第54話:使い終えた魔石もが、世界を変える武器(どうぐ)になる
星環暦1284年・恵雨月≪第8月≫13日・光曜――
アスタリア大商会本部・会長執務室
朝からシェリィの机には、《アスタリア熱供給都市実験実証区画》、アスタリア支部派遣者住宅、企業群各社から届いた報告書が積み上がっていた。
研究だけを見ていればよい立場ではない以上、シェリィにとって魔石実験も北方開発を構成する仕事の一つにすぎず、都市建設・企業群運営・物流・財務・人員配置のすべてを止めて研究施設へ入り浸るつもりはなかった。
最初に確認したのは、実証区画の地下共同設備空間だった。
グローヴァー建設商会からの報告では、熱供給管・戻り管・魔導通信設備・制御設備・安全遮断設備を配置する主要区画の施工が進み、人が内部へ入って点検・交換できる保守通路についても当初設計どおり確保できる見通しとなっている。
上水道・下水道については本管をまだ敷設していないものの、将来の配管区画と接続余地は確保され、魔導動力供給線についても研究結果を待って追加できる空間が残されていた。
次の報告は、アスタリア支部へ派遣される125名とその家族を受け入れる住宅建設だった。
第1期80戸のうち、単身者用1LDK45戸・家族用集合住宅23戸・家族用一戸建て12戸について、造成を終えた区域から順に基礎工事へ入っている。
最終整備140戸という計画自体に変更はない。
シェリィは報告書の端へ確認済みの印を付けると、次の資料を手に取った。
技術研究部から届いた、使用済み魔石の比較実験計画だった。
3日前、熱変換実験で使用した魔石が、シェリィの接近に合わせて微かな反応を示した。
それだけなら偶然という可能性もある。
だが、偶然かどうかを判断するために必要なのは想像ではなく、条件を揃えた比較だった。
シェリィは執務机の時計へ視線を向けると、残っている決裁書類の量を確認した。
研究施設へ行ける時間は限られている。
だからこそ、実験に参加する時間にも意味を持たせなければならない。
「午前中の決裁を終えたら研究施設へ向かいます」
控えていた書記が頷いた。
「技術研究部へ伝えます」
シェリィは次の書類を開いた。
研究を急ぐために経営を止めるつもりはなかった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会・技術研究施設
研究台には、3種類の魔石がそれぞれ識別番号と使用履歴を付けた状態で並べられていた。
未使用の魔石。
シェリィの魔力を通さず、通常の条件で熱変換に使用した魔石。
そして、シェリィの魔力を通した後に熱変換設備で使用した魔石。
エルマー・ザイデル(技術研究部長)は、シェリィが到着するとすぐに試験条件を説明した。
「まず魔力は流していただきません」
「承知しました」
「前回と同じように近づいていただき、3種類それぞれの反応を比較します」
ヘルマン・ヴェーバー(安全監査室長)が補足する。
「接近試験は2回までです。そこで傾向が確認できなければ、今日は接近条件だけでは結論を出しません」
シェリィは素直に頷いた。
「それでお願いします」
最初は未使用の魔石だった。
シェリィが一定の距離まで近づいても、測定器には目立った変化がない。
次に、シェリィの魔力を通していない使用済み魔石。
こちらには僅かな揺らぎがあったものの、シェリィが離れても同程度の変動が続き、接近との明確な関係は確認できなかった。
最後に、以前シェリィが魔力を通した後、熱変換設備で使用した魔石が測定台へ移された。
シェリィが近づく。
測定器の針が動いた。
「反応上昇」
研究員が記録する。
シェリィが離れると、反応は弱くなる。
もう一度だけ近づく。
同じ位置付近で、再び測定値が上昇した。
研究室の空気が変わった。
エルマーはすぐに結論を口にせず、3種類の記録を見比べる。
「少なくとも、使用済みであれば何でも反応するわけではなさそうです」
シェリィも頷いた。
「私の魔力を通した履歴が関係している可能性がありますね」
「可能性はあります。ただ、それだけともまだ言えません」
エルマーの慎重な答えに、シェリィは小さく笑った。
「その答えで安心しました」
分からないものを、分かったことにしない。
研究では、それが最も重要だった。
「では、次へ進めますか?」
シェリィが尋ねると、ヘルマンが試験記録を確認した。
「接近試験による異常はありません。1回目の魔力投入を許可します」
◇
使用済み魔石は専用の固定台へ移された。
