第62話:水は、街を巡って戻ってくる
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫9日・風曜――
アスタリア大商会本部。
朝の執務室で、シェリィは《アスタリア企業群》各社から届いた定例報告、王国銀行アスタリア支店の運営状況、《アスタリア熱供給都市実験実証区画》から送られてきた熱供給第1系統の運転記録を順番に確認していた。
前日に再起動した熱供給第1系統では重大な異常は報告されておらず、接続部、熱交換設備、魔導熱量計についても継続監視が続けられている。
問題が起きていないという報告に安堵はしたが、シェリィはそこで資料を閉じることはしなかった。
長期連続運転を始めてまだ間もなく、季節変化も、多数の建物へ熱を送った場合の変化も確認できていないからだ。
そこへ、複数の地図と記録簿を抱えたエルマー・ザイデルが入室した。
「失礼いたします、シェリィ様」
「おはようございます、エルマー。地下水の報告ですね」
「はい。《第1次地下水系統図》暫定版と、昨日まとめた都市水循環構想についてです」
机の上に広げられた地図には、山岳部から山麓、農業区域、既存市街地、実証区画へ向かって、何本もの線と矢印が記されていた。
地表の川を示しているわけではない。
地層の奥をゆっくり移動すると推定された地下水の流れだった。
エルマーは地図の一角を指した。
「地下水の大きな流れは見えてきました。しかし、地図上で水があることと、そこから長期間安定して水を取れることは別です」
シェリィはその言葉に頷いた。
熱も同じだった。
研究室で熱を運べたことと、街で使い続けられることは違った。
地下水も、存在を見つけただけでは都市の水源にはならない。
「では、水道の実証も最小単位から始めましょう」
シェリィは新しい紙を引き寄せた。
「試験取水井を1本、その周囲を確認する観測井を2本。そこから小規模浄水設備へ送り、試験用上水管を通して建物で使い、下水管から小規模下水処理設備へ戻し、処理水を貯留するところまでを一つにつなぎます」
エルマーが確認するように問い返す。
「涵養貯水池と農業用人工河川には、まだ接続しないということですね」
「はい。都市全域の上下水道にも広げません。まず、小さな系統を一つだけ動かしましょう」
一度に都市を完成させる必要はない。
むしろ、小さな系統だからこそ、間違いを見つけても止められる。
その日の最初の決定は、水道を造ることではなく、水道を安全に造るための実証設備を造ることだった。
◇
同日午前――
アスタリア大商会技術研究部・都市水循環設計会議室。
会議にはエルマーのほか、水質分析を担当するマリア・ベルク、地質・試料分析を担当するフェリクス・ベルナート、揚水・取水設備を担当するヘルマン・フォーク、ケストラー魔導機器商会、グローヴァー建設商会、安全監査室の担当者たちが集まっていた。
壁面には《第1次地下水系統図》暫定版が掲げられ、その横には第1試験取水井候補地の断面図が置かれている。
ヘルマン・フォークが図面を指した。
「井戸から水が出たからといって、そのまま都市へ送れるわけではありません」
彼は取水井候補の横へ、さらに2本の印を書き込んだ。
「地下水位、連続して汲み上げた時の低下量、揚水停止後の回復速度を見ます。水そのものについても、濁り、鉱物成分、配管への腐食性、飲用に適するかどうかまで確認が必要です」
「観測井は2本ですか」
シェリィが尋ねると、ヘルマンは頷いた。
「はい。地下水の流れを考え、取水井の上流側と下流側に1本ずつ置きたいと考えています。取水井だけを見ていては、周囲へどのような影響が出ているのか分かりません」
「その配置で進めてください」
シェリィは少し考えてから続けた。
「確認したいのは、取れる量ではありません。取り続けても大丈夫な量です」
会議室の視線が集まる。
「井戸からまだ水が出るからといって、それだけを基準に汲み続ければ、周囲の地下水位を下げるかもしれません。自然に補給される量と、使う量の釣り合いを見てください」
ヘルマンが記録担当へ頷いた。
