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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
高らかに嘶く鎮魂歌(レクイエム)
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第一章

 寒い寒い、冬の朝。

 中々未練を断ち切れない寝具からどうにか体を起こして冷たい床を踏みしめる。

 途端、地に足つけて立ったと言う、いつもの感覚に目が覚めたクラウスは一つ伸びをした。

 今日から冬期休暇だ。休みは短いがクラウスにとっては自由な時間があるだけそれでいい。

 計画に沿った行動は得意分野だ。学院で出された課題も終わらせつつ、余った自由でいつもの如く興味を満たすだけ。

 出来る事なら少しの間は面倒臭い国の仕事から解放されたいと願いつつ、いつものように朝食を準備する。

 朝は軽く。クラウスは男だがそこまで大食漢と言うわけでもない。そこに関しては胸を張って人間らしいと振舞える。

 と、そこしかないのかと自問自答しつつ準備を終えた頃に、ようやくクラウスの相棒が目を覚ました。

 目を擦りながら辺りを見回す小さな体躯。仕草にところどころ寝癖で跳ねた銀色の長髪がさらりと揺れる。

 思わずその髪の軌跡を目で追って、それから優しく声を掛ける。


「おはよう、フィーナ」

「……楽しい匂いがします」


 挨拶よりも先に返ったのは妖精独自の感覚。美味しいではないところに彼女らしいと笑う。


「おはようございます、クラウスさん」


 可愛らしい微笑みは小さな体躯と相俟って華やかに空気を塗り替える。

 朝からこんな笑顔を見られるのだから、顔立ちの整った異性と一緒の空間も悪くないと一人ごちて。未だ眠りの最中にいるもう一人の妖精に声を掛ける。


「アル。そろそろ朝ご飯だけどどうする?」

「ん~……」


 先程のフィーナとは対照的に返ったのはくぐもった声。毛布に身を包めて子供がそうするように、寝床の中でころりと寝返りを打つ。

 いつもの景色だ。寝起きの悪い彼女はこうして曖昧な意思で否定を振りかざす。

 とりあえず声は掛けたと言う実績だけを残してクラウスは朝食を食べ始める。

 既に目の覚めたフィーナと他愛のない話をしながら食事をしていると、そのうち重い体を引きずるようにアルが寝床から這い出してくる。


「……また二人で食べてる。いつもあたしも起こしなさいって言ってるわよねっ」

「もちろん起こしたよ。あと何回このやり取りするの?」

「クラウスがあたしを優先して考えてくれるようになるまでよっ」

「僕は僕を優先にしか行動しないよ」


 随分前から考えるのもやめたやり取り。

 アルも本気で言っているわけではないのだろう。ただフィーナへの対抗心として燃える彼女の意思。出来る事ならそれをクラウスに対する矛として構えないで欲しい。

 そんな風に毎朝の恒例行事を終えれば、アルも静かに席に着く。

 そうして始まる何気ない一日。時間の流れも平等な退屈で有り触れた日々。

 ずっとこんないつも通りが続くような、飽きるほどの自由を貪って生きていたいと思いつつ、脳裏に今日の予定を描く。


「……そうでした、ユールですっ」


 唐突に呟くフィーナ。何事かと視線を向ければ、彼女は楽しげな笑顔で肩を弾ませて告げる。


「今日ユールの準備をするんでしたよね!」

「……そうだね」


 彼女の笑顔は妖精を構成する第一要素である楽しさに彩られて華やかに色付く。

 ユール。冬の祭典であり、死した大地を蘇らせる陽の祭り。

 前に話をしたときから随分と楽しげな様子で心を弾ませていたフィーナだったが、ようやくこの寮でもその準備が始まるという事で、興味と期待は振り切らんばかりに積もり積もっているらしい。


「……確かトムテのお祭りだったかしら。人間も飽きないわね」

「儀式には昔の人たちの思いが詰まってる。それを否定したら歴史ごと認めない事になるよ?」

「そういう意味じゃなくて……まぁいいわ。楽しい事なら間違いないでしょう」


 アルの言葉に少しだけ引っかかりを感じて記憶のどこかに留めておく。

 どうあっても人間の歴史は人間が紡いだものだ。そこには人間の視点が外せない。

 けれどこの世界には人間のほかに妖精やエルフ、幻想生物がいて。彼ら彼女らの視点がその歴史に関係がないかと言われればそれは違う。

 妖精と共に紡いだ700年ほどの歴史。それがなければ今の景色はありえないし、だからこそ妖精は世界の伴侶でもある。

 だとするならば一つの視点だけに拘(こだわ)るのは見識を狭くするだけだ。受け入れる受け入れないは別として、別の角度から見た景色には別のものが映る。その視点も正しいだろうし、真実だ。

 特にそれが妖精の視点と言うならば、人間にはそれを見逃していい理由は無い。


「どんな事をするんですか?」

「……藁の動物を作ったり、飾り付けをしたり。そんな風に少しだけ豪華な見た目に彩ったり、かな」

「余り光り輝くものにはならなかったはずよね?」

「町に出ればもっと綺麗だけどね。寮でやるのはそこまで大きな催しにはならないから、あんまり期待してると……」

「大丈夫ですっ。そこにクラウスさんがいれば、わたしにとっては楽しい事ですからっ」


 彼女なりの楽しみ方に笑顔を浮かべる。

 確かにそれが一番だ。

 ハロウィンの時と比べれば賑やかにはなるだろうが、どちらかといえば雰囲気を楽しむお祭り。景色よりも誰といるかと言う方が重要視される事が多い祭礼日だ。それもきっと恋人が仲睦まじくという、誰かが始めたどうでもいい理由があるからだろうけれども。

 至った想像に少しだけ暗鬱になりながら朝食を終える。

 それから少し休憩して寮の玄関へ。するとそこには既にヴォルフの顔があった。


「先輩、早いですね」

「あぁ、クラウスか……。何、性分なだけだ。前もって決められている約束に遅れる自分を許せないのでな」

「約束を守る事はいい事だと思いますよ。全てを正直に受け止めるのも考え物ではありますけど……」


 彼の言葉に笑いつつ、約束事となると面倒事が多い脳裏に浮かぶ二人の少女を比べる。

 片やクラウスの愛嬌の花、アンネ。前々から彼女との会話には色々な口約束が着いて回っていたが、それを彼女が守ったのは数えるほどだ。

 春先から始まった彼女との関係はクラウスが抑止する毎にその過激さを増した。言葉だけとはいえ、口付けをせがまれたことだってある。色々と、距離がおかしかったのだ。もちろんそれを楽しんでいた節もクラウスにはあったりなかったりだが。

