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アスタリア大商会起業編 ~無知な母国を置き去りに、極寒の死地を熱で満たします~  作者: IORI


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90/99

第90話:雪の国に、四つの未来を描く

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫16日・水曜(すいよう)――

アスタリア大商会本部・工事管理室。

午前6時30分。

朝の工事管理室には、第11工区から第20工区までの施工報告が次々と届いていた。

白耀月15日時点で、第11、第14、第15工区は10.00 Mi(ミーレ/10km)まで本線施工を終えている。

第12工区は9.80 Miで、残り0.20 Mi。

第13工区は9.60 Miで、残り0.40 Mi。

その先の第16工区から第20工区でも、施工は続いていた。

「施工第2部隊(C02)、第12工区の残区間に着手しました」

報告担当者が読み上げる。

「第13工区は接合作業を優先します。本日の予定は0.25 Miです」

別の担当者が続けた。

「第16工区から第20工区も、地盤と資材の確認を終えています」

ディートリヒ・ハーゲン(熱供給事業部長)は、各工区の報告書を順に確認した。

この日は晴れ。

風も弱い。

だが、同じ天候でも地盤や工程は工区ごとに違う。

「全部隊を同じ距離だけ進める必要はない」

ディートリヒ(熱供給事業部長)が言った。

「安全と品質を優先する。進められる距離だけ進めろ」

施工予定を守るために、無理に数字をそろえることはしない。

現場ごとの条件を見て、その日の施工実績を決める。

午前。

施工第2部隊(C02)は、第12工区に残された0.20 Miの施工を進めた。

地盤を確認する。

路体を敷設する。

接続部を施工する。

埋設状態を確認する。

最後まで、これまでと同じ工程を守る。

やがて測量担当から報告が上がった。

「第12工区、10.00 Mi到達」

本体施工完了。

だが、まだ検査も検収も終わっていない。

施工完了は、運用開始ではなかった。

◇

同日午前9時――

第14工区、第15工区。

前日に本体施工を終えた2工区で、完成検査が始まった。

第14工区を担当した施工第5部隊(C05)。

第15工区を担当した施工第9部隊(C09)。

両部隊も検査に立ち会う。

だが、自分たちで施工した設備を、自分たちだけで合格にすることはできない。

エドムント・クラウゼ(品質保証部長)は、検査記録を持って現場を歩いた。

路体。

接続部。

《魔導流体》。

《熱制御口》。

通信監視設備。

安全遮断装置。

一つずつ現物と記録を照らし合わせる。

「距離が10.00 Miに達したことと、安全な設備として完成したことは別です」

エドムント(品質保証部長)が言った。

施工員たちも異論を挟まない。

検査で不備が見つかれば直す。

修正後に再び確認する。

必要な検査記録がそろった工区だけを、翌日の正式検収へ進める。

◇

同日午前11時――

第2期・第3期保守基地検査。

グローヴァー建設商会が建設してきた20施設について、最終設備検査が続いていた。

第2期に10施設。

第3期に10施設。

各基地には個室8室のほか、食堂、厨房、浴室、整備室、通信監視室が設けられている。

さらに、主治療室と予備治療室を備える。

ディートリヒは、第3期側の基地設備を確認していた。

本線はまだ届いていない。

「熱路が開通するまで、暖房と温水はどうする?」

建設担当者が答えた。

「独立予備熱源で運用できます。現在も継続稼働試験中です」

「本線が来なければ使えない建物では困る」

ディートリヒは浴室と厨房の設備を見る。

「保守基地は、工事が終わってから初めて必要になる施設じゃない」

吹雪。

負傷。

移動不能。

設備故障。

寒冷地では、基地そのものが人間を守る設備になる。

「必要な時に、人を守れる建物でなければならん」

◇

同日午後2時――

アスタリア大商会・熱供給事業部。

ディートリヒは、第2期メンテナンス部隊の配置一覧を広げた。

メンテナンス第11部隊(M11)からメンテナンス第20部隊(M20)まで。

全10部隊。

各6名。

班長1名、副班長1名、班員4名で構成されている。

すでに研修と資格試験を終え、正式勤務へ入っている部隊だ。

第11工区では、メンテナンス第11部隊(M11)が保守運用を開始している。

次は、第14工区と第15工区だった。

「明日の検収が終われば、メンテナンス第14部隊(M14)とメンテナンス第15部隊(M15)を動かす」

担当者が確認する。

「同行料理人も各部隊1名ずつですね?」

「もちろんだ」

ディートリヒは即答した。

「長期間暮らす基地へ、保守員だけを送り込むわけにはいかん」

工具。

食料。

調理器具。

医療用品。

防寒装備。

移動中の安全対策。

現場へ送り出すのは、修理技術を持つ人間だけではない。

そこで暮らし続けられる仕組みも、一緒に送り出す必要があった。

この日の全工区施工増加は1.70 Mi。

第2期累計78.10 Mi。

アスタリア側総施工距離は178.10 Miとなった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫17日・土曜(どよう)――