「最大取水能力とは別に、継続取水可能量を評価項目に入れます」
その言葉が、水道設計の一つ目の基準になった。
◇
同日午前――
同じ会議室では、続いて下水処理方式の検討が始まった。
マリアが複数の水質資料を机へ並べた。
「上水については飲用可能な水質を目標にできますが、使用後の水をすべて同じ水準まで戻す必要があるかは別問題です」
「農業へ使う水と、地下へ戻す水ですね」
「はい。必要な水質基準を用途ごとに分ける方が現実的です」
住宅や店舗から出る生活排水には、砂や泥だけではなく、食べ物の残り、油分、洗浄に使われたもの、その他さまざまな有機物が含まれる可能性がある。
沈殿させる。
汚泥を分離する。
ろ過する。
浄化用魔石を使う。
必要に応じて殺菌し、最後に水質を確認する。
それだけでも一定の処理はできる。
しかし、有機物を継続して分解する仕組みについて議論が進んだところで、マリアが少し考え込むように指先を組んだ。
「一つ、外部の知見を借りるべき分野があります」
シェリィが視線を向ける。
「どこでしょうか」
「王都セレスティアにある王立セレスティア高等学術院です」
王立セレスティア高等学術院は、魔導研究だけを行う施設ではなく、医学、薬学、農学、地質、生物、衛生、工学など幅広い分野を研究する王国最高水準の学術機関だった。
マリアは続けた。
「その中に、微小生物環境研究室という研究室があります。発酵や腐敗、水質変化、有機物分解と、目には見えないほど小さな生物との関係を研究しているそうです」
「微小生物……」
「はい。まだ全てが体系化されている分野ではないと聞いていますが、魔導光学機器を使って観察も行っています」
マリアは手元の資料へ目を落とした。
「研究室長はクラウディア・ローゼンベルク、47歳の研究者です。私たちだけで処理方式を決めるより、専門家の知見をお借りした方がよいと思います」
シェリィは迷わなかった。
アスタリア大商会も、《アスタリア企業群》も万能ではない。
建設会社が微小生物研究まで自前で抱える必要はないし、魔導機器会社が医学や衛生研究まで行う必要もない。
分からないことを、分かる人に尋ねる。
それは弱さではなく、正確な判断をするために必要なことだった。
「正式に協力をお願いしましょう」
「共同研究としてでしょうか」
「はい。こちらの実証設備と水質記録を提供し、必要な条件があれば整えます。研究成果を一方的にいただくのではなく、こちらも研究に必要な情報を返せる形にしてください」
マリアが頷いた。
「承知しました」
こうして、王立セレスティア高等学術院・微小生物環境研究室へ共同研究協力を依頼する正式文書の作成が決まった。
下水処理そのものは、回答を待って止めるわけではない。
既存技術でできる範囲の実証を先に進め、微小生物を利用する処理については、専門的な助言を得てから試験する。
それが、この日の2つ目の原則になった。
◇
同日午後――
第1試験取水井・施工予定地。
《第1次地下水系統図》暫定版と、これまでの試掘・揚水試験の記録を基に選ばれた土地で、3か所の施工が始まった。
中央が第1試験取水井。
地下水流の上流側に第1観測井。
下流側に第2観測井。
《アスタリア地下水合同調査隊》が記録してきた地層・水深・流向の情報を基に、グローヴァー建設商会の施工担当者たちが位置を確定していく。
井戸を掘るだけなら、もっと早くできる。
しかし今回は、井戸そのものより周囲が重要だった。
どれだけ汲めるか。
汲んだ時、周囲がどう変わるか。
止めた時、どのように戻るか。
その全てを測るための3本だった。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫10日・水曜――
第1試験取水井・揚水試験区画。
翌朝、第1試験取水井から段階的な揚水試験が始まった。
最初は低い取水量から開始し、第1試験取水井、第1観測井、第2観測井の水位を同時に記録する。
低量では、取水井の水位が僅かに下がった後、ほぼ安定した。
上流側と下流側の観測井にも変化は出たが、その幅は小さい。
次に中量へ増やす。
