第84話:会社を託し、王都へ
星環暦1285年・創光月≪第1月≫3日・風曜――
アスタリア大商会本部・工事管理室。
午前6時30分。
前日の終了時点で、《魔導熱伝導路》の第1期施工距離は97.9 Mi(ミーレ/97.9km)、第2期は7.8 Mi、アスタリア側総施工距離は105.7 Miに達していた。
起点から途切れず熱を送ることができる連続通熱距離は、50.0 Miである。
だが、朝会で確認されるのは距離だけではなかった。
施工済距離、残施工距離、前日の実績、当日と翌日の施工予測、現場未使用在庫、既引当数量、配送中数量、希望到着日、そして各部隊の現在地までを一つずつ照合する。
「第6工区は9.7 Mi。残り0.3 Miです」
「第7工区は9.8 Mi。残り0.2 Mi」
工事管理担当者の報告を聞きながら、シェリィは資材表へ目を移した。
第8工区は9.3 Miで残り0.7 Mi。
第10工区は9.1 Miで残り0.9 Mi。
いずれも完成が見え始めている。
「完成間近の工区へ、二日分だからという理由だけで二日分を送らないでください」
「第6、第7工区は通常補充停止でよろしいですか」
「はい。完成までに本当に足りない分が出た場合だけ、例外として出します」
施工速度から需要を計算することと、注文することは同じではない。
第11工区から第15工区では、直近の施工速度がおおむね1日0.2 Mi。
2日なら0.4 Miとなる。
しかし、そこから現場未使用在庫を差し引き、必要日までに到着する既引当分と配送中資材も差し引かなければならない。
それでも不足する数量だけが、内部発注の対象になる。
「番号も同じです」
シェリィが注文管理表を指した。
「次の番号が用意されていても、不足しなければ使わない。番号を進めるために注文するわけではありません」
施工第1部隊(C01)、施工第2部隊(C02)、施工第3部隊(C03)、施工第5部隊(C05)、施工第9部隊(C09)をはじめ、すでに新年度の内部発注を行った部隊には次回使用可能番号が割り当てられている。
だが、必要数量、希望到着日、受領先などが確定するまでは正式発行にはしない。
一方、第16工区の施工第4部隊(C04)は、この日が初めての本線施工だった。
他の部隊が0.2 Mi進んでいるからという理由だけで、第16工区も0.2 Mi進むとは決めない。
その土地で実際に施工し、その結果から次の予測を作る。
数字は現場に合わせる。
現場を数字へ無理に合わせない。
◇
同日午前7時――
アスタリア地域内・20 Mi地点。
街道沿いに、二つの施設が並んでいた。
第1地域備蓄倉庫(W01)。
そして、第2工区を担当する第2保守基地(B02)。
二つは隣接しているが、同じ建物ではない。
別棟として建てられ、内部連絡通路によって接続されている。
第1地域備蓄倉庫(W01)が担当するのは、第1工区から第3工区までの地域物流だった。
施工資材。
保守交換部品。
緊急復旧資材。
予備品。
必要になった物を保管し、担当工区へ送り出す。
一方、第2保守基地(B02)は第2工区を守るための保守拠点である。
近いからといって、役割も在庫も帳簿も混ぜない。
この日、第1地域備蓄倉庫(W01)では本格運用前の現物確認が行われていた。
専属職員は3名。
倉庫責任者。
在庫管理担当。
発注・出庫担当。
保管棚、受領場所、検収場所、出庫口、内部連絡通路、第2保守基地(B02)との連絡方法、緊急時の払出手順を順番に確認する。
「初期在庫数量は、今日の現物棚卸が終わってから正式登録します」
倉庫責任者が確認した。
本部担当者が頷く。
「数えていないものを、帳簿だけ先に作らないでください」
20 Mi地点という位置も重要だった。
第1工区中心まではおよそ15 Mi。
第2工区中心まではおよそ5 Mi。
第3工区中心までもおよそ5 Mi。