 それからもう一人、クラウスにとっての実直なる剣、ユーリア。彼女は曲がらない強さを持つ。揺るがない正義を持つ。

 だからこそそれを利用しようとクラウスは彼女を欲したのだが、関わって気付いた。彼女は疑うという事を好まない。

 出来る限り信じ、出来る限り正直であろうとする。嘘が嫌いで、冗談が苦手。

 どこまでも純粋で真っ直ぐな正義だ。

 幾度考えてみても二人は対極の存在だ。

 佳人と愛嬌。両極端だからこそ、クラウスはいつだってその間に挟まれているのだと。


「そういうクラウスも今日は随分とのんびりとしているようだが?」

「僕だって手を抜く日くらいありますよ。時間は有限ですから有効には使いたいですけどね。ずっとそれを強いるのも酷ってものです。息抜きは必要でしょう?」


 せめて今日くらいは。春からこっち、殆ど遊ぶ暇などなく何かに振り回される日々を送ってきたクラウスだ。そろそろ年並みに青春を謳歌しても許されるだろう。

 何より、クラウス自身がそろそろ限界だ。これ以上何か厄介ごとを抱え込んだら発狂する恐れもある……。そうでなくとも妖精の国(アルフヘイム)とか色々荷が重いってのに────


「ほら、言うじゃないですか、休息も仕事だって」

「それは他人が言うべき言葉だろう? 自分の判断で満足して勝手に暇を出されても、他人から見れば不当な言い分に聞こえさえする」

「でしたら先輩が言ってくださいよ。今日は休めって」

「休めるほど本気になったのか?」

「充分な結果は必ずしも本気の労力と吊り合いはしませんよ。半分の能力で必要以上の結果を残すのが賢いやり方です。後他人にそれを気取られない事ですね」

「語るに落ちるとはこのことだな。余力があるならその分新たな結果を出せばいいだろう?」

「……そういうの、奴隷根性って言うんですよ。社会の歯車になるならそれもいいんじゃないですかね」


 他人事に告げて玄関前の広間をぼぅっと眺める。

 少なくともクラウスは期待された結果を残してきたはずだ。だから他人の信頼も得られたし、知らなくていい事までも首を突っ込んで理想を高くさせた。

 ならば果てなく遠い野望を客観視するために、一度自分の身を弁えるべきだ。客観視して、判断を下して、たったそれだけのちっぽけな存在だと諦めるべきだ。

 そうして諦めて、諦めた上で出来る事に手を伸ばし、必要最低限の労力で必要以上の結果を手にするだけ。

 それがクラウスに出来る、最大限の夢だ。

 だからこそ、現実になるべき指標だ。


「賢いやり方とは、何だろうな」

「如何に楽をするかじゃないですかね?」

「ならば私は賢くはなれないな」

「賢いだけが全てではないですからね」


 何を以(もっ)て賢いとするかはまた別の話か。

 過ぎった疑問を頭の中から放り投げてその辺りに捨て置く。考えるだけ、馬鹿になる。そんな事を考えている暇があったらどうやって楽に生きるかを考えていた方が余程賢い気がした。

 そんな風に中身のない会話で時間を潰していると背中に衝撃が走る。

 驚いて振り返ればそこにいたのは我が幼馴染と、それからマルクスだった。


「……口より先に手を出すのはどうかと思うよ」

「口で通じ合うほど他人じゃないだろ?」

「なら僕は他人でいたかった」

「つまり他人では無いと」


 テオにしては珍しく言葉の裏を突いて来たと少しだけ楽しげに返す。


「そうだね。少なくとも他人ではない。けど親しいからこそ、欠いちゃいけないものはあると僕は思うよ」

「それだけの理由で壊れる関係なら、俺とお前は幼馴染じゃないって事だ」

「つまりテオはその関係を壊したかったと……」

「へ……? あ、いや、そういうわけじゃ…………。悪かったよっ。ったくいつになく素直に認めたと思ったらこれだ」

「僕が素直だったら、テオは幼馴染なんてしてないでしょ」

「……違いないっ」


 どうでもいい着地地点を示せば彼は笑って満足気に零す。

 たったこれだけのやり取りで満たされるから、幼馴染なのだろうと。言葉以上にその関係は淡白で、信頼に勝る表現方法は無いのかもしれない。

 そんな事を考えていると寮母が顔を出す。


「そろそろ準備始めるぞー。裏手に藁の束があるから運んで来い」


 恰幅のいい女性が男子寮の管理人だ。長年勤めているからか、少し男勝りで口調は荒っぽい。けれど情に厚く、遊び盛りの学生達には優しい性格からか、信頼は高く寮生との仲は随分といい。

 クラウス達からしてみれば親しみやすく一緒にいて楽しい、活力に溢れた婦人だ。

 その肝っ玉は長い経験から生み出された生徒に対する彼女なりの姿勢か。

 何にせよ、意外と話の分かる気前のいい人物だとクラウスは記憶している。もちろん、その分厳しい面は確かに存在する。

 けれど叱ってくれる人がいるというのは、叱られた人に伸び代があることの裏返しだ。クラウスはそこに正しい理屈があるなら理不尽だとは思わない。


「灰色はあたしに付き合いな。床に敷く布出すよっ」

「僕だけですか……?」

「お前じゃなけりゃ頼まないさ」

「分かりました」


 灰色と言うのは寮母がクラウスを呼ぶときの愛称だ。偶然か、この寮には灰色の髪を持ったのはクラウスしかいない。

 ならば個人を判別する記号としては確かにその通りなのだが、如何せん色と言うのは少しだけ自己に欠ける。せめて眼鏡にしてくれればいいのに。そうしたらマルクス辺りなら遠慮なく巻き込める。

 胸の内でぼやきつつ、彼女について一室へ。一年でさほど使わない、けれど毎年一度は使用するような道具はこの用具室に保管されている。

 ユールは藁で動物を作る都合上、藁屑がどうしても出る。そこで掃除するのも面倒なので、汚れてもいいように床布の上で、更にそのまま一度に藁屑を捨てられるようにと横着……もとい効率のいい方法を取る。