水位低下は大きくなったものの、一定時間後には安定し、揚水を止めると3本とも少しずつ回復した。
問題が現れたのは、高量へ移した後だった。
「取水井、水量は維持しています」
現場担当者から報告が上がる。
井戸そのものからは、まだ十分な水が出ている。
ところが観測記録を見ていた担当者が声を上げた。
「第2観測井の低下幅が大きくなっています」
下流側に置いた観測井で、想定を超える水位低下が始まっていた。
第1観測井にも変化はあるが、第2観測井ほどではない。
ヘルマン・フォークが測定値を確認し、揚水量を維持したまま経過を見る。
数値はさらに下がった。
「取水井には余力がありますが、周囲への影響が大きすぎます」
その報告を聞いたシェリィは、第1試験取水井を見た。
水は出ている。
目の前だけを見れば、まだ汲める。
しかし地下では、その取水に引かれるように周囲の水が動いている。
「止めてください」
揚水が停止された。
それから第1観測井と第2観測井の回復が記録された。
第2観測井の水位はゆっくり戻ったが、中量試験より明らかに時間がかかった。
「まだ水が出ることと、その量を取り続けてよいことは別ですね」
シェリィの言葉に、エルマーが静かに頷いた。
地下水は、見えない。
見えないからこそ、出てくる水だけを見て判断してはいけなかった。
◇
同日午後――
揚水試験区画・仮設記録室。
試験結果を前に、技術者の一人が説明した。
「第1試験取水井だけを見るなら、さらに取水量を上げる余地があります」
シェリィは記録表から視線を上げた。
「それでも上げません」
「はい」
「最大で汲み上げられる量ではなく、周囲の地下水位が無理なく回復できる範囲を基準にしましょう」
エルマーが別の記録用紙を用意した。
「最大取水能力と、安全取水量を別々に管理します」
「お願いします。ただし安全取水量も、今日だけで決めないでください」
「長時間試験が必要ですね」
「はい。季節でも変わるかもしれません」
雪解け期と冬では地下への補給量が違う可能性がある。
1日安定した量が、1年中安全とは限らない。
このため、第1試験取水井の正式な安全取水量は、この日の段階では数値を固定しないことになった。
水道を造るために、まず「取れるだけ取らない」という考え方が決まった。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫11日・土曜――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》・小規模浄水試験設備。
安全取水量を探る試験と並行して、低い取水量で汲み上げた地下水が小規模浄水設備へ送られた。
最初に砂や沈殿しやすい粒子を落とし、大きな異物を除き、ろ過設備を通す。
その後に待っているのが、浄化用魔石だった。
王都などで既に使用されている標準的な浄化用魔石の横に、もう一つ、新しく加工された試作品が置かれている。
アスタリア産の魔石を、浄化用途に合わせて加工したものだった。
まだ誰も、それを特別な国家資源として扱ってはいない。
単純に、アスタリアで採れる魔石の中から品質の良いものを選び、既存方式を参考に加工しただけである。
マリアが比較試験の条件を読み上げた。
「同量、同じ採水地点、同じ初期水質で比較します。濁り、臭い、鉱物残留、処理速度、処理に必要な魔力量、処理後の安定性、それから魔石自体の劣化を確認します」
シェリィは2つの設備を交互に見た。
「性能が良い結果だけを見ないようにしてください」
「はい。維持費と交換頻度も含めて確認します」
試験が始まった。
どちらも地下水を浄化する。
標準品にも十分な効果がある。
しかし時間が経つにつれ、アスタリア産魔石を使った試作品の方が、処理後の水質変動が小さく、処理速度も安定している傾向が現れた。
マリアが何度か測定を繰り返した。
「偶然ではなさそうです」
フェリクスも魔石の状態を確認する。
「加工後の内部安定性も良いですね。ただし長期間使った場合は分かりません」
「大量の水を処理した場合も未確認です」
