第55話:使い終えた魔石が持つ将来性
星環暦1284年・恵雨月≪第8月≫16日・水曜――
アスタリア大商会本部・会長執務室
午前の執務を始めたシェリィの机には、《アスタリア熱供給都市実験実証区画》の施工報告、企業群各社から届いた取引報告、物流計画、研究進捗などが順番に積まれていた。
魔石研究で興味深い結果が出ているからといって、アスタリア大商会全体の仕事が止まるわけではなく、シェリィも研究だけに付き合っていられる立場ではない。
地下共同設備空間では主要区画の施工が進み、熱供給管・戻り管・魔導通信設備・制御設備・安全遮断設備を配置するための空間が、図面だけではなく実際の構造物として形になり始めている。
魔導動力供給線と上下水道については将来の敷設区画を確保したまま、研究と設計の進展を待つ方針に変更はなかった。
シェリィが施工報告を閉じたところで、技術研究部から届けられた資料が目に入った。
使用済み魔石の精製試験。
その表題の下には、ベルナート精製素材商会との共同分析を開始したことが記されている。
先日の比較試験では、シェリィの魔力を通した後に熱変換へ使用した魔石へ再び魔力を流すと、通常の使用済み魔石とは異なる反応が確認され、魔力耐性と耐熱性が変化している可能性が示された。
だが、それだけでは製品にはならない。
魔石の形を保ったまま強いというだけなら、用途は限られる。
砕けるのか。
精製できるのか。
成形できるのか。
加工後にも性質が残るのか。
そして、長期間使えるのか。
そこまで確認しなければ、産業材料として扱うことはできない。
書類の最後には、短い一文が記されていた。
――精製加工後の試料に、予想外の反応を確認。
シェリィの指が止まった。
「予定を確認してください」
控えていた書記が手帳を開く。
「午後前半に空きがございます」
「では、その時間に研究施設へ向かいます」
研究のために一日を空けるのではない。
必要な判断をするために、必要な時間だけ使う。
それがシェリィの役割だった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会・技術研究施設・素材分析室
研究台には、細かな識別札を付けられた複数の試料が並んでいた。
元の形を保った使用済み魔石だけではなく、小さく砕いたもの、不純物を取り除いたもの、細かく加工したもの、再び成形したものまで用意されている。
エルマー・ザイデル(技術研究部長)が、ベルナート精製素材商会の技術者たちとともにシェリィを迎えた。
「お時間をいただきありがとうございます」
「興味深い結果が出たと伺いました」
「はい。ただし、まだ素材として完成したという段階ではありません」
その言葉を聞いて、シェリィは僅かに表情を緩めた。
結果を大きく見せようとしていない。
それだけで、この研究が正しい方向へ進んでいることが分かる。
「説明をお願いします」
研究台の中央へ、4種類の試料が置かれた。
未使用魔石。
通常条件で使用した魔石。
シェリィの魔力を通して熱変換へ使用した魔石。
そして、その使用済み魔石へ再びシェリィの魔力を通した後、ベルナート精製素材商会が精製・加工した試料。
「今回、最も注目しているのはこちらです」
エルマーが最後の試料を示した。
「使用済み魔石をそのまま再利用したものではありません」
ベルナート側の技術者が続ける。
「一度細かく砕き、異物や劣化した部分を可能な範囲で除去し、再度成形しています」
シェリィは加工された試料を見つめた。
見た目だけなら、元の魔石とはかなり違う。
「加工したことで、魔力耐性は落ちましたか?」
「それを予想していました」
技術者は測定記録を開く。
「ですが、シェリィ様の魔力を通した試料だけは、加工後にも通常の使用済み魔石とは明確に異なる反応を残しています」
魔力を加えた際の内部変動が小さい。
熱を加えた際の状態変化も比較的安定している。
完全に元の魔石と同じ性質ではない。
むしろ、違う性質へ移り始めているように見える。
「つまり、魔石を元に戻しているわけではないのですね」
「はい」
エルマーが頷いた。