中央大倉庫からすべてを直接送るより、沿線に在庫を置くことで第1~第3工区への即応性を高められる。
しかも、この倉庫は工事が終わった後も閉鎖しない。
保守部品。
交換部品。
緊急復旧用品。
隣接工区への支援。
造る時だけではなく、使い続ける間も必要になる物流拠点だった。
◇
同日午前8時――
アスタリア大商会本部・総務財務部。
別の机では、創光月5日に支給する前年度分給与の再計算が始まっていた。
1284年度決算では、第12月分の未払給与として金貨3,530枚が計上されている。
だが、決算後に確定した入社日や給与区分まで反映すると、そのまま支払ってよいか再確認する必要があった。
1284年度決算原本。
給与台帳。
全社従業員名簿。
入社日。
勤怠。
施工部隊勤務記録。
施工同行料理人。
土系魔法士。
水系魔法士。
前払金。
契約台帳。
一つずつ突き合わせる。
通常給与と工事契約を重ねない。
契約魔法士を通常給与へ混ぜない。
施工同行料理人も別に確認する。
午後1時。
再計算結果が確定した。
通常給与の支給対象は252名。
正式な支給計算額は、金貨3,506枚と銀貨46枚と銅貨60枚。
決算上の金貨3,530枚との差は、金貨23枚と銀貨53枚と銅貨40枚の過大計上だった。
「1284年度側を直しますか」
担当者が尋ねた。
「直しません」
シェリィは即答した。
「締めた決算原本を書き換えることはしません。《会計検査院》へ正式に照会します」
「1285年度で前年度未払給与訂正として処理できるか、ですね」
「ええ。私たちだけで決めず、資料を全部出してください」
決算原本。
未払給与の元資料。
修正給与計算。
252名の対象者一覧。
入社日。
勤怠。
役員報酬。
施工給与分離資料。
施工同行料理人分離資料。
契約魔法士資料。
差異計算書。
必要な資料がそろえられ、《会計検査院》へ送付された。
自分たちが正しいと思っている数字と、正式に訂正してよい数字は別である。
会計でも、確認の手順を飛ばさなかった。
◇
同日午前9時――
アスタリア地域内・第16工区(第2期・第6工区)。
施工第4部隊(C04)が、本線施工へ入った。
前日は到着後の確認だけで終えている。
宿営。
資材。
工具。
通信。
地盤。
安全区域。
この朝になって初めて、土を掘る。
土系魔法士が指定された範囲を整え、通常施工員がその後を追う。
測量。
掘削。
敷設。
接続。
埋戻し。
初日の施工距離は0.2 Miとなった。
これで初めて、第16工区における当面の施工速度を1日0.2 Miとして予測に使える。
2日なら0.4 Mi。
しかし、施工第4部隊(C04)がそのまま0.4 Mi分を注文することはない。
持参資材。
現場未使用在庫。
既引当。
配送中資材。
それらを差し引く。
不足が確定した場合にのみ、第16工区で最初の正式内部発注を出す。
近隣の地域備蓄倉庫については、正式な受入能力がまだ確認できていない。
使えるか分からない場所を、書類の上だけで配送先にはしない。
必要なら中央大倉庫から第16工区へ直接送る。
「今日0.2 Miだったから、明日も0.2 Miとは限らない」
施工責任者が記録担当へ言った。
「明日の朝、また計算します」
工事も補給も、毎日更新される。
◇
同日午後3時30分――
アスタリア大商会本部。
王宮から公式通知が届いた。
創光月7日・光曜。
王都セレスティアのセレスティア王宮《玉座の間》で、貴族が王族へ公式挨拶を行う。
アスタリア大商会の職員であっても、貴族家に属する者は対象となる。
該当者は16名。
施工現場に出ている貴族4名も、その対象に含まれていた。
シェリィは日程を確認した。
「明日の夕刻に出発します」
「到着予定は?」
「6日の昼前までに王都へ」
16名を運べる早馬利用馬車を必要台数。
御者。
交換馬。
荷物。
必要な警護。
馬車1台の定員は正式設定されていないため、先に台数を固定することはしない。
