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フェアリー・クインテット  作者: 芝森 蛍
高らかに嘶く鎮魂歌(レクイエム)
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第三章

 翌日、ブランデンブルク城内の一角には、肩を並べる妖精騎士(フィリット)の姿が沢山あった。

 ところどころ傷のついた銀色の甲冑に身を包み、青空の下規律正しく整列した騎士達。似たような柄の布で誂(あつら)えられた迷彩服に身を包む集団も騎士の隣に多数見受けられる。

 それから数は少ないが清潔な服装に身を包んだ医療部隊もちらほら。

 そこに介する者たちの共通点と言えば傍らに契約妖精が佇むこと。

 落ち着きのない者達は辺りを見回して、小心者は身を縮こまらせ、これから向き合う任務に意欲を燃やす者は真っ直ぐに前を見据える。

 そんな妖精と人間の混じった景色の中、彼らが視線を注ぐ先には赤銅色の頭髪に黒い瞳を据えた精悍な顔立ちの男性が台に立つ。

 彼の名前はカイ・グライド。ブランデンブルク王国陸軍少佐。ブランデンブルク国王、ヒルデベルト・アスタロスの脇を埋める一人にして彼の懐刀。

 陛下を守護する御剣にして武力の象徴の一人だ。

 そんな彼は堅く重い騎士甲冑に身を包み、眼下に集まる騎士たちを見下ろす。


「今回の任はヒルデベルト国王陛下からの勅命であるっ!」


 芯の通った真っ直ぐな声。空気さえ引き裂いて響き渡る彼の言葉に静かに傾聴する。

 そんなカイの後ろで腕を組んで同じように騎士たちを睥睨する視線がもう一つ。

 憲房(けんぽう)色の頭髪に小豆色の双眸。この場にいる誰よりも高い階級を持ち、憧れの存在として尊敬される人物。

 ブランデンブルク王国陸軍大佐、ハインツ・クー・シー。先の第二次妖精大戦をも戦い抜いた兵(つわもの)でも有り、同時に現状ブランデンブルクの最高戦力だ。

 陛下の腹心に国の武の象徴。

 更には後ろに名のある騎士たちも引き連れて有象無象の騎士たちを見下ろす様は、まるでこれより覇道を突き進む勇者一行のようで。

 そんな二人を中心に据えたこの景色に並ぶは今回の任に参加する騎士たちだ。

 実力を伴わせ、死の覚悟を踏み越えて立つ者達。守るべき物をその内に抱え剣として振り翳す者達。

 守護と戦乱の象徴たる王国軍が、今度は世界に牙を向ける。


「今回の任は妖精変調(フィーリエーション)以降その存在を現した回帰種(フィーリス)達の保護である。今は亡き陛下の最愛の花、アスタロス王妃殿下の御技によって世界に齎された一時の平穏……。それは同時に妖精達にとっても安堵への変化であるっ」


 カイの言葉に耳を傾ける騎士達。その数多の視線の先で一歩も引くことなく演説を行うカイの姿は凛々しく気高い。

 若くしてその席を射止めた新進気鋭な彼は軍の中でも羨望と嫉妬に挟まれている。

 けれど今回はそんな面倒事に拘(かかずら)っている暇は無い。

 これからブランデンブルク王国軍が行うのは妖精変調以降進展のなかった世界的問題、本質を剥き出しにした妖精……回帰種との意思疎通だ。

 些細な諍いごとに耳を傾けるほどの余裕は無いし、そんな事をしようという気も起きない。

 なぜなら妖精は世界の伴侶だからだ。

 妖精と共に歩む世界で妖精と意思疎通をする機会がある。うまく使えれば今後の国同士の話し合いにも響く材料だ。

 もちろんこの場にはそんな野心家はいないに等しいだろう。なにせ武を極めし者たちだ。政(まつりごと)には疎くても仕方がない。

 何にせよ、世界にとっては由々しき問題だ。


「この世界は我々人間のものでは無いっ。この世界は彼女達妖精のものでは無いっ。この世界は双方の歩み寄りの上に成り立っている危うい均衡の大地であるっ。その崩れかけた均衡を元に戻すべく、我々はその足を踏み出す、その手を伸ばす。世界の行く末は、我々にこそかかっているっ! 心せよ、我々の手が世界を支えるのだっ!!」


 振り翳した大義名分。上っ面の言霊に獣の咆哮の様な喊声(かんせい)が返る。

 まるでどこかの怪しい団体の偽善を並べ立てた口上だと笑えば、先程まで騎士たちを鼓舞していたカイが台から降りて目の前にやってきていた。


「お疲れ様です」

「……途中から自分でも何を言っているのか分からなくなった…………」

「構わないさ、導火線にさえ火が点けば方法なんてどうでもいい」


 大きく肩を落としたカイ。そうして椅子に座り込んだ彼に、ハインツが楽しそうに笑みを浮かべて告げる。


「わたしも大戦中はよく意味のない感情論を語ったものだ。その内慣れるさ」

「分かってたことですけど、やっぱりきついです…………」

「……こうはなるなよ?」


 カイのうんざりするような答えに、ハインツはこちらへ視線を向ける。その瞳に不敵な笑みを返す。


「もちろんよ。クー・シーの一人娘に何を言っているのかしら」

「あぁそうだな。わたしの自慢の娘だよ」


 胸を張る仕草に後ろへ流した長く綺麗な黒髪が揺れる。すらりとした華奢な体躯は、けれど軍属という場所で鍛えられ、鋭い剣のように研ぎ澄まされている。

 その紫苑の双眸に宿るのは不敵な自信と血筋の信頼。

 それこそが私をユーリアたらしめる妖精犬士(クー・シー)としての誇りだ。


「自慢だからといって手放しとはいかないがな」

「狙撃隊はそろそろ出るのだろう? 何処の隊に?」

「カペラさんのところへ」

「そうか……。まぁ危険からは遠い部隊だ。わたしたち本隊が仕事をできるように支援を頼む」

「もちろんです。クー・シーの名に掛けてっ」

「期待しているよ、一等兵」


 父親からの言葉を胸に刻んで天幕を後にする。

 一等兵。階級で言えば下から二番目の雑兵もいいところだ。

 けれどそれは力を持っていることには変わりないし、ハインツにも言われた戒めだ。

 ユーリアはまだ学生。正式な軍属といえど、周りの大人からしてみればまだ子供だ。そんな少女を最前線へ立たせるのも管理能力が問われるし、何よりまだ命を左右するには幼すぎる。

 ハインツは過去に、ユーリアの実力ならば伍長でもいいとは口にしていた。けれどその階級は、小さくとも組織の長や副長として下の者の命をも預かる身分だ。

 学生の、しかも女に命を預けるというのは他の騎士たちからしてみても余りいい気分では無いだろう。そんな色々を加味した上で、今のユーリアは一等兵止まり。卒業後、順を追っていけばいいだけの話で、ユーリアもハインツの言い分には納得している。

 それでも時折少し上の経験をさせたいと話が回ってくる事はある。実態の殆どないお見合いの話が降りかかっていた頃、クラウスとアンネと一緒に国の不始末を片付けに行った事が記憶に新しい。

 実際ならあんな危険な任務、ユーリアの元には回ってこないはずの問題だ。けれどあの任務の後ろには父親であるハインツと軍内でよく面倒を見てくれるカイ、それからエルゼの大きな存在があった。そのお陰で危険な話に借り出され、彼に傷を負わせた。

