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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
高らかに嘶く鎮魂歌(レクイエム)
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第二章

 翌朝、冬の青空の下、校門で待っているとユーリアが姿を見せた。

 黒い中着に重ねた淡い黄色の温かそうな襯衣(しんい)。襞打つ下履きから覗く足は黒い長靴下に覆われ、艶かしくもすらりと伸びる。足音を響かせるのは焦げ茶色の重厚ながらもお洒落な深靴。首元には襟巻きが巻かれ、頭には毛糸の帽子。

 冬の装いとしては少しだけ寒そうな感じがするが、何かで女性のお洒落は忍耐との勝負だという言葉を目にした事がある。あれは何の本だったか……。

 考えていると、こちらを覗きこむユーリアが目の前にいて咄嗟にいつものクラウスが前に出る。


「おはよう。よく似合ってるね」

「……寒いだけよ。アンネに着せられたの」


 言って服の裾を引っ張るユーリア。

 彼女からしてみれば動きやすい長い丈の下服の方がいいのだろう。けれどそれを許さなかったアンネに女性物を履かされて、それを断らなかった。

 そう言えば彼女の私服の女性服姿を見るのはこれが二度目だ。一度目はフェリクスの工房へ遊びに行ったとき。

 性別分けされた女性らしい服装は学院でも目に出来る。けれど制服は全員が同じ物を着ているし、違うと言えば首元を装飾が彩るかそうでないかとか、上に何かを羽織っているかとかそうでないかとか。

 何にせよ、学院の制服は皆が同じ物を着ているために独自性が感じられない。見慣れてしまったが故の感慨だ。もちろん制服姿もきっちりとしていて、凛とした彼女にはよく似合っているのだが。


「クラウスこそ、何着ても卒なく着こなすわよね。服を選ばないというか」

「そうかな? あんまり気を回した事がないけど」


 指摘されて自分の事だけに関心が薄い事に気付く。

 クラウスはクラウスだが、その殆どは他人の印象に頼った外面だ。

 その方が相手を利用しやすいし、自分では無い何かを演じるだけで済むので楽なのだ。

 今日の服装も上着は長袖の襯衣に外套を重ね、下は冬らしく裾の長いそれだけという、独創性にかける有り触れた出で立ちだ。そう考えれば、ユーリアの服装と比べて何と味気ないことか。


「それでもある程度様になるんだから素材がいいのは得よね」

「そんなこと言ったらテオなんか服の方が追いつかないよ」

「あれは規格外よ。だから理想にはなっても現実にはなりえないでしょう?」

「楽しみ方は人それぞれだけど、テオにそれを言わないようにね」

「言ったところでどうなるのよ……」

「絶対に手の届かない偶像になりやがる」

「ならばやっぱり間違ってないじゃない」


 ユーリアの満足気な答えに小さく笑って歩き出す。確かにそうして考えればユーリアの考え方も嘘では無いか。だとしたら彼の隣を射止めたニーナこそ、クラウスにとって恐ろしい存在である気がして来る。

 やはりエルフの特別性は規格外かとどうでもいい事のように考えて思考を目の前に。


「それで、今日はどうしたの? 流石にただの遊びって訳じゃないでしょ?」

「……クラウスは私を何だと思ってるのよ。まぁ、想像通りだけど」


 言葉の後半、語調を落としたユーリアは真剣な表情で告げる。


「明日軍の仕事があって。いかにもクラウスが好きそうな話題だったから話しておこうかと思って」


 と言うと妖精の国(アルフヘイム)とかだろうか? というかそんな事をクラウスに喋っていいのだろうか。機密事項なのでは?


「回帰の揺籃歌(ベルスーズ)。あれのお披露目というか、臨時の会談が開かれるらしいわよ」

「もうそんなところまで話が進んでたんだね。流石あの人の考えた術式ってところかな」


 今は亡きローザリンデの事を脳裏に思い浮かべて少しだけ嬉しくなる。

 彼女は、クラウスが最も尊敬する人物だ。


「けれどそれまではまだ妖精変調(フィーリエーション)の影響下って事。つまり──」

「妖性の覚醒はまだ終わってない」

「今も尚増え続けてるし、話はそこに端を発するんだけど」


 妖精の本質を詳らかにする世界に蔓延る理。それを抑制する揺籃歌。

 その均衡を目前に控えた、国を挙げての大仕事。


「妖精変調の影響を受けた妖精は揺籃歌でも元には戻らない。だったらその妖精たちはどうなると思う?」

「世界の爪弾き者……僕みたいな扱いを受ける事になるだろうね」

「……クラウスは別として、妖精は世界の伴侶よ。そこに亀裂が生まれる事を容認する事はできない」

「つまり今回の任務はその本質を(あらわ)にした妖精たちを助けるって事になるのかな」

「えぇ。特別視をするつもりは無いけど、妖精変調の影響を受けた妖精たちの事は回帰種(フィーリス)って呼んでるわ」


 回帰種。その言葉が更なる軋轢を生まない事を祈るばかりだ。


「回帰種の保護。それが今回の任務って事にはなるけれど、やっぱりそこには危険な存在もいるわけだし」

「あぁ、ゴブリンとかレッドキャップとかか」


 クラウスが言葉にすれば、ユーリアが頷く。

 ゴブリンなどは妖精の中でも加虐嗜好の強い種類だ。今までの妖精としての性格で言えば血の気の多い者が多い。属性として分類される時は(フラム)だろうか。火を吐く想像は余りできないが、そればかりが炎に属する妖精ではない。

 確かに炎や水、大地、風などに直接関わりのある存在はそのままに分類されるはずだ。

 けれど炎は破壊の象徴であったりと、それぞれに司る形と言うものがある。

 (ウィルム)は治癒。流れに身を任せ形を変える、不定形。(グラド)は創造。形あるものに関わり生み出す、定着や固定。(フェリヤ)は遍在。目に見えない存在としてそこにある、空間や知覚できない想像。

 全てのものはこの属性に分類されるというが、一概に確定しているものは少ない。魂もその一つだ。

 一般的に魂とは目に見えず知覚できないために風の属性として扱われるが、ヘルフリートやジャッキーのように炎でも魂に干渉範囲を持つ妖精はいるし、生命の繋がりと言う意味では水にも。そして大地に根付いて存在するという意味では地にも属する。

 ただ、傾向と言うものもやはりどこかにあって、だからこそ妖精は属性に分類する事ができる。


「それで、保護するって一体どんな方法で? さすがに意思疎通を図らずに一方的に捕まえるわけじゃないんでしょ?」

「……そこはさすがに言えないわ。ただ回帰種と意志を交わす算段はついてるから問題は無いと思う」


 クラウスのように直接妖精語で語りかけるというのは中々に難しい話だ。

 クラウスがそのやり方を手にしたのだって、アルの助言とフィーナの助力。それから時間があっての結果に……クォーターであったこと。

 幾つかの偶然の上に手繰り寄せた結果に過ぎない。

 そんな回りくどい、可能性の限られたやり方を国が採用するわけはなく、だとしたらクラウスが手にした方法とはまた違った接触方法なのだろうと想像を巡らせる。

 一番可能性が高いのは妖精術でどうにかすることだろうか……?