 確かに正しいのだろう。例えその後始末がクラウス達寮生に押し付けられるものだとしても……。

 監督者としての役割に居座る何処か面倒臭がりな彼女。

 正しいことのはずなのに少しだけ理不尽さを感じながら筒状に丸められた大きな布を担いで運ぶ。

 部屋の端から転がせば溜まった鬱憤が少しだけ解消された。

 そんな風に準備を進めていると藁を取りに行った寮生たちが戻って来る。


「作り方が分からない奴はいないなぁ? いたら後片付けを押し付けるぞ?」

「作り方の分かる僕は後片付けから外してもらえるんですかね?」

「責任は関わった時に生じてるものさ。分かったら安請け合いなんてしないことだね。ほら、運んできた奴から作り始めなっ」


 有無も言わさず巻き込んだのはそっちじゃないかと。

 大人が振り翳す横暴に身を振り回されながらクラウスもユール・ゴートの作成に入る。


「……随分な女傑ね」

「まぁ寮生に嘗められたら終わりだから仕方ないのかな」


 アルの呟きに笑って返せばフィーナが何処か憧れるように寮母の方を見ている事に気付く。頼むからあんな風にはならないでおくれよ。

 考えつつ二人にも教えながら藁を折り重ねて作り始める。

 とりあえずクラウスが作るのは部屋に飾る用の小さなそれだ。

 意外と直ぐに終わるが、本番はそのあと。寮の外に飾る3から5メイルほどの大きなユール・ゴート作りだ。

 流石に町の目抜き通り、その大広場に毎年作られる高さ10メイルを越すほどのものと比べると見劣りはするが、あちらはもっと前から職人が時間をかけて作る代物だ。

 それにユールはハロウィンと同じ儀式的な意味合いを持つ。町を彩るこのユール・ゴートは、ユールの時期になると現れるという目に見えないシェーヴルに捧げるものだ。

 シェーヴルは古くから人の生活にも深い関わりを持つ動物だ。自然に住まう種は山などの高所を好み、雄は立派な角を生やす。

 そんなシェーブルは家畜化され、乳と肉は加工され様々な形で食卓に。皮や角は服飾や民芸品として店に並ぶ。今では生活の至る所でその恩恵に預かる動物だ。

 また、シェーヴルは吉凶の両方を齎す存在とされ、ユールの準備が出来ていなければ悪い事が起こるとされている。

 そんな存在を祀り上げるために形を成し、更には季節柄植物の育たない環境を蘇らせるために生命や豊穣の象徴である藁で飾る。

 こうして死した大地を蘇らせる太陽の祭り、ユールが出来上がるのだ。

 そこから派生して、繁栄を司る妖精トムテが同時に語られるようになり、かの存在はユール・ゴートの引く橇に跨ってやって来る。そうして豊穣……幸を齎す存在として認識され、人々の間では贈り物へと形を変える。

 ユール・ゴートが藁で作られるのも、トムテが農家を象徴する存在であるからかもしれない。


「シェーヴルって、余りいい連想はしないわよね」

「……確かにね。贖罪の贄(スケープゴート)とか」


 それからもう一つ。言葉にするのは憚られる、悪魔の象徴としてのシェーヴル。確か自然を食べ尽くしてしまうとかで新たな緑を潰す……死の大地を作るという意味で忌み嫌われる存在だったか。

 そういう意味では人の栄養になる肉や乳製品を齎すという幸福と、自然を殺すという不幸を併せ持つ存在とも言えるか。ならばユール・ゴートが内包する禍福としての意味合いも納得は出来る。


