ考える。
オーベロンに許されたクラウスだ。アルを従えるクラウスだ。ならばユーリアの手助けを借りなくても彼女の元へ辿り着く事はできるのではないだろうかと。
そんな考えは、けれど次いで握られた反対の手のひらの感触で掻き消える。
「ご主人様ぁ~、アンネ迷子になるの怖いですぅ」
「……だったらユーリアの手をとればいいのに」
言いつつ握った手のひらをそのまま引っ張り抱き込んで。きっとわざとなのだろう、押し付け誇示するように女性らしさでクラウスの腕を包み込むアンネ。
当然、強くなったユーリアからの視線と握る力。次いで彼女はアンネに向けて殺意さえ滲ませた暗い瞳を向けると、クラウスの腕を思いっきり引っ張る。
「っとと! ……こんなところに来てまで喧嘩しないでよ」
「喧嘩じゃないわよ。手癖の悪いシルキーがいたから追い払おうとしただけ」
「まさかユーリに褒められるとは思わなかったよ」
「は……?」
「白き貴婦人……美人さんだからねっ」
前向きにも程がある返答だと、ユーリアでさえ呆れる。もちろん彼女の言いたい事は分かる。
シルキーは家に住まい世話を焼く家政婦のような妖精だ。彼女達は見返りを求めず身の回りの世話をしてくれる代わりに、一度居ついたら離れないとされる妖精。その機嫌を損ねてしまうと家の主さえ追い出したり、程度によっては殺してしまうとも言われるほどに凶悪な一面を持った存在だ。
その邪悪とも言うべき顔をアンネと重ねて誹謗したわけだが。そちらはそ知らぬ顔で、基本穏やかで美人と称されるいい評判だけを取り上げて強かに答えを返したのだ。
その不屈は、クラウスも手を焼いて諦めたほど。ユーリアだって親友として付き合っているのだから嫌というほどに知っているだろうが、それでもここまでだとは思わなかったか。恋は人を変えるというが、アンネの場合は眠っていた貪欲さを呼び覚ましてしまったかと。
縋るようにクラウスの手を抱き込んで離さないアンネに怒るのも面倒になったか、ユーリアが無視をしたまま歩き出す。
右手をユーリアに、左手をアンネに引っ張られて歩き辛い体勢のまま。足元に注意しつつしばらく木々の間を抜けていけば、やがて肌撫でる空気が一変する。
それは胸の奥を直接生暖かい空気で包み込まれたような感覚。途端、体の奥底から巡ってくる血潮以上の流れに、指先までもが震え上がる。
この感覚……体の中に、神経系とは別のもう一つの自分が重なっていく錯覚……。
随分長く忘れていたような気がする──回路の、妖精力の確かな実感。
自覚すれば、両肩に感じていた重みが確かな形を得て目に映る。
「……完全ってわけじゃないけど、見える程度には回路が刺激されたらしいね」
「っ…………!」
「クラウス……!」
声なく体を震わせたのは右肩に腰掛ける白銀のクォーター。クラウスがデュラハンに敗れるまでに契約を交わしていたはんぶん、フィーナ。
それから感極まったように名前を呼んだのは左肩にうつ伏せのまましがみ付いていた黒髪のクォーター。クラウスが妖精の国を目指すその最初のきっかけを作ったはんぶん、アル。
彼女は驚いたように背筋を正して、それからクラウスの目の前に回りこむ。
「クラウスさん、見えますか……聞こえますか……?」
「うん、見えるし、聞こえるし、ほら、触れる。久しぶり、フィーナ」
「……そっか、妖精の宮廷に満ちる妖精力に刺激されたのね。それで妖精が見えるようになった」
「みたいだね。また会えて嬉しいよ、アル」
伸ばした手のひらの、その指先にフィーナが嬉しそうに頬を摺り寄せて涙さえ浮かべながら笑う。
その隣でアルも、涙こそ見せないが体一杯に歓喜を宿して柔らかく微笑む。
彼女達からしてみればクラウスの傍にいて、返らない声に寂しい思いをしたのだろう。その責任はやっぱりクラウスにあって、クラウスも彼女達に会えて嬉しく思う。
「これは、ここに居る間だけの限定的なものだろうね。だから外に出たら多分また見えなくなるんだろうけれど」
「だったらもうずっとここにいてくださいっ。クラウスさんがいない世界なんて、私嫌ですっ」
少し強く。そこにいる事を確かめ刻み込むように、クラウスの指を抱きしめるフィーナ。その純粋で献身的な言葉に小さく肩を揺らす。