「なるほどね……。因みにこれまでの話を僕に密告する事は大丈夫なの?」

「…………保険らしいわよ。ただ話をするだけ。直接首は突っ込まないで」

「誰の命?」

「……陛下。今回の任務が勅命だから」


 それは信頼なのだろうか。それとも釘を刺して出方を窺っているのだろうか。

 前に考えた、ヒルデベルトの思惑が脳裏を過ぎる。

 アンネをクラウスの専属にしたり、ヘルフリートの自由を尊重したり。こちらにとっては良い事ばかりだが、それで全てが片付くなら世界はこんなに混沌としていない。

 まぁ危険な話だ。そこまで見返りがないようなら、もとより首を突っ込む理由もない。

 ただそう言う存在も確かにいると納得して記憶に留めておくとしよう。


「別にそこまで危険になる予定は無いから。それに隊でも後ろの方にいるし」

「ユーリアに危険が及ばないならそれが僕にとっての何よりの収穫だね」

「……そういう軽口はもっと別の女の子に使ってあげれば?」

「ただからかうために口にしてると思われてるなら訂正したいところだけど」


 僅かに本心を覗かせれば隣を歩くユーリアは肩を微かに揺らした。

 その反応に珍しいと思いつつ視線を向ければ、彼女は逃げるように早足になる。

 ようやくこの頃ユーリアの事も分かり始めたというのに……。お願いだからユーリアを守る為に、もう少しだけクラウスを近くに置いて欲しいと胸の内で願う。


「そんな軽薄な言葉で全員が好感を抱くなんて思ってるなら大間違いよっ」

「思ってないよ。それに僕は何時だって思った事を口にしてるだけ」

「だったら軽薄なんかじゃなくて軽率ね。もう少し考えて言葉にしたら?」


 頑ななユーリアの態度にどうしたものかと悩みながらその背中を追いかける。

 さすがにここで彼女と距離が開くのは避けたい。そうでなくともそろそろ繋がりがないとクラウスも動けなくなるというのに。ユーリアはもう少し自分の存在価値に気付いたらどうだろうか?


「分かった、悪かった。今後そういう言動は慎むから……」

「その言葉がその場限りの言い訳でない事を信じられると思う?」

「まぁ確かに今信じてってのは少し無茶が過ぎるかもだけど、これから信じてもらえばそれで納得してもらえるでしょ?」

「舌の根も乾かないうちによくもそんな虚言がのたまえたものね。それに今更そんな気味の悪い言葉聞かされてもどうにもならないわよ……」

「それじゃあいつも通りにさせてもらうよ。ユーリアだから言葉にする、これに嘘は吐かないよ」


 二転、三転した話の終着点を元に戻せば、前を歩くユーリアは足を止める。

 そうしてこちらに振り返ったユーリアの表情は、これまで見た事がないほど絶望の色を灯してクラウスの事を射抜いていた。

 煽りすぎたか……。

 らしくない言葉回しをするものではないと今更ながらに後悔して、それからどう彼女の気を引こうかと想像を巡らせる。


「……認めたくない事にね、今の一言で安心した自分がいたのよ。もちろんその言葉の意味にじゃないわよ? ようやくクラウスがいつも通りを取り戻したから」

「……………………うん」

「何悩んでるのか知らないけれど、そんなに他人に相談するのが嫌? それとも、私じゃクラウスの()け口にもなれない?」


 それはユーリアだからだ……と言葉に出来ればどれ程楽か。

 けれどそれを飲み込んでしまうからクラウスだし、それを直感でも悟ってしまうからユーリアなのだ。

 胸の内を覗かれた様な彼女の言葉にクラウスは黙り込む。

 確かにクラウスは悩んでいた。その悩みの種が何処に根付いているのかも知っている。

 しかしそれはクラウスの問題で、彼女を巻き込むわけには行かない話だ。

 捌け口にすれば、きっと彼女は親身になってくれるだろう。

 誰よりも真っ直ぐで嘘が嫌いなユーリアだから、クラウスの事を友達だと思っていてくれるなら、今までの恩義と(うそぶ)いて手を貸してくれるに違いない。

 だがそれは駄目なのだ。それでは本当にユーリアを危険に巻き込んでしまうから。ユーリアだからこそ、見てはいけない深遠を覗いてしまうから。

 彼女にはクラウスの正義を体現する剣でいてもらわなくてはならない。その為には、彼女が何かの錆びに蝕まれることがあってはならないのだ。


「……ユーリアに話してどうにかなる問題じゃないってだけだよ。ごめんね、気を遣わせて」

「別に心配してるわけじゃないわよ。ただクラウスがいつも通りでないと私が────」


 言いかけてやめる。

 言葉の先を引っ込めた彼女に笑顔で答えて隣に並んだ。


「お礼って訳じゃないけど気が済むまで付き合うよ。時間あるんでしょ?」

「…………えぇ」


 経験上、どこかでそうなる流れだと分かっていたはずだ。ユーリアは余り言葉を重ねる性格をしているわけではない。言いたい事を言って、それがある程度相手に伝わればそれでよしとする場合が多いのだ。

