第75話:土を動かし、工期を測る
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫7日・光曜――
アスタリア地域内・第1工区(第1期・第1工区)。
朝の冷気がまだ街道沿いに残る中、グローヴァー建設商会の施工責任者は、前日までの工事記録を開いていた。
今日から、第1工区へ土系魔法士3名が加わる。
だが、魔法を使い始める前にやらなければならないことがあった。
これまで人力と施工機械を中心に進めてきた状態を、比較の基準として残すことだった。
アスタリア大商会本部では、宵闇月6日終了時点の全10工区について、施工記録を正式に取りまとめていた。
宵闇月6日終了時点・累積施工距離
工区・実成月30日終了時点宵闇月1日~6日の施工距離・宵闇月6日終了時点・累積施工距離
第1工区(第1期・第1工区) 1.4 Mi +0.7 Mi 2.1 Mi
第2工区(第1期・第2工区) 1.2 Mi +0.7 Mi 1.9 Mi
第3工区(第1期・第3工区) 1.1 Mi +0.7 Mi 1.8 Mi
第4工区(第1期・第4工区) 1.0 Mi +0.6 Mi 1.6 Mi
第5工区(第1期・第5工区) 1.1 Mi +0.7 Mi 1.8 Mi
第6工区(第1期・第6工区) 0.9 Mi +0.6 Mi 1.5 Mi
第7工区(第1期・第7工区) 1.0 Mi +0.6 Mi 1.6 Mi
第8工区(第1期・第8工区) 0.8 Mi +0.5 Mi 1.3 Mi
第9工区(第1期・第9工区) 1.0 Mi +0.7 Mi 1.7 Mi
第10工区(第1期・第10工区)0.9 Mi +0.5 Mi 1.4 Mi
合計 10.4 Mi +6.3 Mi 16.7 Mi
第1工区は、累積2.1 Mi(ミーレ/2.1km)。
10工区の中では最も進んでいる。
それでも、担当区間は10 Miある。
まだ5分の1を少し超えたところにすぎない。
シェリィが第1工区を試験場所として選んだ理由は、単純に進捗が最も良かったからではなかった。
この工区は、既設の《魔導熱伝導路》へ直接つながっている。
ここが完成すれば、アスタリアの熱供給網は地域境界方向へ連続して10 Mi伸び、完成した設備を実際に供用できる。
8 Mi先で工事が速くなっても、そこまで本線がつながっていなければ熱は送れない。
ならば、最初に試すべき場所は第1工区だった。
◇
同日午前――
土系魔法士3名が、グローヴァー建設商会の施工責任者から作業範囲の説明を受けていた。
契約条件はすでに確定している。
1人あたり1時間銀貨8枚、1日8時間勤務で、1人1日あたり金貨0.64枚。
3名なら、1日金貨1.92枚。
91日の予定工期すべてに従事した場合の契約予定額は金貨174.72枚で、前日の契約成立時に50%となる金貨87.36枚がすでに支払われている。
その前払額は、アスタリア大商会が金貨43.68枚、ヴァルモント公爵家が金貨43.68枚を負担した。
ただし、91日働くことを保証した契約ではない。
第1工区の完成が早まれば、完成時に実働日数で再計算し、すでに支払った前金を差し引いて精算する。
施工責任者は、現場図面の上に魔法使用可能範囲を示した。
「自由に地面を動かしていいわけではありません。作業場所と工程はこちらで指定します」
対象となるのは、凍結地盤をほぐす作業、掘削補助、掘り出した土砂や石の移動、溝底の整地、埋戻し、締固め、排水溝形成、仮設道路補修。
一方、《魔導熱伝導路》本体の精密設置、接続部加工、《熱制御口》設置、《熱継送所》の調整には直接関与させない。
土系魔法士の一人が確認する。
「掘削した後の地盤も、私たちが整えてよいのですか」
「指定した範囲なら構いません。ただし、完了後は従来と同じ検査を通します」
そばで説明を聞いていたシェリィも付け加えた。
「魔法で早く掘れることと、安全な路体を造れることは別です。速さだけを見て工程を変えないでください」
3人は頷いた。
魔法を使えるから、魔法士に任せる。
そういう試験ではない。
既存の施工工程の中に専門能力を組み込み、それが本当に有効なのかを測るための試験だった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫8日・火曜――
アスタリア地域内・第1工区(第1期・第1工区)。