 クラウスは、幾ら学院で訓練を受けているといえど実戦経験の殆どない学生だ。ユーリアからしてみれば、冷酷に言ってしまえば荷物で、少し頭の回転が速いだけの学友。その能力を買ったからこそあの時は声を掛けたのだが、冷静に考えればあの任務で彼らが命を落としてしまってもおかしくはなかったのだ。

 彼の左腕の傷だけで済んだ……というのはただの自分への言い訳だ。客観的に判断すれば、私はあの隊の隊長として彼を危険に晒してしまったのだ。

 そんな半人前を、ただ実力だけで判断して責任を背負わせるのは被害を増やすだけ。だからこそ、今のユーリアではハインツの言葉に反論できない。もちろんするだけの理由もない。

 私は、無力だ。

 無力だからこそ、それを覆したくて力を欲した。結果それが私をつくる一部となり、どこかで甘えを植えつけた。甘えの被害者は言わずもがなアンネだったけれど。

 けれど逆に考えれば、私らしさはそこにあって、だから彼にも彼女にもまだ見放さないで貰えているのだと。

 だったら今はただそれを振り翳すだけ。今必要な事を手にする為に前を向き続けるだけ。

 彼との約束を果たす為に、私はまだ死ねないから。


「お待たせしました」

「いやいや。そちらこそお疲れ様。これから出るって言うのに傍付きとは大変だね」


 気付けば辿り着いていた目的地。予め決めていた合流地点に向かえばダミアン・カペラ率いる班は既に揃ってユーリアの事を待っていた。


「別に、言うほど大変な事ではないですから」

「君にしてみれば見知った顔かもしれないけどね。わたしからしてみれば手の届かない人たちだ。そんな人たちの秘蔵っ子を預かるんだから、あまり嫌な想像はしたくないものだね」

「それこそ杞憂ですよ。私は父ほど優秀なわけでは無いです」


 ダミアンの言葉に冗談も見つからず素直に返す。

 学院では神童などと持て囃されているが、それは今の学院にユーリアを越える軍属が──実力者が殆どいないからだ。

 少し前まではニーナがエルフの妖精従き(フィニアン)で軍属。更には学院長の娘で生徒会長でと何でもありな程色々な物を持っていたが、彼女がその殆どを一度に失ってからはその羨望と嫉妬がユーリアに集まっただけ。

 確かに小さい頃から父親であるハインツには色々な事を教えてもらったが、それは興味があったからでいつの間にか身についた技能だ。

 それを特別だとは思わないし、光る才能だとも思わない。英才教育のようなそれであって、誰だって努力すれば身につけることのできる技能だ。

 もちろん学生の身分ではそれに手を出すほど暇では無いだろうし、そういう意味では生まれが少し恵まれていたのかもしれない。

 何にせよ、特別なことだとは思わない。それはただの、得るべくして得た結果だ。


「それに今回の任務はそこまで大きな問題が起きる様子もないでしょうし」

「わたし達にとってはね。……さて、あまり立ち話をしていると背中を蹴られかねない。そろそろ行くとしようか」


 ダミアンのどこか抜けたような笑顔の号令に飄々とした声が返る。

 彼らのいつもの役割は工作……裏方仕事だ。特に面倒臭いものでは国境を越える任務もある。顔が割れるのを嫌い、辺りに順応する彼らは無意識に意識的な自然体を演じる。

 それはどこかクラウスやアンネがよく使う人の仮面のようなそれで。それよりももっと自然な極一般的な陽気さを纏う。

 歩き方一つとっても違う。

 足音は鳴るし警戒の仕草さえ感じさせない。軍の犬として育てられたユーリアとは対照的な、人の中に紛れ込むための自然体。

 もし彼らの身形がユーリアと同じ軍服ではなかったら、ユーリアは余裕でこの面子を見失う覚悟は出来ている。

 それほど記憶に残り辛い、有り触れた雰囲気を纏う。

 特に潜入や諜者を演じるその筋の者の生き方だ。

 そんな中にユーリアみたいな軍人が混ざってしまえば浮くのは当然。けれど悲しい事に、近しいところにいる友人がそう言った戯けた事に秀でているお陰か、順応する事についてはもう慣れてしまった。全くどうしてくれようか。帰ったらとりあえず理不尽をぶつけてみようか。そうすればこの胸の感情も少しは整理がつくだろうか。

