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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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第91話:数字と想いが拓く、王国の未来

第91話:数字と想いが拓く、王国の未来

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫23日・土曜(どよう)――

アスタリア大商会本部・工事管理室。

午前6時30分。

夜明け前の雪原から、各施工部隊の報告が次々と届いていた。

机の上には、第1期から第3期までの工区図面、施工進捗、資材使用予定、部隊の移動記録が並んでいる。

第16工区は9.65 Mi(ミーレ/9.65km)まで進み、残り0.35 Mi。

第17工区から第20工区でも施工が続いている。

第3期では、第21工区から第23工区までがすでに着工していた。

そして今日、第24工区でも新しい工事が始まる。

ディートリヒ・ハーゲン(熱供給事業部長)は、第16工区の報告を最初に確認した。

「施工第4部隊(C04)には、残りを急がせすぎるなと伝えてくれ」

担当者が頷く。

「検査担当にも完成予定を伝えています」

「最後の接続ほど慎重に扱う必要がある。完成を急ぐことと、安全を省くことは違う」

「承知しました」

工事の終わりが見えるほど、現場では気が緩みやすい。

だからこそ、最後まで同じ基準で施工する必要があった。

◇

同日午前7時――

アスタリア大商会・製造倉庫管理区画。

製造、倉庫、物流の担当者が、各工区へ供給する資材を照合していた。

《魔導熱伝導路》本体。

接続部材。

固定支持具。

保護外装。

《魔導流体》。

制御設備。

検査用品。

必要なものは多い。

だが、倉庫に存在する物が、すべて今日使えるとは限らない。

「第24工区向けの接続部材、数量はそろっています」

若い資材担当者が言った。

先輩職員が確認票を見る。

「品質検査は?」

「一部が確認待ちです」

「なら、それは使用可能在庫には入れない」

若い職員が少し考える。

「必要な材料があるだけでは、工事は進められないのですね」

「そうだ」

先輩は、出庫票を指した。

「必要な場所に、必要な品質の物が、必要な時にそろって初めて使える」

製造した。

倉庫へ入れた。

運んだ。

現場へ着いた。

それだけでは、施工可能な資材にはならない。

品質を確認し、ロットを記録し、使用できる状態になって初めて現場へ渡せる。

雪原の工事を支えているのは、施工員だけではなかった。

◇

同日午前8時――

第24工区(第3期・第4工区)。

施工第2部隊(C02)が、最初の施工へ入った。

第12工区の施工と検収を終え、白耀月20日に転進を開始した部隊である。

測量。

設計図面。

地盤。

積雪。

道路との取り合い。

施工前に必要な条件を確認する。

「前の工区と同じ感覚で置くなよ」

部隊長が言った。

「ここには、ここの地盤がある」

最初の《魔導熱伝導路》本体が、所定の位置へ納められる。

この日の第24工区施工距離は0.15 Mi。

小さな一歩だった。

だが、第24工区が動き始めた瞬間でもあった。

◇

同日午前9時――

王都セレスティア。

シェリィのもとへ、創光月分の熱使用料金について報告が届いた。

使用対象期間は、創光月1日から30日。

適用したのは旧料金制度。

締め日は創光月30日。

徴収そのものは、白耀月15日に完了している。

ただし、従来の料金内訳から算定した金貨12.940枚は参考試算であり、正式収納額とはまだ一致確認が終わっていない。

シェリィは、その部分に目を留めた。

「徴収そのものは完了しているのですね」

魔導通信の向こうで、ディートリヒが答える。

『はい、会長。白耀月15日に徴収を終えております』

「正式な金額は?」

『検針記録と契約別の内訳を照合中です』

「では、確認が終わるまでは金貨12.940枚を正式収納額にはしないでください」

『承知しました』

シェリィは少し微笑む。

「熱を作って届けるだけではありませんものね」

『はい』

「使ってくださる方との約束を守り、設備を維持する資金まで考えて、初めて事業になります」

熱供給には、保守費が必要になる。

将来の設備更新費も必要になる。

予備資材も必要だ。

完成した設備から収入を得て、その設備を長く守る。

建設事業は、少しずつ運営事業へ姿を変えていた。

◇

同日午前10時30分――

アスタリア大商会本部。

先日の経営会議で検討を始めた4つの事業について、各部門が資料をまとめていた。

農業。

牧畜。

医療治癒。

医療専門教育。

農業では、温室、農地造成、果樹、収穫時期、保存、物流を検討する。

牧畜では、家畜、飼料、畜舎の温度管理、防疫、加工、出荷までを見る。

医療では、アスタリア、王都、公爵領で、それぞれ異なる医療需要を調べる。

教育では、授業、実習、教員、奨学金、病院側の受入能力まで確認する。

意見は一致していなかった。

生産側は品質を優先する。

販売側は需要を重視する。

物流側は輸送能力を見る。

アルノルトは投資額と損失可能性を厳しく確認する。

誰も、シェリィが言ったからという理由だけで賛成しない。

それが、この商会の強さになり始めていた。

◇

同日午後1時――

王都セレスティア。

シェリィは王家へ説明する資料を確認していた。

農業と牧畜については、標準条件では利益が見込める。

しかし、売上が20%落ち、費用が変わらなければ赤字になる。

その資料も、シェリィは外さなかった。

マーガレットが隣から資料を見る。

「不利な数字も、そのまま持っていくのね」

「はい、お母様」

「成功する話だけにした方が、聞く方には喜ばれるのではない?」

シェリィは少し考えてから首を横へ振った。

「成功する場合だけをお話ししても、本当の計画をご説明したことにはなりませんもの」

マーガレットは、娘の横顔を見つめた。

「そうね」

その声には、少しだけ誇らしさが混じっていた。

◇

同日午後4時――

第16工区。

施工第4部隊(C04)は、この日0.20 Miを施工した。

累計9.85 Mi。

残り0.15 Mi。

施工員たちは、最後の接続予定位置を測り直していた。

「あと0.15 Miか」

一人が言う。

「明日で終わるな」

隣の施工員が答える。

「終わるのは敷設だけだ」

「分かってる」

二人は笑った。

第16工区の完成が近い。

だが、検査が待っている。

検収もある。

施工員たちは、それをもう知っていた。

この日の全施工増加は1.70 Mi。

アスタリア側総施工距離は184.90 Miとなった。

◇

同日午後7時――

王都セレスティア・王宮。

一日の仕事を終えたシェリィの部屋には、まだ整えられた資料が残っていた。

マーガレットが扉のそばから娘を見る。

「シェリィ。今日はもう十分に頑張ったでしょう?」

「お母様。あと少しだけ確認したいものがあるのです」

「あと少し、は何枚かしら?」

シェリィが資料を見た。

少し黙る。

マーガレットは笑った。

「では、それを終えたら温かいものを飲みましょう」

「はい」

「考えることも大切だけれど、休むことも忘れてはいけませんよ」

「ありがとうございます、お母様」

シェリィは素直に頷いた。

明後日は、久しぶりに家族とゆっくり話せる。

そう考えると、自然に表情が柔らかくなった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫24日・闇曜(あんよう)――