アスタリア側・第13工区(第2期・第3工区)。

午前6時30分。

空は曇り、風が強かった。

施工第3部隊(C03)は、残された0.15 Miの施工へ入った。

風で作業効率は落ちている。

だからといって、完成を翌日に延ばしたくないという理由だけで安全基準を下げることはできない。

作業可能な範囲を確認する。

風の状態を見る。

資材を固定する。

施工員同士の合図も、普段より確実に行う。

そして、最後の区間を敷設した。

「10.00 Mi到達」

第13工区も本体施工を終えた。

この日の全工区施工増加は0.90 Mi。

天候が違えば、同じ部隊でも進める距離は変わる。

それが現場だった。

◇

同日午前9時――

工事管理室へ、2つの報告が続けて届いた。

「第14工区、完成検査合格。正式検収完了」

少し遅れて、もう一報。

「第15工区も検収完了です」

ディートリヒは確認欄へ目を通した。

施工第5部隊(C05)。

施工第9部隊(C09)。

どちらも第2期で担当していた工区を終えた。

「両部隊をすぐに出すな」

担当者が顔を上げる。

「第3期への転進準備はできています」

「だからこそ、先に旧契約を閉じる」

ディートリヒは言った。

「総務財務部から精算完了の連絡が来るまで待たせろ」

造り終えた。

だから次へ行く。

それだけでは、人の契約は終わらない。

◇

同日午前10時――

アスタリア大商会本部・総務財務部。

アルノルト・フェルナー(総務財務部長)は、施工第5部隊(C05)と施工第9部隊(C09)の精算資料を確認していた。

対象には、通常施工員、土系魔法士、同行料理人が含まれる。

施工第5部隊(C05)の承認済み追加精算額は、金貨417枚・銀貨54枚。

施工第9部隊(C09)は、金貨415枚・銀貨62枚。

2部隊合計で、金貨833枚・銀貨16枚。

土系魔法士については、実勤務日数から契約報酬を再計算する。

既存の50%前払金。

既払額。

今回の確定額。

それらを照合する。

「前の工区で働いた対価を曖昧にしたまま、次へ進ませることはできません」

アルノルトが担当者へ言った。

施工部隊は先へ進める。

だが、帳簿の未処理まで一緒に次の工区へ持ち越す必要はない。

旧制度分の精算を終えたことで、両部隊は翌日から第3期の新しい給与制度へ移行できる状態となった。

◇

同日午後1時――

熱供給事業部。

ディートリヒは正式な派遣命令を出した。

「メンテナンス第14部隊(M14)は第14工区へ」

「メンテナンス第15部隊(M15)は第15工区へ」

担当者が記録する。

「各部隊6名、同行料理人1名。合計7名ずつですね」

「そうだ」

「出発は明朝」

「ああ。ただし、街道状況と天候は出発直前にも確認しろ」

M14とM15へ、担当工区の図面が引き渡される。

保守手順書。

点検記録。

非常時連絡系統。

予備部品台帳。

だが、保守基地そのものは最終検収前だった。

検収されていない建物へ、正式入居させることはしない。

現地へ向かう。

基地を受け入れる。

入居する。

本格的な保守を始める。

それぞれ別の工程として記録する。

◇

同日午後3時――

出発準備をするM14とM15では、工具箱や防寒装備が並べられていた。

同行する料理人も、食材と調理道具を確認する。

一人の保守員が、隣にいた料理人へ声をかけた。

「これから長い間、同じ基地で暮らすことになるんですね」

料理人が笑った。

「ええ」

食材の箱を閉じる。

「皆さんが設備を守るなら、私は皆さんの食事を守ります」

保守員も笑った。

工区の建設が終わっても、人の仕事は終わらない。

むしろ、そこから何年も続く仕事が始まる。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫18日・闇曜(あんよう)――

