【第7話】:消えた狂気と、ちゃぶ台の男
「……サカモトは、公安が責任を持って保護していたんじゃないんですか?」
千石さんが重い口を開くより先に、俺は言葉を遮って問い詰めた。
冷静を装ってはいるものの、せっかく手に入れた平穏を脅かされる恐怖に加え、安全を保障してくれたはずの公安に対する苛立ちが、どうしても声に混じってしまう。
「……すまない」
千石さんは一切の言い訳をすることもなく、深く頭を下げた。
「当初の予定では、公安の極秘施設でサカモト君を保護し、もちろんマモル君の生活サポートも並行して進めるはずだった」
「だが……?」
「突如として、上層部から強い圧力がかかってね。サカモト君の保護指定が、一方的に打ち切られることになってしまったんだ」
「それって……もしかして……」
俺の言葉に、千石さんは何も言わず黙って頷いた。
「……おそらく、大手コンビニ各社の幹部連中から政治的な圧力がかかったんだろう。彼らは著名な政治家や政党に多額の資金援助を行っているからね。公安の保護からサカモト君を外し、無防備になったところを……という計画だったのだろう」
「……汚い奴らですね」
俺は吐き捨てるようにそう言うと、運ばれてきたばかりのアイスコーヒーを、ストローで一気に飲み干した。氷がカランと虚しい音を立てる。
「……で、サカモトはどうしたんですか?」
「彼は勘が鋭い。公安内部の不穏な動きを敏感に察知し、自分の置かれた状況を察したのだろう。ある日……我々の用意したセーフハウスから、忽然と姿を消した」
「でも……サカモトが持っていたあのUSBは、千石さんたち公安が回収していたんですよね?」
「そこが、彼の抜け目ないところさ。我々に渡したデータは、彼が事前に作った精巧な『コピー』で、オリジナルは彼自身が秘匿していた。それに……そのコピーにすら、意図的に重要なプログラミングの欠陥が作られていたんだ」
「……あいつのやりそうなことですね」
俺は呆れ果てて吐き捨てた。
「じゃあ……異世界へのゲートを自由にコントロールできるのは、今やサカモトただ一人ってことですか?」
「そういうことになるな」
俺は喫茶店のレトロな椅子の背もたれに深く身体を預け、天井の彫刻を見上げながら、重いため息を吐き出した。
「……それで、サカモトの奴は何を企んでいるんですか?」
「それは我々にも分からない。……だが、あの配信を見る限り、現実世界と異世界を一つに混ぜ合わせ、この世界全体を完全な混沌に叩き落とそうとしていることだけは確かだ」
脳裏に、動画の中でサカモトが両手でぐしゃりと押し潰した、あのハンバーガーの映像が蘇る。
そんなことになれば……この世界は、あのぐちゃぐちゃに潰れたハンバーガーのように破綻してしまう。
「……何か、止める手立てはないんですか?」
俺の切実な問いに、千石さんは苦しそうに首を振った。
「ない……今のところは、な。我々も総力を挙げてサカモト君の潜伏先を探している。……今日、マモル君に会ってもらったのは、彼が近いうちに君と接触してくるかもしれないと思ったからだ」
「俺と……? どうしてですか」
「なんとなくの直感だよ。彼は君の手腕と度胸に一目置いている節がある。この世界で、彼の狂気に正面から言葉を返せるのは君くらいのものだろう」
「……俺は、これ以上あいつと関わりたくなんてないんですけどね」
それから千石さんと別れた俺は、暗くなった夜道を一人、アパートへと向かって歩いた。
やり場のない憤りと恐怖が足元に溜まり、俺は道端に落ちていた小さめの石ころを、思いっきり蹴っ飛ばした。
「サカモトの野郎……!! 人の平穏な日常の邪魔ばかりしてんじゃねぇよッ!!!」
パカーンッ!!
蹴り飛ばした石が近所の金属製ゴミ箱に命中し、夜の静かな住宅街に甲高い音が響き渡った。
「ッ……!? あ、すみません……っ!」
俺は誰にともなく焦って頭を下げると、逃げるように足早にアパートへと駆け出した。
階段を駆け上がり、201号室の鍵を開けて中に入る。
静まり返った暗い部屋を手探りで進み、壁にある壁スイッチをパチッと押した。
パッと蛍光灯が点き、部屋が明るくなる。
──その、明るくなった部屋の中央。
ちゃぶ台の前の畳の上に、あぐらをかいたサカモトがちょこんと座っていた。
「ぬわぁぁぁぁぁッ!!!?? サ、サカモトォッ!!?」
喉が引きちぎれるほどの絶叫を上げる俺を、サカモトはニヤニヤと楽しそうに見つめながら、ひらひらと手を振った。
「マモルはん……お久しぶりやな」




