第77話:土が動けば、全線が速くなる
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫19日・光曜――
アスタリア大商会本部・技術研究部会議室。
朝一番に集められた施工報告書には、アスタリア側100 Mi(ミーレ/100km)の第1期工事について、宵闇月18日終了時点の数字が並んでいた。
10工区合計30.1 Mi施工済み。
その中で、第1工区(第1期・第1工区)は4.3 Miまで進んでいる。
土系魔法士3名を試験投入した後も、施工速度だけでなく、地盤、排水、道路への影響、《魔導熱伝導路》の熱性能に重大な異常は確認されていない。
基礎土木工程への利用は、すでに正式な施工方法として承認された。
ならば、次に必要なのは実証を続けることではない。
標準化した方法を、他の工区でも使える形へ広げることだった。
「第2工区から第10工区まで、配置を実行します」
シェリィの言葉を受け、グローヴァー建設商会の施工担当者が配置表を開いた。
第1工区の3名は、そのまま現在の現場へ残る。
新たに契約する土系魔法士は27名。
第2工区から第10工区まで、9工区へ3名ずつ配置する。
全員の配置が終われば、第1期100 Miの全10工区に3名ずつ、合計30名の土系魔法士が入ることになる。
ただし、契約日数を一律にはしなかった。
各工区では、すでに施工済み距離が異なっている。
残施工距離、地盤条件、これまでの施工速度、土系魔法を導入した後に想定される施工速度を基に、必要となる残工期を工区ごとに見積もり、それぞれの契約予定額を算定する。
賃金基準は、第1工区で採用した条件と同じだった。
1人1時間銀貨8枚、1日8時間勤務。
3名1班なら、1日金貨1.92枚。
契約締結時に見積契約額の50%を前払いし、工区完成後の検収時に実際の勤務日数で再計算して、前払金を差し引いた残額を精算する。
そして今回、もう一つ明確にされたことがあった。
「会社の指示で現場へ移動している日は、勤務日として扱ってください」
シェリィの確認に、契約担当者が頷いた。
遠い現場へ行く者ほど、施工そのものに入れるまで時間がかかる。
だからといって、その移動時間を魔法士側へ無給で負担させることはしない。
施工できる時間と、賃金が発生する時間。
その二つを混同しない契約にした。
◇
同日午前――
アスタリア地域内・第2工区(第1期・第2工区)。
第2工区へ向かう3名は、配置先までおよそ10 Mi。
現場へ到着すると、すぐに土を動かし始めるわけではなく、施工責任者から正式な引継ぎを受けた。
担当してよい工程。
担当してはいけない工程。
現在の地盤状態。
土系魔法を使用してよい範囲。
使用後に必ず行う再測量。
異常を感じた場合の即時停止。
第1工区で作られた標準施工手順が、そのまま現場へ持ち込まれた。
「魔法の強さを競う仕事ではありません」
施工責任者は3名を前にして言った。
「指定した場所を、指定した工程のために動かしてください。範囲外へは手を出さないでください」
説明と現場確認を終えた3名は、午前中から施工へ加わった。
凍結した地盤を緩め、掘削班が作業しやすい状態へ変える。
掘削された土砂を移し、施工後の埋戻しを補助する。
その後には必ず測量担当者が入る。
新しい工法は、第1工区だけの特別な作業ではなくなり始めていた。
◇
同日昼前――
第3工区(第1期・第3工区)。
約20 Miを移動してきた3名が到着したのは、昼を迎える少し前だった。
移動中も勤務時間として扱われている。
しかし、施工実績として計上できるのは、現場へ到着し、引継ぎを終え、実際に土木作業へ入ってからだ。
午後から、指定された凍結地盤の処理と掘削補助が始まった。
第2工区の3名より、同じ日の施工時間は短い。
当然、その差は後日の施工距離にも表れる。
◇
同日午後――
第4工区(第1期・第4工区)。
約30 Miを移動した3名が到着した頃には、すでに午後へ入っていた。
現場責任者は到着直後から急いで施工させることをせず、地盤状態、排水経路、仮設道路、施工済み部分との位置関係を先に確認させた。
この日の実作業時間はわずかだった。
それでも問題はない。