通常施工区間と、土系魔法を併用する区間の比較が始まった。
測定項目は、単純な施工距離だけではない。
掘削に要した時間、溝底を整える時間、埋戻し時間、締固め時間、必要作業人数、土系魔法士が使用した魔力量、施工後の地盤状態、排水状態、周辺道路への影響、作業停止時間まで記録する。
「こっちの方が早い」
現場の作業員がそう感じること自体には価値がある。
だが、それだけでは工法にはできない。
同じような条件の施工区間を並べ、何人が何時間働いて、どこでどれだけ時間が縮んだのかを記録しなければ、次の工区で再現できない。
シェリィは現場記録を見ながら、施工責任者へ確認した。
「通常施工と魔法併用施工で、記録項目は同じですね」
「同じです。魔法側だけ有利な条件にはしていません」
「それでお願いします」
比較するなら、同じ物差しを使う。
それは熱性能測定でも、工事でも変わらなかった。
◇
土系魔法が使われた最初の凍結地盤では、違いが目に見えて現れた。
通常なら機材で少しずつ砕きながら掘り進める硬い土が、土系魔法士の操作によって必要な範囲だけ緩められていく。
ただし、一気に大きく崩すことはしない。
施工責任者が指定した長さと深さの範囲で地盤をほぐし、その後を施工員が確認しながら掘削する。
掘り出した土砂も、人力や車両だけで移動させるより早く指定場所へまとめられた。
その一方、《魔導熱伝導路》を置く段階になると速度差は小さくなる。
位置を測る。
基礎を確認する。
設備を下ろす。
接続する。
保護処理をする。
検査する。
ここは従来と同じだった。
魔法で土を動かせても、精密設備の接続確認まで速くなるわけではない。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫9日・風曜――
アスタリア大商会本部・技術研究部。
2日分の比較記録が届き始めると、土木工程については差がはっきり見え始めた。
凍結地盤の処理、掘削、土砂移動、埋戻しでは、土系魔法を併用した区間の作業時間が短くなっている。
一方、《魔導熱伝導路》そのものの設置、接続、検査は、従来工法とほとんど変わらない。
技術担当者が試算表を示した。
「この傾向が続くなら、第1工区の予定91日は、78日から82日程度まで短縮できる可能性があります」
「可能性、ですね」
シェリィが確認すると、担当者は頷いた。
「はい。まだ施工開始から数日です。地盤条件も変わりますし、設備工程そのものは短縮していません」
91日が45日になるわけではない。
魔法で短くなるのは、土木工程の一部だけだった。
それでも10日以上短縮できるなら、その影響は小さくない。
人件費、食費、宿泊費、車両使用費、冬季施工支援費の多くは、工事日数が短くなれば減る。
だが、それを理由に採用を決めるにはまだ早かった。
◇
同日午後――
第1工区では、既設本線から連続して接続され、検査を終えた区間へ引き続き熱を通していた。
施工方法を変えたなら、地面だけではなく、そこに設置された設備へ影響がないかも確認する必要がある。
始点熱量。
終点熱量。
温度。
外気温。
稼働時間。
地盤状態。
接続部状態。
土系魔法士を使った区間についても、通常施工区間と同じ性能検査を行う。
「魔法を使ったから検査を増やすのですか」
現場担当者の問いに、技術責任者は首を振った。
「いいえ。魔法を使ったから検査を減らさないだけです」
新しい施工方法を使ったことは、検査を省略する理由にはならない。
むしろ、従来と同じ基準を通過できるかを見ることが実証だった。
この日の測定では、熱量、温度、接続部の状態に異常は確認されなかった。
それでも記録欄には、「正常」の一言だけではなく、測定条件と数値が残された。
今日正常だったという記録と、長期的に安全だという判断は別だからだ。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫10日・水曜――
アスタリア地域内・第1工区(第1期・第1工区)。
この日は、新しい区間を掘る前に、前日までに土系魔法を使った場所を再び調べる作業から始まった。
施工直後がきれいでも、翌日に地面が沈めば意味がない。
確認されたのは、沈下、盛り上がり、亀裂、排水不良、地盤の偏り、周辺道路への影響、《魔導熱伝導路》へかかる荷重、接続部のずれ。
現時点では、大きな異常は見つからなかった。