 そうなれば必然暇な時間というものは生まれるわけで。もし本当に逼迫(ひっぱく)しているならば外に遊びに出てくるなんて事はないはずだ。

 ……自惚れてもいいのなら、彼女のその予定の中に、こうして一緒に遊ぶ事も初めから入っている。

 その事実に気付いて、けれど言葉にしないまま歩みを進める。


「さて、何処に行こうか?」

「言ったでしょ、何処に行くかはクラウスが決めてって」

「そう言えばそうだったね」


 全く考えてなかったと直ぐに頭の中を旅すれば、珍しく行き先の候補に詰まった。

 そんなに引き出しがないのかと頭の中を見つめ直して、それから至る。

 今までユーリアと一緒に外へ出る時は最初から目的があったのだ。

 それを丸投げされて、いざ彼女の好みはと聞かれた時に、そう言えばクラウスはユーリアの事をそこまで詳しく知らないのだと。

 迂闊だったと少しだけ自分を呪って、それから今までの記憶から類推する。

 春から考えればそう長い時間を一緒に過ごしたわけではない。その中で彼女が興味を引かれた事柄を抽出して幾つかの道を作り出す。


「とりあえず何か食べようか。そろそろお昼時だしね。その後でどこか遊びに行くとしようよ」

「……それもそうね。もちろん食事処はクラウスに任せてもいいのよね?」

「お願いだから酷評するなら店を出てからにしてね?」

「そんな自信のないところに行きたくないわよ」


 言いつつ隣を歩くユーリアはどこか楽しそうに薄く笑みを浮かべる。

 ようやくいつも通りだ。ここからどうにか彼女にも楽しんでもらうとしよう。

 変わらない軽口を歩調に合わせて軽快に紡げば、ユーリアもいつものように呆れ顔で一々真面目に答えを返してくれる。

 それもまた彼女らしさだし、クラウスにはきっと真似できない生き様だ。

 性格というものはそう変わらないからこそ、その人自身を彩る中核となる。もし人間の心に喜怒哀楽なんていう感情がなくて、ただ機械的に物事をこなすだけの歯車ならば、そこには愛を初めとする繋がりなんてありえない。

 価値観があるからこそ、こうしてぶつかりどこかで馴染み合うのだと気付けば、少しだけ今の楽しみ方に近付けた気がしたクラウスだった。

 ユーリアと連れ立って入った店で食事を取って再び町へとくり出す。石畳の道は陽光に照らされて、けれどそこまで暑いわけでもなく。この冬まだ一度も降っていない雪に少しだけ思いを馳せながら人の合間をすり抜けていく。

 ユールが近付いている所為か、人の波は二人組みの男女の顔ぶれが多い。そんな景色の中にいるクラウスとユーリアだ。変に景色に浮くと言うことは無いが、きっとどこかで勘違いはされているのだろうと思いながら目的地へ。

 辿り着いたのは可愛らしい小物やぬいぐるみを売っているお店。

 学院祭の折、彼女と校内を回ったときに手に入れた狐のぬいぐるみ。クラウスの記憶の中ではきっと初めて彼女の笑顔を見た景色だ。記憶にも残るというもの。

 あの笑顔を嘘だとは思わない。だとするならば、少なくとも趣味に合わないということは無いはずだ。


「……何か贈り物?」

「ユールアフトンのね。ユーリアは何か欲しいものは?」

「…………別に恋焦がれるほどぬいぐるみを集めてるわけではないもの……」


 少しだけ空いた間は、彼女なりに論点をずらそうとした結果だろうか。

 もちろんクラウスの問いはユールアフトンのために準備する彼女への贈り物だ。ユールの前日。その日に贈る大切な人へのこころからの贈り物。

 きっと彼女だって気付いているはずだ。けれどそれを言葉にするのは躊躇われたか、視線を逸らして答える彼女。

 ユーリアからしてみれば予想外だったかもしれない。クラウスだって本当なら一人で買い求めに来たはずだ。

 けれど偶然にも彼女と二人きりの時間を手に入れたから。ならば何よりも彼女に聞けば間違いは無いだろうと。

 しかしクラウスのそんな問いに、ユーリアは気付いても尚そこには踏み込ませてもはもらえない。

 身持ちの固い少女だと彼女らしさを尊敬すれば、店の中を見回す。

 さて、どんな物なら彼女への贈り物として相応しいだろうか?


「……逆に、クラウスは何かないの?」

「え……? あぁ、そうだね……何を貰うか、よりも誰に貰うか、じゃないかな?」

「有り触れた回答ね」

「個人的にそれが真実だと思うからね。もちろん貰う相手にもよるだろうけれど」


 彼女の問いかけに返せば、それから口を閉ざし店の中で別行動を取る。

 できることなら、それがクラウスの贈り物に対する単なるお返しでない事を祈るばかりだ。

 願いつつ、ぐるりと店内を見回して、それからあるぬいぐるみを買い求める。

 変わった意匠を施されたぬいぐるみだ。その所為か少しだけ高かったが、今まで国の任務の報酬で暖まった懐があったのでこの際だからと購入。気に入ってもらえるといいのだが……。