シェリィはその前に立ち、すぐには魔力を流さなかった。
新品の魔石へ触れる時とは、感覚が違う。
以前、自分の魔力を通した痕跡のようなものが、魔石の内部に残っている。
明確な言葉にできるものではない。
だが、そこには確かに「通りやすい場所」があった。
シェリィはその感覚へ合わせるように、ごく僅かな魔力を流した。
魔石が反応する。
新品の時とは違い、内部でばらついた力が一から整うのではなく、以前作られた流れへ魔力が重なるように進んでいく。
「変化が出ています」
研究員が声を上げた。
「内部流動が安定しています。それだけではありません」
別の研究員が測定結果を確認する。
「魔力を与えた際の内部負荷が、想定より低いです」
エルマーの表情が変わった。
「使用済みなのに?」
「はい」
通常なら、使用を重ねた魔石は内部状態が劣化し、外部から魔力を加えた時の負荷も大きくなる。
しかし目の前の魔石は違った。
エルマーはすぐに追加試験を求めなかった。
「ここで止めます」
シェリィも魔力を切る。
「分析してください」
ヘルマンが頷く。
「次の試験は結果確認後です」
◇
1時間後――
分析室には、第1試験の測定結果と過去の魔石試験記録が並べられていた。
技術研究部が確認したのは、単純な「性能回復」ではなかった。
シェリィの魔力を通した使用済み魔石では、外部から魔力を与えた際の内部変動が小さくなり、魔力による負荷へ耐える兆候が見られている。
さらに、熱変化を加えた試験記録と照合すると、使用前の魔石とは異なる形で熱に対する安定性が変化している可能性もあった。
「魔力耐性と耐熱性の両方に変化が出ている可能性があります」
エルマーが説明する。
「ただし、まだ1個だけです」
シェリィは資料を見ながら答えた。
「同じ条件で別の魔石でも確認しましょう」
「はい」
「ただし、同じ結果が出なければ、それも結果です」
エルマーは頷いた。
「承知しました」
2回目の試験では、同じ使用履歴を持つ別の魔石が用意された。
シェリィは最初の試験と同じように内部の流れを探し、必要以上に力を加えず、ごく僅かな魔力を通した。
完全に同じ数値にはならなかった。
しかし、傾向は似ていた。
内部流動は安定し、魔力負荷への耐性には通常の使用済み魔石とは異なる反応が現れた。
研究員たちの間に緊張が走る。
再現性が見え始めたからだ。
ヘルマンは3回目の試験を許可しなかった。
「今日はここまでで十分です」
シェリィも異論を挟まなかった。
「同意します」
使える魔力量より、制御できる量の方が大切だと大后陛下から言われた言葉を、シェリィは忘れていない。
この研究に必要なのは無理を重ねることではなく、確実な記録を積み上げることだった。
◇
同日午後――
アスタリア大商会・技術研究施設・素材分析室
研究員たちは、2つの使用済み魔石から得られた結果を分類していた。
魔力耐性。
耐熱性。
内部流動。
表面変化。
加工時に影響しそうな箇所。
エルマーは結果一覧を見ながら、シェリィへ尋ねた。
「これを魔導機器の材料として調べますか?」
シェリィはすぐには答えなかった。
彼女自身には、以前から手応えがある。
自分の魔力を通した魔石が普通の魔石とは違うことも、使い終えた後に完全な残骸になるわけではないことも、魔石へ触れた時の感覚から薄々分かっていた。
だが、それはシェリィ個人の感覚でしかない。
企業群の技術者を動かし、資金を使い、将来的に製品へするのであれば、「会長がそう感じた」では不十分だった。
誰が測っても同じ傾向を確認できること。
加工しても性質が維持されること。
安全に使用できること。
長期間使っても問題がないこと。
それらを積み上げなければ、技術にはならない。
「魔導機器だけに限定しないでください」
エルマーが顔を上げる。
「素材として調べます」
「素材、ですか?」
「はい」
シェリィは測定表を指した。
「魔力に強く、熱にも耐えられる可能性があるのであれば、用途を最初から狭める理由はありません」
少し考えてから続ける。
「建築材料として利用できる可能性も調べる価値があります」
室内に短い沈黙が落ちた。
魔石を燃料や魔導機器の中核として見ることには、誰も違和感を持たない。
だが、建物の材料として見る発想は別だった。
エルマーが慎重に尋ねる。
「構造材として、という意味でしょうか」
「まだ決めません」
シェリィは即答した。
「強度も加工性も長期劣化も確認していませんから」
期待と結論を混同しない。