「ハロウィンの事があるから余り深く考えるな、とは言えないけどね。とりあえずは普通に楽しめばいいと思うよ?」

「……そうね」

「楽しいのが一番ですよっ」


 フィーナの声に頷いてユール・ゴートの作成に戻る。クラウスにしてみれば生まれたときから作っている馴染み深いものだ。別に話をしながらでも手は勝手に動く。

 けれど相棒達を置いて一人で完成させてしまうのは流石にクラウス自身が許せない。妖精は世界の伴侶だ。ならば同じ速度で共に歩むべき。

 考えつつ時折尋ねて来る二人の声に答えながらそれぞれ一つずつ完成させる。


「下手だけど、こんなのでいいの?」

「お祭りってのは儀式だよ。だったら形式や気持ちってのが重要なんだ。気の持ちようって事だよ」


 アルの言葉に答えて出来上がったユール・ゴートを持ってきた袋に入れ、部屋の隅へ。

 それから伸びを一つすると辺りを見渡す。

 探したのはテオを初めとするクラウスの記憶に留まる顔。

 ヴォルフに、マルクスにと幾人か目にする事はできたが何故かテオの姿が見当たらなかった。もしかして先に外へ行ったのだろうか。

 テオも大概自由な行動規範の持ち主だ。何か無茶をする時はクラウスを頼る癖に、こういう時は勝手にどこかへ一人旅。まさに束縛からは程遠い人物だと結論を下して外へ出る。

 降り注ぐ陽光。冬とはいえ晴れていれば暖かいし仰げば眩しい。

 ただ少し風は強いかもしれない。早ければ今日の夜辺りから雪が降るのではと思いつつ、目的地に辿り着く。

 見れば既に数人が巨大なユール・ゴートの作成に取り掛かっていた。

 大抵部屋に篭っている上に、学院でも無駄な会話を交わさないはみ出し者のクラウスだ。

 必要な物を手にしているだけで不便は無いが、学生が学ぶべきだろう人間関係のあれやこれやについては縁遠い場所にいるのは自覚している。

 そのため友人も少なければ集団行動も必要最低限。となればこうした景色に混じるのは少しばかり気が引ける。

 逆に考えればクォーターと好き好んで友好関係を築こうなどと言う物好きの方が少ないのだ。そういった彼らの意思を尊重していると言えば虚勢を張る事が出来るが……。


「いい機会ですよ、クラウスさん。人間らしくいきましょうっ」

「出来ないからクラウスなんでしょう?」


 二人の言葉に溜息を落として一歩を踏み出す。

 あとで寮母に見つかって小言を貰うよりはましか……。

 考えて諦めた次の景色では、その背中に声が掛かって足を止めていた。


「学生は楽でいいな、クラウス」


 振り返って目に留めたその姿。何故ここにと言う疑問が浮かびつつ口は社交辞令の挨拶を紡いでいた。


「……おはようございます、カイ少佐」


 カイ・グライド。テオの兄、その人だ。

 城内の彼とは違う、軽装に身を包んだクラウスの幼馴染は何処か辛そうに呟く。


「少佐はやめてくれ。今日は休みなんだ」

「それはすみません。それで、どうしてこちらに?」

「話は通したと思うが……」

「始めからそのつもりならもっと早くに連絡をくれよ」


 最初に過ぎった疑問を音にすれば、答えが返るより先に聞き馴染んだもう一人の幼馴染の声が響く。


「悪いな。わたしも今朝言い渡されたんだ」

「だったらもっと有効に時間を使ったらどうだ?」

「わたしなりの最も有効な時間の使い方だ。ただの兄弟愛じゃないか」

「やめてくれよ気持ち悪いっ」


 カイとテオ。互いに唯一の兄弟が面を付き合わせて言葉を交わす。

 その他愛ないやり取りに、まるで故郷にいた頃に戻ったみたいだと錯覚して小さく笑う。


「という訳で暇だから顔を出しに来た。わたしだって卒業生だ。何の問題もないだろう?」

「えぇ、もちろんです。少し煩いかもですけどゆっくりして行ってください」


 卒業生が母校に遊びに来た。とりあえず弟の様子を見に来た。彼にとってそれ以外の理由は要らない。一人っ子のクラウスには羨ましい限りだ。

 それからどうでもいい事のように考える。

 先程テオの姿が見えなかったのはその連絡を受け取りに行っていたからなのだろう。証拠に、彼の手には便箋が握られている。


「して、これはユールの?」

「あぁ。兄さんの時もあっただろ?」

「毎年煩いばかりの騒ぎだったがな。楽しい以外に理由など必要を感じなかった……」


 何処か懐かしむように呟く。その瞳に燻るような色を見て言葉を向ける。


「よかったら一緒に作りませんか?」

「断る理由は無いな」

「久しぶりだからって燃やさないでくれよ?」

「お前の兄がそんな失敗すると思うか?」


 楽しい会話に、やがて笑顔を浮かべるグライド兄弟。語調が鋭いのはその身に宿る遺伝子故か。

 互いを確かめるような言葉に、クラウスも少しだけ懐かしさを取り戻して足を出す。

 今日だけはただ仲のいい三人だ。深くは考えず今を謳歌するとしよう。

 カイの訪問。クラウスとしてはテオと同様幼馴染としての意味合いが大きい彼だが、他の生徒にとってはヒルデベルトに仕える騎士だ。

 親しみよりも尊敬の念が強く、輪の中に入れば注目の的になる。

 結果カイを中心に出来上がった人の輪に、クラウスは入り損ねて一歩引いたところから眺めることとなった。

 カイとテオが兄弟と言うのは少し考えれば分かること。テオとクラウスの仲がいいのもどちらかの事を知っていれば分かること。

 けれどそれより先、カイとクラウスの関係については中々話題が伸びないのが思考の面白いところ。委員会と国の関係を知っている生徒は少ない為に、直接の関係があるとは至らない。

 それよりもカイが今ここにいるという事に視点が向いてクラウスは思考の外と言うわけだ。

 まぁ変に巻き込まれて面倒事に発展しないと考えればそれはいいのかもしれない。……これだから人付き合いに難があるのだと。


「クラウスは行かなくていいのか?」


 景色を俯瞰して何処か諦めた風に納得するのと同時、背中に声をかけられて振り返る。

 回した視界にいたのはマルクス。


「ん……あぁ、顔はよく合わせてるし、今更何か必要なほどでもないからね」

「……えっと、同郷って事になるんだっけ?」

「短い時間ではあったけどね。一緒に遊んだ記憶はあるよ」


 向けられた話題。思わずその頃の事を思い出して言葉に影が差す。

 その僅かな変化に気付いたか、少しだけ視線を向けてきたマルクスだったが、やがて触れずに別のところへと視線を移した。

 詮索されないならそれでいい。別に声を大にして語るべきことではない。ただ少し、相容れない思いがあるだけだ。


「いいな、クラウスは……。ぼくももう少しそういう思い出が欲しかった」

「生まれを選べるほど世界は自由じゃないって事だよ」

「だから自由が欲しくて求めるんだろう?」


 マルクスの言葉に違いないと肩を揺らせば、彼と一緒に足を出す。

 マルクスの家、アルテルフは少し有名な家だ。第二次妖精大戦で幾つか武功を立てた家系。国から恩賞も貰って、その名前も一時期は他国にも轟いた。

 今では過去ほど名前に力もないが、それでも少しばかりの発言力は持っているはず。

 そんな家に生まれたマルクスだ。幼少の頃から大人達の期待を向けられて育ってきただろうし、自由から縁遠いところで思い出を重ねてきたはずだ。

 彼からしてみればクラウスみたいな何でもない田舎の小僧こそが自由で憧れかもしれない。

 その点に関して言えば、自分の意志を振り翳しても怒られる事のないその偶然の生い立ちに感謝はしている。

 クォーターと言う事もあり注目度もそれなりだ。だからこそ、ここまでどうにかやってこられた。


「もし必要なら迷惑にならない程度で利用すればいいよ。もちろん対価は貰うけどね……」

「遠慮したいかな……。修学旅行の騒ぎのことで懲りたよ」

「つまらない人生だとしても?」

「平穏無事こそ自由の次に尊いものだよ」


 マルクスの価値観にそんなものかと視界を外す。

 彼にとってクラウスの野望とは日常を刺激的に彩る香辛料に過ぎない。

 その上で、絶対な安全圏から少しでも関わりをもてるならその恩恵に肖(あやか)る……。慎重で狡賢いやり方だと評価すれば、彼がクラウスの駒でなくてよかったと安心できた。