アスタリア側。

午前6時30分。

小雪が舞う中、4つの部隊がそれぞれの目的地へ向けて動き始めた。

施工第5部隊(C05)は第22工区へ。

施工第9部隊(C09)は第23工区へ。

第3期の新設工事を担当するための転進だった。

両部隊の新給与制度は、この日の移動開始から適用する。

一方、メンテナンス第14部隊(M14)は第14工区へ。

メンテナンス第15部隊(M15)は第15工区へ向かう。

こちらは、完成した設備を守るための移動だった。

それぞれ保守員6名と同行料理人1名。

同じ朝に出発する。

だが、向かう仕事は反対だった。

造る者は、先へ進む。

守る者は、完成した場所へ向かう。

ディートリヒは4部隊の移動報告を見比べた。

「これからは、両方が必要になるな」

◇

同日午前8時――

第21工区(第3期・第1工区)。

施工第1部隊(C01)が施工準備を終えた。

第11工区を完成させ、白耀月12日に転進を開始した部隊である。

小雪の中、初めて第3期の路体が敷設された。

施工距離は0.10 Mi。

わずかな距離だった。

だが、第21工区の最初の0.10 Miだった。

第3期が、ここから始まった。

なお、C01の新給与制度は着工日の今日からではない。

会社命令による移動を開始した白耀月12日から、すでに適用されている。

◇

同日午前9時30分――

第12工区。

完成検査と必要な確認を終え、第12工区が正式に検収合格となった。

ディートリヒは、メンテナンス第12部隊(M12)へ派遣準備を命じた。

だが、出発は急がせない。

翌日は天候悪化の予報が出ていた。

「検収が終わったから、今すぐ出ろとは言わん」

ディートリヒは言った。

「移動中に事故を起こせば意味がない」

M12の6名と同行料理人1名について、工具、食料、医療用品、防寒装備を再確認する。

出発予定は白耀月20日。

◇

同日午後1時――

第13工区では完成検査が行われた。

施工第3部隊(C03)が作成した記録と、現物を照合する。

ただし、この日は検査まで。

正式な検収はまだ終わっていない。

そのため、メンテナンス第13部隊(M13)の派遣日も確定しない。

守る側を動かすのは、検収結果を確認してからだった。

この日の全施工増加は0.65 Mi。

アスタリア側総施工距離は179.65 Miとなった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫19日・光曜(こうよう)――

アスタリア側・全施工区域。

午前5時30分。

夜明け前から風が急激に強くなった。

雪が舞い上がり、遠くの人影すら見えない。

猛吹雪だった。

工事管理室の魔導通信が、次々に鳴る。

『第17工区、視界不良!』

『第21工区も危険です!』

『施工第5部隊(C05)、移動を中断しました』

『施工第9部隊(C09)も待機へ移ります』

さらに、保守側からも連絡が入る。

『メンテナンス第14部隊(M14)、移動停止』

『メンテナンス第15部隊(M15)も安全地点で待機します』

ディートリヒは迷わなかった。

「全施工を停止」

工事管理室が静まる。

「転進中の施工部隊も、保守部隊も移動停止だ」

担当者が確認する。

「本日の敷設予定は――」

「0で構わん」

ディートリヒは言い切った。

「全員の安全を確認しろ」

「工事が遅れます」

「人がいなければ、その先の工事はできん」

白耀月19日。

施工距離0.00 Mi。

予定表の数字より、人命が優先された。

◇

同日午前8時――

移動中のM14とM15。

2つの部隊は、安全を確保できる宿営設備で待機していた。

外では吹雪の音が絶えない。

視界はほとんどない。

出発する理由はなかった。

同行料理人たちは、携行していた食材から温かい食事を作っていた。

保守員の一人が器を受け取る。

「今日は何もできなかったな……」

料理人が首を横へ振った。

「無事に明日を迎えることも、大切なお仕事だと思います」

保守員は少し黙った。

それから、湯気の上がる食事を見る。

「そうだな」

小さく笑う。

「まだ、私たちの仕事は始まったばかりだ」

設備を修理する技術だけでは、人は長く働けない。

食事。

睡眠。

暖かさ。

安全な居場所。

それらがあって初めて、人は設備を守り続けられる。

◇

同日午前10時――

工事管理室。

施工部隊。

転進中の部隊。

メンテナンス部隊。

各所から安否確認が届いていた。

全員が確認できるまで、ディートリヒは施工再開の話をしなかった。

「現場責任者が危険だと判断したなら、その判断を優先する」

「天候が回復してもですか?」

「街道と施工場所を確認するまでは動かすな」

既存の現場即時停止権は、こういう日のためにある。

上司へ許可を取りに行く間に事故が起きてはならない。

◇

同日午後1時――

総務財務部。

アルノルトは、猛吹雪による待機記録を確認していた。

同じ1日の待機でも、所属と契約が違う。

旧制度で施工中の部隊。

新給与制度へ移行済みの施工部隊。

正式勤務中のメンテナンス部隊。

独立契約の土系魔法士。

「全員が同じ場所にいるから、同じ処理とは限りません」

アルノルトが担当者へ言った。

「契約と勤務記録を確認してください」

天候は全員に同じように吹きつける。

会計処理まで同じになるとは限らなかった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫20日・火曜(かよう)――