「寂しい思いをさせてごめん。けれどもう離れない為に、その為の方法を探してここに来たんだ。せめて手がかりくらいは盗んで帰るから」
「はいっ……!」
泣き笑いで頷いたフィーナの頭を撫でて、それから視界の先で待っていてくれるユーリアを見つけて気付く。
それは限定的にでも回路を取り戻したからか。それともフィーナやアルがいてくれるからか。この妖精の地でユーリアの手助けを借りなくても迷わないでいられている。
黄金色に輝く幹に七色の葉。胸の奥を突き動かされるような妖精力の風。大地から湧き上がる幾つもの金色の泡沫は、空へと上って消えていく。
童話に出てくる妖精の国と同じで。眠っている間に経験したあの過去での森と同じで。ユーリアに聞いた妖精の宮廷の景色と同じで。
そうして、既にここが、妖精の宮廷……妖精の国に最も近い妖精の都だと確信する。
やっとここまで来られたのだ。だったらここから先は、前だけを見据えて真っ直ぐに歩き続ければいい。
誰かに認められている事を知りながら、そこにクラウスの野望を少しだけ交えて理想をより高くっ。
「ほら、立ち止まってる暇はないわよ? クラウスを取り戻すなら、あの先にいる彼女と話を付けなければね」
「そうだね。いこうか」
ようやく、クラウスがクラウスを少しだけ取り戻す。
クォーターでありながら、どうやらクラウスは四分の一以上に妖精の方へと傾いていたらしいと。今この胸を突き動かす衝動は、二年前に夢を追い駆けていた自分そのもの。
どこかで周りに流され続けていたクラウス・アルフィルクを捨てて、ここから再びクラウスが足を出す。
そうして顔を上げて歩き出せば、直ぐに辺りの景色が開けた。
木々が生えない円形の空間。少し違うのは辺りを漂う妖精力か。そこまではっきりとではないが、この辺りは一層密度が濃く感じる。
「ようやく来たのね、人の子。それから、クラウス・アルフィルクだったかしら?」
「……メーヴ殿に知っていただけているとは恐縮です」
「思ってもない事を」
と、回した視界で見つけた一人の妖精。黄金色の長髪に鉛白の瞳。ユーリアの話で聞いていた通りの妖精、蜂蜜酒のマブの妖性を持つメーヴ。ここ妖精の宮廷の統治者にして、真実と誓約を愛し、裏切りを悪とする妖精の女王。
そんな彼女に呼ばれた名前に、異性を相手にして勝手に被った仮面を彼女は簡単に見抜く。
見抜く、と言っても彼女はどうやらアルと繋がりがあるらしいから、そこから話を聞いていただけなのだろうけれども。
「さて、時間も勿体無いし直ぐに本題に入ろうかしら。禁忌結びし人の子よ。そなたにはわらわの願いを聞いてもらう。願いは簡単、わらわが欲するあるものを一つ取り返してきてもらいたい」
「あるもの、ですか?」
「『象牙でできた笛』」
『象牙でできた笛』。その名前にユーリアが沈黙を返す。
彼女の事だ。きっと分からないから答える事に躊躇しているのだろう。だとすれば仕方ないが横から口を挟ませてもらおう。
「……それはもしかして、『ユオン・ド・ボルドー』にでて来る笛ですか? 妖精王オーベロンからユオンが与えられたという」
「いかにも。かの笛は妖精王の物。本来ならばこの地にあって然るべき財宝の一つ。それが今、この世界のどこかにある。それを取り返してきてもらいたい」
オーベロンの財産。彼は既にここにはいないはずだから、遺産なのだろう。話から察するにメーヴはその遺産を管理しているらしく、手元にないその笛を探してきて欲しいらしい。彼女からしてみれば元々妖精の側の物。取り返すというのはたしかにその通りだが……。
「……わかりました」
「ボルドーって言うとカリーナだっけ? そんな土地があった気がするけど」
「そうだね。そこにある可能性は高いかな」
前にイェニー女史と妖精の国のことで話をした際に上がった書物、『ユオン・ド・ボルドー』。クラウスの知識が正しければ、カリーナ共和国のボルドーという地名は、その物語を由来としたものだったはずだ。
土地を奪おうと襲ってきた王様の息子を返り討ちにしたユオンが、罰に無理難題を押し付けられ。その全てを妖精王オーベロンの手助けを借りて成し遂げ、最後には美しい花嫁と国へと戻る冒険譚。物語に出てくるオーベロンにこそ注目してクラウスは目を通した話だったが、それがこんな形で結実するとは……。
「ならまずはそこからね」