 胸の悪態を生きるための糧にして目的地へ。

 やるべき事は頭の中に叩き込んである。

 けれど知っていることとそれを再現することの間には大きな隔たりが存在するのだ。

 そのための力。彼は悪用を考えているようだけれどそんなのは彼の都合だ。

 ユーリアにとっては正義を貫く刃でしかない。

 自分のやっていることを正しいと信じて、盲目にその矛を振り翳す。

 考えつつ、ドラゴンの背に相乗りして空の旅。

 今回の任務は特別な編成が組まれており、一つの班や隊に陸海空それぞれに属する者が混在している。

 状況に応じた作戦行動をする為であり、所属に関係なく最終的な手柄を均一化する為。

 妖精変調という世界規模の異様。今後の事を考えても、内輪揉めを起こしている暇はないという上の判断で、変則的な部隊編成が為されているのだ。

 お陰で普段の訓練では顔を合わせない面々と行動を共にする事になったが、目的は共有されている。

 心のどこかに所属への自尊心はあるかもしれないが、任務の前には些細な誇り。全員が理性で小さい感情を押し殺し、国の──世界の為と心を一つにして臨んでいる。

 下手に刺激しなければ同じ国に使える騎士として仲良くできるし、普段の所属ではない経験や知見を広めることができる。

 ドラゴンの背に乗るのもその一つ。

 主に空軍の管轄である飛行可能な幻想生物への騎乗は、なかなかにない体験だ。

 以前ヘルフリートの背を借りたことはあったが、あれが例外。陸軍に所属する身からすれば、珍しさに胸が高鳴るのも致し方ない。

 というのも、対外的な知名度でいえば、空を飛んだり海を駆ったりする空軍や海軍の方が、派手で記憶に残りやすいのだ。

 それぞれ専門的故に、大抵の者が憧れ志す国軍の象徴のような存在。

 けれどもその分実力や知識が問われ、簡単にはなれない栄誉職の一つでもある。

 斯く言う私も、ドラゴンなどの幻想生物の背に跨る夢想をしなかったと言えば嘘になる。

 けれども機会などそう訪れる物ではない。あって直ぐそばを通り過ぎたり、好意で触れ合わせてもらえたりという程度。

 だからこそヘルフリートの一件は例外中の例外であり、今回も任務という目的はあるが、胸の奥が平常心とは言い難いのだ。もちろんそれを顔に出すような真似はしないが。

 空軍の班員の操竜で、遮る物のない大地の絨毯の道中。

 見回す景色に秋の色はもう殆ど見当たらず、遠くに聳えるアルネブ山脈には白い傘が確認できる。

 妖精術で風から身を守ってるとはいえ、肌を刺す冬の気配。

 気概を無くしていくような自然の顔に、今年もきっと寒い一時を過ごすことになるのだろうと想像して。

 胸の衣嚢に身を縮めたリーザに、草笛を一片差し出す。

 本来荒事を嫌う妖精に協力してもらうのだ。ご機嫌取りは欠かせない。

 まだ彼女と契約して一年も経っていない。普通なら学院で友好的な関係を結んでいる最中の身で、こうして彼女を巻き込んでいるのだ。

 契約の際に軍の仕事について理解を得たとはいえ、私の人生に振り回していることに違いはない。

 何より彼女との関係進展は、私の身の安全にも直結する。

 自由奔放が一般的な妖精にしては、短い期間で私に理解を示してくれるはんぶんに感謝をしつつ、行く先を見つめる。

 彼女との初めての冬を楽しく過ごす為にも、与えられた役割を十全に果たして無事に帰るとしよう。




 ドラゴンの背に身を預けてしばらく。やって来たのは今回の任務の舞台となる目的地。

 これまでの調査で妖精変調の影響を受けた妖精達、回帰種が世界からその身を守るようにして集まった場所。

 ブランデンブルク王都より北に延びる林道より獣道を進んだ先にある山腹の一角。回帰種達の溜まり場。

 今回はそこを訪れて接触を図り意思疎通を。そこから世界に蔓延る歪みを少しずつでも解消していけれたらと言う思惑の作戦だ。

 ブランデンブルクだけでなく他国でもほぼ同時に行われる世界的な作戦。時間の掛かる問題だが、ならば早くから取り掛かり全ての淀みを取り除くことこそが、妖精との関係をこれ以上悪化させない唯一の方法だと。

 妖精変調以降、言葉もないまま互いを不可侵としてどうにか保ってきた均衡。進まない関係は停滞を辿り、やがてそれは不信すらも生み出して間に横たわる亀裂を大きく深くしていた。

 お陰で互いに気が立ち、こうした回帰種たちが住まう近くを人が通ることも少なくなり、互いが互いを忌避するように居心地の悪い空気を作り出していたのだ。

 中には回帰種達の集団に属さず暮らす外れ者の妖精が、町の近くに出てきては問題を起こしてもいた。

 学院ではそこまで話題にはなってはいなかったが、それはそうならないように情報規制を敷いて妖精騎士達が早期解決に勤しんでいたからだ。

 口には出さないがクラウスなどは気付いていたはずだ。けれどそれは言わば妖精の本質……妖性に近づく行為。あまり深くに首を突っ込めば危険の及ぶ領域だ。特に慎重に外堀から埋める彼としては簡単に手は出せなかったのだろう。

 そんな妖精、回帰種たちとの世界規模での干渉。

 今回の任務の結果こそが行く末さえも左右する一大事なのは言わずもがなだ。

 そんな任務に後方からとはいえ参加するユーリアは、固い面持ちで歩みを進める。


「気負うな。何かあればわたし達が君を無事に帰す。不安と責任は大人がどうにかする仕事だ」


 不意に隣から声を掛けられて顔を上げる。交わった視線で、ダミアンは優しく笑ってそれから何でもない人の皮を被る。

 大人。その言葉が頭の片隅に引っかかって、それから納得する。

 そうだ。ユーリアはまだ子供だ。

 ようやく自分が何者なのかを知って、何ができるのかと考え始めたばかりの、大人になりかけた子供だ。

 身の程を知るのはできる事とできない事を知ってから。それを判断できるまでは、まだ子供らしく振舞ってもいいのだと。


「……ありがとうございます」

「あまり早くに大人になられると、大人の立場がないからな。……さて、到着だ。早速だが始めるとするか」


 足を止めたダミアンの声に返事をして、それから任務に取り掛かる。

 まずは辺りの人払いと通行封鎖だ。

 村や町を繋ぐ山道の為、近くに住んでいる人はそこまで多くない。そちらの予めの避難誘導は済ませている。

 しかし偶然通りかかった人たちは違う。彼らは知らずここに来てしまった人たちで、罪も理由もない一般市民だ。

 何が起こるか分からない前代未聞の任務。不穏因子は排除するに限るし、市民の平穏と国を守るのがユーリアたち王国軍の仕事。地道な作業だがこれもまた必要なことだ。

 相手にも都合はあるだろうがどうにか引き下がってもらいつつ。通り掛かる人たちには別の道への誘導を行い、段々と警戒の網を外へと広げていく。

 空は生憎の曇り模様。木々や草葉を揺らす風が頬を撫でては冬の冷たさが体を刺激する。

 全く年頃の女をこんな任務に就かせるとかどういう神経をしているのだか。

 陽光の差し込まない空を覆う灰色の天蓋に胸の蟠りをぶつけて長く息を吐く。

 その華奢な背中に掛けられた声に振り返る。


「そろそろ時間だ。準備に移ろうか?」

「あ、はい。向かいの山ですよね?」


 もうそんな時間かと。ダミアンの言葉に頷いて呼吸を詰め、心地のよい緊張を体中に張り巡らせる。

 ユーリアにはクラウスのように幾つもの想像を巡らせ、数多もの可能性を手中に収めて、全てを操るような計画性は無い。

 けれどここ一番の集中力と全てを指先一つに託すだけの決断力は人一倍だ。

 標的を見据えてそれに向かって弾丸が如く真っ直ぐに邁進する。

 人はそれを無鉄砲と言うのかもしれないが、ユーリアにとっては信じられる自分自身だ。

 曲がらない自分を指先一つまで張り巡らせて意識的に呼吸を行う。

 いつもの自分。胸に吸い込む空気で心臓の鼓動さえも制御して、その音を頼りに回りの景色を遮断し自ら孤立する。

 狙撃手は忍耐と集中との勝負だ。まるで手に持つ狙撃銃までもが自分と一体化して、その境目が分からなくなるくらいに意識を霧散させて照準器の向こうの目標をじっと見据える。

 そうしていると世界には自分と目標の二つしか存在していなくて、その内自分が景色に溶けていく毎に目標の鼓動でさえも指先に感じる瞬間が訪れる。

 その刹那に気付けば引いた引き金の感覚と、何もかもを置き去りに遠くへ飛んでいく銃弾が目標を射抜く未来視さえ脳裏に過ぎるのだ。

 言葉にしても他人には理解されないたった一人限りの感慨。だからこそ折に触れ誰かから神童だとか天才だとか言われたりするのだろうか。どうでもいいがその期待を偶像化しないで欲しい。

 この指先には誰かの命さえ左右する力がある。

 それは力を持つ者の責任にして、曲げてはいけない正義だ。

 だからこそ失敗は許されない。

 いつの間にか手にした狙撃銃。名はバレットM82A1。全長1メント44セミル7.8ミリル、重量12キロン900グリム。有効射、2キレントで装弾数10+1発の対物狙撃銃。

 軍の任務でのみ使用を許可されたユーリアの愛銃の一つ。この子は四人いるうちの最も新顔の子だ。もちろん実践で使える程度には使い込んでいるし、その信頼はユーリアに帰属する。

 照準器の向こう、2キレント先まで音の倍以上の初速を撃ち届ける超長距離狙撃の相棒。

 とはいっても実際によく運用するのはその半分、1キレント程だろう。今回もある程度高度のある場所での狙撃だ。普段訓練する地表付近の狙撃と比べればその感覚は違う。

 けれど1キレントもあれば大抵の目標には視認、知覚外から撃ち抜く事は可能だ。

 何せ弾の方が数段速い。発砲音は置き去りにされ、聞こえた時には既に通り過ぎている。

 狙撃手は音に忘れ去られし、孤高にして孤独たる暗殺者だ。


「ここですか……?」

「あぁ。射線は通っているはずだが」


 ユーリアが陣取るのは作戦が行われる山の向かいの山腹。木の葉も殆ど枯れ、寂しく冷たい風が吹き抜ける岩肌の厳しい一角だ。

 作戦展開予定地より逆算された狙撃地点。辺りの風景に馴染むように設えられた用意のいいお膳立てに、腹ばいになって銃架を展開。その照準器を覗き込む。

 距離にして約1.2キレントといったところだろうか……。訓練で培われた目算が冷静にそう判断して心を落ち着かせる。

 射線は通っている。山肌とはいえそこまで強い風もない。空気も澄んでいて、日差しも厚い曇天に遮られている。照準器に反射してこちらの位置が勘付かれるという心配はしなくてもよさそうだ。