エルマーが付け加える。
シェリィは、試作品の前で腕を組んだ。
「性能が高いからといって、すべてに最も良い魔石を使う必要はありません」
周囲が彼女を見る。
「必要以上の性能に高価な材料を使えば、それは利用者の料金へ返ってきます。どの品質の魔石を、どの処理に使うのが適切なのかを比較しましょう」
加工費。
長期耐久性。
大量処理時の性能。
汚染物質の違い。
量産できるかどうか。
まだ分からないことの方が多い。
その日の結果は、アスタリア産魔石が浄化用途で有望だというところまでに留められた。
◇
同日午後――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》・都市基盤計量仮設管理室。
小規模浄水設備の実証と並行して、魔導水量計の第1実証が始まった。
第1試験取水井から浄水設備へ入る水量。
浄水後に試験用建物へ送られる水量。
試験用建物から下水側へ流れる水量。
それぞれ別の計量器で測定され、計測値は魔導通信を通じて仮設管理室へ送られる。
まだ《アスタリア都市基盤計量管理所》の正式な建物は存在しない。
しかし、将来の仕組みを試すには仮設室で十分だった。
エルマーが受信値を読み上げ、別の担当者が現地で直接確認した値と照合する。
「第1水量計、差は許容範囲内です」
「第2水量計も一致しています」
「第3は僅かに差があります」
「校正後に再確認してください」
人が現地まで歩いて確認する。
仮設管理室へ届いた数値と比べる。
一致しなければ原因を調べる。
熱で始めた仕組みが、水でも動き始めていた。
測る。
送る。
集める。
記録する。
対象が熱量でも水量でも、その骨格は同じだった。
「これなら、将来の魔力動力にも応用できそうですね」
エルマーの言葉にシェリィは頷いた。
「ただ、人による確認はまだ残してください」
便利だからといって、確認を急に捨てる必要はない。
数字が正しく届くことを十分確認してから、初めて人の作業を減らせばいい。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫12日・闇曜――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》・試験用建物。
水質分析の最終確認が終わり、浄水された水が飲用可能水準を満たしていることが報告された。
試験用上水管の弁が開かれる。
地下を通った水が建物へ入り、末端設備まで到達する。
担当者が操作すると、透明な水が流れ出した。
シェリィはその前に立ち、両手を差し出した。
冷たい水が掌へ落ちる。
少しだけ指を擦り合わせ、色を見て、臭いを確かめた。
「ちゃんと、水ですね」
言ってから、自分でも当たり前すぎる言葉だと思ったのか、僅かに笑った。
けれど、その水は何もないところから現れたわけではない。
山へ降った雪が融け、地中へ染み込み、砂礫層や岩盤の亀裂を通り、帯水層へ入り、ゆっくりとこの土地まで移動してきた。
そこから井戸で汲み上げられ、浄水され、管を通り、今、彼女の手の中にある。
自然の流れと、人が造った設備が初めて一つにつながった。
その感慨を味わう時間は長くなかった。
使用試験が始まると、新しい数字が出たからだ。
◇
同日午前――
試験用建物・設備管理室。
手洗い、清掃、簡単な設備使用を繰り返し、給水量と排水量を比較した。
ところが、計量記録が合わない。
「給水側より、下水側が少ないです」
担当者の報告に、室内の空気が少し張りつめた。
最初に疑われたのは漏水だった。
上水管。
接続部。
壁内の配管。
下水管。
床下。
一つずつ確認していく。
しかし、大きな漏れは見つからない。
さらに使用状況を確認すると、理由が見え始めた。
清掃に使った布には水が残っている。
床や設備表面にも付着している。
桶や試験器具の中にも残留している。
手洗いに使った水も、すべてが同じ瞬間に下水へ流れるわけではない。
「なるほど……」
シェリィは給水量と排水量の数字を見比べた。
「建物へ入った水が、そのまま全部下水へ出てくるわけではないのですね」