安全に16名を運べるだけの台数を手配する。
だが、輸送手配を終えたシェリィが次に確認したのは、自分の荷物ではなかった。
「私がアスタリアを離れている間、会長確認待ちで止まる業務はありますか」
各担当者が資料を見る。
工事管理。
資材補給。
倉庫。
保守。
給与。
それぞれに既定の権限がある。
「判断権限内であれば、そのまま進めます」
「それでお願いします。私がいないことを、業務を止める理由にしないでください」
王都へ行く準備よりも、自分がいなくても会社が動く確認の方が重要だった。
◇
同日夕刻――
施工報告が締められた。
第6工区は9.8 Mi。
第7工区は9.9 Mi。
第8工区は9.4 Mi。
第10工区は9.2 Mi。
第11工区3.0 Mi、第12工区1.4 Mi、第13工区1.2 Mi、第14工区1.6 Mi、第15工区1.6 Mi。
第16工区は0.2 Mi。
当日の施工距離は合計1.6 Mi。
第1期98.3 Mi。
第2期9.0 Mi。
アスタリア側総施工距離107.3 Mi。
連続通熱距離は50.0 Miだった。
◇
星環暦1285年・創光月≪第1月≫4日・水曜――
アスタリア大商会本部・総務財務部。
午前7時。
《会計検査院》から回答が届いた。
再計算内容。
入社日。
勤怠。
通常給与と工事・契約給与の分離。
すべてを確認したうえで、指示が出された。
1284年度決算原本は変更しない。
金貨23枚と銀貨53枚と銅貨40枚の差異は、1285年度において前年度未払給与の訂正として処理する。
そして創光月5日に支給するのは、金貨3,506枚と銀貨46枚と銅貨60枚。
午前7時20分。
修正仕訳が計上された。
借方、未払給与・第12月――金貨23枚と銀貨53枚と銅貨40枚。
貸方、繰越利益剰余金――金貨23枚と銀貨53枚と銅貨40枚。
期首原本を消して書き直すことはしない。
期首、金貨3,530枚。
訂正、金貨23枚と銀貨53枚と銅貨40枚の減額。
訂正後、金貨3,506枚と銀貨46枚と銅貨60枚。
何が変わったのかを、後から追える状態にする。
◇
同日午前8時――
アスタリア大商会・熱供給事業部。
メンテナンス第1部隊(M01)からメンテナンス第5部隊(M05)までの30名が、正式な現場勤務開始の日を迎えた。
各部隊は6名。
班長1名。
副班長1名。
班員4名。
さらに各部隊へ、同行料理人が1名ずつ付く。
合計35名が、この日から現場勤務に入る。
メンテナンス要員は銀貨6枚/時。
同行料理人は銀貨6.5枚/時。
いずれもこの日から1285年度の給与対象になる。
各メンテナンス部隊は、交換部品、補修用品、工具、予備の《魔導流体》、計測用品、安全用品、緊急復旧用品を申請するための冊子を携行する。
料理人5名も、担当基地用の商品注文書冊子を受け取った。
だが、冊子を持って出発したからといって、注文を発行したことにはならない。
在庫が十分なら、何も書かない。
午前9時。
各部隊が出発した。
メンテナンス第1部隊(M01)は第1工区の第1保守基地(B01)へ。
メンテナンス第2部隊(M02)は第2工区の第2保守基地(B02)へ。
メンテナンス第3部隊(M03)は第3工区の第3保守基地(B03)へ。
メンテナンス第4部隊(M04)は第4工区の第4保守基地(B04)へ。
メンテナンス第5部隊(M05)は第5工区の第5保守基地(B05)へ向けて出発した。
同行する料理人5名も、それぞれの部隊と同じ現場へ向かう。
◇
同日午前――
20 Mi地点・第2保守基地(B02)。
メンテナンス第2部隊(M02)が到着すると、最初に確認したのは隣の第1地域備蓄倉庫(W01)ではなかった。
自分たちの勤務場所となる第2保守基地(B02)である。
設備。
通信。
工具。
保管区画。
治療室。
緊急時の遮断連絡。
一通りの確認を終えてから、内部連絡通路を通って第1地域備蓄倉庫(W01)へ入る。