アスタリア側・各施工区域。

午前6時30分。

猛吹雪は収まった。

だが、工事はすぐには始まらない。

増えた積雪を除く。

作業動線を確保する。

資材の埋没や損傷を確認する。

街道を見る。

施工場所を見る。

「除雪と施工は別に報告させろ」

ディートリヒが指示した。

「除雪した距離を、施工した距離へ足すな」

昨日の吹雪の影響は残っている。

同じ施工部隊でも、普段どおりの速度は出せない。

「除雪だけで終わる場所があっても構わん」

施工可能な工区から、作業が再開された。

この日の全施工増加は0.60 Mi。

◇

同日午前8時――

総務財務部。

施工第2部隊(C02)の第12工区に関する最終精算が行われていた。

施工員11名。

追加精算額は金貨394枚・銀貨68枚。

土系魔法士3名は、金貨20枚・銀貨16枚。

同行料理人1名は、金貨20枚・銀貨54枚。

合計、金貨435枚・銀貨38枚。

アルノルトは、前払金と既払額を照合する。

「同じ報酬を2度払っていないことを確認してください」

支払うべきものは支払う。

だが、すでに払ったものまで再び払うことはしない。

精算が完了した。

午前9時。

施工第2部隊(C02)は第24工区へ向けて出発した。

この日から新給与制度を適用する。

第24工区で施工を始める日からではない。

会社命令で移動を始めた今日から、勤務時間として記録する。

◇

同日午前10時――

保守基地20施設。

最終検収結果がまとまった。

第2期10施設。

第3期10施設。

合計20施設。

個室。

食堂。

厨房。

浴室。

整備室。

通信監視設備。

独立予備熱源。

主治療室。

予備治療室。

エドムントが最後の検査記録を閉じる。

「20施設、すべて合格です」

ディートリヒは静かに頷いた。

「これで、働く者たちに居場所を用意できたな」

「はい」

エドムントが答える。

「ただし、施設の完成と保守運用開始は別です」

「分かっている」

ディートリヒは答えた。

「だからこそ、順番に人を送り出している」

検収を終えた20施設は、引渡し記録に基づいて保守運営側の管理へ移る。

しかし、各部隊が実際に入居するのは到着後だ。

通熱設備の本格保守も、各区間の運用許可後になる。

◇

同日午前11時――

アスタリア大商会本部・総務財務部。

グローヴァー建設商会から、保守基地建設に関する会計資料が届いた。

請負代金、金貨2,680枚。

納品・請求済み。

支払予定日は翌芽風月5日。

臨時建設要員給与、金貨352枚。

支払予定日は白耀月22日。

アスタリア大商会の自社投入材料、金貨188枚。

建設原価へ振り替える。

総建設原価は金貨3,220枚。

検収済みの20施設として、固定資産管理へ移す。

アルノルトは資料を見ながら言った。

「建物が完成したことと、代金をすべて支払ったことは別です」

未払金。

既払額。

請求書。

自社投入材料。

それぞれを分ける。

建設中の設備だった20施設は、この日から完成した固定資産として長期管理される側へ移った。

◇

同日午後1時――

メンテナンス第12部隊(M12)が第12工区へ向けて出発した。

保守員6名。

同行料理人1名。

合計7名。

工具。

食料。

衣類。

医療用品。

防寒用品。

必要なものを持って移動を始める。

前日の猛吹雪で停止していたM14とM15も、街道の安全確認後に移動を再開した。

ただし、出発したことと到着したことは別に記録する。

現地到着。

基地受入。

入居。

保守開始。

それぞれの記録が必要だった。

◇

同日午後2時――

アスタリア大商会本部・大会議室。

新規事業検討会議が始まった。

王都にいるシェリィは、業務用魔導通信で参加している。

大会議室には、アルノルト、ディートリヒ、エルマー・ザイデル(技術研究部長)、マレーネ・クルーガー(生産開発部長)、オットマール・リンデン(物流商務部長)、エドムント、経営企画室長が集まっていた。