「現時点では、別の素材になっている可能性を疑っています」
シェリィはその言葉を聞きながら、加工試料へ視線を戻した。
彼女自身には、使用済み魔石がまだ何かに使えるという感覚があった。
近づいただけで反応した時も、魔力を流した時も、それまでの魔石とは違う手応えがあったからだ。
だが、自分がそう感じたことと、誰でも扱える技術になることは別だった。
「加工工程を変えても同じ傾向が出るか確認してください」
「はい」
「形を変えた時、どの性質が残って、どの性質が失われるのかも分けてください」
ベルナート側の技術者が記録する。
「それと、魔力への耐性と熱への耐性を同じものとして扱わないでください」
「承知しました」
1つの数字だけを見て「強い素材」と呼ぶことは簡単だ。
だが、熱に強いものが衝撃にも強いとは限らないし、魔力に耐えるものが加工しやすいとも限らない。
使える素材とは、用途に必要な条件を満たして初めて使える素材になる。
◇
素材分析室の隣では、加熱試験が準備されていた。
今回確認するのは、加工試料が高温へどこまで耐えるかだけではない。
加熱と冷却を繰り返した時に、ひび割れ・変形・内部劣化が生じるかを確認する。
熱供給設備は、一度だけ熱くなればよいものではない。
毎日、何度も温度が変化する。
長く使うのであれば、繰り返される変化へ耐えなければならない。
ディートリヒ(熱供給事業部長)は試料を見ながら、エルマーへ尋ねた。
「熱を受け止める材料としてではなく、熱を運ぶ側へ使う試験もできますか?」
シェリィは口を挟まず、2人のやり取りを聞いていた。
エルマーが少し考える。
「できます。ただ、伝わり方を確認する専用の試験部材が必要です」
「現在の熱供給管とは別に?」
「はい。素材そのものの性質を見る必要があります」
ディートリヒが加工試料へ目を向けた。
「熱に耐えられるだけではなく、安定して熱を受け渡せるなら、熱源設備から先の設計が変わります」
シェリィはそこで初めて口を開いた。
「では、試してください」
2人の視線が向く。
「完成した熱伝導装置を作るのではありません」
シェリィは続けた。
「まず、この素材が熱を運ぶ部材として使えるかどうかを確認する試験片を作ってください」
ベルナート側の技術者が頷く。
「試作部材ですね」
「はい。従来素材との比較もお願いします」
どれほど高性能に見えても、既存素材より加工しにくく、壊れやすく、費用ばかりかかるのであれば、使う意味は薄い。
比較するからこそ、新しい素材の価値が分かる。
「熱をどの程度伝えるのか、長時間使った時に変形しないか、加熱と冷却を繰り返しても性質を維持できるか、接合部を作れるかまで確認してください」
「承知しました」
熱を生んだ魔石が、今度は熱を運ぶ側へ回る可能性が生まれた。
だが、それだけに用途を絞るつもりもなかった。
シェリィは別の測定表へ目を移した。
「物理強度の試験も予定されていますね」
「はい。圧縮・曲げ・衝撃への反応を確認します」
「そのまま続けてください」
エルマーがシェリィを見る。
「建築材料としての可能性を確認するためですか?」
「可能性の一つです」
シェリィは答えた。
「使えるとはまだ言えません」
それでも、調べる価値はある。
魔力にも熱にも耐え、さらに十分な物理強度を持つ素材なら、設備だけではなく建築そのものを変える可能性がある。
シェリィの知識には、高い建物を支えるには材料だけではなく、構造設計・基礎・荷重計算・給排水・避難・動力供給など、多くの条件が必要だという理解がある。
だからこそ、今ここで「高い建物が造れる」と結論づけるつもりはなかった。
まずは素材。
その次に構造。
順番を飛ばせば、技術ではなく願望になる。
◇
シェリィが研究施設を離れた後も、試験は続いた。
ベルナート精製素材商会は精製条件を複数に分け、粒の大きさ・不純物除去率・成形方法によって性質がどう変わるかを調べ始めた。
技術研究部は魔力反応と熱変化を測定し、ディートリヒの担当部門は熱伝導部材として必要な条件を整理する。
シェリィが必要なのは試料へ魔力を通す工程だけであり、それ以外は専門家へ任せる。