倉庫側では、在庫管理、通常出庫、緊急払出の手順を説明した。
「隣にあるからといって、必要な物を直接持っていくことはできません」
倉庫責任者が言う。
メンテナンス第2部隊(M02)の班長が頷いた。
「申請、引当、出庫記録ですね」
「はい。緊急時は優先しますが、記録をなくすことはしません」
メンテナンス第1部隊(M01)とメンテナンス第3部隊(M03)も、通常の保守用品については第1地域備蓄倉庫(W01)から各工区へ配送を受ける。
第2保守基地(B02)の厨房では、メンテナンス第2部隊(M02)の6名、同行料理人1名、第1地域備蓄倉庫(W01)の職員3名に食事を提供する。
料理人が食材庫を確認した。
現時点では人数分を賄える。
ならば注文書は発行しない。
料理人が判断するのは、何がいつ足りなくなるかまでである。
大商会内部在庫を使うのか。
アスタリア内の自社生産品を回すのか。
企業群の別商会から購入するのか。
そこから先は所属長が判断する。
社内で足りれば内部割当と配送依頼だけ。
外部の独立商会から購入する必要があれば、そこで初めて正式な企業間注文を出す。
内部申請から企業間注文へ進んだ場合も、元の申請との関係は残す。
不足がどこから始まったのかを消さないためだった。
◇
同日午後――
第1工区から第5工区。
各メンテナンス部隊が、担当する保守基地へ順次到着した。
正確な到着時刻は、各工区までの距離が正式に固定されていないため一律にはしない。
だが、到着後の手順は共通だった。
設備現物。
運転記録。
温度。
熱量。
《熱制御口》。
遮断設備。
異常履歴。
予備部品。
通信。
緊急停止手順。
これまで暫定運用を担ってきた担当者から、一つずつ引き継ぐ。
第1保守基地(B01)では、メンテナンス第1部隊(M01)の班長が運転記録をめくった。
「この測定点だけ、朝方に少し下がる日がありますね」
暫定運用担当者が記録上の範囲を指した。
「そこまでは正常だ。この線を越えたら現場確認へ行く」
「遮断判断は?」
「隣接地点も同時に異常なら、迷わず止める」
資格試験に受かったことと、その設備の癖を知っていることは同じではない。
だから記録を読む。
だから経験を引き継ぐ。
この日から、第1工区から第5工区まで50.0 Miの正式保守運用が始まった。
◇
同日――
第2地域備蓄倉庫(W02)から第5地域備蓄倉庫(W05)。
創光月1日に発送されていた地域備蓄用資材の第1便が到着した。
液量管理品は4倉庫合計31 Vr(ヴェル/31L)。
個数管理品は14個。
だが、荷車から降ろせば在庫になるわけではない。
受領。
数量確認。
検収。
合格後に在庫登録。
届いたという事実と、使用可能在庫になったという事実も分ける。
翌日には第2便が到着する予定だった。
◇
同日――
アスタリア地域内・第7工区(第1期・第7工区)。
残っていた0.1 Miの施工が終わった。
施工距離10.0 Mi。
しかし、まだ完成とは呼ばない。
本体施工が予定距離へ達しただけだった。
これから完成検査。
検収。
通熱試験。
施工第7部隊(C07)の通常施工用内部発注は停止する。
完成検査で実際の不足が生じた場合だけ例外として追加できる。
メンテナンス第7部隊(M07)も、第7保守基地(B07)へはまだ派遣しない。
施工終了と、保守運用開始の間には、越えなければならない工程が残っていた。
◇
同日夕刻――
アスタリア大商会本部前。
王都へ向かう馬車隊が出発準備を終えた。
シェリィを含む貴族16名。
施工現場から一時的に離れる貴族4名も、当日の業務を引き継いでいる。
第8工区では、水系魔法士のうち1名が一時的に現場を離れるため、残る1名だけで安全に行える作業範囲を確認した。
二人で行っていた仕事を、一人に二人分やらせない。
危険な工程なら速度を落とす。
出発前、シェリィは本部担当者へもう一度確認した。