同じ日に契約し、同じ日に出発しても、現場までの距離が違えば施工へ入れる時間は違う。
配置日が同じだから、同じだけ進まなければならないという管理はしない。
◇
第5工区から第10工区へ向かう18名は、まだ移動を続けていた。
およそ40 Mi、50 Mi、60 Mi、70 Mi、80 Mi、そして90 Mi先。
遠くなるほど当日中の到着は難しくなる。
だが、その間も各工区の工事が停止することはなかった。
既存の施工班は従来工法で掘削、整地、資材搬入、設備施工を続ける。
土系魔法士の到着は、工事再開の条件ではない。
既存の工程へ新しい専門職を加え、速くできる部分を速くする。
最初から、そのための配置だった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫20日・火曜――
アスタリア地域内・第5工区(第1期・第5工区)。
約40 Miを移動した3名は、比較的早い時間に現場へ到着した。
引継ぎを受けると、その日のうちに凍結地盤の処理へ入る。
第6工区の3名も、約50 Miの移動を終えて後から到着し、現場確認後に作業へ加わった。
さらに約60 Mi先の第7工区では、到着が遅くなったため、本格的な作業開始はその日の後半となった。
一方、第8工区、第9工区、第10工区へ向かう者たちは、まだ移動を続けている。
特に第10工区は約90 Mi先にあり、今回の移動計画では約2日を見込んでいた。
19日と20日。
施工できない時間が続く。
それでも、会社命令による移動である以上、3名の勤務記録には正式に残される。
移動が長いことは、労働者の責任ではなかった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫21日・風曜――
アスタリア地域内・第10工区(第1期・第10工区)。
第10工区へ向かった3名が現場へ到着した。
約90 Miの移動を終えたからといって、すぐ魔法を使うことはない。
施工責任者とともに施工区間を歩き、凍結状態、石の量、排水方向、施工済み部分、これから掘削する場所を確認する。
第8工区と第9工区でも同じ手順が行われた。
そして、それぞれの確認を終えたところから順次作業へ入った。
これで、第1工区から第10工区までの全てに土系魔法士3名が配置された。
合計30名。
アスタリア側第1期100 Mi全体で、新しい施工体制が揃った瞬間だった。
◇
各工区へ送られた施工指示は共通していた。
土系魔法士が担当するのは、凍結地盤の処理、掘削補助、土砂移動、整地、埋戻し、締固め補助、排水形成、仮設道路補修など、土を直接扱う基礎土木工程。
《魔導熱伝導路》本体の精密接続、《熱制御口》や《熱継送所》の調整、精密測定、完成検査には関与しない。
魔法が使えるから、何でも任せるのではない。
役割は明確だった。
土を動かす専門家。
それ以上でも、それ以下でもない。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫22日・水曜――
アスタリア大商会本部・技術研究部。
全工区への配置が完了した翌日、中間報告が次々と届いた。
第2工区では、凍結地盤処理に明確な時間短縮が見られた。
第3工区では土砂移動の効率が上がり、掘削後の工程へ早く移れるようになっている。
第5工区でも、従来は人員と機械を長時間使っていた土の処理が短縮された。
しかし、数字は同じではない。
同じ3名を配置していても、地盤の凍結状態、石の量、水分、排水条件、街道の状態が違う。
とりわけ、これまで施工速度が比較的低かった第8工区では、土系魔法士による凍結地盤処理と掘削補助に効果が現れていたが、第1工区と同じ速度まで上がったわけではなかった。
技術担当者が報告を読み上げる。
「施工方法を同じにしても、完成速度までは同じになりません」
「それで構いません」
シェリィは全10工区の進捗表を見ながら答えた。
「工法は標準化します。でも、完成予定日は工区ごとに管理してください」
同じ方法で施工する。
同じ検査をする。
同じ安全基準を守る。
そこまでは統一できる。
だが、山も土も水も違う場所に、同じ完成日を押しつければ、最後には安全か品質のどちらかを削ることになる。