エルマーが頷いた。
「都市全体で管理するなら、単純な給水量と排水量だけでは水の行方を説明できません」
人が使えば、途中に残る。
別の用途へ移る。
時間を置いて排水されることもある。
都市の水循環には、その差まで存在する。
「用途ごとの使用量と、途中でどこへ移ったのかも記録できるようにしましょう」
水を送ることに成功した直後、次の課題は水がどこへ行ったかを把握することへ変わった。
◇
同日午後――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》・小規模下水処理設備。
試験用建物から集められた生活排水が、初めて処理設備へ送られた。
最初に固形物と沈殿物を分離する。
次にろ過する。
その後、既存型の浄化用魔石を通して追加処理し、最後に殺菌と水質確認を行う。
王立セレスティア高等学術院へ協力依頼を出した微小生物利用については、まだこの設備では実施しない。
専門家の助言を得る前に、推測だけで条件を決めるべきではないからだ。
その代わり、将来微小生物を利用した処理試験を追加できるよう、設備の一部に試験区画を増設できる余地が残された。
処理を終えた水を見ながら、マリアが報告した。
「飲料水として扱う基準にはしていませんが、農業利用や涵養試験へ進めるための目標水質には入っています」
シェリィは確認した。
「飲めない水という意味ではなく、最初から飲料水として評価していない、ということですね」
「はい。用途が違いますので」
シェリィは頷いた。
「飲むための水と、農業に使う水、地下へ戻す水では、必要な処理が同じとは限りません」
必要以上の処理をすれば、設備も魔石も魔力も費用も増える。
一方で、必要な処理を減らせば安全性を失う。
どこまで処理するべきかは、使用目的ごとに決めなければならない。
都市の水には、一つだけの基準では足りなかった。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫13日・光曜――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》・浸透試験区画。
前日に処理された水の一部が、小さな浸透試験区画へ運ばれた。
処理水が基準を満たしたからといって、そのまま大量に地下へ流すことはしない。
区画を分け、少量ずつ水を浸透させる。
浸透にかかった時間。
地表面の変化。
地下水位への影響。
浸透前の処理水と、周辺観測地点で採取した地下水の水質。
それらが記録された。
「思っていたより、浸透が遅い区画があります」
担当者の報告を受け、フェリクスが土壌を確認する。
「表面だけでは分かりませんが、下に水を通しにくい層がある可能性があります」
シェリィは頷いた。
「では、そこへ大量に流すのはやめましょう」
涵養に向いている土地かどうかも、試してみなければ分からない。
「地下へ戻せることと、大量に戻してよいことも別ですね」
昨日までは取水について同じことを考えていた。
今度は戻す側で、同じ問題が現れた。
水を循環させるとは、ただ入口と出口をつなぐことではなかった。
取る量も、使う量も、処理する水質も、戻す場所も、それぞれ自然の許容量を確認しなければならない。
◇
同日午後――
アスタリア大商会技術研究部・地下水調査中央集約室。
《アスタリア地下水合同調査隊》は、第1次重点調査を終えても解散していなかった。
現地8班は、重点区域の周囲や区域同士の境界へ調査範囲を広げている。
この日、第7班・実証区画周辺調査班と第8班・既存市街地周辺調査班から、新しい記録が届いた。
第7班では、班長クラウス・ホフマンの指揮の下、土属性魔導士主任ブルーノ・クラムが地下構造を調べ、水属性魔導士主任マルクス・タウバーが自然地下水と人工設備内の水を区別しながら流れを追っていた。
第8班では、班長ブルーノ・シュタインが既設配管と建物基礎への影響を確認し、土属性魔導士主任シュテファン・マウラーと水属性魔導士主任ゲオルク・ブレーマーが、既存市街地の井戸と地下水の関係を調べていた。