「私が不在でも、既定の権限内は止めないでください」
「承知しています」
「判断できないものだけ上へ送ってください。机の上に置いたままにはしないように」
それだけ告げると、シェリィは馬車へ乗った。
馬車隊が王都セレスティアへ向けて走り出す。
創光月4日の施工距離は1.6 Mi。
第1期98.7 Mi。
第2期10.2 Mi。
総施工距離108.9 Mi。
連続通熱距離は50.0 Miだった。
◇
星環暦1285年・創光月≪第1月≫5日・土曜――
アスタリア大商会本部・総務財務部。
午前6時30分。
前年度未払給与の支給前最終照合が始まった。
期首引継額、金貨3,530枚。
訂正額、金貨23枚と銀貨53枚と銅貨40枚。
訂正後残高、金貨3,506枚と銀貨46枚と銅貨60枚。
午前8時。
支給処理が実行された。
借方、未払給与・第12月――金貨3,506枚と銀貨46枚と銅貨60枚。
貸方、現金・預金――同額。
支給後、未払給与・第12月の残高は0になった。
これは1285年度の給与費ではない。
1284年度中に発生し、年度末に未払給与として計上されていた債務を支払ったものである。
1285年度の給与費へ重ねて計上することはしない。
元の決算を残す。
訂正を残す。
支払いを残す。
そして残高が0になったことも残す。
数字が変わった理由を、後から追えなくなる処理はしなかった。
◇
同日――
第2地域備蓄倉庫(W02)から第5地域備蓄倉庫(W05)。
第2便が到着した。
前日の第1便と合わせ、液量管理品は62 Vr。
個数管理品は28個となった。
だが、7日時点で想定している備蓄量と比較すると、液量管理品155 Vr、個数管理品70個が不足候補として残る。
本部では製造計画案が作られた。
それでも、まだ正式な製造指図ではない。
不足候補がある。
だから製造する。
そこまで単純にはしなかった。
現在庫。
配送中。
施工速度。
今後の消費量。
既存の製造予定。
それらを確認し、本当に不足する数量だけを正式製造へ回す。
計画したことと、製造命令を出したことも別に管理する。
◇
同日――
アスタリア地域内・第6工区(第1期・第6工区)。
第6工区も10.0 Miへ到達した。
本体施工終了。
施工第6部隊(C06)の通常施工用内部発注も停止する。
しかし、メンテナンス第6部隊(M06)は、まだ第6保守基地(B06)へ向かわない。
完成検査。
検収。
通熱。
条件が整うまで待つ。
すでに完成・検収済みの第9工区も、前方の第8工区がまだつながっていないため、通熱待機を続けている。
先に完成したから、先に使えるとは限らない。
この日の施工距離は1.5 Mi。
第1期99.0 Mi。
第2期11.4 Mi。
アスタリア側総施工距離110.4 Mi。
連続通熱距離は50.0 Miだった。
◇
星環暦1285年・創光月≪第1月≫6日・闇曜――
王都セレスティアへ向かう街道。
16名を乗せた馬車隊は、最後の行程へ入っていた。
交換馬を使いながら進み、予定どおり昼前までに王都セレスティアへ到着する。
午後は、王宮入場手順、身分確認、招集通知、礼装、翌日の集合時刻の確認に使われた。
翌日、シェリィはアスタリア大商会会長としてではなく、ヴァルモント公爵家の令嬢として王族の前へ出る。
だが、その頃もアスタリアは動いていた。
◇
同日――
アスタリア大商会本部。
施工報告は朝から届いていた。
内部発注も受け付けられる。
第1地域備蓄倉庫(W01)から第5地域備蓄倉庫(W05)まででは、在庫の受払が続く。
メンテナンス第1部隊(M01)は第1保守基地(B01)で。
メンテナンス第2部隊(M02)は第2保守基地(B02)で。
メンテナンス第3部隊(M03)は第3保守基地(B03)で。
メンテナンス第4部隊(M04)は第4保守基地(B04)で。
メンテナンス第5部隊(M05)は第5保守基地(B05)で、それぞれ正式保守を続けていた。