工法は標準化する。
完成予定日は、工区ごとに管理する。
その原則は、この100 Miだけではなく、その先の第2期、第3期でも使えるものだった。
◇
正式な施工方法として全工区へ導入されたことで、工事記録も更新された。
日報と竣工記録には、土系魔法施工の履歴を残す。
使用した日。
使用した区間。
担当した魔法士。
実施した施工内容。
施工前の地盤状態。
施工後の再測量。
排水確認。
異常の有無。
数年後、その場所で異常が起きた時に、「魔法を使った場所だった」という曖昧な記憶だけを頼りにしないためだった。
どのように造られたかを残しておけば、どこから確認すべきかを絞り込める。
工事記録は、完成した瞬間のためだけに作るものではない。
設備を使い続ける未来の人間へ渡す情報でもあった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫23日・土曜――
アスタリア大商会・技術研修施設。
66名のメンテナンス要員候補の研修では、第1工区で実際に作成された施工記録が教材として使われ始めていた。
講師は、土系魔法施工区間だから危険だとは教えない。
見るべきなのは、どの工程で造られ、どのような検査を通り、その後どんな状態が記録されているかだった。
「異常が出た時に、施工履歴が分かっていれば原因候補を減らせます。魔法施工だったという事実だけを見るのではなく、その場所で何が行われたのかを確認してください」
候補者たちは竣工記録と点検記録を照らし合わせる。
工法が変われば、保守教育も更新する。
造る側だけが新しい方法を知っていても、設備を守る側へ伝わらなければ長期運用はできない。
◇
同じ日、各10 Mi地点に設ける保守基地の工事も続いていた。
宿泊設備、厨房、食料保管設備、治療室、資材保管場所、情報伝送設備などが、それぞれの工区で段階的に整えられている。
しかし、建物が使える状態になっただけで正式な保守基地として引き渡すことはしない。
担当工区の完成。
設備検査。
そして、メンテナンス要員の資格取得。
必要な条件が揃ってから、施工側から保守側へ正式に引き渡す。
工事だけが先に進んだ場合は、それまで施工側が暫定的な管理を続ける。
人材育成を工事の速度に合わせて急がせることはしなかった。
◇
同日午後――
ヴァルモント公爵領・第1期施工区間。
アスタリア側では10工区を並行して進めている一方、ヴァルモント公爵領側では、約10 Miの第1期区間を慎重に施工していた。
こちらでは、まだ十分な施工実績が蓄積されていない地盤や道路条件を一つずつ確認しながら進む。
宵闇月18日終了時点の施工済み距離は2.2 Mi。
《魔導熱伝導路》本体だけではなく、保守基地、排水設備、《熱継送所》関連設備の準備、《熱制御口》関連設備の準備、測定設備を設置する地点の整備も並行している。
早く完成させることだけが目的ではない。
この区間が先に完成しても、アスタリア側300 Miが地域境界へ到達し、本線が接続されるまでは熱は届かない。
だからこそ、公爵領側では未知の条件を急いで飛ばす理由がなかった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫24日・闇曜――
アスタリア大商会本部・技術研究部会議室。
6日間の施工記録が揃った。
土系魔法士27名は同時に契約され、同じ日に移動を始めた。
だが、現場までの距離が違う以上、全員が6日間を施工へ使えたわけではない。
その時間差をそのまま残した結果が、数字になって表れていた。
宵闇月19日~24日のアスタリア側施工実績
工区・宵闇月18日終了時点・累積施工距離宵闇月19日~24日の施工距離宵闇月24日終了時点・累積施工距離
第1工区(第1期・第1工区) 4.3 Mi +1.3 Mi 5.6 Mi
第2工区(第1期・第2工区) 3.3 Mi +1.0 Mi 4.3 Mi
第3工区(第1期・第3工区) 3.2 Mi +0.9 Mi 4.1 Mi
第4工区(第1期・第4工区) 2.8 Mi +0.8 Mi 3.6 Mi
第5工区(第1期・第5工区) 3.2 Mi +1.0 Mi 4.2 Mi