 それからユーリアを探して、彼女の背中を見つける。


「何かいいのはあった?」

「うるさい」

「……それはごめん。外で待ってるよ」


 こればかりは仕方ないかと諦めて店の外へ。

 軒から出れば降り注ぐ陽光が眩しくて手で庇う。

 冬の陽光。そこまで暑くは無いが、見上げれば眩しい光の雨に打たれながらぼーっとする。

 乾いた風が傍を通り過ぎて、それから喉の渇きを自覚する。

 水分補給でもするとしようか。

 そんな事を考えて出した足が、耳に飛び込んできた高い悲鳴に止められる。

 声をした方に振り向けば先程出てきた店内。何かあったのだろうかと急いで中を確認すれば、可愛らしい店内に不釣合いな大柄な男性が人の輪の中心にいた。 

 断りを入れて中へ。そうして目にした景色の中で、大男は手に刃物を持っている事に気が付く。

 強盗か、万引きか……。何にせよそういう類の目的でここにいるのだろう。でなければ刃物をちらつかせるなんてそんな事はしない。

 面倒事だと頭を抱えたその刹那、大男が視線を向ける先にユーリアの姿がある事に少しだけ考える。

 彼女は今大きなぬいぐるみを両手に抱えて刃物を向けられ、動けない状態だ。下手に騒ぎを大きくすれば別の被害も出るだろう。

 震える店員の姿が目に入ってどうしようかと逡巡。次の瞬間、気付けば彼女が持っていたぬいぐるみが宙を舞っていた。

 ひるりくるりと弧を描いたぬいぐるみはやがてクラウスの手元に。直ぐにその意味に気付いて顔を上げれば、既にユーリアが床を蹴っていた。

 突然の事にぬいぐるみへ視線を持っていかれた大男。その懐に入り込んで手首を捻り刃物を手から外すと、そのまま足を掛けて床に叩きつける。

 短い呻き声を思考の外に、そのまま組み敷いたユーリアは間接を極めてその場に押さえ込んだ。

 相手が悪かったと大男の不運を呪いつつユーリアに近づく。


「肩くらい外しても大丈夫よね?」

「そんなことするよりこうした方が楽だよ」


 答えつつ男の頭に片手を宛がって方陣を一つ展開。刹那、びくんと一つ揺れたその体躯から力が抜けて床に伸びる。

 無力化なら意識を奪うに限る。確保された安全に、落ちた刃物を拾い上げると店員を見つけて声を掛ける。


「彼は僕達が引き渡しておくので安心してください。店内の事はお願いします」

「え…………あ、はいっ。あ、ありがとうございますっ」

「あぁ、後これ、いただけますか?」

「あ、えっと……それでは会計へっ」


 可愛らしい店員さんに笑顔を向けて出来る限り優しく対応。最初の一石として先程ユーリアから受け取ったぬいぐるみを買い求める。

 それから気絶した大男のところへ戻ると、彼女はどうにか運び出そうと担ぎ上げようとしていた。


「ユーリア、交代しよ。女の子が持つのはぬいぐるみ程の重さで充分だ」

「そういうのいらないから……。でもお願い、こいつ重いし」


 恰幅のいい大人を持ち上げられる少女の方がクラウスは恐ろしいと小さく笑って、それから妖精術を一つ。反転術式で運動量を反転して重さを打ち消すと、その体を背負って店を出る。

 道行く人からは奇異の視線で見られたがそれは仕方ないか。


「何だか平穏に遊ぶって雰囲気じゃなくなっちゃったね」

「だからといって見過ごすわけには行かないでしょう?」

「これからどうしようか?」

「……一つ、いいかしら?」

「難題でなければ受け入れる覚悟はいつだって」


 いつものように軽口で答えれば、ユーリアの口から零れた提案に頷く。

 そう言えばそんな約束もあったと。彼女にしてみれば誘った予定で面倒事を背負い込んだちょっとした償いなのかもしれない。

 まぁ、いい機会かと納得してその足はブランデンブルク城へ。

 城の近くには犯罪者の拘置所なども存在する。何かあった時のための鎮圧部隊……妖精騎士(フィリット)達も近くにいることである程度の安全は保障されている。

 もちろん王の居城近くにそんなものがあることに異を唱えるものもいたりするだろうが、それはまた別の話。

 近くを巡回していた騎士に話を通せば、そこからの運搬は彼が引き受けてくれた。一応参考人と言うことでユーリアたちも取調べを受けたがそれも僅かの間。

 やがて開放された二人は先程交わした約束を果たすために一度町へ戻り、それから必要な物を揃えて寮へと戻る。

 きっと当初の予定とはずれてしまったのだろうが仕方ない。

 あんな災いの嵐を予想しろと言う方が難題だ。

 起こってしまった事だと割り切って、それからクラウスの部屋へ着いた二人はとりあえず休憩と飲み物を用意して座り込む。


「……また本が増えたわね」

「何処に何が眠ってるか分からないからね。気になったのは買うようにしてるから」

「節操なしと言うか……これは?」

「アンネさんに頼んで国外から取り寄せてもらったんだ。色々な妖精の事が載ってるよ? 気になるなら目を通してみれば?」


 クラウスが答えるが早いか、図鑑のように分厚いその本を広げるユーリア。本の題名は妖性大辞典。リアナンの正体を探るときにも使用した妖性に関する本だ。

 そう言えば回帰種の保護の話があったと。予習と言う意味では予想される接触対象の知識を得ておくのは悪いことではないはずだ。


「暇なら少し調べ物でもする?」

「……そうね。とりあえずゴブリンとかドワーフとかデュ────」


 いいかけた言葉をユーリアが引っ込める。

 思わず顔を上げて彼女の方を窺えば、逃げるように次の言葉を重ねた。

 まぁいい、大体想像はつくし、無理に聞いて機嫌を損ねることでもあるまい。


「そんな感じの妖性が剝き出しになってる種類が今回の対象だから。クラウスの事だからどうせ既に幾つか耳に入ってるでしょ?」

「軍の情報と比べると劣るかもしれないけどね。まぁそれなりには」

「だったらとりあえず手伝って。主に地に属する妖精が関係あると思うから」


 ユーリアの得意とする属性は風だ。地に有利で炎に不利。予め分かっているなら得意分野で望むのが当然の切り口だ。

 何かあった時のための対策として相手を知る。その方法がどれ程面倒でも、知っているのとそうでないのには差が出る。

 軍と言う場所は大概実力主義だ。ならば結果を残し足を引っ張らないためにも出来る準備はしておくに限るというもの。


「とは言っても極一般的に知られてる程度の事しか僕も知らないけどねー」


 言いつつ幾つかの本を棚から引っこ抜く。

 まぁ復習だと思えばいいかと。時間を無駄にするのも勿体無いので、ユーリアの調べ物に付き合う。

 そうして読んでいく中で幾つかの単語が頭から離れなくなっていく。

 クラウスが今読んでいるのは所謂冒険譚だ。ユーリアの語ったような妖性はよく物語の中にも出てくる。特に世界を渡り歩く主人公の周りで変化する景色に合わせて多種多様な妖精の姿を確認でき、それらに左右される話も出てくる。

 中でもよく題材にされるのがゴブリンやスプリガンと言った加虐性の強い存在だ。

 大抵の場合、主人公が正義として描かれる冒険譚。分かりやすく話を進めたければ正義に対する悪、問題を起こす火種が出てくるのは当然だ。そこに例えば自然現象にも似た災厄が明確な形としてあれば料理しやすい素材となる。

 結果人間に仇名し、主人公の道行きを妨げる障害としてその存在達は悪として描かれる事が多い。

 その悪の頂点。よく出てくるのはドラゴンのような無慈悲の象徴であったり、デュラハンなどの死や恐怖の意味を持つ存在などだ。

 今クラウスが読んでいる話には後者、デュラハンが登場する。その名前は先程ユーリアも口にしかけた。少し前にはアンネも明言こそしなかったが会話ににおわせた。

 ここまで情報が揃えば想像に難くない。

 デュラハンは別名首なし騎士とも呼ばれる死の象徴だ。

 コシュタ・バワーという首なし馬が引く馬車に乗り、自分の首をぶら下げた、鎌を携えた妖精。その刃に罹ればたちまちに命を削り取られ、道理を捻じ曲げて現実足らしめる文字通りの死の権化。