アスタリア側・第16工区。

午前6時30分。

施工第4部隊(C04)は、残された0.15 Miの施工準備へ入った。

ほかの工区でも、それぞれの部隊が作業を始めている。

第17工区から第20工区。

第21工区から第24工区。

第25工区へ向かう施工第3部隊(C03)も、着工準備を続けている。

午前8時。

第16工区の最後の路体が、所定の位置へ納められた。

接続部材を取り付ける。

固定支持具を確認する。

保護外装を確認する。

施工記録と設計図面を照合する。

測量担当が報告した。

「第16工区、10.00 Mi到達」

施工員たちの間に安堵が広がった。

部隊長も小さく息を吐いた。

「よくやってくれ」

笑顔が見える。

だが、その直後に続けた。

「ただし、まだ終わりじゃない」

若い施工員が答える。

「完成検査ですね」

「ああ」

部隊長は完成した熱路を見る。

「俺たちが造ったものを、本当に安心して使ってもらえるか。それを証明してから次へ行く」

施工を終えた誇り。

それと同時に、最後まで責任を持つ緊張が残っていた。

◇

同日午前10時――

第16工区・検査準備。

検査担当者が、翌日の完成検査に必要な資料を確認する。

《魔導流体》の封入記録。

接続部。

《熱制御口》。

遮断機構。

《熱継送所》。

各種センサー。

通信設備。

設計図面。

品質記録。

検査には、魔力、温度、流体品質、熱損失、漏出、通信、安全遮断などを確認するための計器を使用する。

一つでも不適合があれば再施工、または再検査となる。

施工第4部隊(C04)は、まだ第26工区へは向かわない。

◇

同日午前11時30分――

メンテナンス第16部隊(M16)。

保守員6名と同行料理人1名が、第16工区への派遣準備を始めていた。

防寒装備。

工具。

医療用品。

食料。

移動経路。

第16保守基地の利用条件。

M16の正式勤務開始日は、既存の白耀月4日のままである。

第16工区へ移動する日が、新しい入社日になるわけではない。

「出発は27日の予定です」

担当者が確認する。

「検収と引継ぎ条件が整った場合に限る」

ディートリヒが答えた。

守る側も、施工側と同じように順番を飛ばさない。

◇

同日午後1時――

王都セレスティア。

シェリィは、翌日に家族へ説明する資料を整理していた。

熱供給。

農業。

牧畜。

医療。

教育。

全部を一度に正式決定するためではない。

考えていることを話し、意見を聞くためだった。

医療や教育については、まだ正式投資を決めていない。

病院の取得先も未確定。

王都と公爵領の病床数も未確定。

学校の職員数も詳細検証中。

だから、決まっていないことを決まったようには話さない。

慎重な資料ほど、シェリィには安心できた。

◇

同日午後4時――

マーガレットが、シェリィの髪をそっと整えた。

「明日は大切な人たちと過ごせる日なのですから、楽しむことも忘れてはいけませんよ」

「はい、お母様」

シェリィが少し笑う。

「アーサーおじ様やアストリッド様にお会いできるのが楽しみです」

「それなら安心ね」

マーガレットも微笑んだ。

「あなたのお話を聞くことも、きっと皆様の楽しみなのでしょうけれど」

「たくさん質問されそうです」

「ふふ。あなたなら、きっと楽しそうに答えるでしょう?」

シェリィは否定できず、少し困ったように笑った。

◇

同日午後6時――

第16工区の敷設完了報告が、王都へ届いた。

「10.00 Mi……」

シェリィは報告書を見て表情を明るくした。

だが、すぐに次の欄を見る。

完成検査。

未実施。

正式検収。

未実施。

「検査を慎重に進めてください」

魔導通信で、ディートリヒへ伝える。

『承知しております』

「施工員の皆さんにも、ありがとうございますとお伝えください」

『必ず』

この日の全施工増加は1.90 Mi。

アスタリア側総施工距離は186.80 Miとなった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫25日・光曜(こうよう)――