エルマーが2班の記録を重ねる。
「まだ仮説ですが、実証区画周辺で主に確認している浅い帯水層と、既存市街地の一部の深井戸が利用している帯水層は、完全には同じ系統ではない可能性があります」
シェリィが地図へ近づいた。
一つに見えていた地下水が、深さによって違う経路を通っているかもしれない。
もしそうなら、一方の取水がもう一方へどの程度影響するのかも改めて調べなければならない。
「断定はできますか」
「いいえ。追加試掘と水質比較、それから流向調査が必要です」
「では、続けてください」
《第1次地下水系統図》暫定版は完成している。
しかし、それは調査の終了を意味していなかった。
一枚の地図ができたからこそ、その地図では説明できない場所が見えるようになった。
64名の調査隊は、次の未調査区域と追加確認地点へ向けて、すでに新しい調査計画を組み始めていた。
◇
同日夕刻――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》・都市水循環実証設備。
夕方までに、その数日間で造られた設備が一つの流れとして整理された。
第1試験取水井から汲み上げる。
小規模浄水設備で処理する。
試験用上水管で建物へ送る。
建物で使用する。
試験用下水管で集める。
小規模下水処理設備で処理する。
処理水を貯留する。
そして、ごく少量を浸透試験に使う。
技術担当者たちは、この小さな一連の設備を《アスタリア都市水循環実証系統》と呼ぶことにした。
名前は大きい。
しかし実態は、まだ1本の試験取水井と2本の観測井、1棟の試験用建物を中心とする小規模な実証設備にすぎない。
住宅群へはつながっていない。
病院にも、店舗にも、公共浴場にも水を送っていない。
涵養貯水池も、農業用人工河川も未接続である。
都市の上下水道と呼ぶには、あまりにも小さい。
それでも、最初の流れはつながった。
シェリィの前には、4本の透明な採水瓶が並べられていた。
地下から汲み上げた水。
浄水設備を通過した上水。
試験用建物で使われた後の排水。
下水処理を終えた処理水。
色も、臭いも、含まれているものも、それぞれ違う。
けれど、元をたどれば同じ水だった。
山へ降った雪が融け、地下へ入り、人の暮らす場所まで届いた。
人に使われれば汚れる。
だからといって、そこで必ず終わるわけではない。
用途に応じて処理し、もう一度農業に使うことも、条件を確かめて地下へ戻すこともできる。
シェリィは、少し前に使用済みの魔石から新しい材料を作った時のことを思い出した。
魔石も、一度使えば終わりではなかった。
水も同じなのかもしれない。
ただし、水は魔石以上に、人の暮らしと自然の両方を巡っている。
「水も、使った後のことまで考えて、初めて街の水になるのですね」
エルマーは4本の瓶を見て、静かに頷いた。
完成した都市は、まだどこにもない。
安全取水量すら正式には決まっていない。
浄化用魔石も長期試験が必要であり、微小生物を利用した処理は専門家との共同研究が始まってすらいない。
深い地下水と浅い地下水の関係にも、新しい疑問が生まれた。
それでも、街へ届けられた水は、使われて終わるのではなく、再び次の場所へ向かうための流れを持ち始めていた。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、地下水を見つける段階から一歩進み、どれだけ取れるかではなく、どれだけなら取り続けられるのかを確かめながら、小さな水循環の実証系統が動き始めました。
浄水、給水、計量、下水処理、浸透までをつなげたことで、水道は単に水を届ける設備ではなく、使った後まで含めて考える都市基盤になっています。
また、微小生物を利用した処理については、アスタリアだけで完結させず、王立セレスティア高等学術院へ協力を求めることになりました。
《アスタリア地下水合同調査隊》の調査も続いており、地下にはまだ分かっていない流れが残っています。
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