 バンシーと違うのはその存在が確かな武力を持って魂を追いかけてくるということだ。

 鎌自体は似たような武具もあることで恐怖心を煽り、更には闇に溶ける黒い衣に、表情の分からない首なし姿。人型をしているのも嫌悪感を抱かせる一つの要因だろうか。

 死は人にとって平等な終わりだ。死した後、何処に向かうのかはその人の観念に基づくところだが、少なくとも生きていることの最後には死が待ち受ける。一般的に痛みが伴うその死は、故意的に奪われるという恐怖を重ねることで更に大きな忌避観へと変わり否定したい、拒絶し難い存在へと昇華する。

 それを鎌一つで無造作に切り裂く埒外の存在。それがデュラハンをデュラハンたらしめ、恐怖を刻み淘汰すべき悪として描かれる事が多い、畏怖の象徴だ。


「……安全なところだとノッカーとかなのかな。あぁ、後一つ僕個人が気になるのはガンコナーだけど」

「何それ…………」


 ノッカーは坑道に住むと言われる妖精だ。鉱夫達に鉱脈の在り処や崩落の危険を教える、どちらかといえば人間にとって都合のいい存在だ。

 岩肌を叩く音が彼らがそこにいる合図。私生活を覗くとその坑道から去ってしまい、鉱山が枯れてしまうとも言われる土地を守護する者達。

 それからクラウスが上げたガンコナー。言い寄り魔とも呼ばれ、若い男性の姿で可憐な女を拐かすアルプやリャナンシーにも似た魔性の存在だ。

 ガンコナーは女性限定の口説き屋で、その存在に魅入って恋焦がれてしまえば虜になったまま他の何をも愛さず死に至るという、心を奪い去る妖精だ。

 本来は老人の姿で、女の前に現れるときだけ若い男の姿となる。遍在し、姿を変え、不定形。属するのは風や水だが、クラウスとしては彼女が囁かれて連れて行かれないかと言う危惧の方が大きい。

 どちらかと言えば眉唾な言い伝えの存在だ。けれど知ってしまえばその想像をしてしまうのが悪い癖。そうして口にすれば、彼女は呆れたように肩を揺らす。


「なら関係ないでしょ、私は乙女なんて理想とは程遠いもの」

「乙女って言葉が似合わないほど優れているって?」

「……ガンコナーが何言ってるのかしら…………」


 反撃の言霊を貰って次ぐ言葉が見つからずに黙り込む。……いや、言葉はあったのだが言えばその分泥沼に足を取られる気がしてそれ以上の被害を控えたのだ。

 そんなクラウスの沈黙に彼女は何を感じたのか、満足そうに鼻を鳴らして一笑に付すとそれから再び手元の図鑑に目を落とした。

 違う。これは戦略的撤退だ。進軍の方向を背後に変えただけだ。

 言い訳がましく胸の内で捲くし立てて、それから小さく息を吐く。

 別にこれ以上は必要ないか……。最後に決定打さえあればクラウスの予定通りだ。

 今いる彼女の立ち位置を冷静に分析してクラウスの野望に照らし合わせる。

 例えそれを彼女が知っていたとしても、彼女も彼女なりの理由があってそこにいなければならないはず。そのための秘策も手の内にある。

 どうでもいい風を装って本に目を走らせながら告げる。


「……そういえばアンネさんの事知ってる?」

「何を……?」

「僕の専属の女中になった話」

「えぇ、彼女から直接聞き質した」


 怖い事を言ってくれる。もし彼女の口からクラウスの都合の悪い言葉が出てきたらどうしてくれるのだ。


「陛下のご意向でしょ?」

「そうなんだけどね。ユーリアとしてはいいのかなって」

「……別に、それはアンネの問題だし、私が口出しすることでは無いでしょう?」


 確かにその通りだが。それは彼女への信頼と言うよりは、ユーリア自身の自分への戒め、だろうか。

 今までは彼女に頼りすぎていた。彼女が近くに居る事が日常になっていて、それを受け入れすぎていた。

 けれどそれではアンネを危険な事に巻き込んでしまうから。そうしないための線引きとして、深くは干渉する事を遠慮しているのだろう。


「アンネの人生はアンネの物よ」


 一度決めた事は彼女の中で曲がらない。ならばその近くに居るべきクラウスは、それをより強固になるように支えるだけだ。


「ユーリアの気持ちもね」

「クラウスは誰の物でもないでしょ?」

「誰かのものになる可能性はあるけどね」

「物好きもいたものね」


 視線でその先を催促してみたが、彼女は返してはくれない。そこまで頑ななのにここまで許してくれているという矛盾。

 クラウスにとっては最後の一線を踏み越えさせてもらえないという生殺し状態……。

 最後の決断を彼女に委ねてしまっているからこそ、どうにもならない遣り切れなさ。

 けれどそれは彼女からの申し出でなくてはならないのだ。そうでなければクラウスの都合が悪いから。

 

「……少なくともそれは僕と同等に変な嗜好の持ち主だろうけどね」

「それで満足しているならいいんじゃない? 吊り合うかどうかは別として」

「前提として僕にも選ぶ権利はあると思うけどね」

「人間の皮被って何を言ってるんだか……」


 言い残して立ち上がった彼女は台所へと向かう。

 もうそんな時間かと窓の外から差し込む陽光に目をやって腰を上げる。


「座ってなさい。そういう約束でしょ?」

「……そうだったね。それじゃあ僕はもう少し調べ物を続けるとしようかな」

「よくもそれだけ集中力が続くわね。そこだけは素直に尊敬するわ」

「ユーリアだって得意分野ではそうなるでしょ?」

「どうかしらね。集中してればそれには気付かないでしょう?」


 それはそうか。では客観視できるクラウスこそがやはりおかしいのだろうか。そういう人種も探せば世界にもう一人くらいいそうなものだが。

 それより先の時間を無駄にしないために戯言をそれ限りに。台所の方から響く調理音を心地よく思いながら手元の本へと視線を滑らせる。

 クラウスには彼女を止める術も理由もない。例え危険な任務に参加しないでくれと我が儘を言ったところで、彼女はそれには頷かない。

 ならばクラウスに出来るのは、止めることではなくて背中を押すこと。彼女が無事に帰ってこられるように一つでも多くの助言をすること。

 たったこれだけの知識で全てを語ろうなどと烏滸(おこ)がましいかもしれないが、それでも彼女が無防備で危険に晒されるのは耐えられないから。

 クラウスの剣として傍に置いておく為に、他人事で縋って振り回す力なら手入れをしっかりしなければ。そうでなくてはいざと言うときにその牙がこちらに向くかも知れないのだ。