アスタリア側・第16工区。

午前7時。

完成検査が始まった。

施工第4部隊(C04)の施工員たちは、自分たちが造った設備を検査員が確認する様子を見守っている。

接続品質。

魔力状態。

温度。

《魔導流体》。

熱損失。

漏出。

通信。

安全遮断機構。

一つずつ試験していく。

若い施工員が、検査記録へ視線を落とした。

「この数値が合っていても、まだ次の検査があるんですね」

先輩が答える。

「ああ」

「全部一度に見られないんですか?」

「一つ合格したからといって、全部が安全とは限らない」

先輩は検査員を見る。

「だから確認するんだ」

施工中は、成果が距離で見える。

検査中は、路体が伸びない。

それでも安全な設備にするためには、なくてはならない時間だった。

◇

同日午前8時――

第25工区(第3期・第5工区)。

施工第3部隊(C03)が、新たな工区の施工を始めた。

初日の施工距離は0.10 Mi。

これで第21工区から第25工区まで、5つの第3期工区すべてで施工部隊が動き始めた。

第21工区にC01。

第22工区にC05。

第23工区にC09。

第24工区にC02。

第25工区にC03。

第3期も、少しずつ形になっている。

◇

同日午前9時30分――

王都セレスティア。

ディートリヒから、シェリィへ定例報告が入った。

『第16工区は完成検査へ入りました』

「はい」

『第25工区では施工第3部隊(C03)が着工しております』

シェリィの表情が明るくなる。

「新しい工区が始まるのも嬉しいことです」

少し間を置く。

「ですが、第16工区の検査も慎重に進めてください」

『正式検収の条件が整うまで、施工第4部隊(C04)を次の工区へ移しません』

「ありがとうございます」

シェリィは柔らかく続けた。

「皆さんが安心して仕事を続けられることも、大切にしてください」

◇

同日午前11時――

セレスティア王宮・私的居室。

シェリィは、午後に使う資料の順番を確認していた。

マーガレットは、そんな娘の身だしなみを整える。

「本当に、たくさんのことを考えているのね」

「はい」

シェリィは資料を抱え直した。

「でも、私一人で考えたものではございません」

「そうなの?」

「部長の皆さんが、たくさん調べてくださいました」

シェリィは嬉しそうに言う。

「私は皆さんの意見を聞いて、まとめているだけのところも多いのです」

マーガレットが微笑んだ。

「素敵な方々に恵まれたのね」

「はい、お母様」

即答だった。

「皆さんのおかげです」

マーガレットは、娘が大きな商会を率いるようになったことよりも、その言葉を嬉しく感じた。

人を信じられる。

人に任せられる。

それは、一人で何でもできることとは違う強さだった。

◇

同日午後1時30分――

王妃エレノアが私的居室へ入ってきた。

「シェリィ」

「エレノア様」

シェリィが立とうとすると、エレノアは柔らかく手を振る。

「その前に、一つ確認させてちょうだい」

「はい?」

「ちゃんと眠れている?」

シェリィが瞬いた。

マーガレットが隣で笑いをこらえている。

「眠っております」

「食事は?」

「いただいております」

「王都へ来てから、無理をしていない?」

「……お仕事は増えましたけれど」

エレノアがじっと見る。

シェリィは少し笑った。

「皆さんが支えてくださっています」

「それならよいのだけれど」

エレノアは安心したように微笑む。

「どれほど立派な仕事をしていても、自分の身体は大切にしなくてはいけませんよ」

マーガレットが大きく頷いた。

「私も何度も言っております」

「お母様……」

二人の女性に見守られ、シェリィは少し照れた。

やがて話題は、アスタリアで検討している農業へ移った。

「寒い土地でも、本当に作物を育てられるの?」

エレノアが尋ねる。

「すべての作物が同じように育つとは思っておりません」

シェリィは答えた。

「魔導熱を利用する温室や、保存施設を組み合わせて、まず実証いたします」

「冬でも食べ物を安定して用意できるようになるのね」

「そうなってほしいと思っています」

「利益も大切でしょうけれど」

エレノアは優しく言った。

「毎日の食卓が安心することも、大きな価値ね」

シェリィは頷いた。

「はい」

◇

同日午後2時30分――

ジュリアン王太子が合流した。

「随分と立派な資料を持ってきたんだな」

テーブルの上を見て笑う。

「皆さんに、ご意見をいただきたかったのです」

「なら、遠慮なく質問させてもらおう」

ジュリアンは農業と牧畜の資料を手に取った。

「作物を育てられたとして、保存できなければ売れない」

「はい」

「家畜も、飼料や衛生管理が追いつかなければ増やせない」

「その通りです」

「冬に道路が止まれば、物流も止まる」

シェリィは、オットマールがまとめた物流計画を見せる。

温度管理倉庫。

保存。

出荷。

直営店舗。

王国内への卸売。

「設備だけでは足りないと考えております」

ジュリアンが次の頁を見る。

「設備を造る時期と、売上が入る時期も違うだろう?」

「はい」

「その間の資金は?」

「初期投資を段階的に行います」

シェリィは答えた。

「実証結果を確認してから、次の投資へ進む方針です」

「資金の流れまで考えているわけだな」

「アルノルトが、そこを特に厳しく確認してくださいました」

ジュリアンは小さく頷いた。

「良い財務責任者だ」

「はい」

シェリィは嬉しそうに答えた。

◇

同日午後3時15分――

アーサー国王が姿を現した。

国王としての落ち着いた雰囲気をまとっていたが、シェリィの顔を見ると表情が和らぐ。

シェリィも自然に笑った。

「アーサーおじ様。お会いできて嬉しゅうございます」

「私もだよ、シェリィ」

アーサーは嬉しそうに答える。

「元気そうで何よりだ」

マーガレットとエレノアが微笑ましそうに見守っている。

しばらくは家族らしい会話が続いた。

やがてアーサーが農業の資料へ目を向ける。

「寒冷地でも食料を安定して作れるなら、王国にとっても意味がある」

「はい、おじ様」

「ほかの地域にも使えるのか?」

「可能性はございます」

シェリィは答える。

「ですが、土地も気候も異なりますので、同じ方法をそのまま使えるとは限りません」

アーサーが頷く。

「だから、まずアスタリアで確かめる」

「はい」

「うむ」

その返事には、国王としての納得と、姪の成長を喜ぶような温かさが混じっていた。