 アンネに続いてこれ以上別次元で生きている存在を抱えるのは遠慮したい。不穏な火種は先に摘んでおくのが得策だ。


「まぁ中途半端な自由は既に持ってるんだけどね」

「……って言うと?」

「多分家は兄さんがどうにかするから」

「お兄さんいたんだね」

「昔から比較され続けてきたからあまりいい気はしないけどね……」


 呟きに暗鬱そうな雰囲気を読み取ってそれ以上話を広げるのを遠慮する。

 そう言えば前にテオも同じような事をいっていた気がする。

 特にあのカイが兄だ。テオからしてみれば鬱陶しいことこの上ないだろう。そう考えれば一人っ子の何と自由なことか。


「クラウスよりテオの方が羨ましいよ」


 誰もがないものを欲していると、叶わない望みを切り捨てる。

 だからこそクラウスはあったはずの物を求めているのだ。


「さて、無駄な話ばかりしてると怒られる。さっさと作ろうか」

「僕と一緒にいたら何してても目の敵にされるよ?」

「その程度が許せないようならあの時首を突っ込んでないね」


 固いのか緩いのか分からない彼の決心に他愛ない時間だとどうでもいい会話を貪る。

 そうしてどこかで考えないようにしていたかったのかもしれない。

 行き先の分からない言葉の旅行券。リアナンに言い渡された一方的な忠告。

 そこにどんな意味が込められているのかを知らないまま握らされた手形を改めて見つめる。


 ────魂に近づきすぎよ。生きている事を愛し、死なない事を祈りなさい


 一体彼女には何が見えていたのか。クラウスの魂に燻るその未来に手を伸ばして空虚な何かを掴み取る。

 漠然とした景色は、形が分からないまま何故か心の内を不安に揺らした。




              *   *   *




 ところ変わってこちらは女子寮。

 朝から姦しさ以上の存在でもって空気を夢見る花園へと──変わっていればどれほど世界は平穏なことか。


「早く終わればいいのにぃ……」

「終わったところでまた暇になるだけでしょ?」

「暇が出来れば遊びに行けるじゃん」

「……そこに私が含まれないなら好きにすれば?」

「……何その選択肢、ありえない」


 空気を埋め尽くすのは雑多な作業の音よりも煩いほどの声、声、声。

 尽きない話題。変わる話題が次から次へと湧いて出て空白を許さないように折り重なる。

 男の夢見る花園は、けれどやはり夢の存在で、現実は儚く風に揺られて花弁を散らす。

 後に残るのは熟れた果実。苦く、酸っぱく、辛い。手を出そうにも躊躇してしまう禁断と現実の実。

 そこに分かり合えない確たる壁を横たえて、幻想の花園は幻想のまま手の届かない何かに成り果てる。


「ありえないのはアンネの夢見がちな頭の中だけよ。そんなに一日中くっつかれてると萎える」

「ふふんっ、つまり何か一人でやりたい事があると……?」

「…………そんなこと一言も言ってないわよね?」

「あれ? 否定するんだ、しちゃうんだ……。それは初耳だなぁ」


 まるで賽のように転がって出る目出る目で話題の中心を変えるように。

 既に最初の話題がどんな話をしていたかなんて遠い過去。


「で、何するの? 具体的にクラウス君と何するの?」

「……一人ならクラウスは関係ないでしょうが」

「何で? ……あ、そっか。クラウス君のこともう一人の男の子として見てるんだ」

「っ……!」


 アンネから出た口車にいつの間にか乗っていたユーリアは肩を揺らして顔を背ける。

 今更言わなくても分かりきったこと。それを言葉にして見せたアンネに、ユーリアは静かに告げる。


「…………クラウスはクラウスよ」

「そうだね~。クラウス君はユーリにとって唯一のクラウス君だもんね~」

「いい加減にしないとクラウスにいいつけるわよ?」

「やったね、好感度がまた一つ上がるよ」

「……誰の好感度よ、それ」

「それを言っちゃだめだよー」


 そこに意味なんてない。ただその場の空気に馴染む場当たり次第の間繋ぎ。

 それが日常に有り触れたどうでもいい事だと気付いて尚、止める気が起きないのは惰性でも何かを喋っていないと落ち着かないからか。


「大体あっちだってユールの準備で忙しいでしょう?」

「少なくとも私たちよりは効率的にやってると思うけどね」


 言いつつまだ半分も完成していないユール・ゴートになるはずの藁束を指先で弄ぶ。

 玄関口に充満した植物特有のにおい。既に鼻も慣れた嗅ぎ慣れないにおいを追って辺りを見渡す。

 壁に背を預けた女子生徒多数。幾つかの集団でユール・ゴートの作成をそっちのけに話し込む生徒大多数。契約妖精たちも思い思いに今のこの雰囲気を楽しんでいる。

 妖精は別として、相変わらず群れていないと何も出来ないのかと、同じ女でありながら軽蔑さえするその集団に一瞥を送って溜息を落とす。

 こんなことなら一人でいる事に理由が要らない男に生まれたかった。


「……ユーリはもう少し自分に意味を見出した方がいいと思うよ。そんなに溜息ついてると面倒事背負い込むよ?」

「アンネに言われたくないわよ。今日だってヴァレッターの仕事があったはずよ」

「なーんでユーリがそれ知ってるのぉ?」

「前に言ってたのはアンネでしょうが」

「そだっけ? よく覚えてたね、偉い偉い」


 感情の篭らない上辺だけの言葉に半眼で視線を向けてずれそうになった話題を戻す。


「で、どうしてここにいるのよ……」

「それがヴァレッターとしてのお仕事だから。……あぁ、あと、はいこれ。ハインツさんから」


 だったらもう少し仕事らしくしたらどうなのかと。

 いつもの彼女らしく、何処か抜けて本心を見せないまま揺蕩う振る舞いに、理解が出来ないと諦めて差し出された書類を受け取り目を通す。

 そこに書かれた文面。その意味をどこかで緩んでいた思考がいつもの緊張を取り戻す中で認識していく。

 読み終えて視線を目の前のアンネへ。


「これ……」

「私は読んでないから聞かれても何も答えられないよ?」

「そう…………。いや、いいわ。知らないなら首突っ込まないで。本気で危ないから」

「……分かった。怪我しないようにね」

「えぇ」


 大丈夫だと言い切れない手元の事実を少しだけ睨みつけて、それからしまう。

 今ここでする話題ではない。それにアンネを巻き込みたくは無い。

 沈んだ気持ちで考え事をしながら藁束に手を伸ばす。

 少しだけユールが憎くなってきた……けれどこの仕事をしないと余計に危険が及ぶ。

 ならば平穏無事を演出するために任務を遂行するだけの人形となるだけだ。


「あとクラウスには言わないで」

「そんなに危険?」

「守ってる余裕がないから。それともしもの事があったら後はよろしく」

「それは約束しないよ。幾ら軍属だからってそれを理由に逃げるのは許さないから。言い訳したいなら納得できる理由を見せてくれないと」

「……アンネにはいらないでしょ?」

「いるよ。だってもし何かあったらクラウス君は私が貰うから」


 唇に指を当てて妖艶に微笑むアンネに呆れる。

 こんなときまでそんな軽口を叩けるなんて彼女も随分と彼に毒されたものだ。

 ……人の事は言えないか。


「そろそろ本気になったらどうかな?」

「……なってどうするのよ」

「居場所が出来る」


 飾らない言葉。親友の事実だけを端的に貫く一言に黙り込む。


「自分が自分のままでいられる場所。帰る場所。死ねない理由……。少なくとも退屈からは逃げられるんじゃないかな?」

「アンネと一緒にいれば全部解決できる話ね」

「本当にそうだとしたらもしもの事を私に言ったりしないよね?」

「……………………」

「ユーリはさ、誰かの為じゃなくて、自分の為に選ぶべきだよ」


 いつになく真面目な表情のアンネに視線を返せば、逸らすことなく真っ向から見つめ返して来る。