排水も機能している。
接続位置のずれもない。
施工した路面にも、目立った沈下は発生していない。
施工責任者が記録へ「異常なし」と記入した。
だが、シェリィはその横にある観察継続欄を見た。
数日問題がないことと、数年問題がないことは違う。
地盤は凍り、緩み、水を含み、また凍る。
季節が変われば、今とは違う力が加わる。
短期間の成功だけで、長期工法へ変えることはできなかった。
◇
同日午前後半――
土系魔法士3名からも、施工側へ報告が上がった。
「同じ10 Er(エルン/10m)の区間でも、土の状態によって必要な力が違います」
凍結した土。
水分を多く含む土。
石の多い地盤。
固い岩盤。
同じ土系魔法を使えば、同じ時間で処理できるわけではない。
水分が多ければ土の動き方が変わり、石が多ければ一度に動かせる範囲が狭くなる。
岩盤が多い区間では、そもそも土系魔法だけで処理するより従来の機材と併用した方が安全な場合もある。
シェリィはその報告を聞き、工区別進捗制度との整合を確認した。
「では、土系魔法士を配置したとしても、全工区が同じ速度になるとは考えない方がいいですね」
「はい」
「それなら、工区別の完成日を分けたまま進めましょう」
新しい技術を入れたから、全部が均一になるわけではない。
むしろ、どこで何が効くのかを見極めることの方が重要だった。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫11日・土曜――
アスタリア大商会本部・総務財務部。
土系魔法施工の評価資料に、技術研究部だけでなく経理担当者の数字が加わった。
3名を雇うことで、1日あたり金貨1.92枚の追加費用が発生している。
単純にその数字だけを見れば、従来工法より高い。
だが、経理担当者が見ていたのはその先だった。
「仮に工期が短縮されれば、通常施工員の人件費、宿泊費、食事費、車両使用費、冬季施工追加費、工事中の支援費が減ります」
土系魔法士へ支払う費用が増えても、第1工区全体の費用が下がる可能性はある。
逆に、魔法士を追加したのに工期がほとんど変わらなければ、総工事費は上がる。
「では、評価するのは魔法士3名の費用ではなく、第1工区全体の最終工事費ですね」
シェリィが確認すると、経理担当者が頷いた。
「はい。ただ、まだ完成日が確定していないため、現時点では試算までです」
速度が上がった。
だから得をした。
そう単純には決められない。
速さを金額へ変換し、品質と安全まで含めて初めて、経営判断ができる。
◇
一方、アスタリア大商会の技術研修施設では、66名のメンテナンス要員候補の研修が続いていた。
まだ60日研修の前半である。
設備構造、安全規程、緊急停止、区間隔離、日報、竣工記録、情報伝送。
実設備を使った本格的な故障対応訓練へ進む前に、まず正常な状態と異常な状態を区別できる知識を身につける。
工事が速くなったからといって、研修期間を縮めることはしない。
仮に第1工区が予想以上に早く完成しても、候補者が正式資格を取得していなければ、施工側が暫定管理を続ける。
設備が完成した日と、人材育成が終わる日は同じでなくていい。
安全基準を合わせるために、人材育成の方を急がせることはしなかった。
◇
アスタリア地域内10工区の保守基地工事も、それぞれ進んでいた。
本線工事と同じように、基地も地盤や資材搬入条件によって進捗は異なる。
《魔導熱伝導路》10 Miが完成した日に、その工区の保守基地も必ず完成するとは限らない。
厨房、業務用《氷魔導冷蔵庫》、伝送装置、治療室などの使用確認が終わった基地から料理人を配置し、調理済み食事の配送から、原則2日に1回の基本食材配送へ切り替える。
全基地が揃うまで待つ必要はない。
完成した場所から、新しい運用へ変える。
ただし、50 Mi地点となる第5工区(第1期・第5工区)の医療拠点については、まだ恒久体制へ移行できる段階ではなかった。
工事も、人員も、それぞれ必要な確認を終えたところから進める。
◇
星環暦1284年・宵闇月≪第11月≫12日・闇曜――
アスタリア大商会本部・技術研究部会議室。
宵闇月7日から12日までの6日間について、全10工区の施工実績が集計された。
第1工区へ土系魔法士3名を投入した効果を見るためにも、他工区と同じ形式で数字を並べる必要がある。
宵闇月7日~12日の施工実績