◇

同日午後4時――

最後に、アストリッド大后が入室した。

シェリィが立ち上がる。

「アストリッド様」

挨拶しようとしたところで、アストリッドはそのままシェリィを抱き寄せた。

「まあ、シェリィ」

「アストリッド様……?」

「そんなにかしこまらなくてもよいのですよ」

シェリィが少し照れた。

アストリッドは身体を離すと、今度は顔をじっと見る。

「それより、ちゃんと食事を取っているのですか?」

「はい」

「眠る時間を削ってはいませんか?」

「大丈夫です」

「本当ですか?」

アーサーが笑う。

「母上。その質問はもうエレノアが済ませたそうですよ」

「あら」

アストリッドがエレノアを見る。

「では、答え合わせをしなくてはいけませんね」

シェリィが困ったように笑い、部屋の空気が柔らかくなった。

やがて6人が席についた。

シェリィ。

マーガレット。

エレノア。

ジュリアン。

アーサー。

アストリッド。

家族の時間と、王国の未来を考える時間が重なり始めた。

◇

同日午後4時10分――

シェリィは、最初に《魔導熱伝導路》の現状を説明した。

第1期100.00 Miは完成し、運用を続けている。

第2期、第3期では施工が進んでいる。

第11工区までの通熱についても運用報告は上がっているが、管理上は運転証憑との照合を続けている。

創光月分の熱使用料金は、白耀月15日に旧料金制度で徴収を完了した。

ただし、正式収納額は検針と契約別の照合を終えてから確定する。

アーサーが尋ねた。

「設備を造った後にも、ずっと金がかかるのだな」

「はい、おじ様」

「保守、交換、安全管理……」

「料金徴収もございます」

シェリィが続ける。

「設備は完成した日から、長く守っていかなければなりません」

アーサーは腕を組んだ。

「なるほど」

熱路は、工事が終われば消える仕事ではない。

そこから何十年も維持する仕事が始まる。

その仕組みを農業や牧畜にも応用できないか。

話題は自然に、新しい産業へ移った。

◇

同日午後4時20分――

シェリィは、農業と牧畜の暫定試算を示した。

農業事業。

初期必要資金、金貨4,400枚。

安定稼働時の年間売上、金貨2,990枚。

年間営業利益、金貨424枚。

牧畜事業。

初期必要資金、金貨5,270枚。

年間売上、金貨5,072枚。

年間営業利益、金貨912枚。

合計初期必要資金は、金貨9,670枚。

年間売上は金貨8,062枚。

年間営業利益は金貨1,336枚。

「ただし、実績ではございません」

シェリィは最初に言った。

「安定稼働した場合の試算です」

アーサーが数字を見る。

「金貨9,670枚か」

「はい」

「一度に全部使うつもりではあるまいな?」

「ございません」

「ほう」

アーサーが少し笑う。

「それは誰の判断だ?」

「アルノルトが強く注意してくださいました」

シェリィは、財務責任者が一括投資に反対した経緯を説明した。

アーサーは満足そうに頷く。

「会長へ反対できる者がいるのはよい」

「私もそう思っております」

エレノアは別の部分を見る。

「この農業で、本当に人々の食事は安定するの?」

「それを確かめるための実証です」

ジュリアンは物流を見る。

「収穫しても売れなければ意味がない」

「はい。需要調査と保存、輸送も一緒に進めます」

同じ数字を見ても、問いは違う。

それぞれの立場が、計画の穴を探していた。

◇

同日午後4時35分――

シェリィは、もう一枚の資料を出した。

「標準条件だけではなく、悪い場合も計算しております」

合計売上が20%下がる。

費用は減らない。

その場合、年間営業損益は金貨276.400枚の赤字となる。

アーサーの表情が変わった。

「標準では金貨1,336枚の利益。それが、売上が2割落ちるだけで赤字か」

「はい」

「利益を前提に全額投資すれば、危険だな」

「ですから、段階的に進めたいと考えております」

ジュリアンも資料を見る。

「農業と牧畜では、金が戻るまでの時間も違うだろう」

「はい」

「設備、人員、家畜、作物。全部を同時に最大規模にはしない方がいい」

「その予定です」

アストリッドが静かに笑った。

「種を蒔いた翌日に実がなるわけではありませんもの」

シェリィが顔を向ける。

「はい」

「長い年月で育つものは、長い目で考えなくてはいけませんよ」

「覚えておきます、アストリッド様」

数字だけの話だったはずなのに、そこにはそれぞれの人生経験が混ざっていた。

◇

同日午後4時45分――

話題は医療へ移った。

「アスタリアには、高度な医療を担う病院を新設する構想があります」

シェリィが資料を開く。

《アスタリア高度総合医療院》。

初期240床。

将来の増床余地を残す。

診療。

高度医療。

救急。

研究。

臨床教育。

複数の役割を担う施設として検討している。

一方、王都セレスティアとヴァルモント公爵領については、既存医療施設の事業譲受を含めて調査する。

ただし、病床数、取得先、取得費用、職員配置はまだ確定していない。

「3つの病院を、同じ形にするわけではないのね」

エレノアが尋ねる。

「はい」

シェリィが答えた。

「地域ごとに必要な医療が違うと思いますので」

エレノアは少し考えた。

「病院が近くにあれば、遠くまで治療を受けに行かなくて済む人も増えるでしょうね」

「そのような地域を増やしたいと思っております」

ジュリアンが口を開く。

「だが、建物だけ増やしても医師がいなければ動かない」

「はい」

「看護師も薬師も必要になる」

「治癒魔法士もです」

シェリィは頷く。

「ですから、医療施設だけではなく、人材育成も考えております」

◇

同日午後4時55分――

医療専門教育の資料が開かれた。

医師養成課程。

6年。

年間入学定員60名。

全学年360名。

年間授業料金貨40枚。

治癒魔法士養成課程。

4年。

年間60名。

全学年240名。

年間授業料金貨28枚。

上位治癒魔法士専門課程。

2年。

年間12名。

全学年24名。

年間授業料金貨36枚。

看護師養成課程。

3年。

年間120名。

全学年360名。

年間授業料金貨15枚。

薬師養成課程。

5年。

年間60名。

全学年300名。

年間入学定員は、合計312名。

全学年がそろった場合の収容定員は1,284名となる。

上位治癒魔法士専門課程は、すでに治癒魔法士資格を持つ者が進む課程である。