料理人は食材庫を見る。
不足しなければ申請しない。
総務財務部は、前日の給与支給後の帳簿残高を照合する。
「会長判断待ちで止まっている案件はありますか」
工事管理側から確認が入った。
「ありません。既定権限内の案件は処理しています」
シェリィが王都にいる。
それでも会社は止まらない。
会長が一つずつ許可しなければ進まない会社なら、会長が移動した瞬間に何もできなくなる。
それでは組織とは呼べない。
この日の施工距離は1.4 Mi。
第1期99.2 Mi。
第2期12.6 Mi。
アスタリア側総施工距離111.8 Mi。
連続通熱距離50.0 Mi。
会長が数百Mi離れた日も、数字は前へ進んだ。
◇
星環暦1285年・創光月≪第1月≫7日・光曜――
アスタリア大商会本部。
午前6時30分。
事前に準備されていた会長名の組織・人事通達が発効した。
《アスタリア大商会・熱供給事業部・魔導熱伝導路建設課》。
長距離《魔導熱伝導路》を施工する10部隊を、正式な常設組織として束ねる部署である。
課長1名。
施工10部隊142名。
合計143名。
初代課長として正式に入社したのは、43歳のレオンハルト・ベルクハルト(魔導熱伝導路建設課長)だった。
北方山岳地域で、寒冷地道路、橋梁、トンネルなどの施工管理に携わってきた実務経験を持つ。
指揮系統は、シェリィ、熱供給事業部長ディートリヒ・ハーゲン、レオンハルト(建設課長)、そして施工第1部隊(C01)から施工第10部隊(C10)へ整理された。
午前7時30分。
レオンハルト(建設課長)は、10施工部隊の資料を一つの机へ集めた。
施工距離。
残施工距離。
2日需要。
現場在庫。
内部発注の状態。
引当数量。
配送中資材。
完成予定。
次工区。
それまで別々に確認していた情報を、一枚の統括資料で見られるようにする。
だが、施工第1部隊(C01)から施工第10部隊(C10)が使う既存の内部発注番号体系は、そのまま残した。
「私が管理しやすい番号へ振り直した方が、見やすくはなります」
担当者が言った。
レオンハルト(建設課長)は首を横へ振った。
「私のために現場の履歴を切る必要はありません」
「では、既存番号をそのまま統括表へ?」
「そうしてください。変えるのは見る場所です。過去のつながりではありません」
組織を新しくしたからといって、過去の記録まで作り直す必要はない。
責任者を置き、全体を見えるようにする。
それで十分だった。
同じ日、現場生活と医療支援に関わる体制も再編された。
保守同行料理人10名。
施工同行料理人10名。
治癒魔法士6名。
ただし、受発注だけを担当する専任職員はまだいない。
当面は所属長が、受付、在庫確認、割当、配送依頼、企業群への正式発注、未納管理を兼務する。
専門担当者が採用された時点で、仕事を移管する。
まだいない人間を、組織図の上だけで働かせることはしなかった。
◇
同日午前8時――
王都セレスティア・セレスティア王宮《玉座の間》。
王宮最大の公式儀礼空間に、王族へ挨拶する貴族たちが集まっていた。
外国使節を迎えることもある広間。
高い天井。
磨かれた床。
整然と並ぶ近衛。
アスタリアから来た16名も、その列に加わっていた。
この場では、商会での役職は関係ない。
一人ひとりが、それぞれの貴族家の身分で王族へ礼を取る。
シェリィも、公爵令嬢として所定の位置へ進んだ。
アスタリアの施工現場とは、まるで別の世界だった。
雪。
土。
工具。
資材。
進捗表。
内部発注書。
どれもここにはない。
だがシェリィは、自分がこの場に立っている今も、それらが動いていることを知っていた。
◇
同時刻――
アスタリア。
レオンハルト(建設課長)のもとへ、施工部隊の日次報告が届く。
第1地域備蓄倉庫(W01)では、第1~第3工区への補給が管理される。