 条件は悪くない。後は吹き抜ける風をどれだけ読みきれるかだ。


「カペラさん。山間の風速、どれくらいですか?」

「今なら、そうだな……2.8メントが南西から」

「そこまで強くないですね」


 言いつつリーザに確認を取れば、彼女も頷く。

 その程度なら妖精力で制御を掛ければ無風とほぼ大差ない。

 バレットは対物狙撃銃ではあるが、打ち出す弾は妖精銃弾(フィーアモ)で、実弾ではない。それも何かあった時の保険だ。

 今回ユーリアがバレットを使うのは、その狙撃地点から距離がありすぎるためだ。

 流石に有効射程400メントのデグチャレフで三倍もの距離を監視するのは無茶が過ぎる。そのために物騒な対物と言う名のついたバレットを持ち出しているだけだ。

 それに保険であって、撃つと決まったわけではない。予定では事を荒立てず意思疎通を図る事が目的だ。特にユーリアの役割は周辺警戒が主なのだ。


「撃つような事態にならないのが最善です」

「そうだな。大将達にとっても後ろにわたし達がいる事が一つの交渉材料だ」


 ダミアンの言う事に頷けば彼は笑顔で告げる。


「心配するな。何かあれば班長であるわたしの責任だ。大体狙撃手一人を運用するのに四人の護衛を付ける班行動なんて過剰戦力もいいところだ」


 確かに彼の言う通りだ。

 妖精が傍らにいない人間だけの狙撃隊ならともかく、観測と狙撃が一対の妖精従きで行えるユーリアのような狙撃手にとっては、二人も護衛がつけば充分だ。

 その倍を指示したのは恐らくハインツであろう事は容易に想像はつくが、そんなに心配なら任務に連れてこなければいいのに。


「それで、狙撃地点はここで大丈夫か?」

「……少し左にずれても?」

「大丈夫だ」


 最悪迷彩服がある。茶色や緑色を混ぜた迷彩模様の被服は地形に溶け込む事を目的としてつくられた陸軍独自の制服だ。

 五十メントも離れれば自然と見分けはつかなくなるし、今回のようにキレント単位で距離があれば予め用意された天幕に頼らなくとも充分に身を隠せる。

 射線を確保しながら僅かに横にずれて自分の感覚に見合った位置取りを見つける。

 覗いた照準器の向こう側、幾度か巡らせた景色の中に恐らく今回の目標地点であろう洞穴を見つける。

 その横穴の周囲に蠢く影を見つけて倍率を少しだけ上げる。

 確認できるのは木の幹に腰掛ける女の姿に、大きな袋を担いだ老人。

 女の方は恐らくニンフの系列の山に住まう者だろうか。老人の方は昨日眼鏡の彼と色々見ていたときに目にした情報で語れる。眠りを司る妖精、ザントマン。

 あまり刺激しなければ大丈夫な類の妖精達だ。文献に頼るなら、少なくとも無条件でこちらを敵視して襲ってくるような妖精達では無いはずだが。

 無意識に詰めていた息を吐いて、照準器から顔を外す。


「……ザントマンとニンフらしき妖精が見えました」

「ゴブリンやスプリガンが居ないだけましだ」


 想像はついていたとでも言う風に告げるダミアン。その横顔を見上げて、それから恐る恐る口にする。


「…………死神は、どうでしょうね」

「口にするな。寄ってきたらどうする」


 死神。それは軍の中で使われるかの存在の忌み名だ。

 暗黒の瘴気に身を包み、死を振り撒く鎌を携えた首なし騎士の妖精。

 真名を言えば────デュラハン。

 けれどその名を音にすることさえ憚られるから、軍では通称や別称をよく使う。


「報告は途絶えては居ない。可能性はあるだろう。けれどもしそうなれば、任務どころではなくなるからな」

「分かってます。その事があるから、ダミアンさんたちが護衛をしてくれているんですよね」


 デュラハンの報告は少し前から幾度かユーリアの耳にも入ってきている。

 何処で誰が目撃した。そんな断片的な情報だが、歴(れっき)とした被害報告。

 既にブランデンブルク国外でも目撃はされているらしく、やはりそこには回帰の揺籃歌(ベルスーズ)が世界を覆う前の妖精変調が関係しているのだろう。

 クラウスともその変革が齎す景色は数度経験した。彼以上に、ユーリアは軍属としてそれ以上の実践を積んだ。

 単独行動で村を荒らす存在と対峙した事もある。その時は排除命令ではなかったためにどうにか森へと帰ってもらったが。

 そうして積み重ねてきた末の、妖精達の幾つかの集まりと、その一つとのようやくの意思疎通。

 中々に難しい問題だが、もしそこにデュラハンといった存在が横槍を刺してきたら、話は途端に厄介になる。


「その者でなくても、ゴブリンに代表される加虐的な妖精は居る。こちらは相手を傷つけられないのだ。防戦は辛いぞ?」

「経験はあります……」

「ここは言わば敵地だ。今までの経験で語れば足を掬われるのは理解できてるな」


 頷いて思考を巡らせる。

 この近くには先程ユーリアが視認した通り回帰種が集まって出来た住処がある。それはつまり、この地域一体は妖精達にとって一時の家と同然だ。中にはゴブリンたち加虐的な性質を強く持つ妖精達の集まりもあることだろう。