簡単だという風に零すユーリアに、クラウスは思わずユオンを重ねる。
どこにあるか分からない宝物を取って来いと。それこそ無理難題を押し付けられたようにも聞こえるその任に、けれどユーリアは都合のいい未来以外を許していない。
「期限はないわ。取り返すのに金品が必要なら言って頂戴。他に何かある?」
「……メーヴさんに迷惑は掛けません。その変わりに、クラウスの回路を元に戻してあげられませんか?」
メーヴの提案を断って、交換条件にクラウスを差し出す。忘れかけていたが、彼女の目的はクラウスが再び歩き出す事を助けること。クラウスだって同じで、その対価を引き出しに掛かる。
ユーリアの言葉に、メーヴがクラウスへと視線を向けて僅かに目を眇める。
妖精の女王を名乗る彼女だ、その鉛白の瞳にはクラウスの及ばないほど妖精についてが秘められているに違いない。ならば目を凝らせば回路まで見通すこともできるか。それともそうして相手を知る事がメーヴの干渉範囲か。
「……確約は出来ない、けれど幾つか試して見たい事はあるわね。いいわよ、ただし彼をここに置いていくこと。交換条件ならぬ人質よ。そなたが約束通り『象牙でできた笛』を持ってきたら、力を貸してあげるわ」
随分と簡単に話が運んだが、その途中で出たメーヴの提案にユーリアの顔が少しだけ歪む。
そんな恋人の顔を見ているのもクラウスが嫌なので直ぐに声を掛ける。
「大丈夫だよ。それにここには僕が目指すべき場所への色々な手がかりも眠ってる。心配なら、出来るだけ早く迎えに来てよ」
「…………そうね。そうするわ。ごめんなさいクラウス、また貴方を一人にする」
「だったら彼女の前で誓って。直ぐに戻って来るって。禁忌なら、違えられないから」
「えぇ、誓うわ。私はクラウスを愛してる」
クラウスの想像していた言葉とは少し違うけれど。それがあるから彼女は大丈夫だと。隣で薄く笑うアンネに視線を向ければ、彼女も一つ頷いてくれる。
「その誓いがそなたに祝福を齎さん事を。行ってらっしゃい人の子」
そんなメーヴの言葉に見送られて。ユーリアとアンネが妖精の宮廷から姿を消す。
さて、これで……なんていうとユーリアは起こるかもしれないけれど。ようやくクラウスも勝手が出来る。
「そう言う訳で、貴方をここから帰すわけには行かないわ」
「もちろんです」
「ここに居る間は好きな風に過ごしていいから」
随分と緩い人質もあったものだと。エルゼの事を思えば別に珍しくもないのかもしれないと考えつつ、許されている事を振り翳して疑問をぶつける。
「回路はどうやって直すんですか? 僕が特別にする事はありますか?」
「……そうね。とりあえず経過を見てからよ。ここは人の世界とは違う。ここに居るだけで刺激されるものがあるでしょう。その上で何かあれば声をかけるわ」
随分と柔らかい口調。先ほどまでのユーリアに対するそれとは随分言葉に宿る色が違うと。
「何? 馴れ馴れしいかしら? けれど生憎と、妖精の世界に人間ほどややこしい柵はないのよ。特に貴方は妖精の波長を持つ、言ってしまえばわらわ達の仲間。貴方が事を荒立てないのであれば歓迎するわ」
「……ありがとうございます」
「それに貴方は、認められているでしょう?」
胸の奥を見透かされたような問い掛けに、思わず肩を揺らして息を詰まらせる。
それは一体どんなからくりか。何処でどれだけ彼女がクラウスの事を知ったのかは定かではないが……少なくともクラウスが外で騒ぎ立てる研究者達とは違うと許されたらしい事を知っているらしい。
「……まぁ何でも構わないわ。ここから出なければ好きな事をしてもいいから。それから一応監視を付けさせてもらうわね?」
「それは構いません」
「ファウナ」
時間はあるはずなのだ。ならばやるべき事を終えたその後で、メーヴの事を知ってみるのも面白いかもしれないと考えつつ。頷けば、それから彼女は名前らしきものを呼ぶ。
と、途端背後に感じた気配。思わず振り返れば、そこに立っていたのは少女。
「……しばらくの間身の回りの世話をさせていただきます、ファウナと申します」
「…………よろしく」
少しだけ驚いたのは彼女が人間大だったということ。妖精の宮廷……妖精が住まう土地で、自分と同じ大きさをした誰かに出会えるとは思っていなかったのだ。
「えっと、君は……」
