第63話:街を広げる前に、熱でアスタリアを暖める
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫14日・火曜――
アスタリア大商会本部。
通常業務を終えたシェリィの机には、《アスタリア都市水循環実証系統》で行われた一連の試験結果がまとめられていた。
第1試験取水井から地下水を汲み上げ、小規模浄水設備で処理し、試験用上水管を通して建物へ送り、使用後の水を下水として回収し、小規模下水処理設備を経て処理水として貯留するところまで、1棟規模であれば一つの循環として成立することは確認できている。
報告を行っていたエルマー・ザイデル(45歳・アスタリア大商会技術研究部長)は、実証結果そのものを否定することなく、その先へ進む場合の問題点を示した。
「1棟では安定して動きましたが、この方式をそのまま都市全体へ拡大するとなれば、敷設する上水管の量だけでも大きく変わります」
シェリィは机上の配管図へ視線を落とした。
エルマー(技術研究部長)は、都市規模になれば冬季の凍結対策・管路保守・漏水監視・水圧管理・故障区間の切り離しまで考えなければならず、特に冬が長く厳しいアスタリアでは、単純な規模拡大が最善とは限らないと説明した。
実証区画内の短い配管なら、重点的に保温し、異常があればすぐに人を向かわせることができる。
しかし、住宅地や工房、店舗、病院、公共施設まで長い上水管を張り巡らせれば、それだけ維持しなければならない設備も増える。
シェリィはしばらく図面を見たあと、指先で水源から建物まで続く線をなぞった。
「水を遠くから運ぶことだけが、方法なのでしょうか」
エルマー(技術研究部長)が顔を上げた。
「別の方法をお考えですか」
「水属性魔石がありますよね」
この世界には火・水・風・土・光・闇の6つの基礎属性があり、水属性魔石を利用した給水設備そのものは未知の存在ではない。
ならば都市全体へ水を運ぶ中央給水方式だけでなく、住宅・集合住宅・店舗・病院・公共施設ごとに必要量の水を確保する分散方式も、比較する価値がある。
シェリィは中央給水方式を否定したわけではなかった。
大量の水を安定して供給するなら中央給水に利点がある一方、配管距離や凍結対策を減らせるなら、建物単位の水属性魔石利用にも利点があるかもしれない。
「中央給水方式を、今すぐ都市全体の標準にする必要はありません。必要な魔石量、維持費、魔力消費、故障時の影響、水質を比較したうえで、どちらを使うか決めましょう」
「地域や建物用途によって併用する可能性もありますね」
「はい。最初から一つに決める必要もないと思います」
上水の研究は、中央給水方式と水属性魔石による建物単位の分散給水方式を比較する方向へ進むことになった。
ただし、どちらの方式を採っても、使用後の水が消えるわけではない。
下水処理の研究は継続する。
さらに、水属性魔石によって新たな水を作り続ける場合、その水を使用後に処理して無条件に地下へ戻し続ければ、今度は人為的に地下水位を上げすぎる可能性がある。
「地下水は、減らさないことだけを考えればいいわけではないのですね」
シェリィの言葉に、エルマー(技術研究部長)が頷いた。
「地下水位、流れる方向、季節による増減を長期間見なければ判断できません」
そこで《アスタリア地下水合同調査隊》には、取水源を探すだけではなく、地下水位・流向・季節変化を継続的に観測する役割を改めて明確にすることになった。
水の研究は止めない。
だが、1つの実証に成功しただけで、その方式を街全体へ広げることもしない。
それが、水循環実証を終えた時点での結論だった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会本部・技術研究部執務室。
王都セレスティアへ送る新たな書簡には、王立セレスティア高等学術院・微小生物環境研究室へ何を研究してほしいのかが具体的に記されていた。
生活排水に含まれる有機物の処理、水質改善、処理水を農業利用や地下水涵養へ回す場合の安全性、そして病院から発生する医療系特殊排水を安全に扱うための方法について、アスタリア側が現在抱えている課題を整理して伝える。