 その景色を起こさないために必要なのが愛と言うのならば、それもまた一興と振り回すだけ。

 クラウスにとって自分以外……自分でさえも駒の一つだ。そこに例外は無い。

 例外がないからこそ、無関心という平等で見下す事が出来るのだ。

 クラウスには平等に愛を注ぐなんて事は出来ないから。ならば最初から平等に愛を注がなければいいと言う話。

 非情だといわれればそれこそがクラウスの求めていた答えだ。


「アル、そっちの本取って」

「……知らないわよ、怒られても」

「大義名分ならこの胸の中に既にあるから」


 どうでもいい返答と共に分厚い図鑑を受け取る。

 先程までユーリアが読んでいた妖性大辞典だ。

 その目次を開いて目当ての名前を開く。

 描かれているのは──デュラハン。

 首なし騎士、死の権化、魂を刈る者。それは人間が当て嵌めた記号でしかない。

 バンシーやリャナンシーの件でこれでもかと知った。

 人の当て嵌めた符号など何の意味もなさない。真実は妖精の側から見た時のみにこそ、その扉を叩く権利を得る。

 人の歴史、童話、冒険譚で討ち滅ぼされる悪として描かれる妖精。その存在の本当の姿を慎重に読み解いていく。

 まず簡単なところで分かりきった結論。デュラハンの干渉範囲。死を齎すその存在は、生の魂に干渉するものだ。

 バンシーやリャナンシーと違うのは、それが干渉する魂に依存しないこと。暴虐で陵辱的で、理不尽なほど一方的な死をその魂に縫い付ける、デュラハン側の都合で全てが行われる点だ。

 言わばそれはある種の天災だ。出会えばそれまで、そのとき既に避ける術はなく、ただその現実に打ちのめされるだけの運命と言い切ってもいいほどの災厄。

 そこには有象無象の判断基準は無い。ただ生きていて、生を全うしていて、今ここで死ぬ定めでは無いならば、降りかかる刃だ。

 そんな不合理な存在を惨禍と、破滅と、凶事と呼ばずして何と呼ぶ。

 自然現象で語ることのできる妖精を、天変地異以外の何とする。

 邪知暴虐なる荒唐無稽な魑魅魍魎。

 その名を口にするだけで恐れられる、悪の(ことわり)そのものだ。

 太刀打ちできようものなら、その者こそ物語に出てくる英雄に等しい存在だろうと。

 ならばやはりクラウスはどう足掻いても被害者なのだろうが……。

 もしその可能性を少しでも思い描く事を許されるのなら、そこに立つのがユーリアであって欲しいとクラウスは願う。願うからこそ、彼女の無事を祈る。

 今更の我が儘だ。後一つクラウスの都合が増えたところでどうなることか。計算するだけ無駄な憂慮だ。


「二人はどう思う……?」

「妖精には理由があります。妖精の生きる糧は楽しいことです。けれどそれは、その妖精によって異なると思います」

「戦いに身を投じる事に享楽を見出すかもしれない。愛に溺れる事に存在意義があるかもしれない……。だとしたらこいつは何が目的かって話よ」


 単純に、戦や争いごとと言うならばそれまでだ。けれど妖精とはその干渉範囲にも意味がある。

 樹木に囁きを覚えれば草葉に。水のせせらぎに気持ちを揺られればその流れに。

 魂……人間のそれに干渉範囲を持つデュラハンは、その干渉範囲にこそ目的が存在する筈だ。

 圧倒的な力を持ち、魂を刈り取る刃を振り回し──けれどクラウスにはそれが何か目的に基づくものではと考えている。

 例えば狙われる人間の共通点を知る事が出来れば、その論は意味を持つのだろうが…………。

 死者は語らない。生きる屍というのも物語ではよく登場する存在だが、そこに本能はあっても意識は無いのが常だ。

 死した者から何かを得るのは難しい……。けれど死ななければデュラハンに狙われたかどうかが分からない。

 その僅かな隙間を求めるクラウスの気持ちは、けれど想像止まりで何も結実をしない。

 もしクラウスがその刃に罹るような事があれば、その時に知る事になるのだろうと……。歪んだ未来が脳裏をちらついて本を閉じる。顔を上げれば音にかこちらに顔を向けたユーリアと視線が交わった。


「もうできるわよ。クラウスの調べ物は一段落?」

「いいや…………考えるだけ無駄かもしれないと思って」

「投げるのかしら?」

「それは聞き捨てならないね。それに諦めるってのは手段じゃないからね。生きることへのただの冒涜だよ」

「不敬の塊のくせして言う事は人間臭いわね」

「人間だからね」


 どうでもいい問答だと切り上げて腰を上げる。

 食器を並べるのを手伝って準備を終えれば、ユーリアと共に夕食に手を伸ばす。

 今日の夕食はユーリアの手作りだ。前々から約束していた彼女との睦言だったが、その日程を決めていなかったために急遽今日その話題を持ち出された時は少し焦りもした。

 何せクラウスの部屋にまで押しかけて作ると言い張ったのだ。こちらにだって都合と言うものがあると。けれど拒否する理由もなくこうして相成る。


「……どう?」


 並ぶ皿には主菜に副菜、それから汁物と均整の取れた品揃え。味も食べるに妨げのない程度。

 クラウスのする際の味付けとはまた少し違う……舌に走る刺激は辛味か。

 フィーナ達がいる都合、味付けは甘口になる事が多いクラウスの料理だ。彼女達の口には合うだろうか?