課程を終えることと、法的な資格を得ることも別に管理する。

ジュリアンが尋ねる。

「育てた人材は、全員アスタリアで働かせるのか?」

シェリィは首を横へ振った。

「もちろん、アスタリアで働いてくだされば嬉しいです」

少し笑う。

「でも、王都や公爵領、そのほかの地域で人々を救う道もあると思うのです」

エレノアの表情が柔らかくなった。

「それは素敵ね」

「学校は商会の採用施設だけにしたくありません」

シェリィは言った。

「王国全体の医療人材を育てる場所になってほしいと思っています」

◇

同日午後5時5分――

アルノルトが作成した、より厳しい資料へ移った。

学校本体の成熟期167名体制。

教員98名。

管理・支援職員66名。

学校長室3名。

合計167名。

月額基本給与は金貨2,738枚。

年間基本給与は金貨32,856枚。

全学年定員へ達した場合の年間授業料総額は、金貨34,884枚。

独自奨学金による免除額の理論上限は、金貨8,721枚。

免除後の授業料相当額は、金貨26,163枚。

基本給与だけと比較しても、年間金貨6,693枚不足する。

しかも、施設費。

教材費。

病院での実習費。

それらは含まれていない。

アーサーは資料を長く見た。

「シェリィ」

「はい」

「授業料より、基本給与の方が多くなるのか?」

「奨学金が理論上限まで利用された場合の成熟期試算では、そうなります」

「その上、施設費も教材費も別」

「はい」

「なら、まだ正式計画にはできんな」

「私も、そう考えております」

シェリィは迷わず答えた。

ジュリアンも口を開く。

「学校の教員だけではなく、病院で学生を指導する者も必要だ」

「はい」

「病院が学生教育に人を取られて、診療できなくなるようでは本末転倒だろう」

「ですから、病院側の実習受入能力も検証します」

エレノアが別の数字を見ていた。

「でも、奨学金をなくせばよいということでもないのでしょう?」

「はい」

シェリィは頷く。

「学ぶ能力があっても、授業料を払えない方がおられると思います」

「なら、残したいのね」

「できる限り」

アストリッドが静かに言った。

「人を育てる事業は、すぐに利益だけでは測れません」

「はい」

「でも、続けられなければ育て続けられない」

シェリィは、その言葉を胸に留めた。

採算性。

公益性。

どちらかだけを正しいと決めることはできなかった。

◇

同日午後5時20分――

アーサーは、並んだ資料を一度閉じた。

「熱供給が農業を支える」

「はい」

「農業と牧畜が食料を支える」

「はい」

「医療が命を守り、教育が次の医療人材を育てる」

シェリィは静かに頷いた。

アーサーが彼女を見る。

「シェリィ。お前が考えているのは、一つの商会の利益だけではないのだな」

シェリィは少し考えた。

「利益は必要です」

家族が少し意外そうに見る。

「続けられない事業では、人々のお役に立ち続けることができませんから」

アーサーが頷く。

「ふむ」

「ですが、その利益を使って、もっと多くの方が安心して暮らせるようにしたいのです」

アーサーはすぐに何かを約束しなかった。

国王の立場で、私的な親しさだけから国費を出すことはできない。

それでも、シェリィの構想を王国政策として考える価値がある。

そう感じ始めていた。

◇

同日午後5時30分――

長い経営の話が落ち着いた頃、アストリッドがシェリィを見つめた。

「シェリィ」

「はい?」

「何か、まだ聞きたいことがあるのではありませんか?」

シェリィは少し迷った。

仕事の話なら、いくらでも質問できる。

けれど、自分自身のこととなると、言葉が少し遅れた。

「アストリッド様。少し、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「もちろんですよ」

シェリィは手元へ視線を落とした。

「私、自分の魔力について、まだよく分からないことがあるのです」

かつて属性を測った水晶は、全面的に輝いた。

火。

水。

風。

土。

光。

闇。

通常の6属性のいずれかだけに分類することができなかった。

自分に魔力があることは知っている。

だが、それを魔法としてどう理解すればよいのか。

まだ分からないことが多かった。

「皆さんは、私に魔力があるとおっしゃってくださいます」

シェリィは小さく続けた。

「でも、私はまだ魔法をちゃんと使えるとは言えません」

アストリッドは急いで答えなかった。

シェリィの不安そのものを受け止めるように、穏やかな目を向ける。

◇

同日午後5時40分――

「シェリィ」

アストリッドが優しく呼ぶ。

「今できないからといって、可能性がないわけではありません」

シェリィが顔を上げる。

「あなたは、まだ自分の魔力について十分に理解していないのです」

「理解……」

「ええ」

アストリッドは微笑む。

「いずれ、あなた自身の魔力と向き合うべき時が来るでしょう」

少しだけ身を寄せる。

「その時には、魔力についても、魔法についても、私がきちんと教えます」

「アストリッド様が?」

「もちろんです」

「ですから、今は焦らなくてよいのですよ」

アストリッドは、シェリィの力の正体を明かさなかった。

何かを解除することもしない。

時期も決めない。

今必要なのは、不安を増やすことではなかった。

◇

同日午後5時50分――

アーサーも口を開いた。

「シェリィ」

「はい、おじ様」

「安心しなさい」

アーサーは、部屋にいる顔ぶれを見回した。

「ここにいる者たちが、魔力や魔法、魔力操作についてどれほど知っているかは、お前にも分かるだろう?」

シェリィも周囲を見る。

アストリッド。

アーサー。

ジュリアン。

エレノア。

マーガレット。

皆が、自分を責めるのではなく見守っている。

「私たちは、お前の魔力を感じている」

アーサーが続けた。

「属性という言葉だけに縛られなくていい」

シェリィの目が少し揺れた。

「お前が歩みたい道を進みなさい」

マーガレットが、そっと娘の手へ自分の手を重ねた。

エレノアも微笑む。

ジュリアンは肩をすくめた。

「シェリィは、魔法以外のことで十分すぎるほど大変なことをやっているだろう」

「ジュリアン殿下」

「だから、今できないことを一つ数えて落ち込む必要はない」

シェリィは、少しだけ笑った。

胸の奥にあった不安が、完全になくなったわけではない。

それでも、一人で抱えなくてよいのだと思えた。

◇

同日午後6時――