病院の医療系特殊排水については、安全な恒久処理方式が確立するまで、専用排水管から隔離容器へ送り、一般下水とは完全に分離する従来方針を維持する。
シェリィは書簡を最後まで読み、机へ置いた。
「私たちが何に使いたいのかを伝えなければ、向こうも何を調べればよいのか判断しにくいですものね」
書簡は正式な共同研究資料として王都へ送られた。
水質や微小生物に関する研究は、アスタリアだけで結論を急がず、専門家と協力しながら進める。
その間にも、技術研究部が止まるわけではない。
別の課題が、すでに目の前へ近づいていた。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫15日・風曜――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》。
住宅、店舗、大型病院、公共浴場では、朝から工事の音が響いていた。
地下共同設備空間でも熱供給設備・魔導通信設備・保守通路の整備が続き、すでに着工している建物については予定どおり工事が進められている。
シェリィは現場を歩きながら、施工状況を一つずつ確認していた。
住宅区画から大型病院の工事区域へ移ろうとした時、資材の固定状態を確認していた作業員が空を見上げた。
「もうすぐ雪の降る季節になりますね」
何気ない一言だった。
だが、シェリィの足が止まった。
彼女も山側へ視線を向けた。
稜線の上には厚い雲が広がり、吹き抜ける風にも数日前までとは違う冷たさが混じっている。
学校を造ることはできる。
ホテルを造ることもできる。
住宅をさらに増やすこともできる。
資材と人員を投入すれば、街の形そのものは広げていける。
けれど、その建物の中で人が冬を越せなければ意味がない。
アスタリアの寒さは、建物の数では防げない。
シェリィは建設中の住宅へ目を戻した。
「建物を増やすより先に、熱をアスタリアへ広げるべきではありませんか」
同行していた技術担当者たちが彼女を見る。
新しい建物を造ることに夢中になり、冬が近づいているという最も単純な事実を後回しにしてはいけない。
すでに着工している住宅、店舗、大型病院、公共浴場は工事を続ける。
しかし、その先の大規模な新規区画拡張はいったん抑える。
今優先すべきなのは、既存の集落や住宅、工房、倉庫、公共施設へ熱を届けられる方法を見つけることだった。
「技術研究の最優先課題を変更します」
シェリィは現場に集まった担当者たちへ告げた。
「熱を、もっと遠くへ伝える方法を考えましょう」
◇
同日午後――
アスタリア大商会技術研究部・材料研究室。
机の上には、これまで使用済み魔石について行ってきた試験記録と、複数の精製試料が並べられていた。
フェリクス・ベルナート(36歳・ベルナート精製素材商会アスタリア支部技術責任者)は、使用済み魔石を粉砕・不純物除去・再成形した試料の記録を確認しながら、それぞれの性質を改めて整理していた。
使用済み魔石由来素材は、熱源として役目を終えた魔石をそのまま再利用したものではない。
精製して素材へ作り直すことで高い硬度・魔力耐性・熱に対する安定性を示し、さらにシェリィが魔力を通した試料では、熱を伝える性質にも明確な変化が確認されていた。
レオナルト・ケストラー(38歳・ケストラー魔導機器商会アスタリア支部技術責任者)は、過去の魔導計測記録を広げた。
「こちらをご覧ください」
シェリィが覗き込む。
レオナルト(魔導計測統括)は、シェリィが魔力を通す前と後で、素材内部の魔力反応が変化していることを示した。
「処理前は内部の反応がかなり乱れていますが、シェリィ様が魔力を通した試料では、反応が一定方向へ揃う傾向があります」
エルマー(技術研究部長)も記録を見比べた。
「魔力を押し込んでいるというより、内部の流れそのものが整えられているように見えます」
シェリィは試料を手に取った。
これまで熱を遠くへ届ける方法として考えていたのは、温めた水や別の熱媒体を管の中で移動させる方式だった。
だが、もし媒体そのものを遠くまで運ばなくても、熱だけを連続して受け渡すことができるなら。
彼女は試料の断面へ視線を落とした。
「この素材そのものを、熱の道にできませんか」
フェリクス(素材技術責任者)が顔を上げた。
「熱の道、ですか」