通信画面の向こうで、シェリィが一同を見渡す。

「皆さん、本日は商会の未来についてお話ししたいと思います」

部長たちの視線が集まる。

「私たちは、今、ヴァルモント公爵領まで《魔導熱伝導路》を延ばしています」

シェリィは続ける。

「その先も、王国が必要とする地域へ技術が広がる可能性があります」

「ですが、いつまでも新設工事だけが増え続けるとは限りません」

アルノルトが頷いた。

シェリィは穏やかな声で続けた。

「建設需要が落ち着いた後も、商会が安定して発展できるようにしたいのです」

「できれば、王国の発展にも役立つ事業であってほしいと思っています」

アルノルトが補足する。

「王国との国家共同事業契約は継続しています」

「しかし、将来的に建設需要や契約条件が変化する可能性はあります」

シェリィが頷く。

「ですから、皆さんの専門から自由に提案してください」

「私が一人で決めたいわけではありません」

◇

午後3時。

最初に口を開いたのは、マレーネだった。

「農業と牧畜はいかがでしょうか」

オットマールは食品加工、物流、温度管理倉庫を挙げた。

エルマーは環境制御設備の研究と販売、魔導技術の外部提供を提案した。

ディートリヒは熱設備の保守受託と、専門技術者の育成を挙げる。

経営企画室長は、提案を数字で比較すべきだとした。

必要投資額。

収益性。

実現までの期間。

王国への貢献。

思いつきを並べるだけでは、事業にはならない。

◇

午後4時。

マレーネは、雪に覆われたアスタリアの地図を広げた。

「会長。私が特に可能性を感じているのは、農業と牧畜です」

「農業と牧畜……」

シェリィが地図を見る。

「はい」

マレーネは雪原を指した。

「私たちには魔導熱供給技術があります」

「それを領内の生産活動にも使うのですね」

「ええ」

マレーネは笑みを浮かべた。

「雪原に農園と牧場を造るだけではありません」

次の資料を開く。

「農業と牧畜を、一つの循環として考えたいのです」

シェリィの目が少し細くなる。

「続きを聞かせてください」

「明日、具体的な計画をお持ちします」

会議は、そこで翌日へ持ち越された。

一つの新規事業案が、まだ輪郭だけを見せていた。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫21日・風曜(ふうよう)――