「それは秘密ですっ。もし気になるのであれば、女の子の秘密を解き明かしてみてくださいっ」
言って柔らかく微笑み、立てた人差し指を桜色の唇に当てて僅かに首を傾げる。
仕草に揺れるのはブロンドの髪。肩の辺りまで伸びた綺麗な頭髪と、こちらを見つめるコバルトグリーンの瞳。それからついでのように妖精の証として僅かに光を放つ背中の薄翅と長い耳殻。
ファウナ。その名前を、どこかで目にした事がある気がしながら少しだけ迷う。
彼女の言い分は、そうすることでクラウスが詮索を出来ない事を知っているような物言い。クラウスの事を知るメーヴの選んだ子なのだから知っているのも当然なのかもしれないが……その纏う雰囲気にクラウスは過去に似たものを覚えて……。
けれどそれが何だったかと至る前にファウナが次ぐ。
「妖精の国……それに纏わる記録をお探しでしたよね? こちらへどうぞ」
柔らかい微笑を浮かべて歩き出すファウナ。どうやら一旦ここでメーヴとはお別れらしい。機会があればその内またどこかで出会うだろうと。
黄金の世界を歩き彼女に連れられてやってきたのは、景色の変わらない中に雑然と並べられた本棚のある空間。木製の、古びた温かみを持つそれは、けれどクラウスのよく知る図書館のように綺麗に並べてあるわけではなく。
まず複数ある本棚がそれぞれが遊び放題に別々の方向へ向けて立っていて。縦置き横置きも厭わずに煩雑に並ぶ光景。その上更に、長い年月をかけて風化したのか、木製の本棚は角がところどころ朽ちて黒ずんでいたり、その所為で本棚に入りきらなくなった書物が生い茂る草の中から塔のように積み上げてあったりと、個人的に本に限らず物という物を大切に扱いたい気質のクラウスからしてみると少し癇に障る管理の仕方をされていた一角。積み上げられた本も、辺りを揺れる草花の花粉などが積もったか、薄らと層を作っていた。
「……もしかしてここは普段使われてない?」
「そうですね……。妖精にしてみれば当然の事ばかりが収められた書物ばかりですから。今更手に取る事もありませんからね」
「けれどこうしてしっかり保存してあると。……保存というには少しだけ無秩序な気もしますけれど」
「それはわたしに対する挑戦状ですか?」
気になったところを音にすれば、クラウスの疑問とは別のところから声が返る。
妖精にとっては意味のないものを保存している。その事について少し探りを入れてみようとしてみたのに、返ったのは彼女個人の憤りのような何か。思わず足を止めれば、先を歩いていたファウナが肩越しに振り返って告げる。
「ここの管理者はわたしなんです。妖精の都の宝物を守護する者……」
「……あぁ、そっか。ファウナってニュンペーの系列から下る……」
「やっぱりご存知でしたか」
少しずれた話題に、それから先ほど感じた覚えを思い出す。
ファウナ。それは物語の中に出てくる存在で、特に土地や財宝を守護する名だ。ニュンペーと深い関わりを持つファウナは女性名。自然に暮らす動物とも繋がりを持ち、豊穣さえも司る。その妖性名は────
「フォーン……豊穣、財宝、土地を守護する妖精にして、様々な動物とも繋がりを持つ存在」
「……乙女の秘密を暴き立てるなんていけない殿方ですねっ」
「ごめんね。それに、君の象徴も知らず汚してしまった」
「まぁ手入れを怠っていたのは事実ですけれどね」
気付いて、それから素直に謝る。
ファウナはここを預かる者。そんな彼女に手入れが行き届いていないなど、その存在意義を侮辱すること以外の何物でもない。
クラウスに置き換えれば、クォーターである事を貶されたも同然だ。
妖精にしてみれば存在意義……どんな妖性であるかは最も重要な核。それを否定するなど妖精に関わる者として恥ずべき行為だろう。
そんなクラウスの言葉に、けれどファウナは気にした風もなく自分の怠慢で茶化す。
……どこか、不思議だ。普通の妖精ならばその目的となる核を貶されれば怒って当然だ。フィーナだって楽しい事がなければ拗ねるし、アルだって気難しい性格をしている。同じように、妖精はその正直な気持ちを妨げられる事を嫌うのだ。
けれど目の前の彼女は、それを意にも介さない。先ほど怒っていたように感じたのも、どうやらそういう風に演技をしていただけらしい。それは妖精らしくない振る舞いで、クラウスにとっては疑問になる。