 もしそこに飛び火してしまえば、状況は一気に退転する。

 防戦で、しかも相手の数の方が多くなれば、下したくない決断だって迫られる。

 ユーリアも軍属だ。いざと言う時の判断に迷いなどは生まない。けれどもし可能なら、平穏を保ったまま現状を打開したいのだ。


「ならいい……。これ以上妖精との関係が悪化するのは避けたいからな。眉唾な言い伝えだとしても信じたくなるものだ」

「極論、起きるか起きないかの二択です。なら起こさないようにする……その選択肢を取る」


 呟いて、それから小さく息を吐けば、ダミアンが耳に手をあてて小さく頷いた。どうやら本隊から連絡が来たらしい。

 偏在する風を応用した遠距離通話術。繊細な妖精術の操作力が問われるため、一部の者が得意とする珍しくも重要度の高い妖精術だ。

 生憎とユーリアは相性なのか性格なのか、うまく扱えた例がない。


「そろそろ到着するそうだ」

「…………確認しました。街道を北上中。目的地まで目算……約800メント」


 彼の言葉に頷いてすぐさま照準器を覗き込む。妖精変調以降そう使われることのなくなったこの山道は、少し前まで物資運搬の交易路の一つだった。

 回帰種達が集まるようになってからは腕に覚えのある者か、護衛を雇えた者達のみが使っていた林道だ。

 整備はされているが山裾に沿って作られた道は曲がりくねって、徒(いたずら)にその距離を長くする。

 その道を北上する本隊は先程ユーリアが危惧したように、何かあった時のためと数百人単位で列を成す。

 こうして遠くから見れば、まるで山間を這いずる巨大な虫の様だと錯覚した。


「さて、過去にない大仕事だ。準備はいいか?」


 ダミアンの声には視線を向けず手信号だけで答える。

 そうして呼吸を切り詰めれば、耳元で鳴る鼓動の音に全ての神経を注ぎ込んでいく。

 辺りの感覚が遠くに伸びていく感覚。景色と同化し、鼓動が少しずつ弱く、遅くなっていく。自分という存在が曖昧に薄弱に薄く延びて、輪郭を見失っていく。

 他人には決して理解されない、集中さえも通り越した孤独とも呼ぶべき境地にて。

 ユーリアは予感のように安全装置に指を掛けた。

 響いた小さな音が、心に刺さった何かの箍と一緒に安全と言う楔を抜き放つ。




 到着した本隊と少しだけ連絡を取り合って作戦が始まる。

 天気は少し前より更に傾いで、今にも雨が降り出しそうなほど厚い雲の幕を天上に幾重も重ねていた。

 必然、陽光の殆どない地上は暗く濁り、特にユーリアの居る山腹の一箇所は、まるでこれから日が落ちるように薄暗く景色を彩る。

 冬の所為もあって寂しい色合いの山肌は、まるで拒絶の色を放つようだとも感じた。

 そんな風に思っていると、照準器の向こう側……約1キレント先の林道から、幾人かの妖精騎士達が山の斜面を登っていく。

 その者たちの行く先をしっかりと確認して、僅かな進行方向の修正を伝えながらじっと待つ。

 右の指先は時折引き金に掛かってはそれを外す事を繰り返す。

 それは予感。 物事を判断するためには些か状況証拠に欠ける女の勘。

 今までは幾度も助けられてきた鋭いその直感が、今回もまた脳裏で嫌な色を鳴らす。

 既にそこにはありえないなどと言う想像は無くて、ただそうなるだろうという確信のような何かが胸の内に渦巻く。

 分かっていても避けられない結末と言うのは往々にして存在するのだと。


「順調か……?」

「今のところは。これから接触みたいです。それよりも周辺警戒を……」

「問題ない。風と木々で二重に行っている」


 本当にそれだけで大丈夫ならこの胸の疼きは無いだろうと。

 小さく息を吐いて傍らに座る相棒にちらりと視点を向ける。

 彼女は視線が合うと、僅かに頷いて返してくれた。

 どうやら彼女も似たような物を感じているらしい。だとするならばやはりこれは起こるべくして実現する現実だと。

 しかしそれが分かっているならば、ユーリアにできることなど殆どない。

 何処から何が攻めて来るかも分からない。ただ漠然と何かが起こるという予感だけは警鐘を鳴らし続けているのだ。

 曖昧な勘。まるで靄の掛かった視界だと、今までに感じたことのないその直感の端を追いかけ続ける。

 そんな折、耳につけた通信機から声が響く。


『わたしだ。様子はどうだ?』


 聞き慣れた声。ただの音の波が脳裏に父親の顔を浮かべる。


「……今のところは順調です。これから回帰種との接触に入ります」

『そうか。何かあったら直ぐに知らせてくれ』


 声に知らず腰に下げた信号弾に手が伸びる。

 けれど今から確証のない予感を口にしたところでどうなる。それはただ混乱を起こすただの火種だ。

 それにまだそうなっては居ない。なっていない以上は、勘も外れる可能性だって存在する。個人的には外れる予感こそしないのだが……。

 それに、もしもの為にダミアンたちが居るのだ。だとしたら今ユーリアにできるのは混乱を引き起こすことではなく、仲間を信じて任務を忠実にこなすことだ。

 いつの間にか途切れた通信。

 再び辺りに伝播していく沈黙に甲高い鳥の鳴き声を聞きながら集中を重ねていく。

 視界は照準器の向こうだけを見ていればいい。何かあったときに引き金を絞ればいい。

 ユーリア個人の命は任務に対して些細なことだ。

 世界には目標と結果以外の存在は必要ない。私はその間を繋ぐ目に見えない銃身で構わない。

 込められた弾に全てを乗せてその感覚を磨耗させていく。

 自分自身が磨り減っていく毎に時間の感覚が消えていく。

 まるで時が止まったような無情なる自分だけの世界。人の目だけでは到達し得ない倍率の向こう側の目標に、照準器の十字の中心が狙いを定める。

 弾道は殆ど計算外。放たれた弾を着弾まで観測し、制御。妖精力で補って風の流れでさえ寄せ付けない妙技は、いつの間にか身についたユーリア個人のただの技術だ。

 遠方の妖精が、その手を僅かに開く。

 それは警戒心の緩和か、それとも攻撃態勢への移行か。

 そんな些細な変化でさえ、集中のその先に居るユーリアには手に取るように分かる。

 視線の動き方、距離の取り方、重心の動き方。体に込められた力が空気に溶けていく感覚。

 ……どうやら真正面からの衝突はなさそうだ。交渉隊がうまくやってくれたらしい。

 同時にそれは妖精との意思疎通の可能性の証明だ。

 人間はようやく、妖精と本音で話し合う事が出来る。

 心をそのまま伝える妖精語。そこに嘘を混ぜる事ができない。

 何処までも真実な言葉と感情。それは信用も信頼も要らない、ただ信じられる気持ちだ。

 例えその間に妖精術と言う過程があったとしても、それは確かに妖精語での会話だ。

 監視を続けながら、ユーリアの感覚が辺りの景色に戻って来る。

 風のそよぐ音、鳥の鳴き声、近くに立つダミアン達の息遣い。

 ようやくそこまで耳にして、ユーリアも重苦しく息を吐いた。


「……報告です。予定通り、第一次接触にて双方の意思疎通を確認。作戦を次の段階に移行して下さい」

『あぁ、ありがとう。君達はその場から静かに離脱、後続の部隊に任務を引き継いでしてくれ』


 視界を外して通信機を介し隊の総指揮官であるハインツに伝令を行う。

 意外とあっけなかったと感慨を零しながら報告を終えれば、ゆっくりと体を持ち上げた。


「終わったか?」

「はい。接触を確認しました。後続部隊との引継ぎ後、この場を離れよとの命です」

「分かった。連絡を回す。撤退の準備を────」


 そうしてダミアンが一時気を緩めた時だった。

 震えたのは空気。大地と共に視界を動かしたのは聞き鳴れない発砲音。

 空に反響するその銃声が、火薬のそれとは違う間抜けな音を立てて曇天の頒布に赤い絵の具を撒き散らす。

 あれは────


「信号弾っ。あっちは確か……」

「他班の狙撃部隊です。急ぎましょう!」


 言うが早いか、慣れない足場を蹴り抜いて山の斜面を駆け抜ける。

 いつの間にか自分に掛かった風の加護。探知の網が足元を見ていても目の前の障害物を知らせてくれる。

 枯れて細った木々の合間をすり抜けて。目的地へと疾駆する。

 早く、もっと早くっ!