アスタリア側・各施工区域。

午前6時30分。

空は晴れた。

積雪への対応も進み、施工可能な工区では通常工程が再開された。

第21工区では、施工第1部隊(C01)が0.25 Miを施工した。

第16工区から第20工区でも、地盤や工程に応じてそれぞれ違う距離を進める。

全施工部隊を同じ速度には戻さない。

この日の全施工増加は1.60 Miとなった。

◇

午前8時――

第13工区。

完成検査資料と現場記録の照合が終わった。

正式検収合格。

ディートリヒは、すぐに2つの準備を指示した。

施工第3部隊(C03)は、第25工区への転進準備。

メンテナンス第13部隊(M13)は、第13工区への派遣準備。

造った部隊が出ていく準備と、守る部隊が入る準備が同時に始まる。

◇

午前9時――

総務財務部。

施工第3部隊(C03)の旧制度分を最終精算する。

施工員11名。

金貨405枚・銀貨72枚。

土系魔法士3名。

金貨22枚・銀貨8枚。

同行料理人1名。

金貨21枚・銀貨58枚。

合計は金貨449枚・銀貨38枚。

前払。

既払。

勤務記録。

契約条件。

アルノルトが一つずつ確認する。

「問題ありません」

精算が完了した。

施工第3部隊(C03)は、翌22日の転進開始から新給与制度へ切り替える。

◇

午前10時――

アスタリア大商会本部・大会議室。

新規事業検討会議が再開された。

シェリィが通信画面越しに尋ねる。

「マレーネ。昨日の続きを聞かせてください」

「はい、会長」

マレーネは、既存の《巨大農園》を基礎とした計画を示した。

温室。

露地栽培地。

果樹園。

集荷施設。

保存倉庫。

「寒冷地では冬の作物生産が難しくなります」

「ですが、私たちには魔導熱があります」

シェリィが答える。

「温室へ熱を供給する」

「はい」

マレーネは次の頁を開いた。

「さらに牧畜と組み合わせます」

畜舎を加温する。

飼料を生産する。

家畜由来の肥料を農業へ戻す。

農業と牧畜を別々に考えるのではなく、互いに支え合う形を作る。

「食料生産が安定すれば、アスタリアだけの利益ではありませんね」

シェリィが言った。

「王国の食料供給にも役立ちます」

◇

午前11時。

エルマーが手を上げた。

「構想には賛成です。ただし、一つ注意があります」

「お願いします」

「熱を送れば、すべて解決するわけではありません」

エルマーは環境制御の図を示した。

《熱制御口》を閉じれば、新たな加温は止められる。

だが、室内の温度を自由自在に一定以下へ下げられるわけではない。

換気。

遮光。

断熱。

水。

湿度。

土壌。

光。

作物を育てる環境は、温度だけではない。

「いきなり大規模化するのは危険です」

エルマーが言う。

マレーネが頷いた。

「だから、実証区画から始める」

「それがよいと思います」

技術研究部が確認する。

生産開発部が育てる。

最初から役割が分かれていく。

◇

午後1時。

ディートリヒは、別の問題を示した。

「農業用の熱路を大規模に造れば、いまの長距離熱路施工へ影響します」

シェリィが尋ねる。

「施工部隊と資材が足りなくなる可能性ですか?」

「はい」

国家共同事業を止めて、自社の農園を優先することはできない。

「小規模な実証設備なら?」

「可能性はあります」

ディートリヒは既存農園を指した。

「まずは《巨大農園》に実証用の給熱設備を設けます」

「実際に必要な熱量と保守負担を見る」

「はい」

さらに、国家共同事業の資金と、大商会独自事業の資金は完全に分ける必要がある。

国庫から受け取った金を、自社農園へ使うことはできない。

シェリィもすぐに頷いた。

◇

午後2時。

オットマールが資料を開いた。

「皆様、一つ確認したいことがあります」

「何でしょう?」

「どれだけ作れるかではなく、どれだけ売れるかを調べる必要があります」

マレーネが頷く。

「住民向けの販売と、王国内への卸売を考えています」

「では、需要量を調べましょう」

オットマールは続けた。

「収穫量だけ増えても、売れなければ在庫になります」

住民への販売は直営店舗。

《アスタリア企業群》各商会との取引は適正価格。

企業群外へ売る場合は卸売。

販売先によって取引を分ける。

作る前から、売る仕組みを考える必要がある。

◇

午後3時。

エドムントが発言した。

「食品なら、品質保証部も最初から参加させてください」

「もちろんです」

農産物の保管。

家畜の疾病対策。

飼料の安全。

食品衛生。

出荷前検査。

「作れることと、安心して売れることは別です」

第14工区と第15工区の検査でも、同じことを言った。

設備でも食品でも、完成しただけでは十分ではない。

安全に使えること。

安全に食べられること。

そこまで確認して初めて商品になる。

◇

午後4時。

経営企画室長が、各部長の意見を整理した。

マレーネは生産計画。

エルマーは技術検証。

ディートリヒは施工と保守。

オットマールは市場と物流。

エドムントは品質と衛生。

アルノルトは投資と財務。

一人の思いつきだった農業と牧畜の構想が、少しずつ事業計画へ変わっていた。

シェリィは通信画面の向こうにいる部長たちを見る。

自分が答えを全部知っている必要はない。

専門家が専門の立場から問題を出す。

別の専門家が解決策を考える。

それらを一つの方向へまとめる。

それが、会長である自分の役割だった。

◇

星環暦(せいかんれき)1285年・白耀月(はくようげつ)≪第2月≫22日・水曜(すいよう)――