 その水色の瞳。揺らがない意志に固められた彼女の決意は、心の内全てを覗かれるようだった。

 思わず視線を逸らして、それから静かに立ち上がる。

 その背中に、けれどアンネは声を掛けず見送って。手元に残った藁の束を見下ろす。


「選んでくれないと、私の番にならないんだもん…………」


 呟きに小さく笑ってようやくユール・ゴート作りに本腰を入れる。

 そんな風にやりきれない気持ちで藁を編みこんでいると、不意にその肩を叩かれて顔を上げる。

 上げた視界にいたのはニーナ・アルケス。長い耳殻が目を引く純血のエルフ。


「えっと、おはようございます……」

「うんおはよう。隣いい?」

「はい」


 一体何用か。アンネがそんな事を考える間に、ニーナは疲れたように告げる。


「少し頼みたい事があって、お願いしてもいい?」

「……私に出来ることでしたら」

「ありがとう。実はね、今後の進路のことで根回しをしておけって学院長に言われて……」

「私に、ですか?」

「正確には軍に。別にクー・シーさんでもよかったんだけど、何だか取り込み中だったみたいだったから」


 ニーナの進路。それは彼女が他人に頼って自分で決めた道。エルフのフェアリードクター。

 そこに至るための具体的な道として、国軍を利用するという非道。

 ニーナとしては余り気の進まない考え方だろうが、アンネ個人の感想から言えば最も効率的で合理的なやり方。


「軍への復帰はもう決まってることなんだけどね。希望したい配属先があるから」

「……私よりも学院長に頼んだ方がよかったのでは?」

「あたしもそう思ったんだけどね。面倒臭いの一言で一蹴されたのよ」


 返答にアンネは少しだけ考える。

 確実なのはどう考えても学院長……エルゼを経由する方法だ。けれどそれを嫌い、別の道を辿れと言った。

 ここで視界を反転させれば彼女の思惑も理解は出来る。

 フェアリードクターに限らず専門職の分野は実力と、そして何より人脈が大事だ。

 エルフと言う肩書きは目を引くだろうが、それは同時に非難の対象にもなるはずだ。そうなった時味方がいなければ直ぐに折れてしまう。

 そのための人脈。幅広い交友関係。

 アンネの脳裏にヒルデベルトから聞いた話が蘇る。

 エルゼの失敗談。彼女が願ったエルフの根底を覆す試みと、それを成し得なかった過去。

 聞かされた話は挫折の結果で、だからクラウスは彼女の助けと経験を借りてここまでやってこられた。

 その二の舞を娘に演じさせないように。そう考えれば冷淡な物言いにも温かさが滲む。

 それにもう一つ自分本位に考えれば、そんな彼女さえも利用してクラウスの傍にいられる理由が出来る。


「……分かりました。私でよかったらお力になります」

「本当? ありがとう。これでまた一つ懸念が減ったわ……」


 安心したように肩を揺らす彼女にアンネは笑みを浮かべる。

 卒業後は彼女も再び軍属かと想像して、それから面倒事が増えそうだと一人ごちる。その分彼女と深く繋がれる。クラウスと、意味のある関係が続けられる。


「先輩、探しました、よ……。あ、ルキダ先輩」

「ん? あぁ、エミちゃん、久しぶり」

「あら? 二人は……そっか生徒会選挙の時に」

「はいっ。その節はお世話になりました」

「いいって。私の我が儘だったしね」


 考えていると聞き慣れた声が響く。アンネが振り返ればそこにいたのはエミ・アリデッド。彼女が副会長に立候補するにあたって、アンネが応援演説を担当したハーフエルフの少女だ。

 ニーナとは同じエルフの血を持つもの同士と言うことで随分前から親交があった様子。確かにエルフを全面的に受け入れているスハイル帝国と比べれば、ブランデンブルクではその存在は珍しい。互いに気には掛けていたことだろう。


「自分の分は出来たの?」

「はい。そしたらまだ先輩が帰ってきてなかったので……」


 どうやらアンネとユーリアのように二人で作っていたらしい。これから外の大きなそれへ手伝いに行くといったところだろうか。


「ちょっと休憩していかない?」

「え、でも……」

「先輩命令っ、そこに座りなさいっ」

「は、はいっ」


 エルフの血筋二人の会話に再び笑いを零す。


「エミはもう少し楽しみなさい。目的に邁進するのはいいけれど時には休憩だって必要よ?」

「そう、ですけど……」

「何? 口答えする気?」

「い、いえっ」

「目的って何ですか?」


 先輩の威光をこれでもかと振り翳したニーナが強引にエミを座らせる。

 そんな彼女の語った言葉に、アンネが疑問を突きつけた。


「あの、えっと……」

「あたしみたいになりたいんですって」

「せ、先輩っ」


 ニーナみたいに。その言葉に改めてエミを見つめた視線に、彼女は慌てて返す。


「あのっ、違うんですっ。別に先輩になりたいわけじゃなくて……」

「前そう言わなかった?」

「あれは、そのっ……!」

「アルケス先輩、あまりいじめちゃかわいそうですよ」

「だって可愛いんですもの」


 いや、うん。言いたい事は分からないでもないけれど、少し悪戯が過ぎる。お陰でエミは体をこれでもかと小さくして俯いてしまう。

 確かにこれは可愛い。けれどいじめたくなるというよりは守ってあげたくなるといった、庇護欲が勝る。

 先輩二人に囲まれて身を縮こまらせる彼女が少しだけ不憫になって、アンネが助け舟を出す。


「……それで、どんな夢なの?」

「…………夢、って言えるほど自信は無いんですけど、先輩の持ってた目標に近付けたらなって」

「エルフが──全ての生き物が平等にっていう夢物語よね」


 夢物語。言葉にするなら確かにその通りなのだろう。

 人も、妖精も、エルフも……。この世界に生きとし生けるもの全てが平等に手を取り合う平穏無事な世界。人間だけだった過去の時間にも見られなかった争いのない世界は、やはりどう考えても空想以外の何物でもない。

 けれど、夢になり得るから誰もが一度は想像して、それから現実的に諦める。

 それを認めるのが嫌な一握りが、彼女のような我が儘を振りかざす。


「難しいのは分かってます。けど、夢に見ないでそれが現実になることなんてありえません。誰かが願わないとありえないと思うんです」

「だから気持ちだけでもその可能性を否定したくない。もしそこに光があるなら、手を伸ばしたい」


 エルフとしての視点を持つ二人は強い意思を湛えたまま零す。


「……誰だって、一握りになれるならなりたいじゃない?」


 それは諦めよりも格好悪い、意地のようなもの。

 どこまでも透き通った瞳でアンネの事を見つめてニーナは笑う。

 その微笑に、どこかで彼の事を重ねる。

 彼の思い描く理想。アンネの想像の域を出ない、彼の野望。

 その一角にどうにか掴まってぶら下がっているアンネは、彼のなそうとしている夢を幾つか知っている。

 目の前の二人が語る空想と。依存して欲求を求める彼の欲望。二つがアンネの視界の中で一度完全に重なって、それからそのまま交差点を残して別の方向へと進んでいく。

 似ている。けれどそれだけだ。

 目指している地点は違うし、そのやり方も異なる。

 しかし一度感じたその気持ちは、何処か嬉しさを湛えて胸の内に優しい炎を灯す。


「そうですね。もし誰かに選んでもらえるなら、選んでもらいたいです……」


 呟きは別の色を持つ。

 アンネが口にするその言葉の意味は、ニーナ達が思い描くそれとはまた違うけれど。深いところでは似た欲求だ。

 特別になりたいのは誰だって同じ。その過程で、なれないからと妥協して諦めるか。なるんだと決心して行動を起こすか。はたまたなれないのを分かっていて後悔を背負い込むこと覚悟でその身を焦がすか……。