「温めた水を遠くへ送り続けるのではなく、この素材の内部を通して、熱そのものを先へ渡していくのです」
短い沈黙のあと、レオナルト(魔導計測統括)が測定記録へ目を戻した。
「内部の魔力流が方向性を持つなら、その方向へ熱を伝えやすくできる可能性はあります」
ただし、エルマー(技術研究部長)はすぐには成功と判断しなかった。
「固体だけでは、距離を伸ばした時の熱損失が大きくなる可能性があります」
フェリクス(素材技術責任者)が試料断面へ指を置いた。
「中を空洞にして、別の媒体を満たす方法ならどうでしょう」
そこから議論が始まった。
外側の素材が魔力の流れる方向を作り、その内部を満たす媒体が熱を受け取り、隣接する部分へ効率よく渡していく。
ただし媒体そのものを長距離移動させるのではない。
内部に留めたまま、伝導路本体の魔力流へ同調させる。
まだ図面の上にしか存在しないその構造へ、技術者たちは仮の名称を付けた。
《魔導熱伝導路》。
冬を前に、熱を距離から解放するための研究が始まった。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫16日・水曜――
アスタリア大商会技術研究部・魔導素材実験室。
《魔導熱伝導路》の外側主要部には、使用済み魔石を精製し、シェリィが魔力を通して内部の流れを整えた素材を使うことになった。
問題は、その内部を何で満たすかだった。
通常の水を用いた試験では一定の熱伝導は確認できたものの、長距離化を期待できるほどの差は得られない。
そこで、レオナルト(魔導計測統括)が液体そのものへ魔力を保持させる案を出した。
「伝導路本体だけではなく、内部の液体にも一定量の魔力を保持させれば、本体の魔力流へ同調しやすくなる可能性があります」
「最高級魔石を使いますか」
問われたシェリィは首を横に振った。
「最初から高品質な魔石だけで成立する技術にはしたくありません。一般的な品質の魔石でも作れるかを試してください」
アスタリア産の中でも普通から中程度の品質の魔石が原料候補になった。
最初にシェリィが原料魔石へごく僅かな魔力を通し、内部の流れを整える。
その魔石を、あらかじめ魔力を含ませた水へ入れ、長時間加熱する。
しかし、単に熱湯へ魔石を入れればよいわけではなかった。
加熱開始から加熱中、火を止めた後の冷却、そして常温へ戻るまで、液体へ与える魔力を一度も途切れさせない必要があることが試験の途中で分かった。
「1人で最後まで続ける必要はありません」
エルマー(技術研究部長)が術者の疲労記録を確認しながら言った。
「交代は可能です。ただし、前の担当者が魔力を止める前に、次の担当者が同じ液体へ魔力を重ねてください」
前任者と後任者の魔力を一時的に重ね、その状態を確認してから前任者が離れる。
そうすることで、加熱から冷却まで魔力が途切れない。
シェリィ自身が全工程を担当する必要もない。
彼女が原料魔石へ最初の処理を行った後は、通常の魔力を扱える者たちが交代しながら工程を維持できた。
一方、原料として使用した魔石は、工程終了後には内部状態が大きく変化しており、次の製造へ再利用できる状態ではなかった。
「原料魔石は1回で使い切りですね」
フェリクス(素材技術責任者)の報告を受け、シェリィは頷いた。
「それも費用計算に入れてください」
技術として成立しても、製造費が現実的でなければ都市設備には使えない。
性能だけで判断しないことは、ここでも変わらなかった。
◇
同日夜――
アスタリア大商会技術研究部・魔導素材実験室。
加熱を止めてから長い時間をかけて温度が下がり、液体が常温へ戻ったことを確認して、初めて魔力供給が停止された。
透明な容器の中に残った液体を前に、レオナルト(魔導計測統括)が複数の測定を行う。
通常の水とは異なる魔力反応が、液体全体に比較的均一に残っていた。
ただし、製造した全ての試料が同じ品質になったわけではない。
原料魔石の品質、加熱中の魔力の安定性、担当者交代時のわずかな差によって、完成した液体の魔力濃度と安定性には違いが生じた。
「作れたものを全部使うわけにはいきませんね」
シェリィが言うと、エルマー(技術研究部長)が頷いた。
「一定以上の安定性を持つものだけを正式な伝導試験へ回します」