 急く心はどこかで呼吸を整えながらバレットをリーザの保有する空間にしまい、代わりに右手にガバメントを握り締めていた。

 そうして駆け抜けた山腹を、視界の先に見つけた人影に安堵する。

 とりあえず無事のようだ。その周りに居るあの蠢く影は──ゴブリンか。


「っ、こちらカペラ隊、ただいま信号弾発射地点付近に到着。第二狙撃隊の無事を確認っ。また近辺にゴブリンをはじめとする回帰種を……七つ目視っ。指示求むっ!」

『無理はするなっ。出来る限り現状を維持せよ! 直ぐにこちらからも人員を回すっ』


 通信機の向こう側。端的に必要な情報だけを伝えれば冷静かつ唸るような指示が飛んでくる。

 相変わらず咄嗟の指示には無茶ばかり言う上官だ。けれどそんなの、慣れてなければこんな場所には居ない。


「指揮を取れクー・シー! 援護するっ。救助、いけるか!?」

「いけます! 合図くださいっ」

「よしっ、ぃけっ!」

「っ…………!」


 追いついてきたのはダミアン。視界さえ交わさず最低限でやるべき事を交わせば、声に合わせて踏み切る。

 本来指揮権はダミアンが有している。それをユーリアに委譲するということは、そこまで現状を重く見ていないということ。

 ユーリアの判断でも現状を治められる。その信頼を経験という力に変える為、班員を信頼して脳裏にあり得ていい未来を組み立てる。

 刹那、後ろから響くは反響する指慣らしの音。

 パチンッと言う音がまるで木々に跳ね返るように幾重にも重なってその場の音を支配する。

 鳴り響いた音に、狙撃班を包囲していたゴブリン達がこちらへ振り向く。


「行くわよ、リーザっ」

「よしきたっ!」


 風の索敵を全開に。その中で最も丈夫そうな幹二本の間に向けて一瞥さえ向けずに妖精銃弾を一発撃ち放つ。

 宙を掛けた弾。けれど見なくても分かるその初速から導き出される経過時間と移動距離が、頭の中で目的の場所への所要時間を勘のようなそれで知らせる。

 亜音速の飛来物は、目的の木の間を通り過ぎる寸前で術式を開放。途端に虹色の縄が顕現し、その大人一人以上はありそうな直径に巻き付いて二本の木と妖精術の縄で三角形を作り出す。

 次いで左手は腰に下げた円筒状の物体へ。安全棒を抜いて足元に転がし叫ぶ。


「閃光っ、目を瞑れっ!!」


 目の前まで迫った戦友たちが目を瞑るのと同時、背後で視界を焼き尽くすほどの発光現象を起こした。

 ユーリアも目を閉じながら暗闇の奥の光の中、こちらに伸びる手を風で感じ取ってその手を掴む。


「リーザッ!!」

「いっっくぞいっ!?」


 きっとそこには言葉さえも必要ないほど。ユーリアがその名を呼ぶより先に捕縛の一発を維持し続けていた彼女は、残りの術式を思いっきり作用させる。

 元々は捕縛用の術式だ。対象を締め上げる事を目的とし、ある程度の伸縮変化もその命令式に組み込まれている。それを先ほど木々に結び付けていたのだ。

 まさしくそれは伸縮性のある紐を命一杯引っ張って足を地面から離した時のように。紐に込められた元に戻ろうとする力が、ユーリアの持つガバメントを介して救助した騎士の体諸共一気に後ろへと引っ張る。

 スリングショットに込められた石ころが如く。唐突に掛かった後ろ向きの動力に全てを任せて仲間を信じ掴んだ手のひらを固く握る。

 数瞬の滞空感覚。次の瞬間、背中に感じたのは前へと吹きぬけていく風、柔らかく弾けた水飛沫。

 景色がゆっくりと流れる感覚の中で、殺しきれない勢いの行く先に聳え立つ樹木の存在を感知する。

 このまま行けば背中を打ち付けることだろう。下手すればこの手に掴んだ仲間でさえも危険に晒してしまうかもしれないと。

 咄嗟に背後に生み出したのは風の刃。

 空を駆けるその感覚が、木の根元を切り裂いて気付く。枯れ木だったその樹木は、けれどユーリアが切り倒しても尚衝突経路からは外れない。


「まかっ、せろ!」


 瞬時に巡った悪寒は、けれど次の瞬間手を繋いだ先の騎士が突き出したもう片方の腕によって可能性を消し去る。

 既に光の中を抜けた景色で、その男性はユーリアの背後に見える倒れ掛かった樹木に炎を走らせる。

 助けられたのは冬と言う気候にか。

 乾燥して燃えやすくなった木が、瞬時に煤となり、黒く焼け焦げた切株だけを残して跡形もなく消える。

 それとほぼ同時、再び身を包むのは水の衝撃吸収材。次いで殆ど勢いの殺された体を包み込んだのは、大地から生える土の腕だった。

 ようやく後ろ向き宙の旅が終わりを迎えて、思わず息を吐く。気付けば鼓動は早鐘を打っていた。


「……そんなに勢い出さなくてもいいだろう。もう少し程度を弁えろ。止める方の身にもなってくれ」

「…………すみません。やりすぎました」


 いつもの猛進なやる気が齎した過剰な行動。

 咄嗟の判断で必要以上の力を振るうのは悪い癖だと己を叱咤してダミアンの言葉に謝る。

 少しだけ曖昧な足の感覚をとりもどしつつ他の仲間の方へ視線を向ければ、彼らは笑顔で親指を立ててくれた。

 恵まれた仲間に呼吸を整えて、それから助け出した騎士たちと共に閃光の収まった先の景色を見据える。

 小さな背丈に人とは少し違う骨格。長く伸びた鼻と耳。浅黒い肌は緑色にも群青にも見える。顔のつくりはどちらかと言えば醜穢。

 その手には石と木で作られた斧や短剣が握られ、その身を風にたなびく襤褸(ぼろ)の一枚布で覆い隠す。

 子供の頃親に読み聞かされた童話に出てきた、悪戯や悪意の象徴。

 邪悪で狡猾な妖精──ゴブリン。

 彼らは先程ユーリアが辺りに振り撒いた閃光を直視したのか忙しなく柘榴(ざくろ)のように真っ赤な瞳を擦りまわす。

 幾ら危害を及ぼす妖精だからといって少しやりすぎたかと。けれどあれが閃光の妖精銃弾を再装填するより手早いやり方だったのだ。そこだけは納得して欲しいところだが。

 獣のように唸るゴブリンたち。

 ギャオや、キシャゥと言った人が扱わない、ただの音としての呻き声を上げながら段々とその視線がこちらに集まっていく。

 大半はゴブリンだ。けれどその中に二つほど別の固体を見つける。

 ドワーフにも似た ずんぐりむっくりとした体型に長い髭。その体は矮躯でありながら屈強にして険しい筋肉で覆われ、ゴブリンの痩せ細ったそれとは対照的な姿。

 けれどドワーフはこんなところに出てくることは無いはずだ。殆どは岩穴で暮らす温厚な性格の鍛冶屋。何よりゴブリンと一緒に行動したりはしない。

 つまりそれはドワーフに似た別の存在……醜く凶暴にして他の妖精の護衛役も勤める妖精。

 スプリガン。

 話でよく見るのは彼らはが巨大な人型、巨人へ姿を変えるというものだ。

 巨人といえば妖精変調に妖精変調と言う名前がつく前、ユーリア達が解決に当たった任務でもトロールがその中心に居た。

 トロールと比べてスプリガンはより凶悪な存在だ。

 トロールは種によって温厚なものも存在するが、スプリガンはスプリガンと言う妖精に過ぎない。

 ただ似ている事があるとすれば、土地に癒着した巨人と言う存在は、その本質の一部に守護者や管理者と言う一面を持ち合わせているということだ。

 トロールがその土地に由来を持つように、スプリガンも宝や財宝を管理する存在。言わば欲の守護者だ。

 それが転じて、盗みなどの悪事へと繋がり、ゴブリンと同等に悪意の象徴とされる。


「ゴブリンに、スプリガンですかね……」

「少し厄介だな。特に巨人なんかに姿を変えられては────」


 ダミアンがそう零すのとほぼ同時、片方のスプリガンがその小さな体を命一杯に震わせて咆哮を上げる。続けて輪唱するように、もう一体居たスプリガンも鬨(とき)の声を響かせた。