 アンネにとっては、きっと間違っていると言わざるを得ないその三つ目なのだろうけれども。

 報われないのにその身を擲(なげう)つのはやはり間違っているだろうか。

 けれど仕方ないではないか。そうしないとどうでもいい一欠片に埋もれてしまうから。それが、嫌だから。

 そんな風に俯いたアンネに向けて不思議そうに首を傾げたエミが声にする。


「…………ルキダ先輩のそれは、」

「エミ、それは言わない約束よっ。貴女だってそういうのがあっても聞かれたくないでしょう?」


 音になる寸前の疑問は、けれどニーナの言葉で遮られる。

 二人のそんなやり取りに顔を上げたアンネは、それから失敗したと視線を逸らした。

 仕草に、エミもまた小さく謝る。


「謝らないで。それから、こうはならないようにっ」

「えっと、はい…………」


 逃げるように少し視線をずらせば、生真面目に答えるエミ。その純粋さに呆れながらアンネは小さくため息を吐く。

 そんな天然でよく途方もない夢を描けるものだと。まるで子供の絵空事だと見守る姿勢を確立すれば、ニーナの気持ちが少しだけわかった気がしたアンネだった。


「これは、何て言うか、底知れず怖いですね」

「でしょう? そこがどうしようもなくどうにかしてあげたいんだけどっ」


 ニーナと気持ちを共有して笑えば、エミは何事かとその瞳に疑問符を灯す。

 あぁ、可能ならばこんな風に純粋になりたかったと。

 捩れ曲がってしまった性根を少しだけ恨んで、それから納得する。

 けれどこれも私だ。逆に、こうでなければ私は私足りえない。こうでなければ、彼に見つけてもらえない。

 だったら彼に選ばれなくとも、彼の傍にいられる幸福に今は縋ろう。

 間違っていると後ろ指を差されたまま、対外的な正義の仮面を被って満足するとしよう。

 果てのない欲求がある事に感謝しよう。


「えっと、何ですか? 何の話ですか……?」

「エミにはきっと分からない話よ」

「分かってもらっちゃ、困る話」

「えぇぇ……」


 困ったように眉根を寄せる可愛らしい後輩の姿にニーナと二人顔を見合わせて笑う。

 もし今ここに、彼女の姿があったらアンネはまた後で怒られるのだろうなどとどうでもいい事を考えて、それから探す。

 そういえば彼女は何処まで行ったのだろうか……。




              *   *   *




 思わず飛び出してきてしまった……。

 燃え上がって足を動かさせた行動力に今更ながら後悔して足を止める。

 謝ろうとは思わない。けれど悪い事をしたとは思う。

 彼女のそれは好意なのに。それを素直に受け入れられないからと責任を擦り付けてこんなに逃げて。

 やっぱりどこかで意気地がないのは私の方だ。

 彼女は嘘を吐かないと言った。だからあぁまで正直になっていられる。実際、彼女のそう言ったところは羨ましい。

 この気持ちは、心は、整理がついているはずなのに、それを真実として認めてしまう事がどこかで許せないでいる。

 本来ならば答えが出ているはずの景色から、逃げている。

 言葉にするのが怖いのだ。

 人の気持ちなんて移り変わる。ましてや恋慕なんて不安定の代名詞だ。

 誰かが好きだという気持ちが胸の内にあっても、それと同等の答えが返って来るとは限らない。

 別方向に向いた気持ち……突きつける恐怖、返ってこない恐怖。

 想像すればするだけ自分が小さく思えて前に進む事を躊躇わせる。

 生まれてこの方恋なんてした事がない身の上だ。しかもその最初の相手があの、人の仮面を眼鏡で被った道化だなんて……。

 知れば知るほどに分からなくなる気持ちに怖くなるのは当然だ。

 真実を追いかければ理解できないことなどないと思っていた子供心な独りよがりが崩れそうになる。

 何でこんな不安定な気持ちを、分からない景色を夢見て手を伸ばすのだろうか。分かりきった結末に手を伸ばす方が余程楽で安心するではないか。

 進んで自分を追い詰めることは無い。だったら最初から不安定な希望など捨てて、安定したいつも通りに居座る方が──


「おはよう、どうしたのこんなところで……?」


 どこかで諦めかけたその思い。心の奥に封印して、そのまま何も知らない子供のように、また友達としてと安心を手繰り寄せようとしたその寸前、背中に掛けられた声に肩を震わせる。