長距離利用には不足していても、安全性そのものに問題がない試料については、将来、交換が容易な短距離設備で使える可能性を残す。
まだ試験段階であるため、合格基準を固定した数値にすることも見送られた。
何度も作り、何が品質差を生むのかを確認してから基準を作る。
完成した液体には、《魔導流体》という正式名称が付けられた。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫17日・土曜――
アスタリア大商会技術研究部・熱伝導試験室。
試作された《魔導熱伝導路》の内部へ、《魔導流体》が注入された。
魔導流体そのものには、初めから特定方向へ揃った魔力配列は存在しない。
ところが、魔導流体を満たした状態で測定を始めると、内部の反応が徐々に変化した。
「流体側の反応が揃ってきています」
レオナルト(魔導計測統括)が測定器を確認する。
シェリィは伝導路の端へ視線を向けた。
「流体が、自分で方向を決めているのですか」
「いいえ」
レオナルト(魔導計測統括)はすぐに否定した。
「方向を持っているのは伝導路本体です。内部の魔導流体が、その流れへ同調しています」
流体が熱の進行方向を決めるわけではない。
シェリィが魔力を通した使用済み魔石由来素材に残る流れが方向を作り、魔導流体はその方向性へ自然に合わせる。
さらに重要なのは、魔導流体が管の端から端まで流れていないことだった。
装置内部に留まったまま、それぞれの部分が隣接する部分へ熱を受け渡している。
「つまり、液体を運んでいるのではなく、熱を渡しているのですね」
「その理解が最も近いと思います」
最初の熱伝導試験が始まった。
短い試験装置の一端へ一定量の熱を加え、反対側で温度変化を測定する。
比較対象として、通常素材だけの構造、通常素材と水を組み合わせた構造、使用済み魔石由来素材だけの構造も用意された。
最も明確な変化を示したのは、《魔導熱伝導路》と《魔導流体》を組み合わせた試料だった。
反対側の温度上昇が他の試料より早く、伝達中の熱低下も小さい。
フェリクス(素材技術責任者)が記録を何度も見直す。
「少なくとも短距離では、明確な差があります」
シェリィの胸に喜びが広がったが、それをそのまま完成という言葉には変えなかった。
「距離を伸ばした場合は分かりませんね」
「はい。接続部、長時間運転、魔導流体の劣化も未確認です」
「では、次は研究室の外で試しましょう」
短い装置で成功した。
だからこそ、次の問題を見つける段階へ進む。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫18日・闇曜――
《アスタリア熱供給都市実験実証区画》。
既存熱源設備と、そこから離れた試験用建物との間に、短距離の《魔導熱伝導路》が敷設された。
研究室の机上試験ではない。
実際の屋外環境と地下設備を通し、建物へ熱を渡せるかを確認する最初の実設備試験だった。
安全監査による接続部・固定状態・遮断手順・温度監視・保守動線の確認を終えてから、熱源側へ低い出力で熱が加えられた。
魔導流体そのものが建物へ向かって移動することはない。
伝導路の中に留まりながら、本体に作られた魔力の流れへ同調し、熱を次の部分へ、その次の部分へと受け渡していく。
測定地点から順番に温度上昇の報告が入った。
「第1測定点、上昇」
「中間地点、反応を確認」
「受熱設備側、温度上昇しています」
最後に、送り先の受熱設備へ熱が到達した。
そこから既存の建物内暖房設備へ熱を渡す。
すぐに暖まるわけではない。
だが時間の経過とともに、冷えていた室内温度が少しずつ上昇し始めた。
シェリィは試験用建物へ入り、室内の空気を確かめた。
熱源設備は、この建物のそばにはない。
それでも暖かさが届いている。
「熱源を、建物ごとに置かなくてもいいのですね」
その言葉に、エルマー(技術研究部長)が小さく頷いた。
最初の短距離実証は成功した。
しかし、その日の記録には成功だけではなく、次の課題も並んだ。
距離を伸ばせば、どこまで熱が低下するのか。
複数方向へ分岐させた場合、熱をどう配分するのか。
魔導流体の性能は、何時間、何日、何か月維持されるのか。