本人がすべての工程へ立ち会う必要はなかった。
それぞれの専門家が、自分の責任で結果を出せる仕組みを作る。
それこそが組織だった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会・技術研究施設・余剰魔力送信試験区画
別の試験区画では、ケストラー魔導機器商会の技術者たちが余剰魔力供給線の損失原因を調べていた。
前回の試験では、供給距離を延ばすほど末端へ届く魔力が減少することが判明している。
今回は原因を一つにまとめず、供給線そのもの・接続部・曲がり部分・分岐部分へ分けて測定する。
直線部分では比較的安定していた魔力が、接続箇所を増やすと損失を大きくする。
さらに供給線を強く曲げた区間でも、僅かながら変化が出た。
分岐させれば、当然ながら1方向へ流れていた魔力を複数へ分けなければならない。
技術者たちは結果を記録し、それぞれを別々の課題として整理していく。
都市規模の魔導動力網には、ただ魔力を通せる線があればよいわけではなかった。
長距離でも損失が少なく、接続でき、曲げられ、分岐でき、故障した場所だけ切り離せる供給系統が必要になる。
解決にはまだ時間がかかる。
しかし、何が問題なのかは少しずつ見え始めていた。
◇
その日の夕刻――
アスタリア北方・《アスタリア熱供給都市実験実証区画》
地下共同設備空間の主要区画の一部が、人が中へ入れる状態まで形になっていた。
施工確認に訪れた技術担当者たちは、完成後の保守作業を想定し、工具箱や交換用部材を実際に持ち込んで通路幅を確認している。
図面上で人が通れることと、設備を交換する作業員が安全に作業できることは同じではない。
熱供給管の横で工具を扱えるか。
交換部品を運べるか。
異常が起きた区画だけを閉鎖できるか。
別の設備を止めずに点検できるか。
建設は進んでいたが、それでも完成を急ぐ理由にはならなかった。
実際に使う前だからこそ、直せる。
その考えは、この都市を造るすべての部門に少しずつ浸透し始めていた。
◇
その日の夕刻――
アスタリア大商会本部・会長執務室
シェリィが最後の決裁を終えようとしていた時、技術研究部から速報が届いた。
精製試料について、加工後にも通常の使用済み魔石とは異なる耐魔力性・耐熱性が確認された。
熱伝導部材としての試作を開始する。
物理強度については継続試験。
正式な素材名称はまだ付けない。
シェリィは報告を最後まで読むと、椅子の背へ僅かに身体を預けた。
まだ完成していない。
熱伝導装置にもなっていない。
建築材料として使えることも確認されていない。
余剰魔力を都市全体へ送る技術もない。
それでも、以前なら捨てられていたものから、これだけの研究項目が生まれた。
使い終えた魔石を、再び同じ用途へ戻す必要はない。
別の仕事を与えればいい。
熱を作った後は、熱を運ぶ材料になるかもしれない。
建物を支える材料になるかもしれない。
魔導設備を守る材料になるかもしれない。
今は、どれも可能性でしかない。
だからこそ、決めつけない。
シェリィは報告書を閉じた。
使い終えた魔石が持つ将来性は、まだ誰にも測り切れていなかった。
そして、それを狭い用途へ閉じ込める理由も、まだどこにもなかった。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、使用済み魔石を元の魔石へ戻すのではなく、精製・加工することで新しい素材として利用できる可能性を探り始めました。
熱伝導装置の試作部材だけでなく、建築材料や魔導設備などへの応用可能性も残されており、現段階では用途を一つに限定せず、耐魔力性・耐熱性・加工性・物理強度などを順番に検証していきます。
一方、余剰魔力を街へ届ける研究でも、供給線や接続部、分岐など新たな課題が見え始め、都市インフラとして成立させるための研究が続いています。
役目を終えたと思われていた魔石が、どこまで新しい価値を生み出せるのか。
続きが気になりましたら、ブックマーク・評価で応援いただけると嬉しいです。