 思いつつ、均等に口に運んでそれぞれを味わい逆に質問を重ねる。


「どんな返答が欲しいかによるよね」

「誰に質問してると思ってるのよ」

「……そうか、そうだね。だったら僕個人の意見を…………。もう少しユーリアなりの工夫を一つ入れてもいいかもね。普通に料理としては美味しいからね」

「そうね……因みにクラウスだったらどうする?」


 参考にしようと言う質問。彼女の声に手を止めて皿の上に乗った料理を見つめる。

 主菜は肉。辛さがいい具合に食欲を煽ってくれる。副菜は優しい自然の味。それから落ち着いた汁物。今回は甘めのトーキビ風味だ。

 そこに一工夫。例えば……。


「……肉を食べるための調味料を何種類か用意するとか。それだけで好みを相手に委ねられるし、飽きずに色々な味を楽しめる。もちろん手間は掛かるけどね」

「一人で食べるのにそんな面倒臭いことすると思う?」

「自分一人ならそうだろうね。けど誰かの為にっていう前提があるなら違うんじゃない? ほら、よく言うでしょ、愛情こそが最高の調味料だって」

「なら今回は酷評されても仕方ないわね」


 いつも通りの返しにユーリアも変わらないと笑えば、彼女は口を閉ざして食事を再開する。

 相変わらずの素直には纏まらない会話。クラウスとしてはどちらかに白旗が揚がるまでと言うのが理想な展開だが、彼女はそれが分かるとなると先に逃げてしまう。否、彼女が逃げられるようにクラウスは楽しんでいる。

 アンネの時とはまた違う。意味を見出さないからこそどんな時でも気軽に言葉にして、どうでも良い事のようにそこら辺へと転がす。


「ユーリアは納得いかないかもしれないけど、僕はこの味を忘れないよ」

「勝手にすればいいじゃない。その内食べ飽き────」


 いいかけた言葉を引っ込める。視線でその先を求めてみたが耳朶を赤くした以外に反応はもらえなかった。

 まぁいい。そうなる事がクラウスにとっての理想だ。


「一応、その心配は無いんじゃないかな。僕だって任せっきりは性に合わないからね」

「……返されたら余計」

「気を遣わなくて済むように、なればいいんじゃないかな?」

「っ……!」


 心の内を僅かに覗かせて笑顔を向ければ、ユーリアは肩を揺らした。

 ……もしかしてクラウスの事については知らなかった? だとしたらいい刺激になったのかもしれない。


「…………そういうのは、苦手なんじゃないの?」

「本当に必要なことなら何時まででも待つよ。それにきっと、僕の方が早かったから」

「早い遅いの問題じゃないでしょう……?」

「そうだね。けどもし少しでも期待してもいいのなら、我が儘を受け止める覚悟は出来てるから」


 その先を失ったか、口を開いたユーリアだったがやがて小さな溜息に変わった。

 そこには純粋な感情しかいらない。彼女をクラウスの野望に巻き込むための、最初で最後の嘘を吐き続けるために。

 真実以外の建前を必要としない。

 だから彼女からでなくてはならないのだ。

 クラウスの気持ちには生易しい感情は宿っていないから。


「大きな器だこと。盛りつける方の身にもなりなさいよ」

「大きくないよ。綺麗であればいいと思うけど」

「クラウスには縁のない言葉ね」

「なくてもその体裁は保ってないと。盛り付けられた食材がおいしそうに見えないから」

「なら誰も手をつけようとは思わないわね」

「毒だと分かってて手を伸ばすほど愚かじゃないってこと?」

「毒が塗られてるのは器の方でしょうが」


 クラウスが窮地に立たされればこの通り嬉々として刃を振り翳す。だからこそその正義の刃をクラウスの為に使いたいのだ。

 そうでないと、やっぱり彼女には迷惑にしかならないから。

 償いは相手に知られてはならないのだ。それは自分の心に吐く嘘だから。

 毒を食らわば皿まで、とどこかの誰かが言っていた気がする。何かの本で読んだのだったか。


「毒を塗るのは綺麗な器じゃないとね。警戒されればそれでおしまいだ」

「器で食べさせても食べるのは食材でしょう?」

「どうして食材そのものに毒がないと言えるの?」

「ないとは言ってないわ。器の毒が強すぎるってだけ」

「つまり見せ掛けに隠された本命の毒こそが食べ物にあると」

「その毒は器の毒によって作られたものだけれどもね」


 染まってしまった味はいつの間にか逃げ難い魅力を纏って。そうしてようやく諦めと共に逃げ道がない事を理由に手を伸ばす。

 随分と迂遠で遠回りな道程だと。それでもここまで来たのだと。


「なら器は始めから野菜を盛り付けるために作られたんだろうね」

「可愛そうに。大抵の事は野菜が主役よ」

「だから器は器でいられる」


 まるで互いの気持ちを確かめ合うように。意味のない言葉を重ねればユーリアは溜息を吐いた。

 どうあっても彼女に逃げる術はない。彼女だって今更逃げようとは思ってなどいない。

 ただそこにある気持ちが本物かと。偽物ならなそれ相応の対応の仕方があるのだとクラウスに突きつける。

 どんな言葉の矛を突きつけられようと、クラウスの姿勢は徹頭徹尾変わらない。

 最初から二面ある気持ちだ。それが野望と言う芯で繋がっているだけの夢とも呼べない世迷言。

 世界を混乱に貶める戯言に、けれど彼女は笑う。


「あぁ、後一つ。器は最初から一つしか盛り付けられないから」

「知ってるわよ。クラウス個人でしょう?」


 あぁ確かに。それならどちらの夢も乗せられる。

 言い返す言葉が見つからずに白旗を振れば、ユーリアは頬を吊り上げた。


「一体どっちが器なんだか」


 言って、どうでもいい談笑交じりの食事が終わる。

 綺麗に平らげた食器を洗い、片付けるとそれからしばらく本に囲まれる時間を過ごした。

 時折ユーリアの口から零れ落ちる単語にクラウスの知る知識を補って。そうして彼女の設問に答えていけば、気付けば外は真っ暗になっていた。


「……もうこんな時間」

「流石に外泊届けは出してないんでしょ? 寮まで送るよ」

「直ぐそこよ」

「僕がそうしたいんだ」

「……不審者にでも間違われればいいのに」


 酷い事を言う。もし本当にそうなったら彼女はクラウスを守ってくれるだろうか……。想像して少しだけ怖くなったので無理やりに切り捨てた。

 寮の外へ出ればひんやりとした夜風が頬を撫でる。

 月の光が降り注ぐ暗闇は、どこか幻想的に彩られその闇の奥に何物をも飲み込む深淵さえも感じさせる。

 幾らユーリアの腕が立つとはいえクラウスからしてみれば彼女は異性、女だ。例えその腕に覚えがあって、クラウスより強いのだとしても、それを全ての理由にしていいわけではない。