第6工区(第1期・第6工区) 2.7 Mi +0.8 Mi 3.5 Mi
第7工区(第1期・第7工区) 2.8 Mi +0.8 Mi 3.6 Mi
第8工区(第1期・第8工区) 2.3 Mi +0.7 Mi 3.0 Mi
第9工区(第1期・第9工区) 3.1 Mi +0.9 Mi 4.0 Mi
第10工区(第1期・第10工区) 2.4 Mi +0.7 Mi 3.1 Mi
合計 30.1 Mi +8.9 Mi39.0 Mi
6日間で、30.1 Miから39.0 Mi。
+8.9 Mi。
第1工区は、すでに施工班と土系魔法士の連携が完成しているため、今回も+1.3 Miを記録している。
一方、第2工区から第10工区には、移動、現場引継ぎ、地盤確認、初期調整の時間が含まれている。
そのため、まだ第1工区と同じ条件ではない。
シェリィは、その差を問題とは考えなかった。
今回知りたかったのは、無理に同じ数字を作れるかではない。
新しい工法を90 Miにわたる複数現場へ展開しても、安全手順を崩さずに施工速度を上げられるかだった。
各工区の報告書には、施工距離とともに安全確認結果が添えられている。
重大事故なし。
施工禁止工程への魔法使用なし。
再測量実施。
異常確認なし。
シェリィは速度の欄より先に、その項目を確認した。
◇
ヴァルモント公爵領側からも、同期間の施工記録が届いていた。
宵闇月19日~24日のヴァルモント公爵領側施工実績
区分 宵闇月18日終了時点宵闇月19日~24日の施工距離宵闇月24日終了時点
第1期 約10 Mi 2.2 Mi +0.6 Mi 2.8 Mi
公爵領側は2.8 Mi。
アスタリア側の39.0 Miとは、数字だけを見れば大きな差がある。
だが施工条件が違う。
既知の地盤と物流網を使い、10工区を並行施工するアスタリア側。
未知の地盤と道路状態を確認しながら、約10 Miを慎重に進むヴァルモント公爵領側。
どちらかが速く、どちらかが遅いという話ではなかった。
知っている土地では速く。
知らない土地では慎重に。
最初に決めた原則どおりだった。
◇
同日夕刻――
アスタリア大商会本部・シェリィ執務室。
机の上には、10工区の施工実績が順番に並べられていた。
第1工区。
5.6 Mi。
10 Miの半分を超えた。
第2工区、4.3 Mi。
第3工区、4.1 Mi。
その先にも、それぞれ異なる数字が続いている。
以前なら、土系魔法士がいるのは第1工区だけだった。
今は違う。
第1工区だけが速くなる工事ではなくなった。
100 Mi全体が、同じ施工原則の下で動き始めている。
そして次の施工期間からは、30名全員がそれぞれの担当工区で、最初の日から作業へ入れる。
移動日もない。
初回の引継ぎも終わっている。
新しい施工体制そのものの実力が見え始めるのは、これからだった。
シェリィは最後に、各工区の安全報告をもう一度確認した。
異常なし。
そこで初めて、次の施工期間の継続承認を入れる。
机の中央には、第1工区の数字が残っていた。
5.6 Mi。
半分を越えたからといって、残りを急がせる理由にはならない。
けれど、ひとつの工区で始まった方法が、今では100 Mi全体を動かしている。
土を速く動かせたことよりも、その方法を誰でも同じ基準で使える工法へ変えたこと。
その違いが、ようやく全線の数字へ現れ始めていた。
お読みいただきありがとうございます。
第1工区で確立された土系魔法施工が、第2工区から第10工区へ実際に展開され、アスタリア側100 Miの全10工区で30名体制が整いました。
今回は現場までの移動距離や引継ぎ時間が工区ごとに異なるため、施工速度にもその差が残っていますが、アスタリア側全体では30.1 Miから39.0 Miへ進んでいます。
第1工区も5.6 Miとなり、担当する10 Miの半分を超えました。
一方、ヴァルモント公爵領側は未知の地盤条件を確認しながら2.8 Miまで施工を進めています。
次の施工期間からは、30名全員が各担当工区で初日から稼働できる状態になります。
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