第76話:速さを、工法に変える
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫13日・光曜――
アスタリア大商会本部・会議室。
「――という仕組みで、不正を防止します」
シェリィが説明を終えると、室内には短い沈黙が落ちた。
席についているのは、アスタリア大商会の経理、法務、管理に関わる限られた担当者たちで、全員が今しがた聞いた内容を頭の中で確認している。
法務担当者は手元の書類へ視線を落とし、いくつかの箇所へ印を付けてから顔を上げた。
「では、説明いただいた内容を正式な社内規程へ落とし込みます」
「お願いします」
「適用対象についてですが、経理部門だけに限定しますか」
シェリィは首を横に振った。
「いいえ。記録を扱う場所すべてを考えてください」
発注、受注、在庫、製造、輸送、人事、販売。
経理へ数字が届く前にも、取引や数量や記録は生まれている。
帳簿だけを厳しくしても、その前段階で数字が歪められれば意味がない。
「全10商会を対象にして、制度上必要となる部署へ適用してください」
「承知しました」
法務担当者が記録する。
施行日は、帰魂月≪第12月≫1日。
その日から全10商会で同時に始める。
運用開始の時点で一部の商会だけ準備不足という状態を作らないため、管理部が各社と連絡を取りながら施行準備を進めることになった。
管理担当者が確認した。
「新制度に必要なものは一式同時配布でよろしいでしょうか」
「はい。帰魂月1日の業務開始前に揃うようにしてください」
それ以上の説明はなかった。
この制度が何を使い、どのように機能し、なぜ不正を防げるのか。
必要のない者へ広げる情報ではない。
シェリィは法務担当者へ規程化を、管理担当者へ施行準備を任せると、その会議を終えた。
◇
同日午前後半――
アスタリア大商会本部・管理部。
新制度の施行準備が始まっていた。
全10商会で帰魂月1日朝から同時に運用へ入れるよう、配布先、対象部署、必要数、受領確認、施行初日の連絡方法などが整理されていく。
シェリィ自身も、一部の準備作業へ加わった。
何をしているのかを、周囲へ詳しく説明することはない。
管理部でも、必要な担当者が自分の役割に必要な範囲だけを確認して作業を進める。
制度の目的は不正防止と記録の信頼性向上。
それだけは明らかだった。
だが、そのためにどのような仕組みを使うのかは、まだ限られた者しか知らなかった。
◇
同日午後――
アスタリア地域内・第1工区(第1期・第1工区)。
午前中とはまったく違う種類の確認作業が行われていた。
第1工区の累積施工距離は、宵闇月12日終了時点で3.0 Mi(ミーレ/3km)。
土系魔法士3名の試験投入から6日が経過している。
すでに施工速度の向上は数字に現れていたが、正式工法として採用するには、それだけでは足りない。
グローヴァー建設商会の施工責任者、技術担当者、安全担当者が、土系魔法を使用した施工区間を再検査していた。
地盤沈下、隆起、亀裂、排水状態、埋戻し状態、道路への影響、《魔導熱伝導路》の路体位置、接続部分へかかる負荷までを確認していく。
施工責任者が測定記録を見た。
「現時点では、大きな変化は確認されていません」
「排水はどうですか」
「正常です。埋戻し部分にも異常な沈下は見られません」
シェリィは報告書の最後まで目を通した。
「では、今日の結果は『問題なし』ではなく、『現時点で異常なし』として残してください」
施工責任者が頷く。
一度の検査で安全を証明したことにはしない。
施工した地盤が寒さを受け、その後どう変化するのかまで見る必要がある。
速度の試験から、耐久性を確かめる試験へ。
評価は次の段階へ進んでいた。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫14日・火曜――
アスタリア地域内・第1工区(第1期・第1工区)。
夜間の冷え込みを受けた土系魔法施工区間へ、再び測定器が持ち込まれた。
施工した直後に問題がなくても、凍結した地盤が温度変化を受けた後に沈下する可能性はある。
グローヴァー建設商会の施工責任者と土系魔法士3名も立ち会い、前日までと同じ測定位置を一つずつ確認した。
結果として、重大な沈下や亀裂はなく、排水異常も道路への悪影響も確認されず、《魔導熱伝導路》へ偏った荷重を与えるような地盤変形も見られなかった。
施工責任者は確認記録へ署名した後、別の書類をシェリィへ差し出した。
「これまでの試験結果から、土系魔法を使う場合の標準施工案を作りました」
シェリィが開く。
最初に測量を行い、地盤状態を確認したうえで、施工責任者が魔法を使用する範囲を指定する。
指定された範囲だけを土系魔法で処理し、その後に再測量を実施する。
位置、深さ、傾斜、地盤状態に問題がないことを人が確認してから《魔導熱伝導路》を設置し、埋戻しと締固めを行い、完成検査を経て、さらに後日再点検する。
「魔法を使った後には、必ず再測量するのですね」
「はい。魔法士の感覚だけで完成位置を決めることはありません」
「それなら、この形で評価を続けてください」
魔法は作業手段であって、検査基準にはならない。
速く動かせるからこそ、人が測り直す。