途中区間だけに異常が起きた場合、全系統を停止せず交換できるのか。
シェリィは接続部の図面を見ながら言った。
「区間ごとに止められなければ、長くした時に保守できませんね」
技術者たちも同意した。
接続部分で熱の伝わる量を調整できるようにする。
完全に閉じれば、その先の区間を切り離せるようにする。
通常は魔導通信を利用して遠隔操作できるようにしつつ、通信に異常が起きても現地で手動操作できる構造を残す。
まだ具体的な装置は完成していない。
ただ、長距離化するなら熱を通すだけでは足りず、途中で制御する場所が必要になることだけは明確になった。
◇
星環暦1284年・豊土月≪第9月≫19日・光曜――
アスタリア大商会本部・技術会議室。
王都セレスティアから、王立セレスティア高等学術院への追加書簡に対する返書が届いた。
生活排水・水質改善・処理水再利用・病院特殊排水について研究対象として整理し、微小生物環境研究室を中心に必要な専門分野の研究者とも連携しながら調査を進めるという内容だった。
シェリィは返書を確認すると、担当者へ研究資料として保管するよう指示した。
水・下水・地下水・微小生物の研究は、そのまま続ける。
しかし、この日の技術会議で最も長く議論されたのは《魔導熱伝導路》だった。
エルマー(技術研究部長)が、短距離実証までの結果を正式に報告する。
《魔導流体》と組み合わせた場合、研究室内と実設備の双方で通常方式より高い熱伝導性能が確認された。
一方で、距離による損失、分岐時の配分、流体劣化、接続部、途中区間の交換方法、熱量調整、遮断方式は未解決のままである。
成功したからといって、今すぐアスタリア全域へ敷設できる状態ではない。
シェリィは全員の報告を聞き終えてから、今後の優先順位を示した。
「実証区画ですでに着工している建物は、そのまま進めてください」
住宅も、店舗も、大型病院も、公共浴場も止めない。
「水や下水、地下水調査、王立セレスティア高等学術院との共同研究も続けます」
一つの技術へ全ての人員を集め、他の研究を止めるつもりもない。
「ただし、技術研究の最優先は《魔導熱伝導路》にします」
まず、アスタリアの中で熱を届ける。
実証区画だけではない。
既存集落。
住宅。
工房。
倉庫。
公共施設。
冬が本格化する前に、そこまで熱を伸ばすことが可能なのかを確かめる。
その先について、シェリィはまだ命令を出さなかった。
けれど、頭の中には一つの道筋が浮かび始めていた。
アスタリアで使えるものにする。
次にヴァルモント公爵領へ。
さらに王都セレスティアへ。
そして、もし雪と寒さに苦しむ別の土地でも必要とされるなら、いつかグラン・アルスター大公国へ。
今はまだ、そこへ熱を送る段階ではない。
最初の短距離実証が成功したばかりなのだ。
それでも、届くかもしれない場所は以前より遠くなっていた。
会議を終えたシェリィは窓辺へ歩いた。
実証区画では、今日も建設作業が続いている。
住宅の骨組み。
大型病院。
公共浴場。
その向こうには、厚い雲に覆われた山々が見える。
雪の気配は、もう近かった。
そして地上では、熱源施設から離れた建物へ向かって、試作された《魔導熱伝導路》が伸びている。
街を広げることはできる。
建物を増やすこともできる。
けれど、その前に、この寒い土地で暮らす人々へ熱を届けなければならない。
シェリィは窓の外を見つめたまま、静かに言った。
「まず、アスタリアを暖めましょう」
お読みいただきありがとうございます。
水循環の実証が一段落したアスタリアでは、冬の到来を前に、都市を広げることよりも熱を遠くへ届ける技術が優先されることになりました。
使用済み魔石の再利用研究から生まれた素材と、新たに試作された《魔導流体》を組み合わせることで、《魔導熱伝導路》は短距離ながら実際の建物へ熱を届けるところまで進んでいます。
一方で、距離による熱損失、分岐、流体の劣化、区間ごとの遮断や保守など、長距離化するための課題はまだ多く残されています。
水・地下水・下水処理の研究も継続しながら、アスタリアでは冬を越すための新しい熱供給技術が本格的に動き始めました。
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