「……こう言うとまた怒られるかもしれませんけれど、ファウナさんは妖精らしくありませんね」
「…………そうですか? ……そうですか」
返答らしからぬ返答にやっぱり失敗したかと少しだけ沈黙に浸れば、それから彼女は足元に落ちていた本を一冊拾い上げて表紙を手ではたき、こちらに手渡してくる。
「それはクラウスさんの方が妖精らしいってことですかね?」
「さぁ、どうだろうね。それから、その首飾りよく似合ってますね」
「目敏いですね」
「妖精はあまり好んで装飾品を身に着けたりはしませんからね」
受け取って、それから目に入った首に掛かる金色の飾り。虹色に輝く宝石を嵌めた首飾りは、ともすれば長い耳殻と背中の薄翅さえなければ人にさえ間違えそうな美貌によく似合っている。
……やっぱり彼女は不思議だ。
妖精の都で、人間大で、妖精らしくなくて。小気味いい返答には懐かしささえ覚えながら、軽快に紡がれる。
「これも財宝の一つですよ」
「……妖精の財宝を妖精が身につける。正しいことのように聞こえるのに、それがどこか不釣合いなのは気のせいですかね?」
「気のせいじゃないですかね?」
ファウナの調子に合わせて旋律を歌えば、再び前を向いて歩き出した彼女についてクラウスも足を出す。
「その本、きっと役に立ちますよ?」
「本、というか中身ですよね……」
交わした言葉と共に開いた表紙。持ってみて随分と軽かったその中身は、本と言われて想像する沢山の紙を束ねたそれではなく。裏表紙にくっついた本の小口いっぱいの箱、その中央に嵌められた一つの指環。
言うなれば本の形をした指環箱とでも形容するべきものだろうか。取り出してその意匠に目を凝らす。
富豪が身につけるような宝石を散りばめたような華美な装飾はない。ただ輪の表と裏に、彫って刻まれた小さな文字が沢山。ところどころ意味の分からない部分はあるが、どうにか読める。
この場所にあって、クラウスが読めるのならば答えは二つに一つ。
「……フィーナ、読んで意味が理解できる?」
「ごめんなさい。読めますけど意味までは」
「そっか、ありがとう」
試すような事をして悪かったと胸の内で小さく謝って。それからフィーナの言葉に確信する。
妖精語なら読む事も意味を理解する事も妖精には簡単に出来てしまう。それは人間が人の言葉を扱うのと同じ事だ。
けれど今の妖精は妖精古語を読めない。フィーナは、読めはするけれども意味までは分からない。
そんな彼女がそう言ったのならば、やっぱりこれは妖精古語だ。
妖精の財宝で妖精古語が刻まれた指環。その言葉が使われていたのは随分昔……それこそオーベロンがいて妖精の国がまだこの世界に存在していただろう時代の事だ。ならばこの指環はその頃に作られたものか。
「……意外とあっさり手に入ったわね」
「やっぱりこれが『ニーベルングの指環』に出て来る指環か……」
「探し物は見つかりましたか?」
アルの声に答えれば、意地悪に問うてくるファウナ。彼女は分かっていてそれを渡してくれたのだ。
「その指環、沢山の別名があるのをご存知ですか?」
「いや、そこまでは」
「主なる指輪、ソロモンの指輪、ギュゲースの指輪、黄金の指輪、『ニーベルングの指環』……」
ソロモンとギュゲース、というのはよく分からない単語だが、けれど大体想像がつく。
恐らく全ては権力や財力を象徴するものだ。
手にした者は財を手にいれ、王としての地位を得る。異界のものと交信し、生きとし生けるものの言葉を知る。
言わば万能の指輪……魔法、と言ってもいいほどの、世界の至宝とも崇められるべきものだ。
「どうしてそれがこんなところにあるか……なんて、言わなくても分かりますよね?」
「……そうですね。だからこそ、僕が想像していた通りなのだとしたら、怖いくらいにすべてが都合よすぎるなんて」
「それはクラウスさんだからではないですか?」
「そうであればと思うよ」
ここは妖精の宮廷。妖精の財宝を守る場所。妖精のもの、なのだから、妖精の持ち物。妖精古語を使っていた時代から秘匿され続けてきたそれらは────妖精の国にあったはずの妖精王たちが持っていた遺産だ。
だったら理由なんて、妖精というその存在だけでクラウスには十分だ。
何よりクラウスの目的が達せられた。