「ですから、その可能性も含めて調べます」
エルマーは理解したように頷いた。
「ベルナート精製素材商会の協力が必要です」
「正式に依頼してください」
依頼内容は、使用済み魔石の精製可能性・加工性・魔力耐性・耐熱性・物理強度・長期劣化の分析。
技術研究部だけで答えを出す必要はない。
素材を扱うなら、素材の専門家へ渡す。
それが《アスタリア企業群》を作った意味でもあった。
「それから」
シェリィは机上に置かれた使用済み魔石を見る。
「処分予定になっている使用済み魔石は、使用履歴を確認できる状態で保管してください」
「すべてですか?」
「研究対象になり得るものは、です」
埋蔵量がどれほどあるかは、まだ調査中だった。
最高品質の魔石がどれだけ存在するのかも、正式な結論は出ていない。
だからこそ、手元にある資源をどう使い切るかを調べる意味がある。
◇
同時刻――
技術研究施設・余剰魔力送信試験区画
使用済み魔石の分析が続く一方で、余剰魔力を利用した動力供給研究も止まってはいなかった。
前回は熱変換設備から数メートル離れた照明魔道具1基を点灯させることに成功した。
今回は供給線を延ばし、距離が伸びた時にどれだけ魔力が失われるかを測定する試験が行われている。
シェリィはこの実験には参加しなかった。
自分の魔力が必要な工程はすでに終えており、その後の送信設備試験まで会長自身が立ち会う理由はない。
報告を受ければよい。
夕刻、執務室へ戻ったシェリィのもとへ結果が届けられた。
距離を伸ばしても魔力は届いた。
ただし、供給線を長くするほど末端で確認できる魔力が減少する。
都市規模の供給網へするなら、この損失を無視することはできない。
シェリィは報告書を読み終えると、余白へ短く指示を書いた。
供給線素材・接続部・中継方法・分岐時の損失をそれぞれ分けて検証すること。
「送れる」という事実と、「都市設備として使える」という事実は別だった。
◇
その日の夕刻――
アスタリア大商会本部・会長執務室
窓の外には、北方の夕暮れが広がっていた。
実証区画では地下共同設備空間の工事が進み、派遣者住宅では第1期80戸の基礎工事が始まり、研究施設では余剰魔力を遠くへ送る方法と、使い終えた魔石の新しい性質が同時に調べられている。
シェリィの机には、ベルナート精製素材商会へ送る共同研究依頼書が置かれていた。
署名する前に、シェリィはもう一度内容を読む。
使い終えた魔石。
以前なら、役目を終えた資源として扱われていたもの。
だが、シェリィには最初に反応を感じた時から、完全に終わったものではないという感覚があった。
それでも、その感覚だけで周囲を動かすつもりはない。
人を動かすなら証拠がいる。
資金を使うなら理由がいる。
設備へ使うなら安全性がいる。
他国へ提供する未来まで考えるなら、誰が試しても同じ結果になる技術でなければならない。
シェリィは共同研究依頼書へ署名した。
「捨てるかどうかを決めるのは、調べてからにしましょう」
その言葉は、研究室にいる技術者へ向けたものではなかった。
自分自身への確認でもあった。
熱を生み出す技術。
熱を生み出した後に残る魔力。
そして、使い終えたはずの魔石。
一つの資源から、次々と別の価値が姿を現し始めている。
シェリィが求めているのは、誰かを傷つけるための武器ではない。
人を暖め、街を動かし、建物を支え、産業を育てるための道具だった。
だが国家同士が富と技術を競う世界では、暮らしを豊かにする道具こそが、時にどんな剣よりも大きな力を持つ。
熱伝導装置に続いて、使い終えた魔石までもが。
やがて世界を変える武器になろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、役目を終えたと思われていた使用済み魔石に、シェリィの魔力を通すことで新たな性質が現れる可能性が見え始めました。
まだ完成した素材ではなく、魔力耐性・耐熱性・加工性・強度・長期劣化など、多くの検証が必要な段階ですが、ベルナート精製素材商会も加わり、本格的な素材研究へ進むことになります。
同時に、余剰魔力を遠くへ送る研究では新たに損失という課題が確認され、街を本当の都市へ変えるための技術開発も一歩ずつ進んでいます。
熱を生み出す魔石、余った魔力、そして使い終えた魔石が、この先どのような価値へ変わっていくのかを見守っていただければ嬉しいです。
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