第1保守基地(B01)では、メンテナンス第1部隊(M01)が運転記録を確認する。
第2保守基地(B02)では、メンテナンス第2部隊(M02)が巡回に出る。
第3保守基地(B03)では、メンテナンス第3部隊(M03)が交換部品の位置を確認する。
第4保守基地(B04)では、メンテナンス第4部隊(M04)が遮断設備を点検する。
第5保守基地(B05)では、メンテナンス第5部隊(M05)が熱量記録を確認する。
料理人は食材残量を見る。
不足がなければ、商品注文書は書かない。
総務財務部は、給与支給後の帳簿を照合する。
現場では、施工員と土系魔法士が次の区間を延ばしている。
止めるべき異常なら、現場責任者が止める。
補給が必要なら、必要数量を申請する。
在庫があれば倉庫から出す。
なければ次の調達へ回す。
自分の権限を超えるなら、判断できる者へ送る。
誰も、王都からシェリィの返事が来るまで仕事を止めてはいなかった。
◇
同日夕刻――
アスタリア大商会本部・工事管理室。
創光月7日の施工実績が集約された。
第6工区と第7工区も10.0 Miまで施工を終えている。
それでも、連続通熱距離は増えていない。
本体施工が終わったことと、完成検査に合格したことは違う。
検収に合格したことと、通熱を始めたことも違う。
数字を先へ進めるために、安全の順番を変えることはしなかった。
◇
同日夜――
王都セレスティア。
王宮での公式行事を終えたシェリィのもとへ、アスタリアから定時報告が届いた。
アスタリア側総施工距離、113.2 Mi。
第6工区、本体施工完了。
第7工区、本体施工完了。
連続通熱距離、50.0 Mi。
メンテナンス第1部隊(M01)からメンテナンス第5部隊(M05)、正式保守継続。
第1地域備蓄倉庫(W01)、運用継続。
前年度未払給与、支給完了。
残高0。
第16工区、施工継続。
シェリィは報告書を最後まで読んだ。
施工責任者が施工を判断する。
メンテナンス部隊が設備を守る。
倉庫担当者が在庫を管理する。
料理人が不足を見つける。
所属長が調達方法を判断する。
総務財務部が支払いを処理する。
必要なら上へ送る。
必要でなければ、余計な注文はしない。
自分が数百Mi離れていても、それぞれが自分の仕事を進めている。
シェリィは報告書を閉じた。
「会社を託すって、こういうことなのね」
アスタリアの地下では、50.0 Miにわたって熱が流れ続けている。
その先では、《魔導熱伝導路》が113.2 Miまで伸びていた。
道を造るだけなら、これほどの仕組みはいらない。
けれど、彼女たちが造っているのは、完成した日に役目を終える道ではない。
明日も使う。
来月も使う。
シェリィがそこにいない日も使う。
使い続けるための道だった。
お読みいただきありがとうございます。
創光月3日から7日にかけて、《魔導熱伝導路》のアスタリア側総施工距離は105.7 Miから113.2 Miまで伸びました。
第6・第7工区も10.0 Miの本体施工を終えていますが、完成検査、検収、通熱の工程が残っているため、連続通熱距離は50.0 Miのままです。
一方、第1~第5工区ではメンテナンス第1部隊(M01)からメンテナンス第5部隊(M05)が、それぞれ第1保守基地(B01)から第5保守基地(B05)で正式保守を開始しました。
20 Mi地点の第1地域備蓄倉庫(W01)も、第1~第3工区を支える地域物流拠点として動き始めています。
前年度給与についても、決算原本を書き換えることなく、正式な差異照会、訂正仕訳、支給までを終えました。
そしてシェリィが王都にいる間にも、施工、補給、保守、会計は止まりませんでした。
会長一人がすべてを判断するのではなく、各担当者が決められた権限と記録によって会社を動かす仕組みが形になり始めています。
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