「では手向けとしてその指環をお渡しします。貴方が真に妖精の味方であるのならば、正しき力で以てその道を照らすでしょう」
『ニーベルングの指環』、その物語にでてくる指環。愛を捨てる者だけが世界を支配すると謳われる全能の存在。話の中心で登場人物たちを惑わすその指環は、巡り巡ってこの地へと結びつく。
そもそも妖精古語の刻まれた妖精力の宿る遺物なのだ。ならばそれは妖精に関わる道具として利用価値があるのだと。
少しだけ見つめて、それから呼吸を整えると、指環を左手の薬指に嵌める。
途端、胸の奥から湧き上がってくる衝動の本流。今まで塞ぎ込まれていた栓が抜けるように膨大な流れが体の中を駆け巡って道を生み出していく感覚。駆け巡る勢いはクラウスの体から溢れ出して足元の草花を押し退けるほど。
その内を流れる虹色の感覚に──実感できる回路の感覚にそれから気付く。
これだけではまだ駄目か。
至って顔を上げたクラウスの目の前には、フィーナとアルが並んで言葉を待っていた。
彼女達は妖精だ。だからこそ妖精力の流れには敏感で、クラウスが今手にした回路にも気付いたことだろう。
同時に、クラウスも気付く。
今この体に張り巡らされた回路は、指環によって得た仮初の物で、クラウス本来の物ではない。擬似的な……それこそあの過去でピスカとの間に紡いだ関係のようなそれだ。
ここまでして取り戻さない本来の回路は、きっと今クラウスの体には存在しない。それがある場所も、大体の見当は既についている。それをたった一度の交錯で見抜いたから、メーヴは誓約をしなかったのだろうと。
「……言っておくけれど、これは仮だからね。この指環を外したらまた回路はなくなる。僕の本当の回路はまだ別のところにある。今度はここからそれを取り戻しに行く。その為のはんぶんに────アル、君が欲しい」
「っ……当然! 今度は間違えなかったわね、クラウスっ」
「うぅっ……」
隠し切れない歓喜に体を震わせるアルと、その隣で唸るフィーナ。彼女には悪いが、今はアルが必要なのだ。
「フィーナとは、本当の回路を取り戻したときにね」
「……そう、ですね。クラウスさんの本当のはんぶんはわたしですもんねっ」
彼女も大概分かりやすい。だからこそ可愛らしくてその前向きさに支えられた部分も今までに沢山あったのだろうと。
少しだけ待たせる事に謝りながらアルに左手を差し出す。
アルは、それに何も言わず静かに答えて、嵌めた指輪の上に小さな手を乗せる。
えっと、妖精術は……借り物では使えないか。せめて契約をしてからなら可能だろうかと。ならばもう一つの方法で────
考えて、瞳を閉じると記憶の中の景色と重ねて落とす。
「たたのぎとてがめちりするとぎのたわしりちめが。ここわにたいむばしのちゆすにいいしさあのうくをふこいいてにださえくのたもれすてがしりとの。だはかれこなたゆきうしとなつのわでまきいるわてにゅうだくとるらばれ。よそしんょふーらしのふーかまいいごなせやをたたへまえあくいとのみてとごのぃにもびえぃのりはいり────」
次いで微笑と共に指環に触れた、アルの口付け。刹那に、彼女との間に確かな繋がりが築かれていく感覚。フィーナとの出会い、ピスカとの仮初でも感じた、契約の証。
そうして初めて知るアルの波長に、覚えのある感覚を重ねながら、けれどそれは胸の奥へとしまいこむ。それに関してはまた今度だ。回路を取り戻して、その上で再びここへ戻ってきた時に答え合わせをするとしよう。
「っあぁ……! クラウス、ようやく捕まえた……!」
「そんなに嬉しいもの?」
「ずっと隣で歯噛みしてきたのよ? 昔の約束がようやく一つ果たされた事に浸ってもいいでしょう?」
アルとは幼少の頃沢山時間を共にした。その中で子供心に幾つもの夢を描いては二人して笑い合っていた。中にはもちろんアルと契約するなんていう約束もあって。フィーナと出会ってから一度は破ってしまったその誓いを、この場所で取り戻すというのは何か運命染みたものを感じると。そういう意味では確かにアルの気持ちも分からないではないか。
「そこまで待望してくれてたのは僕も嬉しいけれど、本題はここからだよ」
「分かってるわよ。さて、どんな風に望みを叶えるの? どんな風に子供の夢を、大人の現実に変えてくれる?」