王宮・私的な食卓。

温かな料理の香りが広がっていた。

窓の外には、王都の夜景が見える。

今度は国王も、王太子も、大商会会長も関係ない。

6人で囲む食卓だった。

アストリッドが、シェリィの皿を見る。

「シェリィ。まだそんなにしか食べていないのですか?」

「ふふ、アストリッド様。ちゃんといただいております」

「そうですか?」

アーサーが笑う。

「母上。今日それを聞くのは3人目です」

「まあ」

「お母様、エレノア様、アストリッド様です」

ジュリアンが数える。

シェリィが恥ずかしそうに笑った。

「皆様、心配しすぎです」

マーガレットが即座に答える。

「心配されるような働き方をしている人が言っても、説得力がありませんよ」

食卓に笑いが広がった。

しばらくして、アーサーが果物の皿を見ながら言った。

「いつか、ここにアスタリア産の果物が並ぶ日も来るのかな?」

シェリィが笑顔を向ける。

「はい、おじ様」

「本当に?」

「そうなったら、ぜひ召し上がっていただきたいです」

「それは楽しみだ」

経営計画では、果樹は収穫まで時間がかかる。

投資回収にも年月が必要だ。

それでも今は、難しい数字ではなく、未来の食卓の話として笑うことができた。

◇

同日午後7時――

シェリィは、家族が楽しそうに話している姿を眺めた。

大きな街を造ること。

巨大な設備を造ること。

数字を増やすこと。

それだけが豊かさではない。

大切な人が温かな食卓を囲めること。

病気になった時に治療を受けられること。

学びたい人が学べること。

安心して明日を迎えられること。

それも、自分が造りたい未来なのだと思った。

マーガレットが視線に気づく。

「どうしたの?」

「いいえ」

シェリィは微笑んだ。

「幸せだなと思っただけです」

マーガレットも微笑む。

それだけで十分だった。

◇

同日午後8時――

夕食を終え、シェリィは皆へ礼を伝えた。

アストリッドは、最後まで身体を大切にするよう念を押した。

アーサーは、これからも事業の話を聞かせてほしいと言った。

ジュリアンは、次は資料を少し減らしてほしいと冗談を言った。

マーガレットは、穏やかな表情になった娘を見て安心していた。

王宮で語られた未来は、まだ計画にすぎない。

けれど、その未来を形にしようと働いている人々は、今も雪のアスタリアにいる。

この日の全施工増加は1.90 Mi。

アスタリア側総施工距離は188.70 Miとなった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫26日・火曜(かよう)――

アスタリア大商会本部・工事管理室。

午前6時30分。

王宮で未来の話が交わされた翌朝も、アスタリアの仕事はいつもどおり始まっていた。

ディートリヒは、第16工区の検査結果を確認する。

「結果は?」

「各項目の記録を集約しています」

魔力。

温度。

《魔導流体》。

熱損失。

漏出。

通信。

遮断機構。

「合格と判断できるものだけを受け入れよう」

ディートリヒが言う。

「一つでも未確認なら、検収を急ぐな」

工期は重要だ。

しかし、安全より優先されるものではない。

◇

同日午前8時――

第16工区。

検査担当者が、各記録を最終確認する。

設備の固有ID。

センサー固有ID。

《魔導流体》のロット。

完成図面。

現地設備。

検査記録。

すべてを照合する。

必要な条件がそろった。

午前9時30分。

第16工区が正式に検収された。

施工第4部隊(C04)の作業員たちは、ようやく表情を緩めた。

「終わった……」

一人が呟く。

検査担当者が答える。

「君たちの工事はね」

「熱路の仕事は?」

「これから何年も続く」

作業員が第16工区を振り返る。

「ここからは、守る人たちの仕事なんですね」

「そういうことだ」

検収は終わった。

だが、連続通熱距離へ第16工区の10.00 Miを自動的に追加することはしない。

通熱には、また別の確認が必要だった。

◇

同日午前11時――

総務財務部。

第16工区を担当した施工第4部隊(C04)について、旧契約の精算準備が始まった。

実勤務日数。

前払金。

移動日。

待機日。

既払額。

契約条件。

金額は、実際の勤怠と契約原票から確定する。

構想上の都合で数字を作ることはしない。

旧契約を閉じる。

その後、第3期で新しい給与制度へ移る。

2つを混ぜない。

◇

同日午後1時――

メンテナンス第16部隊(M16)。

保守員6名と同行料理人1名が、翌日の移動準備を続けていた。

工具。

測定機器。

交換部材。

点検記録。

緊急遮断手順。

食料。

調理器具。

防寒用品。

同行料理人が、保守員の一人へ尋ねる。

「現地では、最初に何を確認するのですか?」

「設備の引継ぎです」

保守員が答える。

「私は先に厨房を確認しますね」

「それも大事です」

二人は笑った。

修理する者と、食事を作る者。

仕事は違う。

だが、どちらも寒冷地で働く部隊を支える仲間だった。

◇

同日午後2時――

王都セレスティア。

シェリィは、前日の家族との会話を思い返していた。

アーサーが考えた国家財政の責任。

ジュリアンが問い続けた実行能力。

エレノアが気遣った患者や学生の暮らし。

アストリッドが教えてくれた、時間をかけることの意味。

そして、自分の魔力について焦って答えを急がなくてもよいと言ってくれたこと。

シェリィは、アスタリアへ指示を送った。

農業と牧畜は、段階的な実証計画をさらに詰める。

医療と教育は、財務、人員、施設、実習能力をもっと詳しく調べる。

家族と話した時間を、ただの楽しい思い出だけでは終わらせない。

経営判断へ戻していく。

◇

同日午後4時――

アスタリア大商会。

農業と牧畜の実証計画が、再び検討された。

農業では、給熱設備。

作物。

栽培施設。

保存。

販売。

牧畜では、家畜。

畜舎。

飼料。

繁殖と育成。

衛生。

防疫。

アルノルトは、段階ごとの必要資金と、損失が出た場合の停止基準を確認する。

ただし、この日、新しい設備発注はしない。

家畜も購入しない。

調査が進んだことと、支出を承認したことは別だった。

この日の全施工増加は2.15 Mi。

総施工距離は190.85 Miとなった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫27日・風曜(ふうよう)――