その考え方が標準施工案へ組み込まれた。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫15日・風曜――
アスタリア大商会本部・取引室。
この日は、毎月15日に行われるヴァルモント公爵家との高純度級・特級魔石の定例取引日だった。
取引量は100 Sl(セル/100kg)、すなわち2 Cg(カルゴ/100kg)。
売上は金貨7,000枚で、代金は同日中に決済された。
長距離《魔導熱伝導路》の施工、保守基地の建設、設備製造、治癒魔法士の配置、人材研修と、大きな支出が続いている。
しかし、アスタリア大商会には支出だけがあるわけではない。
毎月積み上がる既存取引の収益もまた、新しい事業を支える一部だった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会本部・総務財務部。
土系魔法施工の評価資料へ、技術担当ではなく経理担当が数字を書き加えていた。
土系魔法士3名の追加人件費は、1日あたり金貨1.92枚。
その数字だけを取り出せば、従来工法には存在しなかった追加費用である。
だが、工期が短縮されれば、一般施工員の人件費、宿泊運営費、食費、車両や機械の使用費、冬季施工追加費、施工支援費など、日数に応じて増えていく支出は減る。
経理担当者が複数の想定工期を並べた試算表を示した。
「土系魔法士への支払いだけを見ると費用は増えますが、工区全体で見ると逆転する可能性があります。ただし、最終的な完成日が確定していないため、現段階では試算です」
シェリィは土系魔法士の費用欄ではなく、工区全体の最終額を示す欄へ視線を移した。
「評価する単位を、10 Mi工区全体にしてください」
「承知しました」
「土系魔法士の賃金だけを見て、高い、安いとは判断しないでください。安全と品質を維持したまま、工区全体の最終総工事費がどう変わるかを見ます」
早く終わることに価値はある。
しかし、速さそのものが利益ではない。
速くなったことで、全体の費用がどう変わったのか。
そこまで確かめて初めて、経営上の意味が生まれる。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫16日・水曜――
アスタリア地域内・第1工区(第1期・第1工区)。
既設本線から連続して供用されている検査済み区間で、熱性能の再測定が行われた。
土系魔法を基礎工事へ使ったことで、地盤施工が速くなった。
だが、その結果として路体位置がずれたり、《魔導熱伝導路》へ余計な荷重がかかったりしていれば、施工速度を上げた意味はない。
始点熱量、終点熱量、温度、接続部、路体状態、異常熱損失の有無を確認する。
結果は正常だった。
《熱継送所》が正常に補熱している条件で、10 Miあたり実質熱量低下約0.2%前後、正常許容上限0.3%という既存基準を脅かす兆候は確認されていない。
技術担当者が報告書をまとめた。
「土系魔法を基礎土木へ使用したことによる、設備性能の悪化は現時点で確認されていません」
シェリィは頷いた。
施工は速くなった。
地盤は安定している。
熱性能も落ちていない。
正式判断に必要な材料が、ようやく揃いつつあった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫17日・土曜――
アスタリア大商会本部・技術研究部会議室。
土系魔法施工に関する評価資料が、施工、技術、安全、経理の4分野から提出されていた。
施工速度は明確に改善している。
地盤安定性、排水、道路への影響、《魔導熱伝導路》の設備性能には、現時点で異常が確認されていない。
安全面についても、施工責任者が魔法使用範囲を指定し、使用後に再測量し、通常と同じ完成検査と後日点検を行う手順を守ることを条件に、正式工法として管理できるとの評価だった。
費用については、土系魔法士の追加人件費が発生する一方、施工日数短縮によって日数連動費を減らせる可能性が高い。
シェリィはすべての評価書を確認した。
第1工区だけの成功を、そのまま全工区へコピーすることはできない。
地盤条件は違う。
必要な魔力量も違う。
同じ3名を置けば、同じ速度が出る保証もない。
それでも、管理された方法で使用できる工法としての条件は揃っていた。
「基礎土木工程への土系魔法士の利用を、正式工法として採用します」
会議記録へ決定が記載された。
適用できるのは、凍結地盤処理、掘削、土砂移動、整地、埋戻し、締固め、排水形成、仮設道路整備などの基礎土木工程。
《魔導熱伝導路》の精密接続、《熱制御口》や《熱継送所》の調整、精密測定、完成検査には使用しない。
さらに、誰が、いつ、どの区間で土系魔法を使用したのかを竣工記録へ残す。
将来、その場所で沈下や排水不良などが起きた場合、施工方法まで遡って確認できるようにするためだった。
◇
同日午前後半――
正式採用が決まったことで、次は他工区への配置が議題になった。
第2工区から第9工区までについて、1工区3名を基本として、土系魔法士を順次配置する。
ただし、魔法を使える者なら誰でも採用するわけではない。
地盤を扱う技量、魔力量の制御、施工責任者の指示を守れること、安全手順を理解できること、施工記録を正確に残せることを確認し、基準を満たした者から配置する。