何処までも挑戦的に試すようなアルの言葉に、それから肯定されている事を振り翳して多方面へと手を伸ばす。
「まずは一つ、妖精術を作ってみようか。アルとなら簡単にできる気がするけど」
「……それはどうして?」
分かっている答えをわざと問う。それが彼女の理想たる妖精従きのあり方だというのならば答えるとしよう。なにせ妖精は、形あるものしか信じないらしいから。
「アルは妖精古語を読んで理解できる。その上で契約解除の術式も一人で作り上げた……。普通の妖精にしては随分と桁外れだ」
「違うわよ。今の妖精がそんな事も一人で出来ないくらいに小さいだけ。妖精術は元々妖精のもの。自由に扱えて当然でしょ?」
「この時代に生きるアルがそんな事を言うくらいの根拠……アル個人が抱えるそれを可能にするものといえば、特技だね」
敷かれた道の上をアルに導かれながら進んでいく。その背中に声を掛けるたび、彼女は振り返っては更に先へと誘う。そんな幻想を抱くほど、アルとの答え合わせは心地いい。心地いいと感じるほどに、クラウスは正しいのだと実感できる。
「えぇ、そうよ。あたしの特技は、術式目録。妖精術の成り立ちを読み解きそれを全て記憶する。その記録から……無から有なる妖精術を新たに作り出す」
「妖精術の蓄積と開発、それを可能にする特技……」
それに気付いたのは、アルと契約したから。回路を介し、密かに妖精語の会話を成そうとした時に流れ込んできた彼女に関する情報。
この地は妖精力に溢れた場所だ。クラウスの身につけた妖精への干渉も、この地だからこそ活性化されて更に一段階上の力を得る。
会話だけではない。回路を……波長を介してその妖精を知る力。
クラウスが手にした────妖精への干渉範囲。クラウスにだって妖精の血が流れているのだ。妖精らしさが刺激されれば、歪んで眠るその力も限定的だが使える。
もっと言えば、アルやフィーナと調波で波長を平均化すれば妖精由来の波長が強くなってもっと強力に顕在化する力だ。それが何処まで干渉範囲を伸ばし、何を知るのか……クラウスにさえ想像がつかない未知の力だ。
だからこそ面白いと。人間が知りえない妖精が、まだこんなにもあるのだと胸が躍る。
「特にそれは、妖精力が供給されるのならば更に沢山の恩恵を齎す……。だからこそ、僕がこの特技を持ってるのかな」
「さぁ、どうかしら」
調波。妖精との交じり合いを更に加速させ深くする心を明け渡すような特技。
クォーターだからかもしれない。クォーターとの契約だからかもしれない。けれどそれ以上に、クラウスだからと自分に言い聞かせた方がしっくり来る。
「アル、手を貸して」
「貸さないわ。貸すより前に、クラウスのものだもの」
記憶の中のアルよりも饒舌に景色を彩る音に楽しくなりつつ、触れた指先から彼女の波長を掴み取り特技を発動して同調させる。
そうしてアルへの妖精力の共有を更に加速させる中で、体の中に流れる波長の均衡が妖精と人間でつり合って……その刹那に辺りから感じる膨大な波長に眩暈すら覚える。
気付いてはいた視線。木々の間から遠巻きにこちらを見つめていた妖精の波長。様々な色と形と数を持つそれらに知る。
先ほどはアルだけからしか知れなかった妖精についてを、今は既に周りの契約していない妖精からも感じる。
あのこはシルキー。あのこはザントマン。あのこはブラウニー。あのこはアルプ。
見回すだけで、どのこがどんな妖性を秘めているのかさえ手に取るようにわかる。
そんな中で特別目を引くのは二人。
一人はもちろんクラウスのもうはんぶん、フィーナ。彼女の波長も当然のように知る。知るからこそ捕まえて、彼女の胸の奥の寂しい感情にも気付くし、契約なんてなくてもそれを慰める為の妖精語での会話も出来る。
「っ……!」
驚いた様子のフィーナに笑えば、彼女も声を返してくる。
『はいっ、大丈夫ですっ! 待ってますっ。だから、クラウスさんはクラウスさんでいてくださいっ』
もちろんだ。クラウスがクラウスでいる為には、彼女の存在は不可欠だ。
それからもう一人。クラウスが視線を向けた先は、ファウナ。
人間大にして、妖精の波長を持つ存在。そこから感じる違和感に問いを重ねる。
「ファウナさんは──」
「うぅ、もっと隠し通せると思ったのに……」
「エルフィムだね?」