アスタリア側。

午前6時30分。

空は曇り、風はやや強かった。

この朝も、2つの異なる部隊がそれぞれの仕事へ向かった。

施工第3部隊(C03)は、第25工区へ転進を開始する。

メンテナンス第13部隊(M13)は、第13工区へ向けて出発する。

M13は保守員6名と同行料理人1名。

合計7名。

同じ第13工区をめぐる移動でも、目的は正反対だった。

C03は、完成させた場所を離れる。

M13は、完成した場所へ向かう。

C03は新しい熱路を造る。

M13は、これから長く第13工区を守る。

施工第3部隊(C03)の新給与制度は、この日の転進開始から適用された。

◇

午前8時。

第3期側でも施工が進み始めた。

施工第1部隊(C01)は、第21工区を0.20 Mi施工した。

施工第5部隊(C05)は、第22工区で最初の0.10 Miを敷設する。

施工第9部隊(C09)は、第23工区で0.15 Miを施工した。

第24工区へ向かう施工第2部隊(C02)は移動を続けている。

まだ着工していない。

第25工区へ向かう施工第3部隊(C03)も、この日は移動開始だけだった。

第16工区から第20工区でも施工が続く。

この日の全施工増加は1.35 Miとなった。

◇

午前9時――

アスタリア大商会本部・大会議室。

アルノルトが、農業と牧畜の暫定収益試算を提示した。

事業初期必要資金年間売上年間営業利益

農業事業金貨4,400枚金貨2,990枚金貨424枚

牧畜事業金貨5,270枚金貨5,072枚金貨912枚

合計金貨9,670枚金貨8,062枚金貨1,336枚

「これは安定稼働年度を想定した試算です」

アルノルトは最初に釘を刺した。

「正式な販売価格でも、実際の収穫実績でもありません」

シェリィが頷く。

「標準条件では利益が出るのですね」

「はい」

アルノルトは次の資料を出した。

「ですが、売上が20%下がり、費用が変わらなければ状況は逆転します」

シェリィが表を見る。

「年間で?」

「金貨276枚・銀貨40枚の営業損失です」

シェリィの表情が引き締まった。

「それほど変わるのですね」

「果樹は植えた年から十分な収穫があるとは限りません」

アルノルトは牧畜側の資料も示した。

「家畜も、購入した瞬間から計画どおり収益を生むわけではありません」

資料を閉じる。

「私は参入には賛成です」

少し間を置く。

「ですが、初期投資の全額を一度に投じることには反対します」

会議室が静かになる。

シェリィは微笑んだ。

「ありがとうございます、アルノルト」

「会長?」

「必要な時に反対してくださることも、大切だと思っています」

アルノルトは静かに頭を下げた。

シェリィが欲しいのは、自分の案に賛成するだけの部下ではない。

止めるべき時に止める専門家だった。

◇

午前10時30分。

シェリィは、別の問いを投げかけた。

「農業と牧畜が育てば、王国の食料供給力を高められると思います」

部長たちが頷く。

「では、食料以外に、王国が必要としているものはありませんか?」

最初に答えたのはオットマールだった。

「医療については、調査する価値があると考えます」

シェリィが顔を上げる。

「医療?」

「はい」

オットマールは慎重に言葉を選んだ。

「地方によっては、病院や診療所へ行くこと自体が難しい地域がある可能性があります」

ただし、王国内に病院が何施設不足しているのか。

医師が何人不足しているのか。

その数字は、まだ調べていない。

「まず需要調査が必要です」

ディートリヒも口を開いた。

「今回完成した保守基地には、主治療室と予備治療室があります」

「はい」

「ですが、部屋だけあっても治療はできません」

医師。

治癒魔法士。

薬師。

看護を担う者。

人が必要になる。

エルマーも続ける。

「医療設備を造ることと、それを使う人材を育てることは別の問題です」

シェリィはしばらく考えた。

◇

午前11時15分。

「それでしたら、2つに分けませんか?」

シェリィが言った。

「2つ?」

アルノルトが尋ねる。

「医療施設を運営する事業と、医療に携わる人を育てる事業です」

シェリィは資料へ2つの名称を書いた。

《医療治癒事業》。

病院や診療所の整備と運営を検討する。

《医療教育事業》。

医師、看護師、薬師、治癒魔法士などを育てる教育制度を検討する。

アルノルトがすぐに言った。

「収支は別々に試算すべきです」

「お願いします」

エドムントも続く。

「医療なら、品質と安全の基準は食品以上に厳密に考える必要があります」

「教育実習もですね」

「はい」

オットマールは地域別の医療需要を調べると申し出た。

経営企画室は、必要施設、人員、制度、初期投資、年間収支を整理する。

まだ病院を建てるとは決めない。

学校を開くとも決めない。

まず、事業として成立するのかを調べる。

◇

午前11時45分。

シェリィは、医療教育についてもう一つ考えていた。

「もし医療教育を始めることになったら」

アルノルトが聞く。

「はい」

「育てた方を、私たちの病院だけで働かせるのですか?」

シェリィは首を横へ振った。

「いいえ」

少し考えてから続ける。

「王国内のいろいろな病院で働いていただければと思います」

アルノルトが少し驚いたように見る。

「商会がお金を使って育てた人材を、ほかの病院へ送り出すのですか?」

「医療を受けられる方が増えるなら、それも王国のためになると思うのです」

オットマールが頷いた。