 途端視界を震わせる地鳴り。まるで増幅器のように大きくなって遠くまで反響したその雄叫びは、その体を虹色に包み顕現させる。

 スプリガンの巨人としての姿。ゴブリンの用心棒としての本領。


「…………口にしないほうがよかったか?」

「今更遅いですよ」


 ダミアンの少し躊躇うような声に呆れて返す傍ら、ユーリアはスプリガンの足元に目を注ぐ。

 こういう場合面倒なのは、景色の変化につられて回した視界で、もう一つの目標を見失うこと。そこから急襲をくらい、こちらの呼吸を乱されることだ。

 短く息を吐いて、右手に持ったガバメントをゴブリンたちに向けながら左手で信号弾を打ち上げる。

 先程上がった信号弾があるし、目印となる巨人も居る。今更撃たなくてもいい一発だ。

 けれど仕切りなおすには必要な一発だ。

 まずは打ち上げた着色弾でスプリガンの気を引く。同時、音に仲間達の気持ちを現実に引き戻して告げる。


「……誰か地(グラド)の人形作れますか? できれば大きいのを」

「任せろ、俺がやるっ」

「ではそれでスプリガンたちを抑えて置いてください。ダミアンさん、ゴブリンの無力化手伝ってもらえますか?」

「専門は裏方仕事だ、あまり期待しないでくれよ?」

「それを判断するのは私ではありませんよ。ゴブリンたちです」


 空になった信号弾を銃嚢に収めて、それから左手に鋸歯のついた短剣を握る。

 一銃一刀の銃の型(ガン=カタ)。近接戦闘で、銃口さえも宛がう距離での組み合いを得意とする戦闘姿勢。

 ゆっくりと呼吸を整えながらそれぞれの位置関係を頭の中に叩き込んでいく。

 目の前にゴブリンが五体と巨人となったスプリガンが二体。直ぐ後ろにはダミアンと他三人。先程救出した狙撃隊の面子は既に横に開いて挟撃の体勢をとっている。

 三方向からの視線が光り、退路は後ろにだけつくる。その背後でさえも、時間が経てば応援がやってくる。

 既に包囲はできている。後は不測の事態にどれだけ対応できるか…………。


「くるわよっ!」


 スプリガンの大喝が再び空気を振るわせる。それに合わせてリーザが叫ぶ。

 刹那、大音量を重ねて響き渡る猛りを背景に、大地に聳え立つ二対の巨人の腕が、木々を薙ぎ倒して横殴りに襲い来る。

 同時に目の前からはゴブリン達が一斉にこちらに向かって武器を掲げて突っ込んできた。

 すぐさま視線を横に居る部隊に送れば、頷きと共に彼らは体を回し、目の前に迫る大木のような腕にそれぞれの技を放つ。

 片方は炎(フラム)の妖精術。荒れ狂う奔流が炎の竜巻を起こして天を貫く。あの規模を一人でというのは考えにくい。恐らく傍に控えるもう一人が風(フェリヤ)の属性を以(もっ)て乗算し、威力を高めたのだろう。

 右から迫る屈強なかいなは、その炎に阻まれて唸りを上げる。

 同時に左。ユーリアがその耳で聞いたのは唸る銃声。響き渡るその音でユーリアの意思にも更に火が点く。

 ウィンチェスターライフル。装弾数14発のレバーアクション式小銃だ。

 その脳髄が痺れるほど辺りを貫く綺麗な音に口端を歪めれば、襲来していた岩の塊のような腕が下から土の柱で突き上げられて軌道を逸らされる。

 利便性は少しだけ劣るが、それでもある種の熱狂的な支持者を持つその銃にユーリアも憧れた事はある。

 その音を間近で聞けるとは……弥(いや)が上にも気分は高揚するものっ。


「っせい!」


 鼓動の音と同時に土を踏み切ってゴブリンの振り上げた石斧を左手の短剣で受け止める。そのまま斧頭と柄の結び目に宛がって力そのままに振り切り、その手から斧を落とさせる。

 同時、奇声を上げてもう片方の腕で我武者羅に殴りかかってきたゴブリンを、ガバメントの銃把の底で打ち抜いて無力化。その足元に風の捕縛術式を内包した妖精銃弾を一発打ち込む。

 不可視なる風の縄がゴブリンの足を捉えるのを目端で確認しつつ、次いで向かってきていた別のゴブリンに振り向く。

 風の索敵が教えてくれる空間情報。頼りになるもう一つの感覚を持ち前の鋭い勘で補って、ほぼ確実な未来視とする。

 振り被った石斧。迫り来るその一撃を振り向き様の短剣、その柄頭で斧頭を横から殴りつけて無力化。合わせて右手のガバメントに込められた次弾、昏倒を付与した一発をその腹部に打ち込んで動きを止める。

 この程度ならまだ大丈夫。相手を殺すわけではない。

 何より、まだこの手は汚したくない。

 過ぎった数瞬の思考。その刹那、ユーリアの後ろに居たゴブリンがいきなり横へ吹っ飛ぶ。

 感じるのは妖精力。風の索敵でも一瞬だけしか捉えられなかった亜音速の一撃。ちらりとそちらを見れば、先程スプリガンの腕を往なして見せたウィンチェスタが、その銃口をこちらに向けていた。

 震えるその銃声に、実力以上の心強さを感じつつ更に振り返る。

 視界の先にはこちらを見下ろすスプリガンの巨体。大きな土の人形を砕いた残骸が降って来る中、その頭部の辺りから風さえも押し退ける咆哮が響き渡ると、柱のような太く険しい腕が振り下ろされれる。

 流石にこれを避けるのは難しいかもしれないと。暢気にそんな事を考えながら体は勝手にガバメントを構える。

 それを合図にするように地を這って駆けたのは水。ユーリアの近くを通り過ぎて真っ直ぐに突き進んだその先には、スプリガンの足首。

 人間三人分はありそうなその太い脚に絡みついた水は、それから脚の表面をぐるりぐるりと上に昇っていき、絡みつくとその脚を横に引っ張る。

 刹那、片足を掬われたスプリガンはそのまま体勢を崩し山が崩れるようにゆっくりと傾いでいく。合わせて宙を掻いたその腕の向こう。ちらりと見えた巨人の肩に狙いを定めたユーリアの一発は、付与された命一杯の衝撃効果によって更にスプリガンの重心を崩し、立て直しも効かないほど見事に巨人を倒してみせた。

 仰向けになって山の斜面に倒れこんだスプリガン。その衝撃に辺りの景色が大いに揺れて、周りのゴブリンたちもギィギィと声をあげる。

 煩いほどの景色の中、もう一体のスプリガンに向けては大きな炎の壁が行動を阻害していた。

 これでとりあえずは危うい均衡を作り出せるだろうか。幾ら回帰種と言えど妖精語を介せば会話ができる。ならばそこに意識は存在するのだから、こうした武力での象徴を見せ付ければ二の足を踏んでくれるはずだ。