 ユーリアだって人間だ。失敗だってすれば間違いだって引き起こす。

 だったらクラウスの手が届くうちは、クラウスが傍にいるべきだ。そうすれば彼女は失敗も間違いも出来ないから。

 隣を歩く凜とした立ち姿に視線を向ければ偶然か彼女と目があって、それから急いで視線を逸らされた。


「……どうかした?」

「…………別に、って片付ければ他人事なのに。それで納得できるほど私は大人じゃないから」


 何かに言い訳するようにそう告げて、それから彼女は足を止めるとクラウスを射抜く。


「町に出た時も聞いたけど、何を、悩んでいるの?」


 闇夜の中で一際光を放つ紫苑の瞳。その双眸の奥に揺らめく感情に胸を叩かれる。


「私じゃ力になれないってのは分かってる。けれどそれで満足できないから。それじゃあ、私の意味がないから……」


 避けては通れぬ道だと。そんな事を考えながら諦める。


「……ごめん、悪かった。最初から話しておけばよかったね。ただ、ユーリアの事だから余計心配させちゃうと思って」

「言われない方が嫌なの。私に嘘は吐かないのよね? だったら話して。何も出来なくてもいいから、聞かせて……。それしか出来ないなら、そうさせて」


 縋るような色を灯して紡がれる、どこか震えた声音に弱く笑う。

 ほら、そんな顔をする。だから話題にはしたくなかったのに。


「…………リアナン、覚えてる?」

「えぇ……」

「彼女にね、言われたんだ。死にたくなかったらこれ以上馬鹿なことはやめろって」


 ────魂に近づきすぎよ。生きている事を愛し、死なない事を祈りなさい


 リアナンの声……妖精語を介した姿の見えない彼女の言葉が蘇る。

 温度のない手で魂を掴まれたみたいに震えたのは自分の妖精力だっただろうか。

 いつもの冷静な仮面が表情に出ることまでは押さえてくれた、魂への警告。


「妖精変調以降、色々な問題に関わってきた。回帰種もいたし、妖精の魂に近いところにも寄り添った」


 トロール、ジャック・オー・ランタン、バンシー、リャナンシー。

 これまでも沢山の妖精に触れ、その度に何も出来ない自分を小さく思った。

 だからこそ知りたくて、手を伸ばした。

 それがいつしか人間の理を越えて妖精の側へと踏み込んで。気付けば彼女に喉元へと死の刃を突きつけられていた。


「どこかで曖昧になってた境界線を踏み越えて、危ないところまで来てたらしくてね。それをやめろって警告されたんだ」


 肩上のフィーナが寂しそうな瞳でこちらを見上げて来る。その透き通った蒼色の瞳に涙が浮かぶのを見たくなくて、指先で頭を撫でて続ける。


「確かに危ないことだと思う。ユーリアだってそう思うよね?」

「えぇ、妖精の魂に近付く事は、自分の命さえも差し出す行為よ。生半可な気持ちで向き合えば気を抜いた瞬間に掠め取られる」


 魂に干渉範囲を持つ妖精、リーザと契約を交わすユーリア。軍属と言う立場にいて、その力を買われ危険な場所へ向かうこともあるだろう。

 クラウスよりも危地で死の刃を潜り抜けてきたその数は多い。

 その彼女が断言する。


「クラウスだってそれが分からないほど愚かじゃないでしょ?」

「もちろん。……けどね、僕の目指す道は、その先にしかないんだ。それを知り得た上でなければ、どうあっても成し遂げることなんて出来ないんだ」


 妖精の国。アルとの約束が脳裏を過ぎり想像を加速させる。

 それが必要だから。外せないから。

 嘘は、吐けないから。


「だから僕は危険を承知で踏み込むよ。もしそこで死んだとしたら、結局はそれまでの絵空事だっただけ」

「……私がやめて、って言っても聞いてはくれないんでしょう?」

「今回ばかりは譲れない。だってその先にしか、守りたいものが見つからないんだ」


 言葉にして再確認する。

 あぁ、そうだ。僕は彼女を──ユーリアをこの手で守りたい。

 いつからか、なんて問われたところでそれは些細な問題だ。

 ただの胸の燻る気持ちは、誰にも否定させない感情で、クラウスの最後に残った人間としての心。

 いつだったか確信した事がある。

 僕はユーリアに────救われていた。

 彼女がクラウスの理想の駒から零れ落ちそうになったとき、その存在意義を求めて彼女の役割を再配置した時に。クラウスの正義の剣として振りかざすために。彼女だけは無事でいなくてはならないから。

 降りかかる火の粉をクラウスが振り払うために。一番近い場所で監視をするために。

 彼女を選ぶ事が彼女を守る事に繋がるのだと。

 だからクラウスにとってはアンネではなくユーリアなのだ。


「……それで納得しろだなんてクラウスも理不尽を言えるようになったのね」

「理不尽なんかじゃないよ。これは何処までも理詰めな、そうなるしかない未来だ」

「死ぬと分かっていても?」

「死ねない理由が、その先にあるから」

「その正義面、見覚えがあるのが嫌になる」


 彼女が重ねたのはアンネだろうか。

 ならばどうすればクラウスが無事でいられるのか、彼女は分かっているはずだ。分かっているから、そんな理由で認めてしまうのが嫌なのだ。


「……けど認めるしかないんでしょうね」

「それがユーリアの為にも必要なことだからね」


 クラウスを死なせたくないのなら、クラウスが生きなければならない理由を作ればいい。それがクラウスの道程の一つなら、アンネの為にも彼女はそれを裏切れない。

 どうあっても最初から変わらない結末だ。


「でも今は駄目。今それを言ってしまえば今度は私の生きて帰る理由がなくなるから」


 彼女にとっても目の前の任務は気を引き締めないといけない問題だ。ならば志気を向上させる為に、理由が必要だ。


「…………だからもう少し待って。私と、クラウス。今抱えてるその二つが片付いたら、そしたら────」


 何処までも真っ直ぐに紫苑の瞳が光を灯す。

 怯むことのないその意志が、前に進む力となって彼女を突き動かす。

 ならばクラウスもそれを認めて受け止めるだけだ。

 出来ない信用を振り翳すよりも、そうなるものだと決め付けて未来を手繰り寄せるだけだ。


「その気持ちを──信じるよ」


 信じるなんて軽率な言葉だけれども。例えそこに心が伴わなくとも。言葉に魂を乗せるように紡いで気持ちを返す。

 それがクラウスに残された最後の人間らしさだから。

 きっとその人生で初めてまともに向き合ったその言葉に、ユーリアは慣れないながらも精一杯の笑顔を浮かべる。

 月光冴える夜の帳の下。可憐に華麗に咲くその一輪の花に、クラウスはようやく手を伸ばす。

 今はただ、他に何もいらないから。彼女のその微笑を守れるのなら────

 胸を突き動かす衝動を大事にしまいこんで、そうしてクラウスも笑顔を浮かべる。

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