「それなら医療教育は、商会の人員確保だけではありませんね」

「はい」

シェリィは微笑んだ。

「王国全体の医療水準を高められる事業になってほしいと思っています」

◇

午後1時。

シェリィは、ここまでの議論を整理した。

「農業事業は、段階的に参入します」

マレーネが頷く。

まず《巨大農園》で実証する。

給熱。

栽培。

収穫。

販売。

それを確認してから拡大する。

「牧畜事業も同じです」

家畜。

畜舎。

飼料。

衛生。

肥料利用。

最初から最大規模にはしない。

「《医療治癒事業》と《医療教育事業》については、本格的な事業性調査へ進めます」

病院を造ると決定したわけではない。

学校を開校すると決定したわけでもない。

需要。

人員。

制度。

費用。

収支。

それらを調べてから判断する。

土地造成。

設備発注。

家畜購入。

病院建設。

学校建設。

どれも、詳細計画と予算が承認されるまでは実行しない。

思いつきを即日発注へ変えない。

それが、今の《アスタリア大商会》だった。

◇

同日午後2時30分。

総務財務部。

保守基地20施設の建設に従事した臨時建設要員へ、給与金貨352枚が支払われた。

アルノルトは勤務記録と支払記録を確認する。

「決済確認」

担当者が答えた。

アルノルトは頷いた。

「これで、施設の建設に携わった方々への約束も果たせました」

建物はこれから何年も使われる。

だが、それを造った人への支払いを残したまま、完成だけを祝うことはしない。

◇

同日午後4時――

新規事業検討会議。

最後の報告がまとまった。

農業。

牧畜。

医療治癒。

医療教育。

4つの事業。

マレーネは、新しい生産事業の可能性を示した。

エルマーは、技術だけで解決できない問題を示した。

ディートリヒは、建設と保守の能力を守った。

オットマールは、作る前に市場を見る必要を示した。

エドムントは、品質と安全を守る仕組みを求めた。

アルノルトは、資金を守るために投資へ歯止めをかけた。

経営企画室は、それぞれの意見を一つの計画へまとめた。

シェリィは通信画面の向こうに並ぶ部長たちを見た。

「皆さん、本当にありがとうございました」

アルノルトが穏やかに答える。

「会長。我々は、それぞれの責任を果たしているだけでございます」

「ですが、その責任の一つ一つが、商会を支えているのだと思います」

マレーネが笑った。

「まだ、新しい農園も牧場も完成していませんけれど」

「ええ」

シェリィも笑う。

「ですから、これからですね」

シェリィは机の上に置かれたアスタリアの地図へ目を落とした。

完成した熱路。

施工中の熱路。

新しい工区へ進む施工部隊。

完成した工区を守るメンテナンス部隊。

その暮らしを支える料理人。

そして、新しい産業を考える経営陣。

会社は、造ることだけを考える組織ではなくなりつつあった。

長く使う。

守る。

育てる。

売る。

人を支える。

次の事業を考える。

それらが、少しずつ一つにつながっている。

「これからも、皆さんと一緒にアスタリアの未来を造っていきたいと思います」

建設する組織から。

長期的に運営する組織へ。

その変化は、確かに始まっていた。

◇


挿絵(By みてみん)


総施工距離183.20 Mi。

全300.00 Miに対する施工進捗率は61.07%。

残施工距離116.80 Mi。

第26工区から第30工区までは、まだ未着工である。

第11工区については物語上、白耀月11日に通熱を開始し、第1工区から第11工区まで110.0 Miがつながっている。

ただし、施工管理上の検証済み基準は100.00 Miのまま維持し、110.0 Miへの更新は運用証憑との照合後に正式確定する。

造ったという記録。

検査したという記録。

熱を送ったという記録。

それぞれがそろって初めて、正式な数字になる。

お読みいただきありがとうございます。

雪と風によって施工速度が変わる中、第12工区と第13工区が完成し、第14工区と第15工区も正式検収へ進みました。

施工第5部隊(C05)、施工第9部隊(C09)、施工第2部隊(C02)、施工第3部隊(C03)は旧制度分の精算を終え、それぞれ第3期の担当工区へ転進を始めています。

4部隊の旧制度追加精算額は、合計金貨1,717枚・銀貨92枚です。

既存の50対50の負担条件に従い、アスタリア大商会とヴァルモント公爵家がそれぞれ金貨858枚・銀貨96枚を負担します。

メンテナンス第14部隊(M14)、第15部隊(M15)、第12部隊(M12)、第13部隊(M13)も順次派遣を開始しました。

保守員24名に同行料理人4名を加えた28名が、それぞれ完成した工区を守るために動き始めています。

白耀月19日の猛吹雪では、施工も移動もすべて停止しました。

距離を伸ばすことより、人が無事に次の日を迎えることを優先しています。

第2期と第3期の保守基地20施設も正式検収され、総建設原価は金貨3,220枚として固定資産管理へ移りました。

一方、経営陣は長期的な商会の成長を考え、農業事業と牧畜事業への段階的参入を決定しました。

《医療治癒事業》と《医療教育事業》についても、本格的な事業性調査へ進みます。

施工だけを続ける会社ではなく、完成した設備を守り、人を育て、新しい産業を生み出す会社へ。

アスタリア大商会は、少しずつ次の姿へ変わり始めています。


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