エルフィム。エルフと妖精の混血。妖精の都であるこんな場所に彼女がいるという事実に、幾つもの想像が現実になっていく音を聞きながら。追い求めるは彼女について。
「でもエルフィムは妖精術も精霊術も使えない。妖精も目に見えない。この世界で最も爪弾き者と呼ばれるその一端だ」
片親を知らず、妖精の血を持ちながら妖精に愛されない。そんな歪さを湛えた彼女は、けれど今目の前に──妖精として存在する。
「そんな君が妖精の波長を前面に押し出してこんな場所にいる。今の君から感じる波長は妖精そのものだ。理由は、それだね?」
言ってクラウスが指差したのはファウナの首許。そこに光る首飾り。
少しだけ見つめてみるが感じる妖精力からはそれがどんな力を持っているのかまでは分からない。
「……なんだろう、触れば分かる気もするけれど」
「うぅ、もういいですっ。全部白状しますからそれ以上わたしの中を覗かないでくださいっ」
少しだけ意地悪に問えば、降参をするようにクラウスを睨む彼女。からかって悪かったと笑顔で謝れば唇を尖らせてそれから語り出す。
「……これも、妖精の遺産です。身に着けた者に眠る妖精の波長を引き出す。妖精の本質を詳らかにする、とても不躾な道具」
「エルフィムという血筋である以上、ここにいれば色々な騒動を引き起こす。だからその首飾りで妖精の部分だけを活性化させて妖精のようにしているわけか」
納得と共に零せばファウナは頷いて続ける。
「エルフと妖精の間に生まれたわたしは、けれど確かに妖精としての血も持っているんです。その妖性がフォーン。だから間違いではないんですよ?」
「けれどフォーンはこの場所の管理者。外に出ない妖精である君の片親が、どうやってここより外の世界のエルフと繋がりを持つのか……」
「それをわたしの前で明かすんですか?」
「いいや、それは然るべき時に」
もちろんクラウスはそれにも行き着いている。もう少し根拠は欲しい推論ではあるが、その辺りを中心に今後調べればわかる事だ。
「……そんな君が、ここで妖精として生きるには妖精としての名前が必要だ。それがファウナ……財宝を守護する者、その女性名だね」
「ソロモンやギュゲースを知らなかったクラウスさんには言っても分からないでしょうけれど、この名を授かる者は妖精と神様の間に生まれる子なんです」
神様。その存在自体はこの世界にはいないものだ。けれど言葉としては存在する概念で、曖昧なもの。人より更に上位の存在だと文献で目にしたが、生憎そんな不確かなものを信じる気にはならない。
そもそも、神様なんてこの世界には存在しないのだ。だから崇める対象にもならなければ、宗教と呼ばれる集団も存在しない。それらについてはブランデンブルクよりもスハイルの方が詳しいはずだ。生憎興味がないからこれまで調べては来なかったが、どうやらその神様とやらが彼女の名には関係しているらしい。
「妖精はニュンペー、神様はファウヌス……。その間に生まれた子がファウナなんです。ちなみにファウヌスには狼を遠ざけるものなんて意味もあるんですよ?」
この場合の狼というのは即ち欲を食らう略奪者。簒奪せんが為に手を伸ばす者から豊穣を──財を守る。だからこそフォーンという妖精は財宝の守護者としての意味を持つ。
「その話で行くとエルフが神様、って事にはなるけれど……そんな事はないよね」
「そうですね」
なにせエルフは存在している。名前だけの神様とは並び立たない。
「うん。それで、妖精としてはファウナという名前を持つ君は、けれどエルフィムとしては違うはずだ。妖精としてのファウナはここに居る間だけ。この地を離れその首飾りを外せば、君はエルフィムとして別の名前を持つ……」
どちらが仮初かなんてそんな事はどうでもいい。
ただ彼女には、もう一つの顔がある。
「神様なんて存在は特にスハイルで取り沙汰される概念だ。だからこそ君はその地、スハイルにいるべきエルフィム……。僕は君に会った事がある。話をして、秘密を秘密のままにしていた彼女の幼馴染……」
彼女との最後の答え合わせだと視線で訴えながら告げれば、クラウスの紡ぐ音に合わせて首に掛けたその飾りを取るファウナ。その妖精の翅のない、ブロンドの髪にコバルトグリーンの瞳。長い耳殻に女性らしい体躯をしたエルフィム。
「久しぶりだね、ヘレナさん」