工区・宵闇月6日終了時点・累積施工距離宵闇月7日~12日の施工距離宵闇月12日終了時点・累積施工距離
第1工区(第1期・第1工区) 2.1 Mi +0.9 Mi 3.0 Mi
第2工区(第1期・第2工区) 1.9 Mi +0.7 Mi 2.6 Mi
第3工区(第1期・第3工区) 1.8 Mi +0.7 Mi 2.5 Mi
第4工区(第1期・第4工区) 1.6 Mi +0.6 Mi 2.2 Mi
第5工区(第1期・第5工区) 1.8 Mi +0.7 Mi 2.5 Mi
第6工区(第1期・第6工区) 1.5 Mi +0.6 Mi 2.1 Mi
第7工区(第1期・第7工区) 1.6 Mi +0.6 Mi 2.2 Mi
第8工区(第1期・第8工区) 1.3 Mi +0.5 Mi 1.8 Mi
第9工区(第1期・第9工区) 1.7 Mi +0.7 Mi 2.4 Mi
第10工区(第1期・第10工区)1.4 Mi +0.5 Mi 1.9 Mi
合計 16.7 Mi +6.5 Mi 23.2 Mi
第1工区は、2.1 Miから3.0 Miへ進んだ。
6日間で、+0.9 Mi。
同期間の第2工区から第10工区は、+0.5 Miから+0.7 Miの範囲だった。
数字だけを見れば、第1工区に明確な速度向上が現れている。
技術担当者が中間評価を読み上げる。
「施工速度については、効果ありと判断できます」
次の項目。
「地盤安定性は、現時点では異常なし。ただし観察期間不足」
排水。
現時点で問題なし。
《魔導熱伝導路》の性能。
現時点で異常なし。
費用。
土系魔法士3名の追加人件費は発生しているが、工期短縮によって日数連動費が減少する可能性があるため、最終評価にはまだ早い。
推定工期。
従来の91日から、約78日から82日程度まで短縮できる可能性がある。
最後に、総合判断。
「暫定的に有効、です」
会議室に小さな反応が広がった。
その結果だけを聞けば、次の判断は簡単に思える。
第2工区から第10工区にも土系魔法士を配置する。
だが、シェリィはすぐには頷かなかった。
「あと1期間、第1工区で見ます」
「速度差は出ています」
「はい。でも、見たいのは速度だけではありません」
数日後に沈下しないか。
再び強く凍結した後も地盤が安定しているか。
排水に変化はないか。
《魔導熱伝導路》へ余計な荷重がかかっていないか。
接続部にずれが出ないか。
そして、工期短縮によって第1工区全体の最終工事費が本当に下がるのか。
そこまで確認して、初めて工法として他工区へ広げられる。
第1工区の土系魔法士3名は、そのまま試験を継続する。
第2工区から第10工区への本格投入は、まだ認めない。
◇
同日夕刻――
シェリィの机には、第1工区の最新記録が置かれていた。
宵闇月6日終了時点。
2.1 Mi。
宵闇月12日終了時点。
3.0 Mi。
6日間で+0.9 Mi。
確かに速くなっている。
その下には、熱性能記録があり、さらに地盤検査記録が続いていた。
沈下・異常なし。
亀裂・異常なし。
排水・異常なし。
接続部・異常なし。
そして最後の欄。
継続観察。
シェリィは施工距離より、その4文字をしばらく見ていた。
魔法が工事を速くしたことは、数字が証明し始めている。
だが、速いことと、使える工法であることは同じではない。
「速くなったことは分かりました。でも、まだ成功とは呼びません」
試験継続。
その判断が、第1工区の記録へ加えられた。
土系魔法で工事が速くなったのではない。
土系魔法を、長距離インフラを造る工法として本当に使えるのか。
アスタリアは、ようやくそれを測り始めたところだった。
お読みいただきありがとうございます。
第1工区へ土系魔法士3名が実際に投入され、通常施工との比較が始まりました。
宵闇月7日から12日までの6日間で、第1工区は2.1 Miから3.0 Miへ進み、他工区より大きい+0.9 Miの進捗を記録しています。
一方で、施工速度だけでは正式採用せず、地盤安定性、排水、《魔導熱伝導路》の性能、安全性、そして第1工区全体の最終工事費まで確認する方針は変わっていません。
現時点の判定は「暫定的に有効」。
土系魔法が、本当に長距離インフラの標準工法として使えるのか、試験はもう少し続きます。
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