 気付けば振り返った視界で、今は見たくないその軽薄そうな笑顔を見つけて心の内が乱れていく。


「…………何でもないわよ。クラウスこそ、どうしてここにいるわけ?」

「僕たちの方は人手が足りてるからね。手伝いに。要らない世話だったかな?」

「……勝手にすれば」

「そうさせてもらうよ」


 飾った笑み。本当の意味では笑わないその微笑に視線を逸らす。

 何でこう狙い澄ましたように都合よく……都合悪くここにくるのだと。

 お陰で整理のつきかけた気持ちの蓋がどこかへ消えてしまった。

 同時に胸を打つのは、安堵。

 今まで幾度となく頼っては、見合った結果を指し示してくれた彼に対する信頼。

 そこでふと、安心と恋を混同しているのではと気付いて、否定を振り翳してみる。

 ……けれど否定して尚、奥に疼く熱く甘い感情に苦しくなる。

 確かに、これは恋ではない。けれど安堵でもない。

 恋をして、傍にいる事に安心して…………そうした先の──


「…………重症ね」

「どうかした?」

「別に。やる事があるなら早く終わらせて帰りなさいよ。でないと触れて回るわよ?」

「ユーリアのために、って言う言葉がつくならそれもいいんだけどね」

「言ってる暇があったら──」

「ユーリアも一緒にね」


 歯が浮いて、浮き足立って、弾む言葉。

 彼らしいその旋律に、やはりどこかで嬉しくなっている心に気付かない振りをしたまま呆れたように彼の隣に立つ。

 これは恋じゃない。これは安心でもない。

 これはただの──独占欲。

 彼が向ける気持ちが、この胸で暴れるそれとつりあえばいいと言う……私にだけ注がれていればいいと言う独占欲。

 脳裏にフェリクスと二人で交わした言葉が幾つか蘇る。

 あの時、クラウスは外へ出ていて、あの工房には私と彼しかいなかった。その間に紡いだ彼との会話。


 ────世界の全ては愛で説明が出来る


 彼の言葉を借りれば、確かにその通りだと納得する事もできる。

 これは偏愛だ。私が彼に求める独占欲と言う名の愛情だ。

 フェリクスとの出会い、繋がりが作り上げた一枚の絵画と、リアナンと……。

 その存在がそれまで背けてきた感情に確かな答えを示してしまったから、それを認めざるを得なかった。

 認めてしまえば言い訳もしたかった。だからそれは恋なんかじゃないと幾つも考えて、見つけた結論。

 これはただの、独占欲。恋や愛と言うそんな綺麗で上辺だけの感情ではない。

 心の奥底に存在する満たしても満たしきれない深い欲求。

 昔から、一人でいる事が怖かった。誰かに認められたかった。

 国の一翼を担う父親と、彼を支える母親。そんな二人が私に愛情を向けていなかったかと言われれば否定はしたい。けれどそれは親が子に向ける愛で、期待とはまた違うのだ。

 父親、ハインツは言った。私の気持ちを尊重してくれると。

 それは裏を返せばクー・シーを継がなくてもいい、それに見合った器を持っていないという期待はずれかもしれない。

 彼の事だからきっと何よりも気持ちを、選択を尊重してくれたのだとは思うけれど。

 親の愛情に嬉しく思いながら、けれどその裏で武芸の家に生まれた者として、期待は欲しかった。

 軍属を目指して今の地位にいるのも、元はと言えば父親の影響が強い。

 だから自由を言い渡されたあの学院祭の後夜祭、その時に際限ない渇求も覚えた。

 認められたくて始めた行いは、手放しにされてしまった。だから求めてしまった。誰かに認められる事を、必要とされる事を。

 その先で、始めて本当の友達と言うものを手にして、同時に理解した。

 クラウスに感じていたそれは、友達としてのそれではなかったと。

 知ってしまえば、後は分かりきったこと。

 この気持ちに嘘はなく、だから彼だという事実に安堵し、否定したくなる。

 命を救われたわけでもない。恋愛小説のような鮮烈な出会いがあったわけでもない。

 ただ日常を過ごして、一緒にいる事を許容して。自分らしく居られる場所が、彼の隣で、だからそれがいつしか愛に……独占欲に変わっていた。

 物語の中のような現実はありえない。それは想像だから自由であって、理想だから現実ではないのだ。

 事実なんてこんなもの。劇的で感動的なお話が知りたければ本でも読んでいればいい。

 何より私は生きている。生きているから、納得できる。

 この気持ちは本物だ。




              *   *   *




「クラウス…………」

「何……?」


 問い掛けに足を止める。いつの間にか後ろにいたユーリアは変わらないいつもの真面目な顔で言葉を紡ぐ。


「……明日、暇?」


 思わず息を呑む。

 ユーリアは感情が余り表情に出ない。けれど表情に出ないからといって分からないわけではない。声音に、語調に、息遣いに。視線と、指先と、それから雰囲気が、何よりも雄弁に彼女の事を教えてくれる。

 けれどそれは彼女の言葉がどこかに繋がっているときだけだ。

 何かに端を発し、その先で彼女が得た結論であるならばきっとクラウスにはどんな答えでも導き出せる。

 しかし例えばそれが、彼女の中から生み出された、彼女に由来する言葉であるならば話は違う。

 その言葉の根拠は彼女の中にしかなくて、多くを語らないそこからは正しい答えを導き出すのは難しい。

 それは一体どんな心境から出た言葉だろうか。

 言葉の意味よりもまず最初にそんな事を考えて黙り込む。

 クラウスの沈黙をどう解釈したのか、ユーリアは小さく息を吐いて横を通り過ぎる。

 ようやくそこで言葉の裏よりも言葉本来の意味に気付いて慌てて答えを返す。


「暇と言えば、暇。別に急ぐ用があるわけじゃないし」

「そう…………」


 答えて、それから幾つかの可能性に至る。

 もしかして何か相談事だろうか? 特にユーリアから話を持ちかけられた過去から類推すれば一番可能性の高い話だ。

 考えていると、居心地悪そうに視線を外したまま投げやり気味に彼女が告げる。


「……暇なら、何処か連れてってっ」

「…………何処かって……」

「どっち。付き合ってくれるの? ……くれないの?」


 そうして振り返った彼女の顔に、クラウスは二の句を忘れる。

 芯の通った紫苑の瞳。いつもなら自信に溢れたその奥に、僅かな躊躇いを感じた。

 今まで見た事のない気弱な光の双眸に、それからようやくクラウスも言葉を返す。


「…………付き合うよ。けれど何処に行こうか……」

「それは…………クラウスが、決めて……。…………っ!」


 一方的にそう伝えて、それから踵を返した彼女は逃げるようにその場を去る。

 クラウスが次ぐ前に遠くへ行ってしまった背中を少しの間見つめて、それから軽く頭を掻いた。

 丸投げにも程があると呆れて、それから行き場のなくした喉もとの気持ちをユール・ゴートの作成へと割り当てる。

 そんな風に他の生徒と協力しつつ作っていると、唐突に背中を叩かれて足を止める。藁を抱えたまま振り返れば小さな背丈の目の前に質素な植物の束が突きつけられた。


「わっぷ……!」

「あぁ、ごめん。って、アンネさんか……」


 見慣れた顔に零せば彼女は額を摩る。もしかして藁が刺さっただろうかと少しだけ心配すれば、彼女はどこか嬉しそうに笑って告げる。


「クラウス君の所為で嫉妬の傷がついたんだよ? だからほら、キスして直して?」

「……傷跡は証じゃなかったっけ?」

「それはクラウス君につけられた傷。これは──戒めの傷」


 そうして俯いたアンネは大事そうに額を撫でて微笑む。

 大方ユーリアの理不尽……いや、アンネがからかった末の自業自得だろう。一体何を口にしたんだか。

 どうでもいいと切り捨てて、同じところを小突くとまた一つ呻くアンネ。

 そんな小細工をしたところで女の子らしく可愛いとは思えども、結局それ止まりだ。

 アンネも分かっているから、追撃のように上目遣いでこちらを睨んで来る。

 意味のない満足感を得る彼女に踵を返して、それからついでのように一つお願い事。


「そうだ。ユーリアに伝言いい?」

「…………なに?」

「えっと…………『ヒトマルマルマル、校門にて』」

「人丸──? 何その暗号……?」

「ユーリアなら多分わかるから」


 言って答えを聞かないまま作業に戻る。

 クラウスが生まれるより前、戦時中にスハイルの方の軍で使われていた古い暗号文だ。

 今では解読も済んで、別の暗号文が使われているはず。軍属のユーリアならきっと知っていることだろう。

 因みにクラウスがこれを知っているのは、この前読んだ本に出てきたからだ。

 暗号、合図、目配せ。クラウスだって男で、準軍属扱いの国立学院に通う身だ。過去に軍への志願も考えていた事もあって興味は確かにある。

 何より、秘密のやり取りと言うのは使い勝手のいい憧れだ。その内クラウスの周囲だけで使える暗号とか作っても面白いかもしれないと、珍しく子供心に想像を馳せて笑顔を浮かべる。

 手信号、暗号刻印。それから妖精術を駆使した伝達手段なんてのもある。

 考えるだけで楽しくなる。

 まるで童心に返ったような面持ちで色々な事を想像する。


『クラウスさんには、妖精語がありますよっ』

「もう少し使い勝手をよくしないと実用には向かないけどね」


 頭の中に響いたフィーナの声に言葉を返せば、彼女は楽しげに肩を揺らして笑ったのだった。

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