第16工区。

午前6時30分。

必要な検収と精算手続、安全確認を終えた施工第4部隊(C04)が、第26工区へ向けて転進準備を整えていた。

工具。

可搬設備。

施工資料。

移動用食料。

宿営設備。

部隊員の一人が、完成した第16工区を見る。

「ここも、とうとう終わったな」

「ああ」

隣の施工員が答える。

「でも、俺たちには次がある」

「第26工区か」

「まだまだ先は長いぞ」

やがて出発命令が出る。

施工第4部隊(C04)は、第26工区へ向けて移動を開始した。

ただし、第26工区への到着日も着工日も、この時点では確定しない。

◇

同日午前7時――

同じ頃、メンテナンス第16部隊(M16)も第16工区へ向けて出発した。

保守員6名。

同行料理人1名。

施工第4部隊(C04)は、第16工区から離れていく。

メンテナンス第16部隊(M16)は、第16工区へ近づいていく。

一人の保守員が言った。

「これから、あの熱路を守るのが私たちの仕事ですね」

班長が答える。

「施工した人たちが安心して次へ行けるように、しっかり引き継ごう」

同行料理人も、荷物を確認しながら頷いた。

造る者が進む。

守る者が残る。

その繰り返しで、300 Miの設備は長く使えるものになっていく。

◇

同日午前8時30分――

第17工区から第25工区。

局地的な小雪が降っていた。

施工第6部隊(C06)、施工第7部隊(C07)、施工第8部隊(C08)、施工第10部隊(C10)は第2期を施工する。

第3期ではC01、C02、C03、C05、C09が施工を続ける。

同じ小雪でも、地盤状態や視界は場所によって違う。

施工距離も同じにはならない。

現場責任者が判断し、必要なら速度を落とす。

この日の全施工増加は1.95 Mi。

◇

同日午前11時――

工事管理室。

第16工区の保守引継資料が整理されていた。

設計図面。

設備ID。

センサー固有ID。

《魔導流体》の品質記録。

遮断設備。

緊急復旧手順。

定期点検計画。

交換部材在庫。

メンテナンス第16部隊(M16)が出発したからといって、設備引継ぎが終わったことにはしない。

到着。

現物確認。

基地受入。

設備説明。

必要な手続を終えてから、正式な引継ぎになる。

◇

同日午後1時――

アスタリア大商会・医療治癒事業部。

オスヴァルト・リューデマン(事業部長)は、3病院の役割を整理していた。

アスタリアでは、初期240床の《アスタリア高度総合医療院》を検討する。

将来の増床余地を残す。

王都では、既存施設の状況と医療需要を調べる。

ヴァルモント公爵領でも同様に調査する。

エレオノーラ・ハルテンフェルト(副部長)が資料を見る。

「建物の話だけ先へ進めない方がよいですね」

「その通りだ」

医師。

看護師。

治癒魔法士。

上位治癒魔法士。

薬師。

医療技術者。

病院は、人がいなければ機能しない。

医療施設を造る事業と、医療を実際に行える体制を作る事業は同じではなかった。

◇

同日午後3時――

医療専門教育計画。

クラウス・ゼーゲルトは、臨床実習体制の検証を進めていた。

教員の人数だけでは足りない。

病院側が学生を安全に受け入れられるか。

患者の診療を妨げないか。

指導資格を持つ者がいるか。

医師。

看護師。

治癒魔法士。

薬師。

課程によって実習内容は違う。

「病院職員を、学校側の職員としても二重に数えないでください」

クラウスが担当者へ言った。

「病院の診療能力を削って、学校だけ成立させても意味がありません」

教育と医療。

両方が成立する仕組みを作る必要があった。

この日の総施工距離は192.80 Miとなった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫28日・水曜(すいよう)――

アスタリア大商会本部。

午前6時30分。

ディートリヒは、施工距離だけではなく保守体制の報告も確認していた。

第1期100.00 Miでは、メンテナンス第1部隊(M01)からメンテナンス第10部隊(M10)が通常保守を続けている。

第11工区から第15工区では、各メンテナンス部隊の派遣、到着、設備引継ぎ状況を確認する。

第16工区では、M16の移動と受入状況を確認する。

「派遣開始と、引継ぎ完了を同じ欄に書かないでくれ」

ディートリヒが言った。

人が向かっている。

到着した。

基地へ入った。

設備を引き継いだ。

保守を始めた。

全部、別の状態だった。

◇

同日午前8時――

第17工区から第25工区。

施工部隊は、それぞれの現場で工事を続けた。

空は晴れている。

だが、気温は低い。

凍結した地盤と接続部の品質を確認しながら進める。

施工第4部隊(C04)は、第26工区へ向けて移動中。

まだ第26工区の施工距離は0.00 Miのままだった。

◇

同日午前10時――

完成済み工区では、メンテナンス部隊が点検を続けていた。

温度。

魔力。

《魔導流体》の状態。

遮断機構。

《熱継送所》。

通信。

交換が必要な部材があれば、交換理由を記録する。

外した部品も記録と対応させる。

予備部材を倉庫に置いているだけなら、消費したことにはしない。

保守でも、現物と記録を一致させる。

◇

同日午前11時30分――

設備資産台帳の照合が行われた。

センサー固有ID。

設置場所。

工区。

保守担当部隊。

使用部材ロット。

検査結果。

交換履歴。

どの設備が、どこにあり、誰が守り、何を交換したのか。

そこまで追えるようにする。

300 Miの設備を長期間運用するには、人の記憶だけには頼れない。

◇

同日午後1時――

農業・牧畜事業の担当者たちは、実証計画をさらに詰めていた。

農業では、魔導熱を使う施設と、外気や季節を利用する場所を分ける。

牧畜では、畜舎の温度だけではなく、飼料、衛生、生産周期、販売までを見る。

熱がある。

だから農業ができる。

そんな単純な計画にはしない。

既存の熱供給技術を一つの基盤として、新しい事業を成立させる方法を探していた。

◇

同日午後3時――

医療と教育の事業性検証も続いていた。

学校本体167名案。

教員配置。

授業負担。

臨床実習。

奨学金。

給与等級。

どれも再検証が必要だった。

病院の開院日と、学校の開校日を同じにする必要もない。

準備が整ったものから段階的に進める。

無理に同日に合わせて、どちらも未完成になる方が危険だった。

◇

同日午後5時――

アルノルトは4事業を同時に進めた場合の資金需要を整理していた。

農業。

牧畜。

医療。

教育。

その前には、既存の熱供給事業もある。

建設。

保守。

給与。

設備更新。

「新しい事業を始めるために、既存事業を止めてはいけません」

担当者が頷く。

アルノルトは続けた。

「いつ、どれだけ資金が必要になるかを確認します」

「予算承認ですか?」

「まだです」

即答だった。

「今は、必要になるかもしれない金を調べている段階です」

調査。

計画。

承認。

発注。

支払。

ここでも順番は同じだった。

この日の全施工増加は1.95 Mi。

総施工距離は194.75 Miとなった。

200 Miまで、あと5.25 Mi。

それでも、数字を早く達成するために検査や安全を省くことはしない。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫29日・土曜(どよう)――