「人数が足りないからといって、基準を下げないでください」
シェリィの言葉に、施工担当者が頷いた。
第1工区へ投入した3名は、そのまま同工区へ残る。
そして第1工区を完成させた後は、第10工区(第1期・第10工区)へ移動することになった。
第10工区は既存拠点からの資材輸送距離が長く、施工進捗にも影響が出ている。
試験と標準化を経験した3名を最も遠い工区へ移すことで、そこで施工を支援する。
新しい人員を増やすだけではなく、経験そのものを次の場所へ移す。
工法を標準化するとは、人の使い方まで含めて再現できる形にすることだった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫18日・闇曜――
アスタリア大商会本部・技術研究部会議室。
宵闇月13日から18日までの工区別施工実績が集計された。
第1工区で続けてきた土系魔法施工について、正式採用に至るまでの数字を残すためにも、全10工区を同じ形式で確認する。
宵闇月13日~18日の施工実績
工区・宵闇月12日終了時点・累積施工距離宵闇月13日~18日の施工距離宵闇月18日終了時点・累積施工距離
第1工区(第1期・第1工区) 3.0 Mi +1.3 Mi 4.3 Mi
第2工区(第1期・第2工区) 2.6 Mi +0.7 Mi 3.3 Mi
第3工区(第1期・第3工区) 2.5 Mi +0.7 Mi 3.2 Mi
第4工区(第1期・第4工区) 2.2 Mi +0.6 Mi 2.8 Mi
第5工区(第1期・第5工区) 2.5 Mi +0.7 Mi 3.2 Mi
第6工区(第1期・第6工区) 2.1 Mi +0.6 Mi 2.7 Mi
第7工区(第1期・第7工区) 2.2 Mi +0.6 Mi 2.8 Mi
第8工区(第1期・第8工区) 1.8 Mi +0.5 Mi 2.3 Mi
第9工区(第1期・第9工区) 2.4 Mi +0.7 Mi 3.1 Mi
第10工区(第1期・第10工区) 1.9 Mi +0.5 Mi 2.4 Mi
合計 23.2 Mi +6.9 Mi30.1 Mi
第1工区は、この6日間だけで+1.3 Mi進んでいる。
土系魔法士を投入する直前、宵闇月6日終了時点では2.1 Miだった。
現在は4.3 Mi。
12日間で+2.2 Mi。
他工区の進捗と比較しても、速度差は一度だけの偶然ではなく、継続する傾向として現れている。
もちろん、第8工区のように厳しい地盤条件を抱える場所へ配置した時、同じだけの効果が出るとは限らない。
だからこそ工区別管理を続ける。
施工方法を統一することと、結果まで同じになることは別だった。
◇
同じ頃、66名のメンテナンス要員候補の研修も続いていた。
まだ60日研修の前半であり、正式なメンテナンス要員ではない。
しかし、工事方法が変わった以上、保守側の教育も変えなければならない。
新しい教材には、土系魔法施工が行われた区間の竣工記録確認、地盤沈下、排水状態、路体位置など、保守時に確認すべき注意事項が追加された。
施工方法だけを新しくして、保守員へ古い知識を教え続けることはしない。
工法を変えれば、点検方法も変える。
設備を長く使うということは、造り方と守り方を切り離さないことだった。
◇
同日夕刻――
アスタリア大商会本部・シェリィ執務室。
机の上には、二つの正式書類が並んでいた。
一つは、《魔導熱伝導路》基礎土木工程への土系魔法施工を正式採用するための文書。
使用できる工程、使用できない工程、再測量、検査、記録、後日点検までが明確に定められている。
シェリィは内容をもう一度確認し、承認を入れた。
もう一つは、帰魂月1日から始まる新しい会計管理制度の正式規程だった。
そこにも承認を入れる。
何を使い、どのように機能する制度なのかは、まだ必要以上に広げない。
一つは、速く造るための仕組み。
もう一つは、正しく会社を動かすための仕組み。
目的は違う。
だが、作り方は似ていた。
思いついたから使うのではない。
試し、測り、異常がないことを確認し、責任と手順を決め、誰が担当しても同じ基準で運用できる形へ変える。
個人の判断を、組織の仕組みにする。
窓の外では、アスタリアから地域境界へ向かう《魔導熱伝導路》が少しずつ伸びている。
その地面を、これからは土系魔法士たちも正式な工法の一部として動かしていく。
そして社内では、まだ多くの者が詳細を知らない別の制度が、静かに施行日を待っていた。
お読みいただきありがとうございます。
土系魔法を基礎土木工程へ取り入れる方法は、施工速度だけでなく、地盤安定性、排水、道路への影響、設備性能、安全性、工区全体の費用まで確認したうえで、正式工法として採用されました。
宵闇月18日時点で第1工区は4.3 Miまで進み、土系魔法士投入直前の2.1 Miから12日間で+2.2 Miとなっています。
今後は技能を確認した土系魔法士を第2工区から第9工区へ順次配置し、第1工区の3名は同工区完成後に第10工区へ移る予定です。
一方、帰魂月から始まる新しい会計管理制度についても準備は進んでいますが、その詳細はまだ明らかになっていません。
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