 土煙立ち込めた景色の中、そんな事を考えながら鬱陶しい視界の妨げを振り払おうと風に指向性を与えて起こす。

 その瞬間、背後にいきなり現れた得体の知れない存在感に慌ててガバメントを撃ち放つ。

 そうして起きたのは烈風。その風に宿る妖精力の残滓が自分の波長だと気付いたのも数瞬、風の局所衝撃が辺りに吹き荒れて途端に濁った景色を浄化する。

 かくして目にした景色の中で、目の前に存在するその優美にして恐怖の象徴に言葉を奪われた。

 全身黒一色の身形。ゆっくりと上げた視界で瘴気を纏うその雰囲気の中に、人間で言うところの頭部がない事に絶句する。

 次いで視界に入ったのは既に振り被られた漆黒の鎌。闇夜でも尚光り輝くだろうその黒よりも尚暗い鋭刃が、次の瞬間音もなく首筋目掛けてぬるりと迫る。


「死────」


 ぬ、と。

 その感慨が音になるより先に、辺りに響き渡ったのは空気を引き裂く怒号だった。


「伏せろぉっ、ユーリアッ!!」


 既に考える暇はなくて。何かに押し潰される感覚を味わいながら視界は足元の枯葉の海へと埋もれる。

 何が…………と考える暇も与えない内に、先程までユーリアが居たところを通り過ぎる漆黒の軌跡。

 次いで起きたのは鼓膜を劈くほどの爆薬が弾けた様な轟音だった。

 震える音の波は肌を通じて心までも揺らす。

 染まり上がる周りの景色。その色は、赤と緋と朱と紅と。

 アカと言うあかが燃え盛り景色を鮮やかに轟々と彩る。

 風を燃やし尽くすその衝動的な炎の本流の中、突如として響いたのは人のそれにも似た絶叫。

 悲鳴にも歓喜にも聞こえる、形容し難い頭に直接響くようなその雑音に思わず耳を塞げば、胸の奥にあるはずの鼓動の音が煩いほどに耳元で鳴り響く。


「下がりなさい、ユーリアっ!」


 次いで聞こえたのは聞き慣れた相棒の声。

 ようやく耳に入ったその言葉にふらりと立ち上がる。

 視界の先で燃え盛る炎の塊。その奥にちらりと見える人型の影に思わず視線を奪われる。

 あれは、死神。魂を刈り取る漆黒の妖精。死の象徴──デュラハン。

 その魔性に魅入られたのはその存在が持つ何かの所為だろうか。

 揺らめく炎のその中でないはずの頭と視線が合って、それから体が動かなくなる。

 まるで命の灯火に死の刃を宛がわれ、指先で撫でられるような感覚。

 心の端まで冷え切って、自分の意思が恐怖と言う感情に塗り変わっていく感覚。

 本能的に感じるその畏怖に、知らず魅入られて動けなくなる。


「しっかりしなさいっ、ユーリアッ!」


 声が、聞こえる。

 けれどそれが誰の声なのか、どんな意味を持っているのか、ワカラナイ────

 ぼぅっと伸びた景色の中、視界には闇夜の中にその輪郭をはっきりと残す首なし騎士の姿を見つける。

 その存在は既に燃えていなくて。どこかで聞こえていた炎の爆ぜる音も今は無い。

 気付けば命の温かさを感じないその存在が目の前に立っていて。徐(おもむろ)に振り上げた大きな鎌が、それからゆっくりと自分の首筋へ────


「…………ぇ……?」

「何放心しているっ、しっかりしろ!?」


 とても近くで聞こえる声は、しばらくしてようやくそれがカイのものだと気付く。

 遅れて辺りを見回せば、視界は見慣れた茶色の山腹。その景色の中に奇声を上げながら燃えるデュラハンの姿を見つける。

 ……さっきのは、幻…………?

 まるで世界にデュラハンと自分の二人だけしかいない感覚。成す術なくその刃に切り裂かれようとしていた自分。

 そんな想像が脳裏を巡って、それから思い出したように恐怖が胸の内を支配する。

 そうだ、あの暗闇に支配された世界で、私は────


「だ、だいじょうぶ、です…………」


 口を突いたのはそんな言葉。けれどそこに意味は見出せなくて、変わりに生きているという実感がようやく自分で立つという事を思い出す。

 それまでカイに寄りかかっていたユーリアは、覚束ない足取りで頭を抑えながら立ち上がる。

 そうして霞む視界でデュラハンを見据える。

 既にその身を包む業炎も消えていて、大地と辺りの木々が焼け落ちた景色の中心で、その存在は顔のない顔でじっとこちらを見つめていた。

 そのあるはずのない視線に自分の魂が震えるのが分かる。

 それは魂に直接恐怖の感情を強く刻み込まれたように。見えないはずの視線を幻視して、本能的な恐怖を再燃させる。

 死の象徴として人々に畏怖される存在。魂を刈り取る死の支配者。

 不意に声が嗤い、音に鳴らない感情が頭の中に流れ込んで来る。


「っ────!!」


 刹那に跳ねたのは鼓動。次の瞬間にはその場に膝を折っていた。

 痛い、頭が、痛いっ! 割れる、揺れる、逆さになる!

 頭の中に手を突っ込まれて掻き回されている様な錯覚に陥る。

 胸の内から込み上げて来るのは吐き気。

 怨嗟や悔恨の感情が波のように頭の中を埋め尽くし、心の奥底までを侵してくる。

 まるでそれは体の中を瘴気が駆け巡るようだと。

 酷い頭痛に吐き気、聴覚失調に不規則な眩暈。体の節々までもが気味の悪い不快感を訴える。

 デュラハンはきっと魂に干渉範囲を持つ妖精だ。だから生を刈り取る相手の魂に干渉して幻覚を見せる事が出来る。ユーリアの脳裏に巡る負の感情も、きっとその一部だ。

 やり辛い、正面から矛先を交えるのは愚策な相手だ。

 けれどユーリアにはそれを掻い潜るような奇抜な案は出てこない。こういうときに彼が居ればなどと────

 そんな風に考えた途端、体に力が入らなくなった。これもまたデュラハンの仕業かと、枯葉の絨毯に倒れこんだ視界から揺れる景色でデュラハンを睨みつける。

 ……駄目だ、指先一つですら動かせない。喉が何かに塞き止められて声が出せない。

 ならばリーザにどうにかしてもらおうと。回路で繋がれた相棒を探せば、彼女は直ぐ近くでもがき苦しんでいた。

 何で……リーザはまだ、何もされていないはずなのに…………。

 駄目だ、誰かに、伝えなければ…………。デュラハンと関わっては駄目だと、伝えなければ。

 感覚のない体が最後に誰かに抱えられる浮遊感を味わう。

 既に声も聞こえない。瞼も重くて開かない。僅かに残った嗅覚が、嗅ぎ慣れた炎の匂いを思い出して、それが自分の父親だと気付く。

 けれど気付いたところでどうにもならなくて。

 伝える術を持たないユーリアはその薄れ行く意識の中で最後にきっと大事な一欠片に手を伸ばす。

 どうしてこの頬は、これほどまでに熱いのだろう。

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