アスタリア側。

午前6時30分。

空はよく晴れ、風も穏やかだった。

雪原では、施工員たちがそれぞれの仕事へ入っていく。

資材を確認する者。

測量する者。

接続部を見る者。

施工機器を整備する者。

同じ《魔導熱伝導路》を造る仕事でも、役割は違う。

その一つひとつがつながって、長い熱路になる。

◇

同日午前8時――

第17工区から第20工区。

施工第6部隊(C06)、施工第7部隊(C07)、施工第8部隊(C08)、施工第10部隊(C10)が工事を進める。

第16工区は10.00 Miまで完成し、検収も終わった。

だが、第2期全体が完成したわけではない。

第17工区から第20工区が残っている。

第2期全体の施工距離は、今日の終了時点で89.30 Miとなる見込みだった。

残り10.70 Mi。

◇

同日午前10時――

第3期。

第21工区から第25工区でも、施工が続いた。

施工第1部隊(C01)。

施工第2部隊(C02)。

施工第3部隊(C03)。

施工第5部隊(C05)。

施工第9部隊(C09)。

複数工区が同時に前へ進んでいる。

第26工区へ向かう施工第4部隊(C04)は、まだ転進中。

第26工区から第30工区までは、施工実績としてはまだ始まっていない。

◇

同日午後1時――

各施工部隊から、当日の施工量と資材使用記録が届いた。

《魔導熱伝導路》本体。

接続部材。

支持部材。

《魔導流体》。

検査用品。

設備据付記録。

今回の7日間に計画された敷設距離13.75 Miは、《魔導熱伝導路》本体の標準換算では1,375本に相当する。

だが、それは敷設予定量の換算である。

1,375本すべてを、この7日間で新しく製造したわけではない。

既存在庫。

製造済み。

配送済み。

各工区での実使用。

それぞれを証憑で分ける。

◇

同日午後3時――

完成済み工区から、各メンテナンス部隊の報告が届く。

巡回。

設備点検。

基地利用。

異常の有無。

M16についても、移動、到着、基地受入、設備引継ぎ、通熱、本格保守開始を別々に扱う。

成立したものだけを記録する。

施工部隊が去った後、そこに残るのが保守部隊だった。

造った設備を、長く使える設備へ変える。

それが彼らの仕事だった。

◇

同日午後5時――


挿絵(By みてみん)


総施工距離196.95 Mi。

全300.00 Miに対する進捗率65.65%。

残施工距離103.05 Mi。

第2期は89.30 Miまで施工され、残り10.70 Mi。

第3期は7.65 Miまで進んだ。

第26工区から第30工区は、まだ未着工である。

第11工区までの110.0 Mi通熱については、運用上の報告を維持しつつ、管理上の検証済み基準は100.00 Miのままとする。

第16工区の10.00 Miも、検収済みだからという理由だけで連続通熱距離へ加えない。

設備を造った記録。

検査した記録。

運転を始めた記録。

それぞれがそろって初めて、正式な数字になる。

◇

同日午後6時――

王都セレスティア。

シェリィのもとへ、1週間分の報告が届いた。

施工。

保守。

熱供給。

農業。

牧畜。

医療。

教育。

ディートリヒは、施工距離と検査、保守引継ぎを分けて報告している。

アルノルトは、新規事業の資金計画と追加検証項目をまとめていた。

医療と教育の担当者からも、病院や学校の計画が送られている。

シェリィは資料を読みながら、王宮で交わした言葉を思い出した。

国を預かる責任を考えてくれたアーサー。

実行できるのかを厳しく問うたジュリアン。

患者や学生の暮らしを気遣ったエレノア。

時間をかけて育てる意味を教えてくれたアストリッド。

そして、いつも自分を見守ってくれるマーガレット。

商会にも同じように、自分を支えてくれる人がいる。

施工現場には、雪の中で働く人がいる。

保守基地には、設備を守る人がいる。

その人々の食事を作る人もいる。

本部には、数字を守る人がいる。

技術を確かめる人がいる。

市場を見る人もいる。

医療や教育の未来を考える人たちもいる。

シェリィは、報告書の最後へ視線を落とした。

196.95 Mi。

300.00 Miまでは、まだ103.05 Mi残っている。

数字だけを見れば、道半ばだった。

けれど、会社ができることは確実に増えている。

◇

同日午後7時――

アスタリア。

夜の雪原に、《魔導熱伝導路》の施工拠点と保守基地の灯りが浮かんでいた。

完成した工区では、保守員たちが一日の仕事を終え、同行料理人が作った温かな食事を囲んでいる。

施工中の工区では、翌日の作業に備えて資材と工具の確認が続いていた。

さらに先には、まだ熱路の届いていない雪原が広がっている。

その雪原には、まだ存在しないものがあった。

新しい農地。

牧場。

病院。

学校。

どれも、まだ計画にすぎない。

けれど、未来とは最初から完成した姿で現れるものではない。

今日の施工。

今日の点検。

今日の検査。

今日の経営判断。

今日の学び。

その積み重ねが、少しずつ形を与えていく。

数字だけでは未来を造れない。

想いだけでも続けられない。

数字で現実を確かめる人がいる。

その数字の先に、人々の暮らしを思い描く人がいる。

その両方があって初めて、未来へ進める。

雪原の向こうへ伸びる熱路のように。

アスタリアの未来も、王国の未来も、一つずつ確かな仕事によって拓かれようとしていた。

お読みいただきありがとうございます。

《魔導熱伝導路》は白耀月29日時点で196.95 Miまで施工が進み、全300.00 Miの65.65%に達しました。

第16工区は10.00 Miの敷設を終え、完成検査と正式検収を経て、施工第4部隊(C04)が第26工区への転進を開始しています。

一方、メンテナンス第16部隊(M16)も完成した第16工区を守るために移動を始め、建設する側と保守する側の役割がより明確になってきました。

施工距離、検収、設備引継ぎ、通熱、保守開始はそれぞれ別の工程として管理し、成立していないものを先に完了扱いにはしていません。

農業と牧畜については、初期必要資金金貨9,670枚、安定稼働時の年間営業利益金貨1,336枚という試算がある一方、売上が20%下がり費用が変わらない場合には金貨276.400枚の営業損失となります。

そのため、一括投資ではなく、実証と検証を重ねながら段階的に進める方針を維持しています。

医療では《アスタリア高度総合医療院》を初期240床規模で検討し、王都とヴァルモント公爵領については既存施設の取得や地域需要を調査しています。

医療専門教育では5課程を検討していますが、学校本体167名体制や成熟期の収支はまだ詳細検証段階です。

教育の公益性だけでなく、継続できる財源を持つことも同時に考えなければなりません。

そして王宮では、シェリィが経営者としてだけではなく、家族に愛され、悩みを話せる一人の少女として過ごす時間も描かれました。

まだ分からない魔力について答えを急ぐのではなく、信頼できる人たちとともに少しずつ学んでいくことになります。

食料、医療、教育、そして人々の暮らし。

一つの熱路から始まった変化は、少しずつ王国の未来へ広がっています。


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